『HANAGO -花子-』開幕直前! 森山開次・酒井はな・津村禮次郎に聞く

ワールドレポート/東京

坂口香野 text by Kaya Sakaguchi

2019年に制作された森山開次演出・振付の『HANAGO -花子-』が、間もなくセルリアンタワー能楽堂、市川市文化会館で再演される。
『HANAGO -花子-』は、能の名作『班⼥』『隅⽥川』の登場⼈物・花⼦(はなご)に焦点を置いたダンス作品。花子役を酒井はな、森山と津村禮次郎が酒井の後見役とその他の役柄を務める。能楽堂にて稽古をする森山、酒井、津村の三人に見所についてうかがった。

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森山開次

――『HANAGO』は、セルリアンタワー能楽堂が主催するコンテンポラリーダンス公演「伝統と創造シリーズ」の10作品目として制作された作品ですね。

森山 はい。このシリーズの当初から関わり、導いてくださっている、能楽師の津村禮次郎さんとの出会いは、もう23年前になります。日本の伝統文化への「無知」を力に変えて、たくさん学ばせていただきながら、能や日本の伝統文化をテーマにした作品を数多くつくってきました。ダンスを始めた頃から漠然とあった、舞踊家としての僕自身の課題が、津村先生との出会いではっきりした課題に変わってきたと感じています。

――その課題とはどんなことでしょうか。

森山 いろいろあるんですが、シンプルに言うと「狂う」という言葉でしょうか。
僕がダンスを始めた頃、なぜ踊りが好きなのか、何に引き寄せられて踊っているのかよくわかりませんでした。踊っていると、いろんな感情が出てきてしまう。もちろん「楽しい」や「嬉しい」もあるんだけど、踊れば踊るほど、破壊衝動や、怒りや憎しみのような負の感情も出てきて、区別できない。それを恥ずかしいとか取り繕いたいと感じる自分もいて。そういうものを見せていいのかなと悩んでいた頃、津村先生が「能では、意図して狂うんです」と言ってくださったんですね。先生曰く、能では「狂う」と、「舞う」「演じる」という言葉は同義語ですと。
舞台人は、誰しも持っている負の感情を、舞台上でただ出せばいいのではない。どうコントロールしながら狂ってみせるか。「狂う」とどう向き合うかが自分の課題だと知ったのは、津村先生のおかげだと思っています。

――今回の『HANAGO』は、まさにその狂気を描いた作品ですね。

森山 はい。吉田の少将に恋い焦がれる遊女・花子を描いた『班女』と、行方知れずの息子・梅若丸を求めてさまよう狂女を描いた『隅田川』という「狂い」をモチーフにした二つの能を題材に、酒井はなさんのためにつくった作品です。「酒井はなさん=花子」でしょ、っていう語呂合わせからスタートしていますけど。
素晴らしいバレエダンサーはたくさんいますが、はなさんはやはり日本を代表するプリマバレリーナであり、舞台上の存在感、「花(華)」は別格です。『隅田川』のヒロインである梅若丸の母は、『班女』の花子の後の姿とされているので、この二つの物語を題材に、花子という一人の女性の生き様を描けると思いました。
今回は7年ぶりの再演ですが、同世代のはなさんと僕は50代に、津村先生は80代に入りました。僕は以前、年齢による身体の変化を言い訳にしたくないと思っていたんですけど、最近は言い訳にしてもいいんじゃないかと思い始めたんですね。「言い訳」という言葉には語弊があるけれど、身体が変わってゆくことをちゃんと感じ、それを受け入れ、抗いながら生きていくことが舞踊家の宿命です。時の流れと向きあいながら、舞踊と共に生きている3人の有り様を、今ちゃんと届けられればいいなと思っています。

――森山さんと津村さんは、どのような役どころを演じるのでしょうか。

森山 吉田の少将や隅田川の渡し守、梅若丸など様々な役を演じながら、後見人としてはなさんに寄り添い、サポートしていくという舞台構成になっています。舞台に関わるすべてのスタッフが、酒井はなの花子としての一生に寄り添い、みんなではなさんの「狂い」を成立させる。安心して狂える場を、みんなでしつらえる。ここで舞いなさいと。若い頃はあまり考えなかったけれど、舞台ってそういう場所だと思うんです。
僕は能の人間ではないけれど、今、ここで生きている現代の舞人として、世阿弥をはじめ、先人が大切に育んできた『班女』『隅田川』という大きな物語を語り直したい。引き継がれてきたものの一つひとつを、ちゃんと身をもって体験しなさいと。今、そういう場をいただいている気がします。

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酒井はな

――ヒロインの花子を、どのようにとらえていらっしゃいますか。

酒井 非常にピュアな女性です。もう、吉田の少将に恋い焦がれ過ぎて、過ぎて過ぎて狂うところまでいってしまう。大好きな少将とかわした扇をお守りのように持っていて、会うのを楽しみにしたり、会えないこと悲しんだり、彼を思って思って思い続けている。開次さんが少将なんですけど、扇を通じて再び巡り会い、恋が実る瞬間がまた、素敵な舞になっています。詳しくはぜひ、津村先生にレクチャーしていただいてください。津村先生にいただく能の知識には、発見がいっぱいあります。

――能楽堂で踊ることの難しさについて教えてください。

酒井 私はこのシリーズに数多く出していただいているので、足袋で踊るバレリーナとしては第一人者だと自負しているんですけれども(笑)。バレエでは、身体を大きく動かしたくなる。能楽堂でももちろん動くけれど、動かずとも表現できるでしょうと言われているような、凜とした空気を感じます。それは、バレエで培った、「軸を集める」感覚と非常に似ていて。バレエは、軸から動きを開花させていく。能だと、軸を「すんっ」と集めて、天地に挿していくようなイメージがありますね。
今回は開次さんが、能のスタイルをいただきつつ、バレエののびやかなラインが生きるような振りにしてくださっています。
『班女』と『隅田川』の部分では、動きの質も変わります。『班女』は若き日の花子なので、軸を立ち上げて、さささっと軽やかに動きたい。『隅田川』は母になりし花子なので、少し腰の位置が下がっている感じ。『班女』は裸足で、ちょっとあどけない表現にし、『隅田川』は黒足袋を履きます。足元によって身体に作用する感覚は違ってくるので、指先や甲をデリケートに使って踊りたいですね。

――再演にあたって、目標はありますでしょうか。

酒井 私もお年頃ですので(笑)。えいやっと足を上げるとか大回転とかではない小さな動きにも、今まで積み重ねてきたことがこもるような表現ができたらと思っています。つい「動こう」としてしまうのはバレエダンサーの性(さが)かもしれませんね。「ああ、身体が先に行っちゃったな」ってよく思います。もっと意識や神経のところから動けたら。動きをそぎ落とすことで、より花子の心情が出たらいいなと。

――『隅田川』の最後、息子・梅若丸の幻と出会うシーンは、津村さんと演じられるそうですね。

酒井 津村先生の梅若丸、本当に愛くるしくて涙が出ちゃうんですよ。お母さんがあまりに呼ぶものだから、梅ちゃんの魂がやってきてくれる。ストーリーがしっかりしているので、能を知らない方でも見やすいですし、開次さんの演出はとてもドラマティックで、静寂の中に様々な想像をかきたててくれます。
能楽堂という小空間でのライブなので、花子さんという役を生きつつ、お客様との呼吸を共にさせていただけたら素敵だなと。お楽しみいただけますよう、頑張ります。

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津村禮次郎

――能楽師の立場から、この作品を解説していただけますか。

津村 『班女』と『隅田川』は、どちらも狂女が出てくる作品です。「狂い」とは何かにとりつかれたような、いわばハイの状態。ヒロインに「面白く狂ひ候へ」(面白く狂ってみせよ)と呼びかけるシーンがありますが、「面白く狂う」ことは中世の芸能の形としてあったわけです。
『班女』というのは、古代中国の皇帝に愛された遊女「班婕妤」(はんしょうよ)のことで、恋人の吉田の少将を思うあまり、形見の扇を手放せない遊女花子のあだ名です。班婕妤は「皇帝の閨からは(新しい愛人が弾く)琴の音が聞こえてくる。私は捨てられた秋の扇だわ」って嘆く歌をつくるのですけど、その歌が花子の台詞に引用されているんです。中国の故事や『源氏物語』の、光源氏と夕顔のはかない出会いなど、様々なものがちりばめられた、文学的に豊かな作品なのですよ。
『隅田川』は、人買いにさらわれた我が子を探して、京から東国の隅田川にやってきた狂女の物語です。なかなか渡してくれない渡し守に促されて『伊勢物語』の、在原業平の和歌を織り込んで、歌いながら舞う。「我が子を尋ねる自分の思いは、業平の妻を尋ねる思いと同じ」だと訴える、これが「狂う」という芸でもあるわけです。
我が子・梅若丸の父の名は「吉田の某」だと語るので、この狂女は『班女』の花子だと考えられる。開次くんはそこに目をつけて、二つの能を組み合わせ、酒井はなさんという優れたバレリーナを生かして一人の女性の一生を描く、面白い作品をつくりましたね。はなさんの踊りは、能のもつ様式性ととても自然にマッチしています。

――はなさんの扇や衣裳についても教えてください。

津村 どちらも実際に能で使うものです。扇も能装束も、扱いは難しいところですが、開次さんも僕も、使い方ははなさんの自由に任せて、相談を受けた時だけ、最低限のアドバイスをするようにしています。
衣裳は唐織といってとても豪華で重く、僕ら能楽師は身体にきちんとまとって着るのですが、はなさんはワンピースの上に羽織ります。アチチュードなどバレエのポーズを取ったときも、美しく映えると思います。

――原作の『隅田川』では子役が演じる梅若丸を、津村さんが演じるとうかがいました。

津村 あれは、開次くんのいたずらというか・・・・・・。若い頃なら断ったと思いますけど、もう80代、子ども返りということでいいかなと(笑)。能楽師って、年を取ると軽くなるんですよ。すり足も、若い頃のほうがカチッと粘着質ですが、80、90代になると、サッサッとこだわりなく歩くようになる方が多いんです。
明け方に現れる梅若丸の幻は、母が昼間見た都鳥(みやこどり)の姿とどこか重なっているので、ほんの少し鳥のような動きを入れてみようかなと思っているところです。

――今回の再演について、どのように感じていらっしゃいますか。

津村 7年経って、皆身体は変化していますが、少し不自由さがあるほうが謙虚になれる面はあると思います。能では「心は十、動きは八分で抑える」ともよく言われますし。表現の深みを追究しつつ、新しい挑戦もしていきたいですね。この作品、ぜひ海外に持って行きたい。パリで公演してみたいなあと思っているんですよ。

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HANAGO -花⼦-

セルリアンタワー能楽堂 2026年6⽉4⽇~7日
市川市⽂化会館 ⼩ホール  2026年6⽉20⽇
http://a-tanz.com/event/48233

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