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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2009.08.10]

谷桃子バレエ『ロメオとジュリエット』とナイーブな女性の悲劇『令嬢ジュリー』

ビルギット・クルベリ『ロメオとジュリエット』『令嬢ジュリー』
谷桃子バレエ団

『ロメオとジュリエット』

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ビルギット・クルベリ振付の『ロメオとジュリエット』の初演の記録は見つけられなかったが、1955年にセカンドヴァージョン、1969年にサードヴァージョンが上演されている。
クルベリはジュリエットのキャピュレット家の人々に赤、ロメオのモンタギュー家の人々に青の衣裳を着せ、それぞれの家の旗をひるがえして対立を鮮明にした。また家のヒエラルキーを表すように組体操的な構造を群舞の動きに採りいれて、集団の意思を示している。ロメオの友人ベンヴォリオやジュリエットの乳母、二人の結婚やその後の方策を授ける僧侶は省略されている。
激しい家の対立を超えて愛し合った二人の若者が絶望して自殺する、というスジを「権力」「愛」「諍い」「追放」「二人の死」ほかの象徴的テーマを設定したシーンを描いて舞台は進行していく。
ただこの展開を今みると、マキューシオと楽しんだ青春の実感がなく、ロメオのティボルトに対する怒りが弱いし、乳母と戯れていた無邪気な少女ジュリエットが、愛を貫く一人の女性へと成長していくドラマも見えにくい。しかし当時は、それはまた別のテーマと思われていたのであろう。

今ではもう忘れられたかのようだが、第2次世界大戦が終結した後の1950年代から旧ソ連でペレストロイカの始まる以前の1980年代前半までは、緊張の強弱の差はあるが、世界は米ソの2極対立で構成されていた。2極対立が崩れることなどあり得ず、極限に達すれば人類は滅亡すると信じられていた。政治的対立がじつは存在の構造そのものだったのである。
こうした時代背景の中でクルベリは、シェイクスピアの『ロメオとジュリエット』の舞踊化に取り組んだことは忘れてはならない。
永橋あゆみは可憐にジュリエット踊ったし、斎藤拓のロメオは健気だった。ともに作品の趣旨をよく理解して踊っていた。

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『令嬢ジュリー』

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『令嬢ジュリー』は1950年に初演されているが、ストリンドベリの原作に基づき、貴族の娘の性を赤裸々に描きセンセーショナル話題を集めた。
貴族の厳しい頑な教育を受けたジュリーは、祖先の厳めしい肖像画に囲まれた部屋で召使いのジャンたちの若いエネルギーと性的な接触を垣間見たことから、同じ貴族の青年と愛を育むことができない。夏至祭でおおらかに歌い踊るジャンたち侮辱され、その反動からジャンに積極的に関わって関係を結んでしまう。ジャンは粗暴で貴族を憎んでいることを隠そうともしない。二人の関係が明らかになると、ジュリーは祖先の亡霊に苛まれ、ついには自殺してしまう。
貴族とその召使いという社会的関係、階級的対立の中で女性の性がどのような扱いを受けるか、という問題に鋭く説得力を持って迫ったバレエ。夏至祭などに見られるジャンたちの若々しく生命力に溢れた人々のエネルギーと、亡霊となって現れるしかない貴族たちとのコントラストがおもしろい。
ジュリーを踊った高部尚子は、潜在的な欲望を抑えきれず階級社会に翻弄される若いナイーブな女性像を深い理解で見事に表現していた。そしてとても初役とは思えない三木雄馬のジャン。ルジマトフばりともいいたくなるような闊達な踊りで優れた表現力を見せた。当たり役になるのではないか。この作品の特徴を捉えた主役の二人に感心させられた。そして、1989年にこの作品をレパートリーに採りいれた谷桃子の舞踊的見識に敬意を表したいと思った。
(2009年7月4日 新国立劇場中劇場)

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