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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2008.02.11]

モスクワ音楽劇場バレエ団の『白鳥の湖』と『くるみ割り人形』

  スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場が7年ぶりの来日公演を行った。2006年に本拠地モスクワの劇場が焼けてしまったそうだ。
焼失前は木造の小さな劇場だったと記憶しているが、私はここでボリショイの芸術監督に就任する以前にワシーリエフが振付けた『ロミオとジュリエット』の 初演を観た。僧服を着たオーケストラを舞台上にあげて舞台を前後に区切り、ドラマが同時進行で観られるようにした思い切った演出だった。『ロミオとジュリ エット』の原作は、確か2日間のできごとだったから同時進行を使った演出は理にかなったものかもしれない。ロミオはキリーロフが踊ったと記憶している。
当時のモスクワ音楽劇場は、チェルノブロフキナは既にプリマだったがドロズドーワは引退。ガリーナとミハイルのクラピーヴィン夫妻はまだ現役で、娘で現プリンシンパルのクラピーヴィナがデビューしたばかりだった。
閑話休題。

『くるみ割り人形』
 今回上演された『くるみ割り人形』は、ワイノーネン版のしっかりしたヴァージョン。少女のクララはダンサーが入れ替わって、夢の中の成長したクララとなる。
ワイノーネン版の場合、この方法が一番無理が無いと思う。大人のダンサーが少女を踊るのは、いくら演じているとはいえ、やはり身体性を含めて不自然さを 感じてしまう。ところが、フリッツなどの男の子役には女性ダンサーが扮している。これだと演技や振りをこなすのは上手いのかも知れないが、男の子特有のエ ネルギーに満ちた活発さが感じられなかった。
舞台美術はもう一新されていた。クリスマスプレゼントやねずみ、雪、そして最後のシーンでは、キラキラとした歓びの感情を図案にした抽象的な背景を使用していた。しごく素朴な図案だったが、意外に効果的に感じられて上々の評判だった。
最後のグラン・パ・ド・ドゥは、王子とクララの二人だけで踊り、夢の世界であることを強調した演出になっている。

『くるみ割り人形』

『白鳥の湖』はブルメイステル版。タチヤーナ・チェルノブロフキナのオデット/オディールと、ナターリヤ・クラピーヴィナの同じ役で観ることができた。
周知のように、有名な『白鳥の湖』のブルメイスティル版は、この劇場で1953年に初演された。プティパ以前のチャイコフスキーが作曲時に考えていたと思われる物語に立ち戻って、演出・振付を行っている。
特に第3幕の演出が有名。デヴェルティスマンを踊るダンサーたちは、ロットバルトの手下として、ジークフリート王子の婚約式に乗り込んでくる、というなかなかドラマティックな設定になっている。
チェルノブロフキナのオデット/オディールは、いささかの衰えもなく、柔らかく美しいラインを描いていた。クラシック・バレエを見る眼の肥えたモスクワの観客の厳しい視線にさらされてきた、気品あるヒロインであった。
クラピーヴィナも情感をはっきりと描く明快な踊りで、チャイコフスキーのメロディとじつにマッチした動き。チャイコフスキーが作曲の際に想定したストーリーを、忠実に再現しているかのような雰囲気が感じられた。
第4幕は、重大な過ちを許してもらったジークフリートが勇気百倍となって、ロットバルトに立ち向かい、ついには愛の力によって魔法を打ち破る。すると白 鳥に姿を変えられていたオデットが人間の姿を取り戻す、というプロローグからエンディングまで、じつに理にかなった展開のドラマとなっているのである。
それにしても、最近では3回休憩のあるプロローグ、エピローグ付きの全4幕仕立て、という構成のバレエは珍しい。観客がみんな生き急ぐようになったのか、休憩を2回入れるとダレる、とさえいわれる。
しかし、ベートーヴェンのような風貌の指揮者が感情をたっぷりと移入してドラマティックに演奏し、ダンサーも思い入れのこもった演技で応え、哀調を帯び た一弦の響きが直接観客の心の琴線を揺さぶる、このモスクワ音楽劇場の『白鳥の湖』では、3回の休憩の時間がまるで気にならなかった。
私たちは、知らず知らずのうちに、スピーディな展開とショーアップされた演出とアンサンブルのみを強調するバレエに慣れ親しんでしまっているのだろうか。
たいへん懐かしいばかりでなく、充実感を実感した『白鳥の湖』だった。来年もぜひとも来日してほしいカンパニーである。
(12月23日『くるみ割り人形』、27日チェルノブロフキナ、29日クラピーヴィナ 東京国際フォーラム・Cホール)

『白鳥の湖』