「ガルニエ宮、神話となった歌劇場の150年」展が開催、マルティネス監督、プラテル、ジルベール、バレエ評論家などがガルニエ宮を語った
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ワールドレポート/パリ
三光 洋 Text by Hiroshi Sanko
« Le Palais Garnier 150 ans d'un théâtre mythique »
「ガルニエ宮、神話となった歌劇場の150年」
ガルニエ宮にあるパリ・オペラ座図書・博物館で10月15日から2026年の2月15日まで「ガルニエ宮、神話となった歌劇場の150年」と題した展覧会が開かれている。パリ・オペラ座とフランス国立図書館がガルニエ宮開場150周年の祝賀行事として企画した。今年はこの建物を設計した建築家シャルル・ガルニエの生誕200年でもあった。この展覧会と平行して、11月22日と23日にはグラン・フォワイエで「あらゆる幻想の対象となったガルニエ宮」と銘打った連続講演が開かれ、ネーフ総監督、ジョゼ・マルティネス舞踊監督、現役エトワールのドロテ・ジルベールを始め、建築家、歴史家、演出家、作曲家らが「歌劇場そのものがスペクタクル」「作品創造の場」「ダンスの殿堂」「政治権力との関係」「芸術家の表現対象」という5つの角度から討論した。

ローアングルで撮影した大階段
© Jean-Pierre Delagarde/ Opéra national de Paris

シャルル・ガルニエのデッサンに基づくJ・コポーズ制作の大シャンデリア
© Jean-Pierre Delagarde/ Opéra national de Paris
当初「新オペラ座(ヌーヴェル・オペラ)」と呼ばれたガルニエ宮の建設はナポレオン3世暗殺未遂事件がきっかけだった。1669年に太陽王ルイ14世が創設したパリ・オペラ座は時代によりさまざまな建物を使って公演を行なってきたが、1821年からはル・ペルチエ劇場を本拠としていた。ところが、1858年に観劇に来たナポレオン三世の馬車にイタリア人のオルシーニ伯爵と仲間が三つの爆弾が投げつけた事件が起こった。皇帝夫妻は無事だったものの八名の死者が出たため、より安全性の高い歌劇場の建設計画が進められた。1873年にル・ペルチエ劇場が火災で焼失してしまったこともあって、新オペラ座の建設が急がれることになった。
ガルニエ宮の完成には1861年にシャルル・ガルニエが設計者に選ばれてから、14年の歳月を要した。(写真1)。ガルニエは皇帝の安全を確保するために街路によって他の建物と隔てられた場所を選び、スクリーブ通りとオーベール通りが交差する広場(註:現在シャルル・ガルニエ広場と名付けられている)から、馬車がスロープを上って直接歌劇場に横付けできるようにした。馬車を降りた後も専用の通路が用意され、皇帝が他の観客と顔を合わせずに、専用桟敷に入れるように配慮されていたのである。しかし、ガルニエ宮が完成する前に普仏戦争でフランスは敗北し、皇帝は退位してしまった。「皇帝専用桟敷」は現在では「総監督桟敷」と呼ばれ貴賓客が座っている。総監督自身が座る席はオーケストラピットの横に位置しているアヴァン・セーヌ桟敷のうちの2階1列目が使われている。

(写真1)シャルル・ガルニエのデッサン「新オペラ、正面と脇翼」1861年
© BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

ルイ=エミール・デュランデル ガルニエ宮の建築現場の写真
© BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

(写真4)シャルル・ガルニエによる大階段の切断図面
© BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

(写真5)アンリ・ジェルヴェックス「オペラ座の舞踏会」 油絵 1885年
© Musée d'Orsay, Dist.GrandPalaisRmn/ Patrice Schmidt
ガルニエ宮の有名な大階段(写真4)はプルーストの小説『失われた時を求めて』の「ゲルマントの方」(岩波文庫 全24冊の第五巻)にも登場する。「一階椅子席を買ったスノッブや野次馬たちは、めったにない機会とばかり、普段お目にかかれない人たちを近くで眺めようとした。」という記述からは、オペラ座が舞台を見るだけの場所ではなかったことがうかがわれる。
ボルドー歌劇場の階段(ヴィクトル・ルイ設計)とヴェルサイユ宮殿の「大使の階段」に想を得て設計された大階段は客席に入るための通路に留まらない。大階段そのものが一つの独立した舞台であり、観客は上方にある小バルコニーからの視線を浴びる。観客もあたかも自分自身が舞台に立っているかのような感覚を覚える特別な場所で、20世紀中葉まで開催されていた仮面舞踏会でも大階段は重要な役割を果たしていた。(アンリ・ジェルヴェクス「オペラ座の舞踏会」1885年 写真5)また振付家ジョゼ・マルティネスがバレエ『天井桟敷の人々』で大階段を舞台として使ったことは記憶に新しい。
ガルニエ宮と言えば、アンドレ・マルロー文化大臣からの依頼により1964年に完成したマルク・シャガールの天井画が有名だが、当初はジュール=ウージェーヌ・ルヌヴー(1819-98)により描かれた音楽に魅了された美の女神の勝利を表した寓意画が飾られていた。今でもシャガールの天井画を外せばプルーストから「冴えない」と酷評されたルヌヴーの天井画は残っている。プルーストのような繊細な審美家から批判されたにせよ、筆者のような一般人の目には華麗な歌劇場の天井の飾りとして決して恥じるものではないと映る立派な美術作品である。しかし「天井までの脚立を組み上げ、取り外し作業をするには多くの日数がかかるため、事実上不可能」(アレクサンダー・ネーフ総監督)である。(写真8)

(写真8)ジュール=ウージェーヌ・ルヌヴーによるガルニエ宮創建時の天井画 油絵 1872年
© BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

(写真9)リュペール・ジュリアン監督の映画「オペラ座の怪人」(1925年)の一場面 クリスティーヌ(マリー・フィバン)と怪人(ロン・シャネ) 写真
© BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

(写真10)ガストン・ルルーの小説によるリュペール・ジュリアン監督の映画「オペラ座の怪人」(1925年)のポスター
© BnF, Arts du spectacle
ガルニエ宮を舞台とした芸術作品は数多いが、中でも知られているのはガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」(1909年)を原作とした映画、演劇、バレエだろう。(写真9と10)写真10のポスターは天井から大シャンデリアが平土間の客席に向かって落下するよく知られた場面である。1896年5月20日、デュヴェルノワのオペラ『エレ』の上演中に大シャンデリアの平衡錘が落下し、天井桟敷の女性観客が圧死した事故にヒントを得て、
「バレエ・リュスの代父」と呼ばれた画家のジャック=エミール・ブランシュの油絵も二点、展示されている。ブランシュはディアギレフ劇団の舞台や主要ダンサーを好んで取り上げたが、1910年にガルニエ宮で初演されたミハイル・フォーキン振付の『シェヘラザード』にはゾベイード役のイダ・ルービンシュタインが横たわり、その左には奴隷に扮したヴァスラフ・ニジンスキーが描かれている。色彩あふれる油絵からはイダ・ルービンシュタインの官能性がよく伝わってくる。(写真6)同じ画家がイゴール・ストラヴィンスキー音楽によるバレエ『火の鳥』の主役を踊ったタマラ・カサヴィーナ(1910年)を描いた油絵も飾られている。(写真7)
全部で約百点の絵画、舞台模型、写真、ビデオ、衣装、ポスターを順々に見た人は、改めてガルニエ宮の魅惑に改めてとらえられるだろう。

(写真6)ジャック=エミール ブランシュの油絵 ミッシェル・フォーキン振付のバレエ「シェヘラザード」のイダ・ルービンシュタイン
©BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra

(写真7)ジャック=エミール ブランシュの油絵 イゴール・ストラヴィンスキー音楽によるバレエ「火の鳥」のタマラ・カサヴィーナ 1910年
©BnF, Bibliothèque-musée de l'Opéra
なお前述したグラン・フォワイエで行われた「あらゆる幻想の対象となったガルニエ宮」と銘打った連続講演のうち、「バレエの殿堂としてのガルニエ宮」にはジョゼ・マルティネス・バレエ監督、パリ・オペラ座バレエ学校長のエリザベット・プラテル、現役エトワールのドロテ・ジルベール、国立アンジェ現代ダンスセンターの総監督で振付家のノエ・スリエがバレエ評論家アリアーヌ・ドルフュスの司会で討論に参加した。この中でドロテ・ジルベールは2026年10月15日に「マノン」を踊って舞台を去る。
エリザベット・プラテルによると、ロージュ(ダンサーの個室)は舞台に出る前に集中するための場所で、ダンサーの人となりで内部の在り方は全く違っている。エリザベット・プラテルのロージュは現在ドロテ・ジルベールが使っている。そして、かつてのジョゼ・マルティネスのロージュはカール・パケットが使い、現在ではヴァレンティーヌ・コラサンテが入っている。
「ガルニエ宮の舞台は、その上に立つと自分の身体が優しく包まれたように感じられる特別な場所だ。どこが中心なのかが自然にわかり、どこに立てばよいかがすぐにわかる。袖は温かみのあるところ」(プラテル)で、「蛹を保護する繭のようだ」(ジルベール)。
また、ドロテ・ジルベールはダンサーとして最も辛かった経験として、コロナ禍の期間にオーケストラピットの部分に床を張って通常の舞台の前で踊った時に、一部の観客からはダンサーの横顔(プロフィール)が見える状態になったことを挙げた。観客の側からはダンサーの姿が身近に見られることで好評だったが、踊っている側の負担は大きかったようだ。
上演中だった『ジゼル』について、マルティネスは第2幕でヒロインが地下から迫り上がって登場し、最後に日が差しはじめたところで地下に消える場面の重要さを強調した。この入退場には短いエレベーターが使われるが、エレベーターのある箇所にジゼル役はピッタリ立たなければならない。そのために、アルブレヒト役のダンサーは手招きで規定の場所へとヒロインを導いている。今回のシリーズでは大きなハプニングがあった。オニール八菜が登場する晩にエレベーターが動かなくなったが、オニールは急きょ地下から走って舞台に上り、動じることなく予定通り演技を始め、無事に舞台を務めた。(マルティネス談)
ジゼルを踊ったミリアム・ウルド=ブラームが十字架の前から消えていく場面を撮影したビデオが映写されたのも大きな印象を残した。客席からは姿が見えなくなったエレベーターの中に入ってもミリアムの腕と指は優雅に動き続けているのに誰もが息を呑んだ。
バレエ学校での教育方針についてプラテル校長は「クローンを作ろうとはしていないので、動きに共通性はあっても、個々のダンサーの特性が出るようになり、コール・ド・バレエのダンサーが多様になった」と述べ、マルティネス総監督も「フォーメーションを目指していて、型にはめることはしていない」と付け加えていた。
ダンサーとしての体験に裏打ちされた発言に参加者たちは静かに聴き入っていた。

フィリップ・シャプロンのグアッシュによるデッサン グノー「ロメオとジュリエット」大5幕地下墓地の装置デッサン
© BnF, Arts du spectac

西側から見たグラン・フォワイエ
© Jean-Pierre Delagarde/ Opéra national de Paris

観客の入ったガルニエ宮客席
© Jean-Pierre Delagarde/ Opéra national de Paris

客席と舞台幕 © Leibeer-Bauer/ Opéra national de Paris
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