ノイマイヤー、キリアン、ベジャールという3人の巨匠による3作品が上演された〈レジェンズ・ガラ〉、東京バレエ団
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ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
東京バレエ団〈レジェンズ・ガラ〉
『月に寄せる七つの俳句』ジョン・ノイマイヤー:振付、『小さな死』イリ・キリアン:振付、『春の祭典』モーリス・ベジャール:振付
東京バレエ団が〈レジェンズ・ガラ〉と題して、バレエ団とゆかりの深い20世紀を代表する3人の巨匠振付家の傑作を上演した。プログラムはジョン・ノイマイヤーが東京バレエ団のために創作したオリジナル作品『月に寄せる七つの俳句』で始まり、小品ながらスパイスの効いたイリ・キリアンの『小さな死』が続き、モーリス・ベジャールの初期代表作『春の祭典』で締めくくられた。『月に寄せる七つの俳句』は、東京バレエ団が創立25周年を記念して1989年にノイマイヤーに委嘱したもので、後にハンブルク・バレエ団のレパートリーにも採り入れられた。今回の17年振りの上演に当たり、ノイマイヤーを招いて指導やキャスティングを行ってもらったという。また『春の祭典』では、長きにわたりモーリス・ベジャール・バレエ団の芸術監督を務めたジル・ロマンに振付指導を仰ぐなど、満を持して臨んだ。3日連続で行われた公演の初日を観た。

photo:Shoko Matsuhashi
『月に寄せる七つの俳句』は、夜空の情景のプロローグに始まり、月を詠んだ七つの俳句の朗誦に合わせて、移ろう季節の情景をあたかも"目で見る俳句"のようにダンスで綴った約40分の作品。俳句のパートには透徹したアルヴォ・ペルトの音楽が、夜空のパートなどには俳人・芭蕉と生きた時代が重なるバッハの音楽を用いている。ノイマイヤーが選んだ七つの俳句は、「赤い月 是は誰かのじや 子供達」(一茶)、「人に似て 月夜の案山子 あはれなり」(子規)、「四五人に 月落ちかかる をどり哉」(蕪村)、「寒月や 石塔の影 杉の影」(子規)、「春もやや けしきととのふ 月と梅」(芭蕉)、「小言いふ 相手もあらば 今日の月」(一茶)、「われをつれて 我影帰る 月夜かな」(素堂)と妙趣は様々で、最後にエピローグのように「鐘消えて 花の香は撞く 夕哉」(芭蕉)がつけ加えられている。"目で見る俳句"といっても、俳句をダンスで説明するのではない。「言語のみ、ダンスのみでは表現できない深い内容を表し、俳句の意味を完全に超えるところまで示す新しい形式です」とノイマイヤーは記している。
登場するのは、「月」の生方隆之介と、「月を見る人」の平木菜子と柄本弾に群舞のダンサーたち、そして「水面に映る夜空」の群舞のダンサーたち。平木は2021年にハンブルク・バレエ団から東京バレエ団に移籍したダンサーで、ノイマイヤーの振付に馴染んでいることもあり、抜擢されたのだろう。幕が開くと、左手前に置かれた小舟の中で、柄本がおぼろな満月を眺めており、中央では「水面に映る夜空」のダンサーたちが群青の衣裳で踊り、その後方を白い衣裳の「月」の生方が静かに横切っていった。観客を一気に俳句の世界にいざなう巧みなプロローグだった。月が赤くなり、最初の句が朗誦されると、「月を見る人」のダンサーたちが元気良く登場し、ボールで戯れたりした。俳句が読み進められるにつれて、情景も変わっていったが、「月を見る人」の平木と柄本のデュエットが精妙で美しかった。終盤、左右に離れて立つ「月」の生方と「月を見る人」の柄本が呼応するようにしなやかに踊るシーンも印象的だったが、これに白いワンピースの平木が加わって織りなすトリオは、詩情の中に儚さをたたえて深い余韻を残した。俳句の持つ象徴性に拮抗するようなノイマイヤーの秀逸な創作だった。群舞のダンサーたちのレベルは高く、「水面に映る夜空」のダンサーたちの鋭敏な手足の動きが素晴らしかったし、「月を見る人」の群舞では、バク転などアクロバティックな妙技を披露した男性ダンサーもいた。

photo:Shoko Matsuhashi

photo:Shoko Matsuhashi

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『小さな死』は、モーツァルトの没後200周年に当たる1991年のザルツブルク音楽祭のために、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番と21番のゆったりとした楽章を用いてキリアンが振付けた作品で、東京バレエ団では2017年にこれを初演している。キリアンによれば『小さな死』は「詩的でありながら、性的な行為がもたらすエクスタシーを風変わりなほどに意味ありげに描き出す作品」で、男女6人ずつのダンサーにより踊られる。なおフランス語の原題『Petite Mort』は「オルガスムス」を示唆しているという。
幕開け、男性たちはフェンシングの剣を床に転がすなどしてもてあそんだか、尖った剣は攻撃性や男性性を象徴しているに違いない。舞台を覆った黒い布が翻ると、中から女性たちが飛び出してくるなど、意表を突く展開が続いた。女性たちは頭や手足のないトルソーを移動させて踊ったかと思うと、貴婦人たちが着用した窮屈なクリノリン・ドレスを自己を解放するように脱ぎ捨ててみせるなど、ユーモアを感じさせる一幕も。一方、男女が一体になって緊密なやりとりを紡いでいくシーンでは、息詰まるような濃密なエロスが匂いたった。ダンサーの強靭な身体性が求められる振付けだったが、男女のペアによるデュエットでは、三雲友里加と宮川新大が見せた、少しの弛みも許されない力のこもったパフォーマンスが際立っていた。わずか20分ほどの作品だが、キリアンの諧謔の精神が随所に張り巡らされているのに改めて感心した。

photo:Shoko Matsuhashi

photo:Shoko Matsuhashi
最後は『春の祭典』で、ベジャールが発情期の鹿が交尾する映像に喚起されて、ストラヴィンスキーの音楽に振付けた1959年の革新的な作品。東京バレエ団では1993年に初演して以来、繰り返し上演してきたが、国内での公演は7年振りという。『春の祭典』は太陽神への賛美と生贄に選ばれた乙女を描いたバレエ音楽だが、ベジャールはストラヴィンスキーの構想とは異なる独自の解釈を施している。自身の作品について、「肉体の深淵における男と女の結合、天と地の融合、春のように永遠に続く生と死の讃歌とならんことを!」と書いている。ベジャールは、最も根源的な生=性の讃歌を誇らかに歌い上げようとしたのだろう。それにしても、ストラヴィンスキーの音楽が内包する原始の鼓動やダイナミズム、不穏な不協和を巧みに舞踊に繋いでみせたベジャールの手腕はさすがである。
二部構成の前半に登場するのは男性だけ。眠りから目覚めるように頭をもたげ、身を起こし、鹿が角を突き合わすように身体をぶつけ合い、野性をむき出しにしていく描写が生々しく、2人のリーダーと2人の若者の炸裂するような演技が目を引いた。それだけに、抗争の果てに「生贄」に選ばれてしまった樋口祐輝が、悲痛な面持ちで絶望感を滲ませたのが印象的だった。後半は、すでに「生贄」に選ばれた伝田陽美が手を顔に当て、舞台中央に立つシーンで始まった。身体でリズムを刻みながら、凛として構える姿には気高さが感じられ、強い存在感を示し続けた。男性の「生贄」の樋口とは対照的である。伝田を囲む女性たちの群舞はしなやかさと強さを備え、コントロール良く様々なフォメーションを綾なしていく。男性たちが入り込むと、女性たちとせめぎ合い、入り混じり、群れをなして熱気を帯びていった。そして、選ばれた「生贄」の男女が群れの集団に囲まれ、祭り上げられて結合する衝撃のクライマックスで幕を閉じた。圧巻のパフォーマンスだった。
以上、3人の巨匠による作品はどれも充実したステージングで見応えがあった。『月に寄せる七つの俳句』ではノイマイヤーや初演時のダンサーから直に教えを受け、『春の祭典』ではロマンの指導を受けたことなどが、舞台の成果に結びついたのだろう。こうした真摯な取り組みを続けることにより、珠玉の作品を高いクオリティーで継承できているのだと頼もしく思った。
(2026年2月27日 東京文化会館)

photo:Shoko Matsuhashi

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