悔いのないようにキャリアを重ねてきた。元ノルウェー国立バレエ団プリンシパル西野麻衣子が語る第二のキャリア
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ワールドレポート/東京
インタビュー=小野寺悦子
元ノルウェー国立バレエ団プリンシパル西野麻衣子の半生を辿った『鏡の中の私へ バレリーナ西野麻衣子の軌跡』が、この春、世界文化社から発売。ノルウェー人ジャーナリストの取材により刊行された書籍で、これまでの彼女の歩みが余すとこなく語られている。来日中の西野麻衣子に、書籍について、そして退団後のセカンドキャリアと今後の展望を聞いた。
――『鏡の中の私へ バレリーナ西野麻衣子の軌跡』が、今春日本で発売されました。ノルウェーで刊行された書籍の日本語版となります。

西野 ノルウェーで本が出たとき、あと5年後、10年後に日本でも発売できたら、という気持ちがありました。だから、こんなに早く出るとは思ってもなくて。通訳の方に、「麻衣子さん、これを日本の女性にも読んででもらいたい」と声をかけていただいて、私にとってはうれしいサプライズでしたね。
――書籍の中では、差別やいじめ、ハラスメントなど、過去の辛い経験についても語られていますが、ためらいはなかったですか。
西野 本ができ上がったとき、ここまで言っていいのだろうかと迷いました。でも実際トップに立って、キラキラ光る場所にいたけれど、光るまでにはずっと磨いてきたし、邪魔もされてきた。それをシェアすることは必要で、今言っておかないといけない。誰かが読んで、1人でも勇気づけられたら、という気持ちでいます。
ある名門バレエ団のオーディションを受けたとき、「スタイルはいい、何がいけないかといったら、(アジア人の)顔」だと言われたことがありました。だったら、整形手術をしようと考えました。顔を変えればバレエ団に入れてもらえるのか、と思って。あの時は本気でした。必死だったんです。けれど、「ありのままの麻衣子のことを受け入れてくれるところに行ってほしい」という、母のひと言でやめました。
いじめやハラスメントにあい、カウンセリングにも3年間通いました。そこでカウンセラーに「マイコをいじめた人はいじめたことを覚えていない」と言われて、そうだなと思い、話すことに決めました。いじめのことは、話すことでどんどん楽になりましたね。ただ、ハラスメントについては、周りの人たちはほとんど誰も知らず、夫にもあまり言っていなかったので、すごくびっくりされました。
私のスタジオに来る生徒のなかには、バレエ学校でいじめられているという子もいます。たぶん本を読んで来てくれているのだと思います。私自身が経験しているから、マイコに助けてほしいと、お母様から電話が来ることもあります。これまで辛いこともたくさんあったけど、いろいろな経験をしてきて良かったなと思っています。


出版イベントにて、井上ユミコ氏とのライブシューティング © Yumiko Inoue
――ノルウェー国立バレエ団では、東洋人初のプリンシパルとして活躍。2021年、41歳で退団されています。
西野 ノルウェーの国立劇場では、バレエ団のダンサーは男女共に41歳が定年と決められています。オペラ歌手は女性が52歳、男性の方が長く歌えるので54歳。オーケストラはみなさん67歳が定年で、そこからの延長は基本ありません。
引退公演では『オネーギン』を踊りました。初めて『オネーギン』を踊ったのは母が乳癌になった時で、それもあってこの作品にはすごく思い入れがありました。それ以来何度も踊ってきたけれど、人生のアップダウンをバレエを通して表現できる作品であり、最後の舞台は『オネーギン』を踊りたいと思ったんです。
ただ、当時はまだコロナ中だったので、引退公演は無観客で、オンラインで配信しています。そこに行き着くまでも大変でした。
毎朝コロナテストをして、それでOKが出ないと劇場に入れません。コロナテストは計85回ほどしたでしょうか。リハーサル中にコール・ド・バレエに陽性が出て、コール・ド・バレエが全員帰ったこともあります。私が衣裳を替えてリハーサルに戻ったら、みんないないんです。何度もそういうことがあり、どうなるんだろうという感じでした。最終的に誰1人欠けることなく公演ができて、すごい奇跡的ですよね。ただ本番は夫も息子も劇場には入れず、家でオンラインを見ていました。
オンラインは生放送で、開幕の10分前にオーケストラがチューニングをするところから始めています。休憩時間も20分あり、早替えもして、いつもの本番通りの進行です。私は役に没頭していて、お客さまがいないのを忘れてたほど。最後にカーテンが降り、拍手がなかったとき、そこではじめてオンラインだったんだと改めて気づきました。無事に踊り切れたことが幸せでした。これで次のチャプターに行ける、そう思いました。
――バレエ団を離れることに寂しさはなかったですか。
西野 最後まで踊り続け、走り続けて、いきなり終わりとなったら、たぶんガクっとなっていたでしょうね。リハーサルや公演があると、次のステップについて考える時間も限られてしまうけれど、コロナ禍の2年間で無理やり考えさせられた時間があったので、心の準備がちょっとずつできてきた感じです。
ただ自分では大丈夫だと思っていても、心身は疲れ切っていたようです。ある日、朝起きたらうわっと湿疹が出て、大変なことになってしまって。メンタルと身体って直結しているんですね。元気なつもりでいても、身体は赤信号を出していたんです。
私の引退について、夫は「十分踊りきったし、きっと悔いもない。違う場面でも絶対にマイコは活躍できる」と言ってくれました。でも息子には「ママには絶対に舞台から降りてほしくない!」と大反対されてしまいました。
私自身は、十分やり尽くしたし、悔いはありません。悔いのないようにキャリアを重ねてきました。悔いの残るキャリアには絶対にしたくなかったんです。
結婚したとき、夫に「もし体力がなくなってきた、テクニックが落ちてきた、マイコのベストじゃないと思ったら、舞台から引きずり降ろしてね」と伝えています。去年の方が良かったとか、この前のパフォーマンスの方が良かったと言われるのが1番嫌だったので。トップのまま舞台を去りたいと思ったし、実際にそうしてきました。
――とはいえ、長くトップであり続けるのは大変です。どのように心身をキープされてきたのでしょう。

バレエ団時代 出産から復帰に向けて『白鳥の湖』のリハーサル
西野 毎朝のクラスを休んだことはありません。『白鳥の湖』の全幕で主演を踊っても、疲れたから今日は休みます、ということは1度もなし。目覚ましがピピッと鳴ると、一瞬でぱっと起きて、そこから一日がスタートします。どんなに身体が痛くても、しんどくても、もうちょっと寝よう、ということはないですね。大変でもルティーンを続けていると、身体も整う。運もあります。この20数年間で怪我は1、2度しかなかったし、ダイエットをしたこともないので、たぶん身体が丈夫なんです。120パーセントのパワーで臨んでも、ちゃんとリカバリーできるようになっている。
オン・オフをはっきりさせていたのも良かったと思います。劇場を出る瞬間、バレエ団を背負っているバレリーナのマイコを置いていく。劇場を一歩出たら母と妻になり、今日は息子に何を作ろうかなと考える。お料理も好きだし、リフレッシュになるからお掃除も大好き。特に舞台の後はハイになっているので、ケーキを焼くか、ずっと掃除をしていますね。夫には「お願いだから寝て!」って言われます(笑)
――退団後は、スタジオのオーナー兼フリーのダンサーとして第二のキャリアをスタートされています。
西野 他のバレエ団や学校などいろいろオファーがあったけど、1度劇場から外へ出たかったんです。ちょっと違うステージに行きたかった。それと、自分で自分のスケジュールを決めたかった。私は家族が日本にいるので、自分がオーナーになったら自分でスケジュールが決められて、行き来もしやすくなります。
2021年の9月に引退して、翌2022年の1月にスタジオ『マイコ』をオープンしました。スタジオを持とうと思ったのは、教えるのが大好きだから。実際に20代後半の頃から、バレエ学校の特別講師として土曜日のクラスを教えてきました。私の恩師の橋本幸代先生にも、「麻衣子は伝えるのがすごく上手だし、人を見る目があるから、退団したら一度教師をしてみてほしい」と言われていたんです。
スタジオはリビングルームのようなアットホームな空間で、1対1で教えています。バレエスクールに通っている生徒さんは、10歳~が対象で、バレエ経験3年以上。学校で習ったことをもっと自分のものにしたいとか、このステップができなくてなんでだろうと困っていたりする。でもバレエ学校の先生は忙しいから、1対1ではなかなか教えてくれませんよね。
バレエ団のダンサーも来ます。初めてバレエをする大人の方もいて、20代から80代の方まで来ています。
――スタジオではどのような指導をされているのでしょう。
西野 いちからバレエを教えるのではなく、私の場合はコーチングです。ダンサーなら、テクニックを磨くというより、こういう風に見せるならどうしたらいいか、という指導。主役級のダンサーが来ると、マイムやアクティングのコーチングもします。
私が大切にしているのは、マインドとボディのコンディショニングです。
まず床に寝ます。大体みんな疲れているのと緊張しているので、背中がアーチになる。どこか力が入ってる。そこで、身体をぺたりと床につけてもらって、私が両手の人差し指と親指でハートの形を作り、お腹の上にそっと起きます。そこで心臓の鼓動を感じ、お腹で呼吸をし、自分の呼吸を聞き、呼吸を感じる。10歳からみんなそう。そこから、バレエの子は私の作ったエクササイズを、大人の方は弱ってきているところをまずピラテスで整えて、メインはマイコのバーです。バーをきちんとしていたら、センターもきちんとする。「ピルエットが上手になりたいです」という子がきても、バーでエクササイズをします。「ピルエットの練習はしないんですか?」と聞かれるけれど、「大丈夫、これで明日は絶対に良くなるから」と伝えます。
大人の初心者は、バーとピラティス、そしてマイコのキャットウォークをします。前に行ったり、後ろに行ったり、斜めに行ったり、後ろ歩きをしたり、鏡に向かって歩いていきます。みんな歩いてはいても、床を感じていないんす。バレエシューズや靴下だと感じられる。床を感じるのって、バランス的にとても大切なこと。その状態でキャットウォークをすることで、素敵な自分になっていく。でもみなさん鏡に映る自分の姿をマイナス思考で見られる方が多く、最初は嫌がりますね。バレエのテクニックより自分磨き。それがメインです。どう自分を見つけ、見つめるか。ただ見るのではなくて、見つめてほしい。ただ見るのと見つめるのとでは目が変わる。見つめ方が変われば顔もほがらかになります。
バレエは全くの初心者だった女性にも、時期が来たらトゥシューズを履いてもらいます。そろそろトゥシューズを履きましょうと言ったら、そんなこと思ってもみなかったと号泣した方もいましたね。でも私のクラスでトゥシューズを履きましょう=踊りましょうではありません。バーのレッスンだけだけど、私のバーはハード。トゥシューズを履いて、プリエからドゥミポイントをするのって、きちんと足裏もしっかり使わないといけないので、かなりきついんです。きちんと立てた瞬間、生徒さんが自分の身体を鏡で見て、うわぁと笑顔になる。その瞬間がもう本当に幸せで。
チャレンジって、大人になってからもできる。私の本を書いたライターのラグンヒルド・ラウクホルム・サンヴィークも生徒の一人。インタビュー前は私のクラスを必ず受けることと言ったら、はじめは嫌だと言っていたけど、やっているうちにはまっちゃたみたいです(笑)。

ギャラリーでのインプロ

ギャラリーでのインプロ

ギャラリーでのインプロ
――ダンサーとしてはどのような活動をされているのでしょう。
西野 バレエ団を引退してから、インプロが多くなりました。画家と音楽家と私の3人のコラボレージョンで、生演奏で私が即興で踊る姿を見て、画家の方が絵を描く、というパフォーマンスです。
画家の彼との出会いがきっかけでした。初めて彼のギャラリーに行ったとき、知らないうちに彼がチョークで私の横顔を描いていたんです。「これプレゼント」と渡されたとき、すごくグサッときて。お友達にヴァイオリンを弾いてもらって、彼のアートと共に、いろいろなギャラリーでパフォーマンスをしています。
バレエ団の舞台と違って、お客さんと距離が近いので、みんなの中で踊っている感覚がある。アットホームな空間で、その時々の音楽で、今思っていることを身体で表せる幸せ。踊っていて楽しいですね。
ただ、初めてのインプロは最悪でした。20歳の時です。バレエ団にいらしたイリ・キリアンさんに、「インプロをしてください」と急に言われて。音楽もないし、絶対に無理、どうしようと、もうパニックです。私の番は最後でした。そこで、みんなのインプロを見ながら、頭の中でこっそり振りを作って踊りました。けれどキリアンさんに「マイコ、作品を作ったでしょ」と言われてしまって。「振りは忘れて、ちょっと歩いてみて」と言われ、その途中で「今、動いてごらん」との指示がありました。身体がぽんと動いところで、「ストップ」の声がかかった。「ほら、準備はいらないでしょ」とキリアンさん。でもそれはなんだか変な格好で、「私はこの格好が嫌、醜い」と伝えました。でも「嫌だと思うから嫌なんだ、僕は興味深いよ。他の真似だとか、型にはまったものに僕は全然興味がない」と言われて、これでいいんだって思えた。どんどん身体がクリエイティングしてくれるようになりました。

バレエ団時代 イリ・キリアン振付『ワン・オブ・ア・カインド』

バレエ団時代『アンナ・カレーニナ』
――退団後もプロとして踊り続けるとなると、日頃のトレーニングが必要です。
西野 バーレッスンに加えて、2、3年前からジムでトレーニングを始めています。週1回トレーナーについてトレーニングをして、そこで教わったことを自分でリピートしています。筋トレです。10キロくらいのウエイトを手に持ちながら、ジュッテを飛ぶんです。最初は全然できませんでした。でも目標に向かってチャレンジしていく生き方が好き。今、50歳になるのが楽しみなんです。50歳になるまでの数年間でどれだけチャレンジできるか、自分でも楽しみです。
――50歳になったとき、こうありたいという女性像といいますと・・・
西野 女性として、もっと綺麗になりたい。マイコみたいな女性になりたいと思われるようになりたい。バレエ団を退団してから、少し体重を増やしています。バレエ団にいた時は筋肉質で硬かったけど、身体もハートも柔らかい方がいい。柔らかくなった自分が好き。そう言えるようになるとは自分でも思っていませんでした。ダンサーとして余計な肉がつくのが嫌だと思っていたから。バレエダンサーって、どうしても自分、自分になってしまう。その考え方も卒業したいと思っています。
――退団後、他に何か変わったことはありますか。
西野 家族との時間ですね。バレエ団にいた頃は、常に時間との闘いでした。そろそろ行かなければいけないと、いつも時計を見ながら息子と一緒にいたんです。今はそれはなく、息子と一緒にアイスクリームを食べに行ったり、バスケットボールの試合を見に行ったり。息子は13歳の中学一年生で、私より大きくなりました。彼を家において夫と2人でワインデートに出かけたりもします。「たまには一緒にご飯を食べに行かない?」と息子を誘っても、「2人でデートしておいでよ」なんて言われています。
夫との時間も持てるようになりました。現役の時は必死だったし、夫も仕事が忙しかったけれど、お互いちょっと余裕ができた。夫はすごく優しいですね。バレエではたくさんプリンスがいるけれど、夫はリアルな人生のプリンスです(笑)。
――今後についてお聞かせください。
西野 今、新たな活動を考えていて。椅子に座りながらできるバレエを開発しているところです。バレエをしていない方、お仕事をされている女性に向けたトレーニングです。仕事をしている女性って椅子に座っている時間が長いけど、ジムやピラティスに通うのは大変ですよね。どこかに行く時間もいらなければ、器具を買わなくてもいい、レオタード姿にならなくてもいい。椅子に座ったままでするバレエのメソッドを作っています。
年齢を重ねれば女性ホルモンが減ってくるのはしょうがない。けれどなくなるまで待つのではなく、トレーニングで準備をしていたら全然違うはず。
でも、お仕事をされている方って、時間がないとまず口にするんです。そうではなくて、自分のために時間を作る。自分のために10分、15分トレーニングするだけで、身体も変わるし、心も変わると思う。バレエのメソッドでエレガントな気分にもなる。お疲れさま、今日も頑張ったよって、自分で自分にひとこと言うだけで、見るからに変わってくる。部屋の中にハッピーな女性がいたら、その場の雰囲気も変わりますよね。
この前日本に帰国した時にトライアルをしてみたら、とてもいい反響をいただきました。次の日は足がプルプルしてました、と言っていましたね(笑)。スクワットをしなくても、何も持ち上げなくても、きちんと筋肉を使えばちゃんときいてくる、ということです。
近い将来、東京でレッスンをスタートするのが私の夢。それが次の私のチャプターです。
『鏡の中の私へ バレリーナ西野麻衣子の軌跡』
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