ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Paris <パリ>: 最新の記事

From Paris <パリ>: 月別アーカイブ

斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2007.04.10]

歌舞伎公演『勧進帳』『口上』『紅葉狩』
パリ・オペラ座の歌舞伎初演にパリ市民熱狂

市川団十郎が率いる歌舞伎公演が3月23~30日、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)で初演された。公演前の広告 はほとんど見かけず、ポスターなども市内に貼られなかったが、5回の公演すべてが完売という盛況ぶり。初日当日も、オーケストラ席と2階正面の特等席には 日本人観客の姿が目立ったものの、大半はフランスの一般人。日本の伝統芸能に対する関心の高さが伺えた。
しかし、幕間や終演後に観客にコメントを求めると、衣装や隈取り、舞台装置に対しての絶賛はあったものの、作品の面白さや演劇性についての評価は聞かれ ない。オペラ座の常連という60代の男性の「たまに、こういう異国の文化に触れるのはいいものだ」というコメントが、大半の観客の感想に近かったのではな いかと思う。
オペラ座バレエは、クラシックバレエの基本姿勢を踏襲しながらも、古典作品の解釈においては“今”の感性に訴える演出が試みられている。その研鑽を積み 重ねる理念こそが、オペラ座の「伝統」でもある。かたや「守り継ぐ」ことを文化伝承の真髄とする邦楽の世界。“古き皮袋に新しき酒”をモットーとするオペ ラ座で、和の本質はどこまで理解されたのだろうか。

『勧進帳』
武蔵坊弁慶と関主の富樫の役を、日替わりで団十郎と海老蔵の親子が交互に演じるという。私がみた初日は、団十郎の弁慶、海老蔵の富樫だった。白血病を克 服しての出演になった団十郎は、旅の疲れもあってか、本調子ではないようだった。大舞台で重責を果たそうと自らを奮い立たせている姿勢は十分感じられたも のの、声には以前のような張りがない。弁慶が勧進帳を読み上げる場面、最初のころは朗々と声も通っていたが、後半にかけてエネルギーが切れ気味、明瞭でな い箇所もあった。
やっとのことで富樫から通行を許されるが、義経のところで「待った」がかかる場面は、弁慶の一大事。心で泣きながら義経を折檻するという機転を働かすわ けだが、この弁慶の心の痛みが身体表現から伝わらない。続く富樫と弁慶が対峙する一番の山場も、にらみをきかせ、型は決まっているのだが、そこからさらに 掘り下げた生身の男と男のドラマが見えてこない。
海老蔵の富樫にしても、顔よし格好もいいのだが、富樫という役人の素顔がのぞかない。義経を見破っていながらも、弁慶の有無を言わさぬ身体を張った気迫、主君を思うばかりの心意気に揺さぶられた男の情、生き様といったものが表現されてしかるべきだったろうと思う。
しかし、市川亀治郎が演じた義経は出色だった。声がよく通り、セリフが明瞭。端正な響きの抑揚のなかに「義経、少しも慌てず」の落ち着きが見て取れ、役柄と亀治郎に天性備わったオーラが感じられた。

 

※写真は今回の公演のものではありません。


口上
団十郎以下9人の役者がフランス語で口上を述べた。それも、すべて暗記していたから客席から大喝采を受けた。市川家は代々、暁星出身が多くフランス語に は耳慣れているはずだ。しかし、そこはさすがに役者。“覚えたて”を装い、歌舞伎調の派手な抑揚をつけて読み上げたのである。観客は「すごい」と口々に言 い合い、笑いも耐えなかった。

『紅葉狩』
上手と下手に作られた一段高い位置に囃し方が分かれ、舞台一面に紅葉の木。幕があくと、方々からため息が漏れ聞こえた。能から題材をとって、前シテは更 科姫の姿、後シテは戸隠山の鬼女という本性を現す。長身で男前の海老蔵が、あでやかな姫を演じているのをフランス人の観客は見破れない。終演後に、数人か ら「まさか」「信じられない」という声が聞かれた。市川家に明治時代から伝わるという鬼女の隈取り。カーッと目を見開き、真正面を見据えたときのド迫力。 泣く子も黙る圧倒的なインパクトがあった。
ただ、この演目の出来栄えも一言で形容するとなると「美しい」しかない。前シテと後シテをつなぐ“執念”というキーワードが、舞台からは伝わってこな かった。型を超えた何かを、市川家は次世代に残していけるのだろうか。フランス人の観客が表面的にしか捕らえられなかった歌舞伎というものを上回る説明 を、私は思いつくことが出来なかった。

ただ関係者によれば、団十郎さんはこのパリ公演を勤め上げるために、節制に節制を重ねていた。空気が乾燥している上、3月中旬~下旬のパリはみぞれも混 じる天気に見舞われた。外気に触れるときはハンカチを口にあてることを忘れず、体調管理に万全を期していた。春めいた陽気に恵まれても、ホテルからは必要 なとき以外は一歩も出ず、食事はルームサービスで済ませたという。舞台人として徹した生き方には、頭が下がる思いだった。