パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ジャック・ガストフ
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ワールドレポート/パリ
大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA
Jack Gasztowtt ジャック・ガストフ(プルミエ・ダンスール)
2024年7月にプルミエ・ダンスールに任命されたジャック・ガストフ。その年2月の来日公演『白鳥の湖』では、パク・セウンとジェレミー=ルー・ケールを相手にロットバルト役を踊った。最近はオペラ座の公開クラスレッスンやSNSで実力に関わらず自己アピールするダンサーの名前が人々の記憶に残りがちな時代であるが、彼のように声高にならず着実に舞台での功績を築くことで観客から確実な評価を得ているダンサーがいることは忘れてはならない。ジャックは数年前にパリ・オペラ座の有色のダンサーたちが雑誌ル・モンドMで行ったダイバーシティのマニフェストに、ギヨーム・ディオップやレティティア・ガロニとともに参加した一人である。女性に比べて男性エトワールの数が圧倒的に少ない今、プルミエ・ダンスールの彼は次期エトワール候補の一人といえる。2000年生まれで、今年25歳の彼。入団4年目にコリフェに上がり、翌2022年にスジェに上がっている。どのようなダンサーなのだろうか。10月はオペラ・バスチーユで公演のある『Corybantic Games』に配役されている。そのリハーサルを終えたところで話を聞いた。
Q:シーズン2023~24では、スジェからプルミエへの昇級はコンクールではなく任命式でした。昇級は期待していたことですか。
Photo Julien Benhamou / OnP
A:もちろんです! このシーズン中、スタジオでのコーチとの仕事についてもそうですが、僕は仕事をするのが大好きで、誰とでもで問題なくそれができるということを証明したいと願い、そしてステージでうまくやれることも示したいと思っていました。もっともそれ以上に大切に思ってたのは、まずは自分がステージを楽しめることでした。どうやら、それがディレクターの気に入ったようです。コンクールと違ってその時の出来で決まるのわけではなく、誰にでも可能性がある任命式なので、期待していたにしても思いがけなかった。でもこのシーズン、『リーズの結婚』のコラス役だったり、来日ツアーの『白鳥の湖』でのロットバルト役だったりと僕はたくさんの良い配役をもらっていたので・・・・。
Q:こうした状況で自分は試されている、というような気がしたのですね。
A:そうなんです。これはテストなんだ、と感じました。だから昇級できるためには、毎回自分のベストでやり遂げなければ、と。
Q:コンクールではなく任命式というのは、ダンサーが最高のステージを観客に見せるためには悪くない方法ですね。
A:そうですね、自分が好きなことを披露して、成功し・・・自分の最大のものをステージで僕たちは発揮しますから。シーズンの最後の7月半ばに芸術監督のオフィスに呼ばれました。このシーズンの僕の仕事を気に入ってくれたと・・・。それでプルミエ・ダンスールに昇級が決まったことを告げられたんです。その瞬間、凄い解放感がありましたね。シーズン中、とにかくノンストップで稽古を重ねて自分のレヴェルを示し続けて、というでプレッシャーやストレスが大きかった。告げられた時は本当に肩の荷が下りた、という感じがありました。でもああ昇級したんだ! という実感はすぐにはなくって・・・それには数週間かかったかな。
Q:肩の荷が下りた次には大きな責任が控えています。
A:そうなんです。このオペラ座というメゾンにおいてピラミッドのほぼ頂上に近づいた!って気持ちがまずは大きくて、そのことを最初は意識してなかった。ところが2024~25年が始まって、それを意識して・・・この時のプレシャーは特別なものでした。
Q:このシーズンについての話の前に、まずダンスをどのように始めたのか話してください。
A:僕がダンスを習い始めたのは2006年です。2000年生まれだから6歳の時ですね、アンジェ市のコンセルヴァトワールで始めました。働いている母は時に夜も仕事に行くこともあり、あまり僕と姉の面倒を見ることができないので、二人に何か習い事を! と考えたのです。スポーツ系は危険だからとテニスやサッカーではなく、身体に教えがあり、また長いこと役立つことを、という選択をした母は僕たちを地元のコンセルヴァトワールに連れて行きました。まず楽器、ソルフェージュ、コーラスなどから。でも、僕はエネルギー溢れる子供だったのでその消費のためにと、ある時、母はダンスのクラスに僕を連れて行ったんですね。そこで最初に僕が思ったのは、「あ、たくさん女の子がいる。いいね!」って(笑)。レッスンでたった一人の男子の僕は、女の子たちと一緒に習って、笑って過ごして・・・。最初はこんな風にホビーという感じのダンスでした。
「シーニュ」Photo Benoîte Fanton/ OnP
Q:趣味からどのようにシリアスなものに変わったのですか。
A:僕がダンスを好きなのを知って母が言ったのです。「ダンスは職業にできる」「踊って収入が得られる」と。僕はとにかくダンス好きだったので、ダンスを仕事にできるなんて信じられないことだと思いましたね。この時期、母は僕に「ビリー・エリオット」とかダンサーを夢見る男子向けのダンスのビデオをたくさん見せてくれていて、その中にカルロス・アコスタのビデオがあったんです。彼は英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルで混血で・・・すぐに僕は自分をその映像に重ね合わせて、「ああ、僕も彼のようになりたいよ!」って。
Q:それでパリ・オペラ座バレエ学校を目指したのですか。
A:ダンス用品のブティックを経営している隣人が、「オペラ座バレエ学校に入るための準備のレッスンに優れたモニク・アラビアンという素晴らしい教師がパリにいる」と教えてくれました。9歳の頃ですね。それで母が「行きましょう! 彼女のレッスンを受けましょう」と。でも、僕には無理だよ! って(笑)。母から「ダンサーになるのが本当に夢なら、2ヶ月だけ頑張ればいいの。試験に受かれば、オペラ座のバレエ学校に入れるのよ」と説得されました。その結果、2010年に一番下の第6ディヴィジョンの研修生として入学しました。
Q:あなたの履歴によると学校で6年を過ごしています。落第もなく、順調にプルミエール・ディヴィジョンまで進級したということですね。
A:はい。でも、「行動に気をつけなさい」とか、時々学校からちょっとした通知のようなのを受け取ってるんです。エネルギーいっぱいの子供だったので、同級生たちと大したことではないけど悪さをしたりしてました。「騒々しい生徒は学校には置いておけません」という手紙を母は2~3回学校から受け取っています。週末に家に帰ると僕は母に怒られて、正されて、学校に戻って・・。そうしたことがあっても、6年間、辛いと感じることはなかったですね。もちろん最初は家族と離れるのが寂しかったけれど、すぐに友達ができて、すごく良い寮生活を送れました。もっとも上に上がるほど1日にたくさんのことをしなければならない時間割となり、ひどく疲れてしまい、週末実家に帰って母と顔をあわせることもなく眠り続けたこともあるほどです。
Q:学校時代のプティット・メール、プティペールは誰でしたか。
A:プティット・メールはいません。プティ・ペールはマチュー・ガニオでした。入団した時、僕にとって最大のエトワールが彼でした。彼は僕がなりたいエトワールであるエトワール! 最高であるには彼のようにならなくては、と。僕の仕事の模範が彼でした。
Q:プロのダンサーになろうと思ったのはいつですか。
A:第二ディヴィジョンを終えたあたりじゃないかな。「僕は5年間ダンスの学校で学んだ。それは普通の学生生活を送っている生徒と違ってダンスにその期間を捧げたことになるのだから、行き着くところまで行かねば!」と思ったのです。そしてその翌年、プロになる前の最後の1年である第一ディヴィジョンの時、「今この位置にいるのだから、きっちり終えてプロのダンサーになろう」と。たとえ入団できなくても、あらゆる努力は尽くしたと自分に言えますから。もっとも現実は複雑な1年となりました。足の種子骨を骨折して半年休むことになってしまったんです。これじゃ絶対に成功できない、と士気が失せて・・・。最終的に5か月後に復帰し、入団試験に臨み、そして4位で受かりました。
「シーニュ」Photo Benoîte Fanton/ OnP
「シーニュ」Photo Benoîte Fanton/ OnP
Q:その2017年の男子の内部試験の結果、ドキュメンタリー『Graines d'Etoiles(エトワールへの道)』のシーズン1、2に登場しているアレクサンドル・ボカラ、ミロ・アヴェック、サミュエル・ブレイ、そしてあなたの順で4名が入団してます。
A:はい。入団して思いました。さあ、これから始まるんだ。やる限りは、目標にまっしぐらに向かおう! と。もちろん母は僕の入団をとても喜んでいました。
Q:入団したシーズン2017~18年では、4月にアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの『Die Grosse Fuge』『Verklärte Nacht』に配役されました。
A:そうなんです。『Verklärte Nacht』ではカール・パケット、アリス・ルナヴァンと踊ることになって・・・。入団したシーズンにステージでソロを踊ることになるなんて望外で、信じられませんでした。オーディションもなかったし・・・。僕が6年間学んだのはクラシック・バレエだったので、これによってコンテンポラリーを発見することになりました。この作品を君は踊るんだよ、と言われた時は、それは何? それは誰? 僕は何をするの? という感じだったのが、稽古を始めたら自由が感じられ、あっという間に気に入って。僕はクラシックもコンテも踊れるダンサーになろうって思ったんです。
Q:その後も『Seansons' Canon』など、コンテンポラリー作品に配役されることが多かったですね。
A:そうです。特にこの作品は2017年に再演された際に踊って以来、僕のキャリアをずっとフォローしています。創作されたのは2016年で僕の入団前。これほど素晴らしい作品の創作に参加できなかったことは、ちょっとがっかりです。
Q:入団した最初のシーズンからステージで踊る機会に恵まれていたのですね。
A:そう。最初の年にステージに立てるとは思ってませんでした。代役で裏で仲間と楽しくのんびり過ごすんだろう、と思ってたら、次々と配役されて・・・。コンテンポラリーだけでなく、クラシック作品も踊っています。『ドン・キホーテ』では漁師のコール・ド・バレエとか、『椿姫』の赤の舞踏会とか。クラシックもコンテも両方が踊れて素晴らしいスタートでした。
Q:どちらかを選べと言われたら難しいですか。
A:自分が何をするのか、誰と仕事をするのかによることなのでそれは難しくないです。でも例えば僕が気に入っているクラシック作品か、イリ・キリアンの『小さな死』かのどちらかを選べと言われたら、それは難しすぎて選べませんね。
Q:クラシックの好きな作品、オペラ座でいつか踊りたいというのは何ですか。
A:『ラ・バヤデール』のソロル役です。今シーズンのプログラムにあるけれど、それと同時に『Seasons' Canon』があるので、こちらを踊ることになるでしょう。でも、決してサプライズがないとも言えないので・・・。ソロルはとにかくキャリアにおいて一度は踊りたい役なんです。
「パキータ」Photo Maria Helena Buckley/ OnP
Q:シーズン2024~25はいつもよりクラシック作品に多く配役されていたようですが。
A:そうですね。それに新しい作品もたくさんあった。まずシーズン開幕ガラで踊られたMy'Kal Stromileのネオクラシック作品『Word for Word』の創作に参加。その後すぐに『マイヤリング』で御者のブラッドフィッシュ役ですね。この作品で僕が一番好きな役なんです。主役のルドルフは素晴らしい役だと思うけど、でもこれを踊るにはある程度の成熟が必要。こうしたタイプの役を踊るにはまだ僕が至れていないことが要求されますから。その点、ブラッドフィッシュはキャバレーに行けばちょっと小競り合いしたり、帽子で遊んだり、お調子者の面もあってどこか僕本人に近い。笑わせたりとか、そういうのは僕も好きなことなので楽しく踊れます。ルドルフは頭の中の仕事が必要で・・・この役はもっと先のためにとっておきます。ブラッドフィッシュ役は僕にはチャンスでした。この役を踊るのはこれが2度目。最初の時のルドフル役はマチュー・ガニオで、そして今回も彼でした。僕のプティ・ペールである彼がオペラ座を去るというシーズンで、偉大なアーティストである彼とこうした作品を共にできるのは僕にとって素晴らしい時間となりました。最後、ブラッドフィッシュはルドルフを抱きしめて去ってゆきますね。「こうして最後に舞台を共にできました。全てに感謝します。今後の活躍を祈ります」という気持ちで、別れの抱擁ができるのが嬉しかった。とてもパーソナルな瞬間で、良い思い出となっています。この後、僕は『パキータ』のイニゴ役とパ・ド・トロワだったのだけど、公演の初期に足首の痛みがひどくなって踊れなくなってしまいました。
Q:その後、どの作品でステージに復帰しましたか。
A:マッツ・エクの『アパルトマン』でした。彼の作品は『カルメン』のコール・ド・バレエで踊っていて、多くの仕事量、それに多くの忍耐を求められ、彼はとても厳しかった。まだ若かった僕はもう2度とマッツ・エク作品は踊らない、きつすぎる! って・・。でも彼の『アパルトマン』がもうじきオペラ座で再演されるよと耳にした時に、これは彼の傑作だと思ってるので、「あ、何があっても踊らなければ」と思いました。パ・ド・ドゥとパ・ド・トロワで構成されていて音楽は素晴らしいし、とにかく美しく、ビデオで繰り返し何度も見ている作品です。これに配役されたい! って思い、彼のオーディションでは自分の100パーセントを出し切りました(笑)。結果、ヴァランティーヌ・コラサントと「キッチン」をやりました。これは僕が踊りたかったパートなんです。この公演時にリュドミラ・パリエロのアデューがありました。彼女とはとても気が合うんです。だからアーティストとしての彼女の最後の瞬間を分かち合いたいって・・・それもあり、この作品を踊らなくてはと思ったわけです。
Q:『アパルトマン』の後は、ピュアなクラシック作品の『シルヴィア』のエロス役。どんな体験となりましたか。
A:マッツ・エクのコンテンポラリーを踊った後、配役の変更があったということで10日後に僕が突然『シルヴィア』で踊る、ということになりました。体調も整っておらず足首も心配で、しかもパートナーが二人。
10日間で稽古してステージというのは無理だ! って思いました。ステージでは最初は試すことも多かったけれど、シリーズの最後の方になったら、きつかったけれどやっとステージを楽しめるようになりました。体調も戻ってきていたし。でも、踊りそのものについては心残りもあります。
Q:創作者マニュエル・ルグリとの稽古はどう進みましたか。
A:振付を覚えるために、二回、彼と一対一で彼と仕事しました。メゾンの伝説的存在で偉大なダンサーの彼です。ワーオといった感じに強い印象を受けましたね。優しい人ですけど、とにかくひたすら稽古しなければならず。僕は体調が整ってない時期で自分がすることが良いと思えず、そういう時って何をしてもダメ、となってしまって・・・。そんなわけで彼とお互いに理解し合えるというところまで至れませんでした。だから今度は彼ときちんと仕事をする機会があったらと嬉しいですね。『シルヴィア』の後は、第二シリーズの『眠れる森の美女』でプレシャスストーンを踊りました。パートナーは『ジゼル』の収穫のパ・ド・ドゥ、そして全幕の『リーズの結婚』で一緒に踊ってよく知っているマリーヌ・ガニオでした。第一シリーズも踊っていた彼女から、自信を与えられて・・・。体調もよくて、この舞台はとてもうまく行きました。
「リーズの結婚」Photo Benoîte Fanton / OnP
Q:『リーズの結婚』のコラス役は演劇面も要求される初の作品だったのではないでしょうか。
A:そう、演じる面もあったけど劇的な物語ではなく、ごく自然に演じられてステージを楽しめました。
Q:確かに『ラ・バイヤデール』のソロル役とは全く別ですね。
A:僕がソロル役に惹かれるのは、戦士の王子という面です。静かな強さがあり、彼を前にすると誰もがひざまづくというカリスマのある人物です。僕が求めるのはこのようにカリスマ性のある役なんです。これまでのソロル役で一番の僕のお気に入りですか? ニコラ・ル・リッシュですね。
Q:こうしたタイプの役はオペラ座バレエ団のレパートリーに他にもありますか。
A:・・・ないですね。僕が踊れたらと思う作品のもう1つは、ダンスを学ぶ子供たちの誰もが夢見る『ドン・キホーテ』のバジリオです。滑稽で、女の子たちとも軽い感じに打ち解けていて・・・。『ロメオとジュリエット』のロメオ役もいつか踊れたらと期待しています。
Q:これも来年4月にオペラ・バスチーユで公演があります。
A:まだ配役がわからないのです。5月に踊られる『椿姫』のためにジョン(・ノイマイヤー)が来て、そこで配役を彼が決めるのを待たないと。その後に誰が『ロメオ』に配役されるのかという流れです。
Q:今シーズンはクリストファー・ウィールドンの『Corybantic Games』の後は、ダヴィッド・ドーソンの『アニマア・アニミュス』に配役されていますね。
A:どちらも初めてのバレエで、今シーズンのプログラムに入るまで聞いたこともなかった作品です。『Corybantic Games』に配役され、インターネットや友達が撮ったビデオを見て、「ああ、これは絶対に踊らねば!」と思いました。
Q:ステージで踊る大きな喜びは何でしょうか。
A:それは音楽の理解なんです。与えられたステップで音楽を生きることです。ステップを踏んでいて、まるで音楽がステップを踏んでいるように感じられると、「ああ、凄い!」って。僕の舞台の幸せは音楽との両立です。
Q:その点ではどんなバレエでの体験が挙げられますか。
A:『マイヤリング』のブラッドフィッシュがそう。音楽に合わせて僕はステージで弾けました。ちょっとしたニュアンスがたくさんあって、ゆっくりとなったり、加速したりで。それに合わせて帽子と遊ぶんです。これは最高の瞬間でした。『リーズの結婚』のコラス役はヴァリアッションばかりではなく、パントマイムが結構あって、それを音楽に合わせて行うのが楽しかったですね。ピルエットにしても3回とか4回とか数は僕にはどうでもよくて、与えられた音楽を満たすことが大切なんです。つまり音楽を生き、ダンスを技術的に生きる、という。『白鳥の湖』のロットバルトは強い役柄ですが、その裏には力強い音楽の支えが感じられます。
「白鳥の湖」Photo Yonathan Kellerman/ OnP
Q:ロットバルト役や『パキータ』のイニゴ役、また学校公演で踊った『ライモンダ』のアブディラクマン役。どれも強いキャラクターの役ですが、こうした役は好きですね。
A:はい。ロットバルトを初めて踊った時は、まだ19歳くらいだっったので、いささか怖気づきました。たとえ踊りたいと願っていた役であったにしても、まだ僕は何も知らないのに・・・という感じに。幸いカンパニーのコーチのリヨネル・ドラノエが手に手を取るように教えてくれ、彼の教えのおかげで僕は「僕のロットバルト」を踊ることができました。今はこう感じる! というように、毎回、直感的に変化を加えてこの役に取り組んでいます。
Q:インスタグラムは活発でないようですが、それはなぜでしょうか。
A:何か気軽になれず、うまくできないんです。インスタグラムにこの写真をあげてみるのは気に入られるのかどうだろうか? って考えてしまい、それで載せないことになって・・・。ダンスの写真にしてもプライヴェートの写真にしても、外部の視線を考えてしまうんでしょうね、人が気にいるかどうかって。
Q:プライヴェートですが、オフタイムはどのように過ごしますか。
A:僕はダンサーと暮らしているので、家ではダンスの話もしますね。同じ作品に配役されていない場合、お互いがどんな1日だったかを1時間くらい話して、あとは日常のあれこれを。なるべく旅をしようと二人で心がけてるので、チケットのこととかいろいろ。もっとも近頃は仕事の責任も大きく、まずは体の回復を第一に考えてますが・・・。時には映画や劇場に行ったり、公園を散歩したり。そしてブティック巡り! 二人とも買い物が大好きなんです(笑)。
「白鳥の湖」Photo Yonathan Kellerman/ OnP
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