パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ロレーヌ・レヴィ
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ワールドレポート/パリ
大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA
ロレーヌ・レヴィ Laurène Lévy(コリフェ)
オペラ・ガルニエを舞台に開催された2つの創作からなるミックスプログラム『Empreintes』が好評のうち幕を閉じた。その1つ、マルコス・モローが振付けた『Etude』でティアラをつけチュチュを着て花束をもってスター・ダンサーを演じていたのはロレーヌ・レヴィだった。今から20年近く前にNHKで放映されたマニュエル・ルグリによる「スーパーバレエレッスン」を視聴していた人々の記憶では、若手の中からルグリに見出されたクラシック作品に優れたダンサーの一人というイメージではないだろうか? 一時期見かけない、と思っていたが、気がつけば彼女は今のパリ・オペラ座のコンテンポラリー作品には欠かせない存在。創作に来るコレグファラーに次々と選ばれる彼女だ。どんな作品においても客の視線を捉えるのは、その正確な動き、役への深い解釈のせいだろう。3月に公演のあったマルコス・モローの『Etude』ではスターダンサー役だった。もうじきパリ・オペラ座の定年42歳に達するという。この数年顕著な彼女の活躍がここで終わってしまうのが惜しまれる。
Q:マニュエル・ルグリのTVシリーズで、あなたの名前は日本のバレエファンに知られることになりましたね。

ローレヌ・レヴィ Photographe Julien Benhamou/ OnP
A:2006年ごろでしょうか。入団して3年目で、私がまだベビーだった時代です。
Q:『Etude』から始めましょう。これはマルコス・モローが初めてパリ・オペラ座のためにクリエーションした作品です。どのように創作は進みましたか。
A:始まったのは公演開始の2ヶ月くらい前ですね。初日、リハーサル・スタジオで彼の周りを囲むようにダンサーが座って、彼が''パリ・オペラ座やクラシック・バレエなどのコードを作品に使ってみたい。それを脱構築したい。例えばステージの最後に行われる挨拶から逆に作品を始めるというような・・・''といった話をしてくれました。バーレッスンのシーンなどについても彼の希望を語りました。これはもちろん彼特有の身体言語を使って、ということでしたが。
Q:ぎくしゃくとしたメカニカルな振付が印象的な作品でした。
A:それが彼のコードですね。クラシックな動きを作品に取り入れるのに良い方法だと思います。
Q:彼はオペラ座やクラシク・バレエのコードに精通していましたか。それともダンサーたちから色々教えてあげたのですか。
A:両方が言えますね。この時にはすでに彼には作品の組み立てはできていたんだと思います。それをベースに、リハーサルスタジオでよくあるように、ダンサーと振付家との間でやり取りをして。彼の希望でステップを提案すると、いや、デガジェやルティれなどもっとピュアなテクニックで! もっとクラシックに! とかいう反応が彼からありました。彼も彼なりの動きで私たちに見本を示してくれて・・・これが創作に参加する面白さなんですね。彼はダンサーたちに何を期待してるか、といったことなども質問。良いスタートを切ったと言えます。
Q:やる気を刺激されましたか。
A:確かに。と言っても、どんな方向に向かうのかわからずにですけどね(笑)。創作って時には最後の最後までわからないことがあるんです。というのも、衣装や舞台装置などそうした要素を私たちダンサーが知るのは、かなり公演が近くなってからのことなので。『Etude』では巨大なシャンデリアについて話には聞いていても、スタジオで稽古している時には想像が難しいものでした。マルコスの仕事の特徴の1つは、状況に適応して変更を行うことです。ステージリハーサルで初めて大きなシャンデリアが舞台に降りてきて、そこから彼にはまた新しいアイディアが生まれ、そうして多くのことが公演直前に決まったと言えます。私たちはこの時点では考えている余裕はなく、とにかく変更に自分を溶け込ませなければ、という感じに。

Etude「エチュード」
Photography Yonathan Kellerman

Etude「エチュード」(中央右)
Photography Yonathan Kellerman
Q:照明が作り上げる効果が観客には印象深い作品でした。
A:私たちはステージの上にいてダンスがもたらすことについてはわかるけれど、最初のシーンのセピアタッチの色などは想像もしていませんでした。観客がインスタグラムにあげた写真で知ったんですよ(笑)。それを見て、ああ、素晴らしい!! と。マルコスの美意識について疑問はなかったけど、写真を見て以来踊る時の味わいがより深いものとなりました。配役が複数あれば、自分の回でないときに舞台を観に行けるけど、コンテンポラリーの場合配役が1つなので、こうして写真を見て観客が見るものを私たちは徐々に発見してゆくんですよ。
Q:男女32名のダンサーが同じコスチューム。全員靴下で踊る作品でした。
A:足の部分は少し厚めにはできてますけど、本当に靴下なんです。稽古も靴下で進めたので、公演の時には踊りなれていました。コンテンポラリーは靴下のことが多いですね。この6年くらい、ずっと私は靴下で踊っています(笑)。男女が同じ衣裳なのは、これはグループの作品で、全員が同じ人物をリプリゼントするものだということからです。
Q:毎回ステージに最初に一人で出てゆくことには、心の準備が必要でしたか。
A:はい。それにこの作品はステップも多く、リズムが規則的ではないので特別な集中を要求されました。4拍子だったり、シンコペーションだったり・・・カウントに集中が必要。これは私一人のシーンだけでなく、グループの一人として踊る時にも言えることです。
Q:ダンスだけでなく音楽とビジュアルも同じ比重の重要性を持つ作品に思えました。
A:それこそマルコスがこの作品に込めた意図で、それは彼のこれまでの経歴によるものかもしれません。ダンス以前に彼は写真を学んでいて、彼なりのエスティックがあります。音楽はGustave Rundmanがマルコスの振付と同時進行で作曲。リハーサルの最初から私たちと彼は一緒にいました。音楽のアクセントはムーヴメントの中に固定されてる感じで、素晴らしいものです。逆に音楽の中にムーブメントが固定されてたり、もあって。公演数は17あり、今41歳なので引退が近い私は毎晩ステージを満喫していました。
Q:入団は2003年でしたね。まずダンスを習い始めたきっかけを話してください。
A:よくあるように、水曜日の午後の習い事として始まりました。姉が4歳から習い始めた時に3歳の私もレッスンにくっついて行ったんです。姉の真似をしてママの手を握ったまま足を踏み鳴らして・・・。そんな私を先生が見て、年齢が1つ足りないけれどいらっしゃい! と教室に招き入れてくれて。ダンスも先生もとても気に入りました。しばらくして、もっとやりたい!という気持ちになり、母が色々情報を集め、それで9歳の頃にパリ・オペラ座のバレエ学校に多くの生徒を入れていることで有名なマダム・アラビアンに私は託されることになったんです。そしてパリ・オペラ座のバレエ学校の入団試験へと。小柄な私の身長を母が少し盛って願書に書いたのだけれど、身体検査の結果やはり背が足りないということでダメでした。その翌年1994年には背も伸び、入学できました。

The concert「コンサート」(オードリック・ブザールと)
Photography Julien Benhamou/ OnP
Q:学校では順調に6年を過ごしたのですね。
A:私の場合、6年にもう少しプラスなんです。学校最後のプルミエール・ディヴィジョンまで問題なく上がっていったのだけれど、その年、カンパニーに空きが2つしかなかったので4分の3の生徒がもう一度プルミエール・ディヴィジョンをすることになりました。最後の学年を2回させるというのは、クロード・ベッシー校長がよくやっていたことです。この2年目も、とてもうまく行き入団試験を受けていたら入れたと思うのですが、あいにくと試験の三週間前に足を骨折してしまって。私はもうすっかり意気消沈して、ダンスやめる!! プルミエール・ディヴィジョンを同じ先生と3回もやりたくない! ダンスはおしまい! ってなりました。私を気に入っていてくれたベッシー校長から「戻って来なさい!」と母に電話があり、機会があったらカンパニーの代役をできるようにするから、とも言ってくれて。またプルミエール・ディヴィジョンの先生が引退するので新たにキャロル・アルボ先生になることも伝えられました。それで学校に戻ることにしたところ、8月末にカンパニーでリハーサルが始まった『白鳥の湖』にコール・ド・バレエのダンサーの数が足りないのでと代役で、というように言われたんです。とても嬉しかったけれど、足の骨折がやっと、という時期だったので踊れる状態とは言えなかった。それで最初のリハーサルの日に、生徒の私なのでちょっとドキマギしながらメートル・ド・バレエのパトリス・バールに代役に選んでくれたことへの感謝を伝えつつ、まだリハビリ中だと告げたんです。彼は「長いシリーズだから、とりあえずここに残っていなさい。これから1ヶ月もすれば足もよくなってるだろうから。何よりもここにいたらたくさん学べるよ」と言ってくれて、これは私には素晴らしいギフトでしたね。私、毎日、バレエを学び、どの場所でも代役で踊れるように準備ができて・・・。もっとも毎晩、ダンサーが怪我するたびに代役で自分が踊ることになったらどうしようと怖かった。失望させたくないと思ったので。結局ステージは一度もないまま、このシリーズが終わり私は学校に戻りました。そこで教師のキャロルに会い、新しいリズムで学校生活がスタート。パトリスはリハーサルスタジオでダンサーたちの後で、私が熱心に学ぼうとする姿勢やモティヴェーション満々であることを見てたのでしょうね。学校生活はほとんどないまま、12月公演の『パキータ』のために10月末くらいからまたカンパニーへと。足もすっかり良くなっていて、代役でステージにも立って・・・。とてもうまく行きました。このころの年末公演は翌年頭まで続くのが通常。その上『パキータ』は2月まで延長されたので、ずっと学校には行かず。カンパニー内でとても豊かな経験をすることができました。この年の内部試験の結果、2003年に入団。すぐに『ジゼル』のウィリスに配役されました。
Q:ダンスを仕事にしようと思ったのはいつ頃ですか。
A:奇妙かもしれないけど、それについては一度も考えたことがないんです。学び続けたいという願いが私にはずっとあって。例えばマダム・アラビアンのレッスンでは一緒にいた友達のように踊りたいと願い、彼女のようにパリ・オペラ座バレエ学校を受けて成功したいと思っていました。もちろんダンスへの愛、先生への愛がそうした願望の裏にありましたけど。プルミエール・ディヴィジョンをやめると泣いたものの、カンパニーでダンサーの人生を少しばかり齧る経験ができ、これを粘りつよく続けたいと願って、と1つ1つがこうしてごく自然に繋がっていったんです。だからプロのダンサーになりたい、エトワールになりたいとといった野望を抱いたことがないんです。オペラ座を去った後のキャリアの続きもそうあって欲しいと願っています。
Q:同期にはどのようなダンサーがいますか。
A:シャルロット・ランソン、アクセル・イボなど・・・。入学前の最初の研修からずっと一緒なのはエミリー・ハズブーンです。
Q:ルグリの番組以来、クラシック・バレエに優れたダンサーというイメージが強いのですが、最近の配役はコンテンポラリー作品が多いですね。

「Pit」Photography Yonathan Kellerman/OnP
A:入団してからクラシック作品を踊り、のびのびとステージを楽しんでいました。プティ・ペールのマニュエル・ルグリに見守られて多くの役を踊り、経験を積み、彼のガラにも参加しました。それと同時にウィリアム・フォーサイスやウェイン・マクレガーなどのネオクラシック作品も踊っています。2007年のマクレガーの創作『ジェニュス』に参加できたのは思い出に残る体験でした。マリ=アニエス・ジロ、バンジャマン・ペッシュ、アニエス・ルテステュといったエトワールたちの間に入団間もない私が混じって・・・。コール・ド・バレエのダンサーの中から私を最初に引き出してくれたコレグラファーが彼なんです。この創作にはスジェだったマチアス(・エイマン)も一緒でした。その後、マクレガーの作品がオペラ座で踊られるたびに私は配役されていました。『感覚の解剖学』『アレア・サンズ』、最近では『ザ・ダンテ・プロジェクト』。彼とは特別な関係があります。入団後、クラシック作品を踊ることが多かったですね。私は出産で2回休業をしていて、復帰したときに何か新しいこと、別のことを探ってみたいという思いがありました。復帰直後に自分のクラシックの技術のレベルはどんなのだろうか、とは思いましけど、コンテンポラリーへと希望したわけではありません。ブリジット・ルフェーヴル監督時代、彼女がダンサーをクラシックとコンテンポラリーに振り分けていて、コンテンポラリーのオーディションリストに私の名前が入ることはなかったんです。オーレリー・デュポンが芸術監督時代にオーディションの枠を広げたんですね。復帰したとき私は『ラ・バヤデール』に配役されてたけれど、ホフェッシュ・シェクターの『In your rooms』(2022年)のオーディションが受けられることになり、''では結果を見てみましょう''という程度の気持ちで参加しました。新型コロナ禍の直後のことで、スカイプでというとても風変わりなオーディションでした。スクリーン越しに彼が希望する動きをするのだけど、画面からはみ出してはならないので大きくは動けないといった感じで。彼の身体言語はとても気に入りました。この結果、『ラ・バヤデール』から外れて私はシェクターの作品に配役されたんです。コンテンポラリー作品は踊るほど経験が豊かになり、他のオーディションの結果もうまくゆくようになるんです。より多くを学びたい、発見を続けたいという気持ちはあったとはいえ、コンテンポラリー作品を踊るようになったのは偶然からなんです。
Q:コンテンポラリー作品の思い出に残るクリエーションは何でしょうか。
A:たくさんの中でも特別なのはアラン・ルシアン・オイエンの『Cri de ceour』(心の叫び/ 2022年)でしょうか。ステージ上で何かを話し、演技するという初体験をしました。彼のちょっとした指示から自分の振付を見つけ、自分自身を作品に委ねるといったようにダンサーの自主性をこれほど求められた作品は初めて。舞台劇のような仕事で信じられない経験ができました。ボビー・ジーン・スミスとオール・シュライバーによる『Pit』も忘れがたい作品です。ホフェッシュとは最近『Red carpet』のクリエーションがあり、これも特別な体験でした。

『Cri de coeur』
photography Agathe Poupeney/ OnP

『Red Carpet』(中央)
Photography Julien Benhamou/ OnP
Q:クラシックとコンテンポラリーのどちらかが好みということはありますか。
A:好みの問題じゃないですね。私はオペラ座での自分の経歴にとても満足しています。ジャン=ギヨーム・バールの美しい作品『泉(La source)』では、テクニックも演技面もチャレンジとなったDadjéに配役されたし、本当にたくさんのクラシック作品を踊っています。踊りたい作品もたくさん・・・でも、そういうことより、あるところで思ったんです。様々なタイプのダンスを探求できるチャンスがあると言えるのは最高だわ、と。大切なのは毎日学ぶことがあるということ。学び続け、自分を豊かにし続け、発見を続け・・・。クラシックでもそれは続けられることかもしれないけれど、クラシックでは卓越の技術を維持し続ける必要があります。私はステージでは毎回良い配役を得ていたものの、コンクールではうまくゆかないことが続き、プレッシャーも大きいのでコンクールの参加をやめました。コリフェとしてクラシックで探究を続けるというのは難しいけれど、コンテンポラリー作品ではどの階級にいてもそれが可能なんです。それで私はコンテンポラリーに向かうようになったのでしょうね。
Q:コンテンポラリー作品だと現存のコレグラファーとの出会いもありますね。
A:そう、41歳でも『Etude』でマルコス・モローに出会えるすごいチャンスがあって、また数年前は『カルメン』でマッツ・エックという素晴らしいコレオグラファーと仕事ができました。これは37歳くらいのことですね。あいにくとピナ・バウシュには存命中には会えなかったけれど、『コンタクトホーフ』『青髭』を踊れる機会にも恵まれて・・・。この5~6年、新しい作品ばかりで、信じられません。これは終わって欲しくないけれど、オペラ座での私の残り年月はもうわずか。最後まで発見を続けて、満喫しようって思っています。

Kontaktof「コンタクトホーフ」(左端)
Photography Julien Benhamou/ OnP

「Pit」Photography Yonathan Kellerman/OnP
Q:『Etude』の後は何に配役されていますか。
A:『椿姫』です。コール・ド・バレエで何度も踊っていて、音楽も物語も素晴らしくて大好きな作品です。私、ダンサーを観察するのが好きで、ソリストのカップルを随分と観察しました。今回は主人公マルグリットのメイド、ナニーヌの役です。ソリストと相互作用のある役なので楽しみです。『オネーギン』や『ジゼル』の母親役もそうでしたが、このように人物像を作り上げる役は演劇的でとても好きです。オペラ座でこうして年齢に沿って、色々な仕事ができるのは素晴らしいですね。

The concert「コンサート」(前列中央)
Photography Julien Benhamou/ OnP
Q:『エチュード』では作品の最初と最後に客席に向かって挨拶をするダンサー役のあなたが、アデュー公演のダンサーを思わせました。
A:先に話したのようにクリエーションの工程では、カウント、ステップに1秒ごとに集中を求められるので頭をフルに使っていて、作品の内容に思いを巡らせる余裕がありませんでした。公演が始まってから、作品中にステージ上のシャンデリアを見て、下手から一人で出て行ってステージ中央で挨拶をして、観客席を見渡して・・・こんなことが数ヶ月後にオペラ座を去る私には特別な時間に感じられるようになりました。自分のダンサーとしての人生が走馬灯のように駆け巡るようで。なぜ何時間もかけて稽古をし、毎日ヘア、メークをしてステージで踊るのか、この仕事の喜びが何かといったことをスタンディングオヴェーションの観客を見て、改めて思い出させられました。42歳になるのは今年の12月ですが、職業研修を始めたいので少し前倒しにするつもりなんです。『椿姫』の後、ミックスプログラム『Vibrations』のミカエラ・テイラーのクリエーション『Dreams this way』に参加。その後『椿姫』のモナコツアー(7月17~19日)がありますけど、このクリエーションが私のパリ・オペラ座での最後のステージとなります。
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