パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ナタン・ビソン
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ワールドレポート/パリ
大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA
ナタン・ビソン Nathan Bisson(カドリーユ*2026年1月1日よりコリフェ)
パリ・オペラ座のコール・ド・バレエの昇級コンクールが11月3・4日に開催された。
今回はプルミエ・ダンスールの空席がないため、男子スジェのコンクールはなかったが、他のクラスについては2022年までのコンクールのように審査員の前で参加者一人づつが課題曲と自由曲を踊るという形式である。課題曲についてはタイプの異なる3種が各クラスに用意され、参加者はその1つをから選択するというのが今回のコンクールにおける試みだった。男子のコリフェは3空席あり、その一席を2位で得たのはナタン・ビソン。彼が表現力豊かに音楽に乗るように踊った自由曲のジョン・ノイマイヤーの『スプリング&フォール』は、コンクールを超えた見応えのあるパフォーマンスだった。その準備にあたり彼をコーチしたのはマニュエル・ルグリだったそうだ。将来が楽しみなダンサーである。
彼は2018年に内部試験を受けて入団。同期はギヨーム・ディオップ、オーレリアン・ゲイである。なお、この時に外部試験で入団したのはニコラス・チュドランとルー・マルコー=ドゥルアールで、ルーも今回のコンクールでカドリーユからコリフェへの昇級が決まった。ちなみにカドリーユの男性課題曲は『眠れる森の美女』(ルドルフ・ヌレエフ版)第二幕 プリンスの第一ヴァリアッション、または『オネーギン』(ジョン・クランコ振付)第二幕 レンスキーのヴァリアション、または『ボディ&ソウル』(クリスタル・パイト振付)ユーゴ・マルシャンのソロだった。
Q:11月3日に開催されたコンクールの結果、コリフェに上がることが決定しました。今回のコンクールは3つの課題曲からのチョイスでしたが、参加するダンサーたちにとってこれは良い方式だったでしょうか。

photo: Julien Benhamou/ OnP
A:これはいい考えだと僕は思います。参加するダンサーは自分で選んだ自由曲に、3つの中から選んだ課題曲を組み合わせて一種のプログラムを審査員に対してプレゼンできることになりますから。
Q:あなたは『眠れる森の美女』第二幕の狩猟の場のヴァリアッションを選びました。これまでのオペラ座での仕事から、あなたは『オネーギン』のレンスキーのソロを選ぶのではないかと予測していたのですが。
A:3つの課題曲が発表された時、確かにレンスキーのソロはすごく踊りたいって思ったんですよ。でも、すでに自由曲はノイマイヤーの『スプリング&フォール』に決めていたので、ストラテジー的にも『眠れる森の美女』のヴァリエーションで異なる面を見せる方がいいのではなかと思って。レンスキーは感情を見せる作品です。『スプリング&フォール』もまた、状態は異なるもののエモーショナルな面を見せる作品。コンクールという緊張の場でその2つを踊るのは感情面での管理が難しいのではないか、とも考えたんです。
Q:『眠れる森の美女』を選び、ヌレエフ作品が踊れることを見せるのも大切なのことだったのではないでしょうか。
A:まさに! ヌレエフ作品はカンパニーのDNAです。それにこのプリンスの人物像は僕に語りかけてくるものがあるんです。
Q:『スプリング&フォール』を自由曲にというアイディアは、すぐに思いついたものですか。
A:実はこれ、すごく前に踊ったことがある作品なんですよ。パリ・オペラ座バレエ学校の公演で踊っているし、さらにその前にバレエ学校に来る前のCNSMD(パリのコンセルヴァトワール)時代にも。もう8年くらい前だと思います。このように過去に何度も踊ったことがあるヴァリエーションを選び、ストレスなしでコンクールに臨みたいということもあって・・・。ドヴォルザークの音楽が素晴らしく、インスピレーションを与えてくれます。作品の世界にすぐに入り込めます。振付も最高で、身体に語りかけてきます。これなら試験というより、本当の公演で踊るようにコンクールに接することができるだろう、と考えたからなんです。

コンクール自由曲「スプリング&フォール」
Photo: Maria-Helena Buckley / OnP
Q:では、ストレスは全く感じなかったのですか。
A:ありませんでした。『スプリング&フォール』はダンサーが光輝いていなければならず、そしてとても穏やかに・・・。それは僕がもともと持っている面でもあり、その点を見せられたら、と思いました。
Q:自分がどんな人間かを審査員に見せることができたと思えましたか。
A:そうですね。でも、何よりも、再びこの作品に取り組むことができたことがとても大きな喜びでした。それに僕、マニュエル・ルグリにコーチしてもらえたんです。彼が『スプリング&フォール』をオペラ座で初めて踊ったんです(注:1991年10月にガルニエ宮で開催されたガラ「Etoiles de l'Opéra et Artistes invités」にて)。彼にはものすごくインスパイアーされますね。情熱を込めて指導してくれました。自分の持つすべてを彼は与えてくれるんです。エネルギーに満ち溢れ、とても寛大に。彼自身、輝きの化身で・・・この作品のエスプリを見本で見せてくれて、僕にはとても収穫の多い時間でした。彼の『シルヴィア』の公演で僕はコール・ド・バレエだったけど、彼からすごいインスピレーションを得ることができたんです。ソリストにもコール・ド・バレエのダンサーたちにも、人物像やストーリーなど彼はあらゆる情報をくれました。その情熱とエネルギーには心が動かされます。それで彼に『スプリング&フォール』の稽古をお願いしたいと思ったんです。
Q:他のダンサーの自由曲に比べて、この作品は長めでした。踊り終わった時の感触はどのようなものでしたか。
A:4分30秒くらいある作品です。この自由曲を踊り、自分がとても快適だったと感じ、そうあるべきという状態に自分を持ってゆくことができたと思えました。それに技術的にもうまくいった。自分のパフォーマンスに満足できました。といってもコンクールというのはみんなとても上手に踊るので、上がれる云々は別問題。いつだって紙一重の差ですからね。
Q:どのようにコリフェへの昇級が決まったことを知りましたか。
A:結果はいつもまず最初に楽屋口に6位までの順位とともに貼りだされますね。でも、僕は自由曲を終えるや、楽屋に戻ってすぐに帰宅してしまいました。オペラ座にいて結果を待つというのは、大勢にすれ違うし、ものすごいストレスです。だから結果は他の人から教えてもらったという次第です。
Q:カンパニー入団は2018年。今回のコンクールの結果、2026年1月1日にコリフェに昇級というのは振り返ってみて、いささか長い道のりだったと感じますか。
A:そうですね。コンクールを何度も経験し、失敗を認められるようになるのは時間がいることで、でも同時に学ぶことが毎回あるんです。ダンサーは各人が異なるリズムで前進するもので、それで、僕は今、自分のこれまでの道のりについて認められるようになっています。なぜ、今回はうまくゆき、前回はダメだったのかというのが今ならわかります。
Q:例えば、どういったことでしょうか。
A:自分自身についての仕事やストレス管理、テクニックを見せるだけではなくアーティスティックな部分を見せることなど・・・これは自分のリズムに沿ってできた成長と成熟によって得られたことです。
Q:今回コンクールが2022年までの従来のスタイルに戻ったのは、コール・ド・バレエのダンサーたちが希望したことだそうですね。
A:最近ではコンテンポラリー作品がプログラムに増えています。そうしたこともありコンクールに今のオペラ座のその面がそぐうようにと・・・。カンパニーのディレクションがバレエ団の進化と同時にコンクールの進化について方法を探っているわけですね。コンクールは昔からあるものだけど、その方法については他のやり方をあまり探求していませんでした。最高のソリューションを求め、まだこれからもまだ討論が続く段階だと思います。
Q:2024年はカドリーユからコリフェだけで、コリフェからスジェ、スジェからプルミエが任命式でした。来年のコンクールは今年のようにコリフェからスジェもコンクールがいいか、それとも昨年のように任命式がいいか。どちらが望ましいとあなたは思いますか。
A:(笑)。これは答えるのに慎重を期する質問ですね! コンクール開催というのは大きなポジティブ面があります。確かに時期的に準備がすごい負荷となるダンサーもいますね。一方、シーズンであまり配役に恵まれてないダンサーには、コンクールは仕事を見せられる機会ともなるので・・・。

公演「若きダンサーたち」より「ゼンツァーノの花祭り」
Photo Svetlana Loboff/ OnP

公演「若きダンサーたち」より「ゼンツァーノの花祭り」
Photo Svetlana Loboff/ OnP
Q:ところでダンスはいつ、どこで、どのように始めたのでしょうか。
A:ダンスを習い始めたのは、出身地のリヨンです。姉がクラシック・ダンスをやっていて彼女の公演のビデオが家にあり、何度も僕はそれを繰り返しみては動きを真似してました。6歳くらいの頃です。当時僕はフルートを習っていて、ダンスもちょっとばかりやっていて・・・。その先生が僕には才能がある、ということで母は正式にダンスのクラスに僕を登録したんです。スタートはジャズ・ダンスから。というのもそちらの方が男子生徒が多いから。2年くらい続けたかな。9~10歳の頃は授業とダンスを両立させる学校でクラシック・ダンスとジャズ・ダンスを習い、14歳の時にパリのCNSMD(音楽とダンスのコンセルヴァトワール)のオーディションに合格したんです。この時にクラシック一本に絞りました。
Q:14歳でパリに一人で来たことになりますね。
A:今思うと幼かったですね。勇気がいることだったと思うけど、この年齢ではあまりそういったことがわかってなかったんでしょう。最初の1年はコンセルヴァトワールの寮にいて、その後、姉が学業のためにパリに来たので彼女と何年か二人暮らしをしました。
Q:精神的に強い必要がありますね。
A:コンセルヴァトワールを受ける前、10~11歳の頃に実はパリ・オペラ座の学校の試験を受けたら、と提案されたことがあるんです。もしそうなったらこの家を離れ、一人でパリに行くことになるのだ、と母に言われて・・嫌だ、この家を離れたくない! って。その時のことはとてもよく覚えています。
Q:コンセルヴァトワールのオーディションを受けたのは自分の意思でですね。その時に、プロのダンサーになりたいという気持ちがすでにありましたか。
A:パリに来るまでダンスへの情熱はもちろんあったけれど、すごく真剣に取り組んでいたわけでななくて・・・。コンセルヴァトワールを受けたのも友達が受けるというので、なんだかよくわからないけれど僕も! と。そして受かった時も、まだ職業とまでは・・・当時は政治家や作家とかを自分の未来に見ていたので(笑)。
Q:コンセルヴァトワールで3年学び、その間にオペラ座の教師でもあるジル・イゾワールのクラスを受けたのですね。
A:最終学年ですね、彼から学んだのは。すぐに彼の庇護を受けるようになり、個人指導も受け、多くをを学び・・彼からすごくプッシュされました。
Q:彼にパリ・オペラ座の入団試験を勧められたのですか。
A:はい。でも、僕はコンセルヴァトワールに入った最初の年にに、すでに1度試してるんですよ。その時はダメで、3年目に受かったわけです。実はこの時ローザンヌのコンクールに出ることが決まっていて、その時にエリザベット・プラテル校長が僕を見ることになってたのだけれど、生憎と直前に怪我をしてしまった。でも最終的には、最後のオペラ座のバレエ学校の最終学年であるプルミエール・ディヴィジョンで1年学ぶことができたんです。
Q:2017年に入学し、翌年の内部採用試験の結果、カンパニーに入団しました。今は入団したてのダンサーもすぐにステージに立つチャンスがあるようですが、この当時は違ったのではないでしょうか。
A:入団してからしばらく、舞台裏で待機という毎晩でした。よく覚えています、その頃のことは。学校でしっかり学んだ後でやる気満々なのにと・・・カンパニーの最初の1年がこういうのはちょっと複雑ですよね。ステージに出る用意はできているのに、と、ちょっとばかりフラストレーションが。でも学校からプロの人生への移行の時期で、職業について学ぶことができました。
Q:その間、代役としてステージに立つこともあったのではないでしょうか。
A:はい、時には。これは代役というのはストレスに溢れることですね。あまり経験がなく、さて自分の位置はどこだろうとか、いきなり経験豊富な先輩たちの間に混じって、と印象に残ることです。最初の代役は、おそらく『ジゼル』のコール・ド・バレエだったのじゃないかな。
Q:『ジゼル』といえば、現在POP(Paris Opéra Play/ パリ・オペラ座の配信プラットフォーム)のMasterclasses de balletのコーナーで、あなたとイネス・マッキントッシュがサブリナ・マレムの指導で『収穫のパ・ド・ドゥ』を稽古する映像を3本視聴できます。
A:これは2021年ごろの撮影だったでしょうか。このシリーズではアリス(ルナヴァン)の''狂気のシーン''をリハーサルする映像も見られますね。
Q:この後、収穫のパ・ド・ドゥを本番で踊る機会には恵まれたのでしょうか。
A:いえ、一度も踊ってないんです(笑)。2023年の韓国の『ジゼル』のツアーに参加する予定だったのが、怪我をしてしまって。その後は『ジゼル』には配役されていないので・・・。韓国のツアーでは収穫のパ・ド・ドゥの代役だったけれど、もし行っていたら一度はステージがあったのだろうと思います。残念だけれど、このパ・ド・ドゥのリハーサルをこうしてできただけで幸運です。このビデオは僕たちのスタジオでの日常の仕事を見せる、という目的もあって作られたものなんですよ。
Q:あなたはどちらかというとクラシック系のダンサーだと思っていましたが、最近はコンテンポラリー作品に配役されることが多いですね。
A:カンパニーで上に上がるにはピュアなクラシックを踊ることだと、長いこと思い込んでいました。でも、そうではなかった。僕はCNSMDにいた時からコンテンポラリーも踊っていて、好きなんです。クラシックのコール・ド・バレエだとアーティスティック面においてリミットがあります。でも、コンテンポラリー作品の公演だと芸術面で表現ができ、自由に任される余白もあるので....。
Q:それでは、あなた自身でコンテンポラリーへと向かったのですね。
A:ステージ上で自分をもっと表現したい、自分の喜びを見出したいって、ある所で思ったんです。でも、カドリーユではクラシック作品ではコール・ド・バレエというのは当たり前のこと。だからコンテンポラリー作品において自分を開花させる方法を見つけたいと思ったんです。
Q:ピナ・バウシュの『コンタクトホーフ』からでしょうか。
A:ドキュメンタリー映画『ピナ・バウシュ 夢の教室』を見て以来、ずっとこの作品を踊るのが夢だったんです。オーディションに参加して、選ばれて・・・。この作品でステージに立つことができて、とても満足できました。幸せな気持ちになりました。
Q:コンテンポラリーはこの他、『Seasons' Canon』『Last Call』『Play』などを踊っていますね。クラシックでは『ラ・バヤデール』のインドの踊りでセミ・ソリストとして・・・。これからはどちらを踊ってゆきたいですか。
A:これまでバランスを保って両方を踊ってきたので、それをキープし続けたいって思っています。それがダンサーとしての僕に適しているように感じるんです。感情表現にも身体的表現にも、両方を踊ることでより糧になってゆくんですね。

「Vers la mort」Photo Yonathan Kellerman/ OnP
Q:前シーズンではシャロン・エイアルの『Vers la mort』の創作に参加していますね。どのような体験でしたか。
A:もちろん、驚くほど素晴らしいものでした。この作品にはオーディションはなく、ダンサーのリストが作られてて、ジョゼが途中でリストに僕を加えたんですね。彼女のスタイルは僕に向くものです。実験的で好きなんです。シャロンは彼女ならではの特殊なスタイルを作りあげていて、ダンスはとても表現豊かで感動にあふれています。美的な面も含め、彼女のスタイルは大好きです。
Q:コンテンポラリー作品を踊るのは、自分の中にある未知の部分が引き出される機会になると感じることがありますか。
A:そうなんです。その面を探るんですね。シャロンはいつも極限、激しさ、動きの大きさ、緊張を求めていて、肉体的にはハードですけど(笑)。
Q:10名ぐらいの少人数で、配役は1つだけ。怪我で降板はできない公演でしたね。
A:ステージに立っているダンサーだけで代わりがいない。ということは、各人が自分のパートにとても責任感を持って接するということになり、それによって連帯感やエネルギーがクリエートされました。毎晩、全員が一緒にステージに立つというグループの精神がとても強かった。
Q:その連帯感はクラシック作品を踊る時にも感じられるものでしょうか。
A:クラシックは作品がしっかりと構成されていて、ダンサーにはヒエラルキーがあります。コール・ド・バレエはソリストとはコミュニケートしません。もちろん''公演がうまくゆくように''というグループの思いはあるけれど、コンテンポラリーの時とは違いますね。クラシックのコール・ド・バレエは交換が可能です。でも例えばこのシャロンの作品、オーダーメイドのようにダンサー一人一人に振付けられています。彼女は僕たちの中に見出したものをダンスで語るのです。僕たちから引き出した特徴を膨らませるので、とてもパーソナライズされた振付と言えます。

「Vers la mort」Photo Yonathan Kellerman/ OnP
Q:ダンサーからの提案を採用という方式ですか。
A:彼女は僕たちにダンスの素材をくれます。その動きがわからないとか、別の方法でやって見せたとか、そうした面に彼女は拠り所として、ダンサーがすでに自分の中に持っているものからクリエートをします。僕らがそれぞれ持つものをキャッチできるのは、彼女がとても人間的で大きな感受性の持ち主だからでしょう。創作の初期には9名のダンサーがいたけれど、身体的に要求が大きいので途中怪我をしたダンサーもいたので最終的に踊ったのは7~8名だったかな。
Q:この作品で一緒だったことから、公演「Dancers Chorégraphes(ダンサー・コレグラフ)」で発表されたイヴォン・ドゥモルの創作『Minuit』に参加することになったのですか。
A:はい。彼がオーガナイズするガラ「Incidence Chorégraphique」に出ることがあり、彼と一緒に仕事をすることには慣れています。もっとも彼のクリエーションに参加したのはこれが初めてで、とても興味深い経験ができました。『Minuit』は構成もしっかりとし、作品として完成していましたね。照明、音楽、コスチューム・・・彼が表現したいことがしっかりとまとめあげられて、1つの世界が作られていました。彼は振付家としての仕事で成功していますね。素晴らしいです。
Q:あなたも振付をすることには関心がありますか。
A:はい、大いにあります。今シーズンの「ダンサー・コレグラフ」に参加しようかどうかって考えたんです。でも、僕、3月11日からの公演『Empreintes 』で踊られるモーガン・ルナクル=テンプルとジェシカ・ライトの創作に参加することが決まっていて、これと重なってしまうんです。だから今シーズンは参加できないけれど、僕の振りや世界を提案するいことに興味を持ってるのは確かです。「ダンサー・コレグラフ」は一時期開催されなかったけど、今は毎年のよう定期的になっているので、参加すると決めたら、きちんと構想されて完成されたものを見せたいと思います。
Q:入団前に模範とするダンサーは誰でしたか。
A:小さい時に自宅で一番繰り返してみたDVDはニコラ・ル・リッシュの『若者と死』でした。感動的でとても素晴らしい。僕が入団した時彼はすでに引退していたので一緒のステージに立ったことはないけど、過去に彼とクレールマリ・オスタによる講習会に参加したことがあります。僕の情熱をかき立てた最初のダンサーが彼です。
Q:ピュアなクラシック・バレエというわけではないのですね。
A:そう。僕が初めてクラシック・バレエを見たのはオペラ座で、パリでコンセルヴァトワールにいた時代ですから15歳くらいでしょうか。両親に連れられて子供の頃にバレエの公演はたくさん見ていますが、リヨンのオペラ座ではマッツ・エクなどコンテンポラリー作品がプログラムされることが多くて・・・。ピュアなクラシック・バレエは僕がダンスを始めた動機ではなく、徐々に発見していった世界です。現役のダンサーの中ではマチアス・エイマンが模範ですね。・・・彼は信じられないダンサー。そしてユーゴ・マルシャンも素晴らしい。彼の役作りには感心させられます。
Q:オペラ座のレパートリーでいつか踊りたいと願っている作品は何でしょうか。
A:『若者と死』!(大笑)。これはすごく踊りたいですね。シャロンの作品も僕に語りかけることが多いので・・・。クラシックの大役としては『オネーギン』です。演じる面のある役としては『椿姫』も。音楽に連れられて、その作品の世界に入りたくなる作品です。
Q:演じるという点で、入団後まもない頃のローラン・プティ『ランデブー』での運命役では一瞬の出番ながら、とても印象的でした。
A:''死''を意味する運命役ですね。これは初めて人物像を創り上げる必要のある役でした。

「Rhapsodies」(手前)Photo Maria-Helena Buckley
Q:ミックスプロ「Racine(ラシーヌ)』での『ラプソディー』が終わり、今は何のリハーサル中ですか。
A:今は『ノートルダム・ド・パリ』です。僕はコール・ド・バレエで、フェビュスの代役も。この作品では過去にマチアス・エイマンが踊ったフロロ役が信じられないほどでしたね。もともと美しい役だけど、それに彼がさらに広がりを与えてとても興味深い人物像を描いていいました。
Q:フロロは踊ってみたい役ですか。
A:2年か3年前のコンクールの自由曲にフロロのソロを選んだんですよ。踊りたかったソロなのだけど、とてもハードでした。でも楽しく準備できました。いつかフロロ役は踊りたいけれど、今回代役でもフェビュスを稽古できることになり嬉しいです。満足しています。
Q:ヌレエフの『ドン・キホーテ』や『眠れる森の美女』といった作品にはあまり興味がないですか。
A:もちろんありますよ。もし何か夢見るというときに最初に頭に浮かぶ作品ではないけれど、『眠れる森の美女』は素晴らしい作品だと思います。前シーズンの公演の時にコスチュームや舞台装置を見て、感心してしまいました。バレエの中のバレエとなぜ言われるのかが理解できることです。『ドン・キホーテ』より『眠れる森の美女』ですね、ロマンティストの僕には。
Q:この夏、アレクサンダー・エクマンの『Play』の来日公演に参加しました。日本はこれが初めてでしたか。
A:とんでもない! 入団後、日本のツアーはいつも参加しています。この前は『マノン』と『白鳥の湖』で、2020年は『ジゼル』と『オネーギン』。今回3度目の日本でした。日本が好きなので、行けるのはとてもうれしい。『Play』は夏休み直前の公演だったので、公演後に日本での滞在を延長する良いタイミングでした。京都、広島、福岡・・・主に南方面にゆき、2週間くらい滞在したでしょうか。発見続きでした。日本は雪のクオリティが最高に素晴らしいというので、日本にスキーに行くのが次の夢なんです。
Q:日本のバレエ観客をどう思いましたか。
A:今回、オペラ座の来日公演で僕には初めてのコンテンポラリー作品だったけれど、日本の観客にとてもよく受け入れられたように感じました。最後に観客とともにダンサーがプレイする作品ですが、フランスよりも大きなリアクションでしたね。ボールのキャッチボールは観客にとても良い思い出になったことでしょう。
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