[新潟]金森穣が描く、現代の人間が抱える苦悩の様相

金森穣:演出・振付『Nameless Poison ~黒衣の僧~』

りゅーとぴあ新潟市民文化会館

りゅーとぴあ新潟市民文化会館とモスクワ・チェーホフ演劇祭によって共同制作された、金森穣振付、演出の『Nameless Poison ~黒衣の僧~』が、Noismの本拠地新潟で上演された。この作品は前年度朝日舞台芸術賞舞踊賞を受賞した『Nameless Hands ~人形の家』に続く見世物小屋シリーズの第二弾である。
第一弾が「見世物小屋の復権」として、本来操られるはずの存在である人形がその身体性を獲得していく様子が描かれたのに対し、今回は現代人が抱える苦悩、他者の存在をいかにして見出すかという「人間劇」へとその本質を移した。

『Nameless Poison ~黒衣の僧~』 撮影:村井勇

『Nameless Poison ~黒衣の僧~』
撮影:村井勇

前作と同様にダンサーにはそれぞれ役柄が与えられている。バレエミストレス井関佐和子は「貞操な娼婦」、彼女のパートナーを務める宮河愛一郎は「病んだ医者」、他にも「怖がりの闘牛士」や「飛べないジゼル」など、一見矛盾したキャラクター設定が行われている。衣装は中島佑一によるデザイン、総勢10名のダンサーは役柄に即したものを身にまとって踊る。舞台は白に統一され無機質な雰囲気が漂うなか、井関と宮河を中心に展開していく。

開場中から、白衣を着た宮河が舞台右手でパソコンのキーボードを打ち鳴らす。取り憑かれたようにパソコンの画面から目を離さない様子はまるで、そこにある身体が実はバーチャルな世界の中に存在しているかのようである。開演すると、頭から足まで白い衣装で身体を覆ったダンサーたちが足を踏み鳴らし、震えるような動作の群舞を繰り広げる。その動きは、他者との関係性が絶たれた人間の苦悩を写し出していた。その後も井関と宮河のペアは、お互いが求め合いながらすれ違っていくといった感情の矛盾を感じさせる踊りを見せる。

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『Nameless Poison ~黒衣の僧~』
撮影:村井勇

続いて舞台左手に設置された壁が回転し、その壁の裏側が現れる。植物の緑に覆われたその壁によって、舞台は有機性を取り戻す。振付にも、ダンサー同士の関係性が浮かび上がり、舞台は無機的な世界から有機的な世界へ変容し、コミュニケーションの可能性が導かれるようであった。

しかしまた状況は一変する。舞台の幕が下り、それが上ると舞台上はまた無機質な様相を見せるのだ。ダンサーはそれぞれイヤホンをつけ、観客に聞こえるカンチェーリの『ラメント』とは異なるチャイコフスキー『白鳥の湖』で踊る。そこに、観る者と観られる者の想像に齟齬が生じるのだ。金森はこれを、コミュニケーションの本質ではないかと語っている。人間が想像するものは他者には理解困難である、というのだ。

作品全体は、無機質な世界のなかでダンサーたちの身体のエネルギーがぶつかりあい、すれ違っていくという形で、人間のコミュニケーションにおける本質的な苦悩が一貫して描かれていた。また、見世物小屋シリーズの第二弾という位置付けながら第一弾ほどの演劇的展開はなく、振付が語るメッセージの強い印象を受ける。ダンサーに与えられた役柄も、伝わらない感情や想像内容の齟齬といった矛盾のなかに集約されていた。
昨年の第一弾から、今年6月の『ZONE―陽炎 稲妻 水の月』で金森が掲げた「ダンスに対するアカデミックな探求と、その対極にあるプリミティブな身体」を経て、見世物小屋の世界は新たな展開を迎えたようである。人間の本質的な苦悩を表現する彼の世界観はそのスケールを広げ、成長していることが感じられた作品であった。

Noismは今シーズンより研修生カンパニーを設立したことにより、その名称をNoism09からNoism1へと改めた。この新体制における第一作目である『Nameless Poison ~黒衣の僧~』は、11月の新潟公演を皮切りに12月19、20日の静岡、23、24日の愛知、1月22日~27日の東京へと続き、3月にはまた新潟へ戻ってくる。そして6月にはモスクワで公演を行う予定だ。これからさらにその魅力を増していくであろうダンサーたちが今から楽しみである。
(2009年11月22日 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオB)

撮影:村井勇

ワールドレポート/その他

[ライター]
花谷泰明

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