来年、パリ・オペラ座ガルニエ宮で上演される東京バレエ団の金森穣振付『かぐや姫』全3幕

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『かぐや姫』金森穣:演出・振付・空間デザイン

東京バレエ団が、日本を代表する振付家・舞踊家の金森穣に創作を依頼した『かぐや姫』(全3幕プロローグ付)を、2023年10月の世界初演に続き、このほどブラッシュアップして再演した。この作品は、東京バレエ団が "世界に発信する日本のグランド・バレエ" を創るべく金森に委嘱したもので、バレエ団の創立60周年記念シリーズの第1弾として初演された。その作品が、今年12月のイタリア公演での第1幕の上演に続き、来年の5月にパリ・オペラ座のガルニエ宮で全幕上演されることが決まっている。世界的なバレエの殿堂での公演を控えていることと、今回の公演会場の東京文化会館が改修のため長期休館に入る前の最後の公演ということが重なり、いつも以上に熱気を帯びた公演になっていた。

金森は、日本最古の物語文学とされる『竹取物語』に創意を得て、新たな登場人物を加え、オリジナルなドラマを織り込んで大胆に構築し直し、人間の孤独や欲望をフォーカスして、より普遍的で深みのある物語バレエを創り上げた。音楽は印象派音楽の巨匠、クロード・ドビュッシー。色彩感豊かで描写性に富んだ楽曲はそれぞれのシーンと見事に合致しており、その選曲の妙に改めて感心した。舞台装置としては、後方の一段高い位置に左右に伸びる通路を設け、場面に応じて中央に階段が付けられる程度で、極めてシンプルで抽象的。特定の時代や地域性を排している。照明はよく計算されており、特に背後に投映される月の映像を、満ち欠けする月、巨大化する満月など、かぐや姫の心の動きに寄り添うように変化させたのは効果的だった。衣裳デザインは廣川玉枝。女性たちは村人を除いて基本的に全身タイツ。村人たちは農耕に従事するからか、茶系統の素朴な風合いの衣裳で、宮廷の男性たちの光沢のあるメタリックな衣裳と、対比させていた。

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© Shoko Matsuhashi

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公演は5月5日のマチネとソワレ、6日のマチネの3回で、主要な役にはダブルキャストが組まれていた。かぐや姫は秋山瑛と足立真里亜(5日ソワレ)。原作では月の世界の住人で、贖罪のために地球に遣わされたという設定だが、金森版では「月から遣わされた謎の姫」。かぐや姫と恋に落ちる山村の孤児「道児」は大塚卓と柄本弾(同)。「帝」は池本祥真と生方隆之介(同)。その正室「影姫」は沖香菜子と金子仁美(同)。かぐや姫の教育係「秋見」は伝田陽美と政本絵美(同)。竹取の「翁」は岡崎隼也が全回務めた。また、歌舞伎などの後見役の「黒衣」を、かぐや姫だけに見える闇の力として活用し、登場人物を操り、ドラマを推進させるなど、暗躍させていた。3回公演のうち、6日の最終公演を観た。

プロローグの季節は春。翁(岡崎隼也)が竹取りに赴くと、舞台は満月の光を浴びる海に変わり、「緑の精」の女性群舞が波打つ海から竹林へと変容していった。潮の満ち引きは月の引力に拠ることから、海を月のメタファーと捉えて導入したのだろう。交響詩<海>の音楽にのせ、全身タイツの女性によるポアントを駆使した精妙な群舞は躍動感にあふれて美しく、力強く生命のリズムを刻んでいるようにも感じられた。翁が光る竹やぶの中に小さなかぐや姫を見つけ、両手で抱えて帰ると、かぐや姫は一瞬のうちに成長して現れた。

第1幕の季節は夏で、農村での素朴な生活が描かれた。働き者の道児(大塚卓)は、こき使われても意地悪されても意に介さず、童たちに慕われている。やんちゃに育ったかぐや姫(秋山瑛)は腕白な童たちと戯れ、盗み食いをたしなめられたのを救ってくれた道児に惹かれる。後方の段上の通路で、宮廷の女官や大臣たちの一行が、天真爛漫に振る舞うかぐや姫の姿に目を止めるシーンは、第2幕への伏線になっていた。月を眺めて涙ぐむかぐや姫は、慰めようとする道児と踊り始める。〈月の光〉の旋律にのせて、秋山は道児に心を開いていくにつれて柔らに身体をしなわせ、大塚は彼女を壊れやすい宝物のように包み込み、高くリフトするなど、初々しいパ・ド・ドゥを繰り広げた。だが、二人は嫉妬に駆られた翁に引き離されてしまう。翁がかぐや姫を見つけた竹やぶに行くと、今度は小判や反物が降ってきて翁を喜ばせた。それを見ていた村人たちは、自分たちも宝を得ようと次々と竹を切り倒していった。
打掛を羽織り、着飾ったかぐや姫が輿に乗せられて宮廷に向かい、それを道児が茫然と見送るシーンで第1幕は終わった。ここで流れる〈亜麻色の髪の乙女〉は切なく響いた。かぐや姫はバレエシューズからトゥシューズに履き替えており、乗せられた輿は鳥かごのようにも見え、教育係も付けられた。すべてが宮廷での窮屈な生活を予感させた。

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第2幕で季節は秋に、舞台は宮廷に移る。後方の通路の正面には大きな階段が付けられ、ぼんぼりが幾つか吊るされている。どこか東洋風の雰囲気だが、雅さはなく、空虚さが漂う。最初に登場したのは正室の影姫(沖香菜子)。赤と黒の交じった全身タイツの沖は、帝に愛されない鬱屈した思いを晴らすように、四人の大臣を従えて妖艶に踊ったが、その様は凄みさえ感じさせた。四人の大臣は、宮川新大、安村圭太、鳥海創、後藤健太朗。影姫にへつらいながらも互いに闘志をみなぎらせて踊り、こちらも凄みを感じさせた。到着したかぐや姫を見据える影姫の沖の眼差しには烈しい敵意がこめられていた。かぐや姫の美しさに眩惑された宮廷の男たちは襲いかかるように彼女に迫ったが、炸裂するパワフルな男性群舞は見応えがあった。一方、かぐや姫の秋山が男たちに手渡されて怯える姿からは、清らかな美しさが匂いたった。階段の上に帝(池本祥真)が現れ、かぐや姫のほうに下りてくる。池本は威厳を誇示するように肩をそびやかし、重心を低く取り、足先に力をこめ、角張った仕草でステップを踏んでみせたが、虚勢を張っているようでもあり、家臣たちに疎まれている寂しさが感じ取れた。

かぐや姫は宮廷の作法を厳しく躾ける教育係の秋見(伝田陽美)に反抗して翁に助けを求めるが、翁に激しく叱りつけられてしまう。
場面は山村に変わり、かぐや姫を失って悲嘆にくれる道児が働く意欲をなくし、村人たちの慰めも受け付けず、見放されてしまう短いシーンが挿入された。この後、何とも印象深い踊りの場面が続くので、目を離せない。
まず、眠れぬ夜を過ごした影姫とかぐや姫が出会い、それぞれに鬱屈した思いを抱きながら、光と影が一対になるように心を響かせ合い、しっとりと紡いでいくデュエト。次は、純真なかぐや姫に惹かれていく帝と、帝の孤独を思い遣り共振していくかぐや姫と、そんな二人に心を乱される影姫によるパ・ド・トロワ。帝とかぐや姫の手が触れ合うと、影姫は遮るように割り込むが、かぐや姫は影姫から逃れるように後ろに回るなど、緊迫感をはらんだやりとりが続き、それぞれの苦しい胸の内が伝わってきた。金森の緻密な振付が光る。
そして、宮廷に忍び込んだ道児とかぐや姫が再会して踊るパ・ド・ドゥ。オーケストラ版〈月の光〉にのせて、精神的に成長したかぐや姫は道児をいたわるように包み込み、道児の愛に応えるように高くリフトされて喜びを溢れさせ、道児も募る想いを燃え上がらせて踊った。二人は逃亡を企てるが黒衣に阻止されてしまい、取り残されたかぐや姫が、立ちはだかる帝や宮廷の人々を前に絶望して泣き崩れるところで幕が下りた。

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第3幕は冬。思い出にふけるかぐや姫が眠りに落ちて見る夢で始まる。
かぐや姫は月からの使者「光の精」に囲まれてさまよい、道児の幻を見つけて喜んだり、帝や大臣たちの幻に怯えたりするが、道児たちは光の精に連れ去られていき、かぐや姫は悪夢から覚めた。光の精の女性群舞は、妖しい光で舞台を覆い、底知れぬパワーを感じさせた。かぐや姫は、翁から自分に求婚する四人の大臣の誰かと結婚するよう命じられる。喜び勇む大臣たちに、教育係の秋見は結納品を献上するよう空の宝石箱を渡した。張り合う四人の大臣が、闘志をみなぎらせてアグレッシブに踊る様は見もので、恐ろしさを覚えるほどだった。
傷心のかぐや姫の前に現れた帝は、かぐや姫の愛を求めて強く迫った。かぐや姫の秋山は、帝の孤独な心を思い遣りながらも受け入れられない屈折した心境を繊細に表現。帝の池本が、かぐや姫の頑な心をおもんばかって堪えようとする様は、いかにも辛そうだった。影姫の沖が、そんな二人の成り行きを案じて宮廷を駆け抜ける姿は痛ましく映った。

そこから物語は急テンポで展開した。結納品の財宝を求めて竹やぶを荒らす大臣たちと、撃退しようとする村人たちの争いで竹やぶは荒廃。山村に戻ったかぐや姫は、竹やぶの無残な有り様に心を痛め、再会した道児に妻と赤子がいることを知り、さらなる衝撃を受けた。今度は、帝が率いる宮廷人たちと、道児が率いる村人たちの戦いが始まり、かぐや姫があまりの惨状に声にならない叫びをあげると、強烈な光がすべてを包みこみ、人々はその場に倒れこんだ。光の精たちが現れると、人々は目を覚まし、自分たちの非を恥じた。かぐや姫は、道児を妻のほうに押しやり、帝を影姫のほうに押しやり、許しを乞う翁に別れを告げ、光の精に記憶を失うストールをかけられ、月への階段をのぼっていった。巨大な満月とかぐや姫の崇高なまでに美しい後ろ姿に希望の光が感じられる幕切れだったが、かぐや姫は何のために地球に遣わされたのかという問いは残された。

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以上が金森版『かぐや姫』の物語である。金森は単なるおとぎ話に終わらせず、いくつも普遍的な問題を提示している。一つは孤独。帝のように孤立による孤独や、人に受け入れてもらえない孤独など、様々な孤独を浮き掘りにしている。孤独の尺度は人によって異なるもので、永遠の課題だろう。加えて、帝や正室など、権力の最高位に座す者が必ずしも幸福ではないという、悲しくもリアルな問題も提示している。そして、欲望という問題。財力や権力、地位を欲すること自体が悪いわけではないが、歯止めが効かなくなると人間性が損なわれかねない。翁が良い例だろう。競って財宝をあさる村人たちや大臣たちが招いたものは何だったか。自然環境の破壊や醜い闘争などの禍だった。すべて現在の世界に通じる問題ではないだろうか。金森の問題意識の高さが、自ずと作品に反映されてしまうのだろう。『かぐや姫』は、もちろん詩情豊かな幻想的なバレエ作品として楽しめるが、示唆に富む作品だけに、それだけでは勿体ない気がする。

金森は17歳で渡欧し、モーリス・ベジャールに師事し、ネザーランド・ダンス・シアターIIなど欧州の舞踊団で舞踊家・演出振付家として活躍した後、日本に活動の場を移し、現在はNoism Company Niigataの芸術監督を務めている。このキャリアから、『かぐや姫』はバレエよりコンテンポラリー色が濃厚なのではと懸念を持たれるかも知れないが、そんなことはない。金森は、古典バレエもベジャールの作品も鮮やかにこなす東京バレエ団のダンサーを想定して振付けただけに、ソロやパ・ド・ドゥ、パ・ド・トロワ、群舞など様々な形式を用いて、バレエとモダンそれぞれの魅力が発揮されるように巧みに作舞している。その意味でも、グランド・バレエとして見応えある作品になっている。ダンサーたちの力量も確かだけに、難度の高い踊りも表現豊かに的確にこなしていた。金森の『かぐや姫』が、このおとぎ話を知らない外国でどのように評価されるか、今から楽しみだ。
(2026年5月6日 東京文化会館)

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