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秀 まなか Text by Manaka Shu 
[2010.06.10]

特別な存在となったヌレエフ版『ラ・バヤデール』

Ballet de l’Opera national de Paris
パリ国立オペラ座バレエ団
Rudolf Nureyev :LA BAYADERE
ルドルフ・ヌレエフ『ラ・バヤデール』

パリの観客は、クラシック・バレエに飢えている。
フランス全土にわたり、定期的に古典作品を上演するのはパリ・オペラ座バレエとボルドー・バレエのみ。フランス・バレエのほとんど独占的存在のオペラ座でさえ、マリウス・プティパの振付作品のみならず、『ジゼル』『パキータ』『ラ・シルフィード』などのロマンティック・バレエを古典作品の範疇に入れても、ここ5シーズンの間、1シーズンにつき2.3演目程度の上演に過ぎない。例外的に5演目の古典作品が上演されたシーズンもあったものの、少なく見積もっても2か月に1回は、どこかのバレエ団で古典作品が上演されている日本とは違い、パリで古典作品を堪能できる機会が限られていることは紛れもない事実だ。
しかも、オペラ座の古典作品の上演回数は年々減少している。『ラ・バヤデール』についても前々回2001年は11月から1月にかけて22回、前回2006年は3、4月に17回。そして4年振りとなる今回は、オペラ・バスティーユから、約800席ほど座席数が少ないガルニエ宮に場所を移しての15回公演となった。
そうなると、チケットの争奪戦は必至だ。ただでさえ売れ行き好調のオペラ座チケットに拍車がかかり、2006年のノイマイヤー振付、『椿姫』のオペラ座初演以来の異常事態を引き起こす。前売りの時点で、めぼしい席はほぼ完売し、一般発売日にチケットを購入できない常連客が続出。1シーズン分、まとめ買いの定期会員に対しても、鑑賞日変更の特典に応じる余地すらなかったのである。
そもそも、本作品はファンの間で人気が高い。ヌレエフは生前、古典作品の再演出を手掛けながら、のちに<ヌレエフの子供たち>と呼ばれることになる若手の育成に心血を注いだ。中でも、ヌレエフの遺作となった『ラ・バヤデール』はヌレエフの愛弟子の3人、現メートル・ド・バレエのローラン・イレ-ル、現オペラ座バレエ学校校長のエリザベット・プラテル、そしてイザベル・ゲランの3人が初演した極め付けの作品なのだ。この3人が再び顔を揃えた時の舞台が十数年前に映像化されているため、その醍醐味を味わった方も多いかと思う。

だが意外にも、ヌレエフ色は薄い。彼が再演出した一連の古典作品群の中で比較すると、プティパの振付に変更を加えた箇所はかなり少なく、シンプルだ。たとえば『ライモンダ』では、贅を尽くした装置の前で、主役のライモンダに過酷な数のヴァリアシヨンを与え、『くるみ割り人形』では、ダンサーに歩く暇も与えないほどステップを盛り込むなど、初期の作品からは、ひと目見ただけでヌレエフの振付だと判別できるほど、その色彩が濃厚に匂い立つ。もちろん、『ラ・バヤデール』でも、右側のアンシェヌマンの直後に、左側から同じアンシェヌマンを繰り返して左右均等にステップを入れる、ロン・ド・ジャンブ・アン・レールの後に、フェッテを入れてから足を下ろすなどの凝ったステップを入れる、身体の捻り方にモダンな味を入れるなどの、ヌレエフ語法は健在だ。だが、その独特の香りはプティパのヴェールに包まれている。あくまでプティパの伝統を基礎に置くことを念頭に置き、2幕冒頭のデフィレ、パ・ダクシヨン、3幕の<影の王国>の大部分などではプティパの振付をそのまま踏襲した。ヌレエフ版より一足早く、1980年に全幕上演されたナタリア・マカロワのヴァージョンでは復元された4幕の<寺院崩壊の場>は、技術的な理由とヌレエフの病気が原因で再現されなかったものの、彼は自身の特色とプティパの伝統の狭間で、なおもこだわり抜いて、壮大なバヤデールの世界を再構築したのである。

物語の舞台はインド。戦士のソロルと寺院の巫女のニキヤは禁断の恋に酔いしれている。大胆にも、聖なる火の前で彼女の愛を誓ったソロルだが、上司のラジャに娘のガムザッティとの縁談を持ち出されると、断り切れず心ならずも婚約を受け入れてしまう。舞姫として呼ばれた祝宴で、ニキヤは恋人の裏切りを知ると同時に、ガムザッティの策略に嵌って命を落とす。悔恨の念に駆られたソロルは阿片に溺れ、<影の王国>で、彼女と再会する。
古典作品のヒーローは、理想の男性として描かれることが多いが、中でもソロルは、究極の魅力の持ち主でなくてはならない。ニキヤは彼のために巫女としての純潔の誓いを破り、ガムザッティは彼の肖像画を見ただけで結婚を決意し、何の躊躇もなく恋敵の殺人を企てるのだ。
この難しい注文に、カール・パケットはいとも簡単に応えてみせた。
誰もが羨む容姿の持ち主の彼が、子供の頃から憧れていたというソロル役への一途な思いはそのままニキヤへの情熱となって流れ込む。グラン・ジュテで颯爽と登場した瞬間から、彼女に誓う愛には一点の曇りもなく、ラジャにガムザッティとの結婚を持ち出された時も、露骨に顔を歪め、彼女と眼を合わせようともしない。2幕の婚約式の段階になっても、愛するニキヤの存在をちらつかせ、ガムザッティに対してはあくまで上司のお嬢様として、丁重にもてなすに過ぎない。
マニュエル・ルグリのソロルもそうだったように、ニキヤへの愛情は本物なのだ。奇しくも、パケットが、2001年秋にソロル役のデビューを果たしたのは、ルグリの代役だった。当日の昼に、急遽踊ることになったその舞台は、プルミエ・ダンスールに昇進して数カ月経ったばかりの当時の彼には荷が重過ぎ、相当荒削りだったことは否めない。だが、サポート技術はずば抜けていて、ぶっつけ本番でデルフィーヌ・ムッサンを完璧にリフトしていたことは、今でも強烈に脳裏に焼き付いている。

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それから8年半の歳月が流れた現在、更に磨きがかかったリフトは、誰が相手でもお手のものだ。かなりの身長差があるニキヤ役のオスタを屈んでサポートしたかと思うと、大柄で踊りの幅も大きいガムザッティ役のエミリー・コゼットを軽々と空中に持ち上げてみせる。ダンサー殺しの異名をとる3幕冒頭のソロも堂に入ったもので、片脚で立ってルルヴェしてから、床に踵をついてア・テールになる瞬間を寸秒置いて粘るのだ。アカデミックな技術の自在さは一部の狂いもない領域に踏み出しており、これもまた、かつてのルグリを彷彿とさせてしまう。
あらゆる手段を駆使してニキヤへの愛を滔々と語るパケットを、ついに、陥落させるのはコゼット扮するガムザッティだ。ガムザッティ役には、演技よりもまずは長いアダージュや難儀なヴァリアシヨンをこなす技術が求められる。古典作品での彼女にはどこかに必ず穴があったのだが、この5月に入ってからはまるで別人。先日の『Hommage à Jerome Robbins』での『En Sol』も素晴らしかったが、ガムザッティはそれ以上の出来だ。一体、今までのコゼットは何だったのだろうか、と疑いたくなってしまうほど、技術の安定感が前面に押し出されている。
その技術を根底に、彼女は全く新しいガムザッティを披露した。
コゼットのガムザッティは恐ろしく気位が高い。ガムザッティは、ニキヤの、その美しい顔に驚き、怯むものだが、彼女は眉毛ひとつ動かさず、自分よりも格下の巫女と冷たく見下す。ラジャの娘は無敵のお嬢様なのだ。今まで叶わないものなど何一つなく、ソロルも自身の手中に収めるのが当然。自分の行く手を阻む邪魔者のニキヤ殺害の陰謀をソロルに問い詰められても、逆にソロルに詰め寄る迫力だ。常軌を逸した行為に対する罪の意識のかけらもないことには畏怖すら覚えるが、お嬢様の我儘ぶりは、少女特有のまっすぐな純真さと紙一重でもある。その穢れなき潔癖さは、何者も寄せ付けない崇高さに溢れ、ソロルがニキヤをさしおいてガムザッティに引き寄せられる理由を無言で説明していた。
身長もスケールも大きいパケットとコゼットに挟まれて、ニキヤ役のオスタは気の毒だった。小柄な上に、演技も踊りも小さい彼女はますます小さく見え、舞台空間に呑まれてしまう。特に3幕のバレエ・ブラン、<影の王国>はどうしたことだろうか。何度も同役を経験しているエトワールのはずなのに、技術に四苦八苦してバタバタと立ち回り、精霊になったニキヤに、一気に体重を戻してしまった。1.2幕の演技の健闘も、パケットの懸命なサポートも、要となる3幕のパ・ド・ドゥで台無しにし、物語の説得力を欠く結果になった。ここは、予定通りマリ=アニエス・ジロのニキヤ、パケット、コゼットの3人で観たかったところだ。
その点、ニコラ・ル・リッシュ、オレリー・デュポン、ドロテ・ジルベールのコンビは理想的なバランスを保っていた。

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ル・リッシュがソロル役を踊るのは久しぶりだ。2003年の日本公演は怪我で降板し、デュポンと組む予定だった2006年の公演と2009年のオーストラリア・ツアーでも、怪我で降板した。やっと、今回、『ラ・バヤデール』でのデュポンとのコンビが実現したのである。
『ジゼル』のアルブレヒトと同じく、陰影に満ちた役は彼の得意技だが、待望のソロル役での、予想外のアプローチには度肝を抜かれた。
彼のソロルは狡猾極まりない。ラジャに結婚話を持ち出されると、上司の前では拍子抜けするほどあっさりと承諾しておき、友人には戸惑う表情を見せる。美しいジルベールのガムザッティにも初めから純粋な興味を示し、彼女と、その後ろに控えるラジャの権力を値踏みする最中に、何も知らずに婚約を祝福しに来たニキヤの姿に気がつくと慌てて人混みに紛れて柱の影に隠れ、様子を窺う始末だ。2幕の婚約式のパ・ダクシヨンでも、頭をよぎるニキヤの存在はすぐに打ち消し、着々とガムザッティを伴侶とする手筈を整えているではないか。
彼は、運命に翻弄されて愛情と出世欲の板挟みに苦しむのではなく、恣意的に、自ら三角関係に乗り出すのだ。2人の女にいい顔をするル・リッシュのソロルは、どこをどう言い繕っても不誠実で、到底理解し難い思考回路の持ち主には違いない。だが不思議なことに、不快感が全くない。2人の女性を手玉に取ることさえも許せてしまう、底知れぬ魅力が彼のソロルにはある。ヴァリアシヨンのジュテで見せる豪胆な男らしさと、時折見せる子供のようにはにかむ笑顔のギャップの魅力に抗うのは、ニキヤ、ガムザッティでなくても、難しいことだ。
ル・リッシュを、健気に愛し続けるデュポンのニキヤは、どこまでも神々しい。巫女が男性を愛することはご法度。だが、聖なる火の前で掟を破った時点で、デュポンにとってはソロルへの愛が信仰にとって代わる。神を信じるようにソロルの愛を一途に信じ、絶対的な信頼を寄せるのだ。だから、ガムザッティに、ヒステリックなまでにソロルとの婚約や権力、財力の話をされても、女神のように毅然とし、全く動じない。
狡猾なソロルと敬虔なニキヤは2幕の婚約式でクライマックスを迎える。素晴らしいバランステクニックと美しいポール・ド・ブラで、ソロルに訴えかけるデュポンを、ル・リッシュは気がつかないふりをしてやり過ごそうとするが、さすがに無視し切れない。その様子を読み取ったガムザッティが、すかさず手を伸ばすと、彼は再びガムザッティに応え、崇め、笑いかける。ソロルから花篭を贈られたと信じて無邪気に喜ぶデュポンを見て、自分の不義理を忘れてくれたのか、と、喜んでさえいる。
ソロルの裏切りが決定的なものになると、デュポンのニキヤは何の躊躇もなく大僧正から与えられた薬瓶を落とし、死を選ぶ。ソロルとの恋は、彼女のただ一つの世界。ソロルを失うことは、生きる術を失うことと同義だ。
途端に、彼の歪んだ世界観は一気に崩れ落ちる。皮肉にも、ニキヤを失って初めて、心からニキヤを愛していたこと、そして、彼女の愛を無惨に踏みにじって死に追いやったことに気づく。突き付けられた現実に耐え切れず、彼は阿片に溺れる。パイプを3回吸ったところでル・リッシュはお腹をかかえて笑い出し、さらに阿片に手を伸ばす。ハイ状態に陥ってもなお、阿片を吸い続けることが彼には必要だった。
辿り着いた先は<影の王国>だ。そこには、1.2幕の狡猾さとは打って変わった忠実なソロルがいた。ニキヤとの逢瀬を果たすと、彼は心から謝罪し、アカデミックな技術を完璧に、たおやかに披露するデュポンに、誠心誠意尽くす。1.2幕のソロルが狡猾であればあるほど、<影の王国>での、2人の愛が胸に響くのだ。
技術を駆使して、演技に信憑性を持たせるヌレエフの狙いを完璧に守った上で、さりげないアレンジを加えて物語の運びをスムーズにするデュポン、ル・リッシュの才能に改めて恐れ入った。2人の手にかかると、矛盾の多い古典作品の愛憎劇も、現代の深淵な男女の物語に生まれ変わってしまうのである。
ル・リッシュ、デュポンの完璧なカップルに、ジルベールのガムザッティは果敢に立ち向かった。眼を輝かせて紺と金の輝くサリーを身に纏う、怖いもの知らずの逞しいご令嬢は、肖像画を見た瞬間にル・リッシュのソロルに恋している。コゼットが支配階層特有の所有欲からソロルに執着するのに対し、彼女は一人の女として、純粋にソロルに恋し、デュポンにただならぬ嫉妬を抱く。安定感のあるフェッテも、デュポンを呼び出して宝石を差し出すのも、全て、ル・リッシュのただ一人の女になりたいからだ。先日の『The Concert』でのコメディエンヌ振りといい、ここのところ冴え渡っている彼女の演劇的才能は、辛辣で容赦がないガムザッティを呼び寄せる。1幕2場の最後で、上から下に右手を振り下ろし、デュポンに復讐を誓う時の、大きく見開いた眼と、食いしばった口の結びは背筋が凍る恐ろしさだ。

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そして、ヌレエフの教えを守ったダンサーがもう一人。黄金の像を踊ったマティアス・エイマンである。
この役に至っては、どうしても見る目が厳しくなってしまう。というのは、英国ロイヤル・バレエ時代の、伝説の熊川哲也のブロンズ・アイドルを生で何回も見てしまった幸運な身の上である。オペラ座では元エトワールのウィルフリード・ロモリに始まり、現エトワール、ジェレミー・ベランガールとバンジャマン・ペッシュのプルミエ・ダンスール時、現プルミエ・ダンスール、エマニュエル・ティボーのスジェ時、現プルミエ・ダンスールのアレッシオ・カルボネ、ABTのアンヘル・コレーラ、当時同団に在籍していた小嶋直也など、錚々たるダンサーのハイレヴェルのヴァリアシヨンを観ても、熊川の残像が払拭されることはなかった。緩急自在の完璧なヴァリアシヨンは一度、音を耳にするたびに、蘇ってしまうのだ。
それから約20年の時を経て、とうとう熊川・黄金の像に匹敵する、いや、それを超えるダンサーを観る機会に恵まれた。熊川が踊ったマカロワ版はひたすら上へ上へとエレヴァシヨンを追求する。しかし、ヌレエフ版では、エレヴァシヨンも然ることながら、下降のデサントも重視しているのだ。身体に塗った金粉を舞い上がらせながら、一瞬にして空間を割いて跳び、頂点でバロンの技術を用いて静止する。そして着地する時には、逆に体重を感じさせる。その重量感が、神の化身として威厳なのだ。エイマンの足の裏を駆使した柔らかな着地と、しなやかなポール・ド・ブラ、抑制の効いたアティテュード・トゥールはまさに神の降臨としかいいようがない。2分半のソロで、彼は劇場空間に、寺院の神秘的な空気を吹き込んでしまったのである。
ヌレエフ入魂の『ラ・バヤデール』は初演から17年半の歳月を経ても、人気が衰えない。普段よりも高い年齢層の観客の、見逃すまいとする開幕直前の意気込みは大変なものだ。世界バレエフェスティバル初日の、咳払い一つできない静けさに通じるものがある。
それには、2つの理由がある。ヌレエフ作品の中でも、遺作の『ラ・バヤデール』が特別な存在であることと、その物語性だ。古典作品でありながら、夢のような甘いお伽話では終わらない。いかようにも料理できる男女の三角関係の愛憎劇は、ミンクスの美しい旋律とともに、現代の観客にリアルに迫ってくるのである。
(2010年5月20日、21日、22日 パリ・オペラ座ガルニエ宮)

Photos:Sébastien Mathé
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『ラ・バヤデール』La Bayadère 全3幕
台本:マリウス・プティパ、セルゲイ・クデコフ
音楽:ルドヴィク・ミンクス
編曲:ジョン・ランチベリー
演出、振付 : ルドルフ・ヌレエフ
原振付:マリウス・プティパ
装置:エツィオ・フリジェリオ
衣裳:フランカ・スカルチャーピノ
照明:ヴィニチオ・チェリ

指揮:ケヴィン・ロデ、オーケストラ:コロンヌ管弦楽団
メートル・ド・バレエ、舞踊監督補:パトリス・バール
メートル・ド・バレエ:ローラン・イレール、クロティルド・ヴァイエ
アシスタント・メートル・ド・バレエ:リオネル・ドラノエ
リハーサル協力:フローランス・クレ-ル、ギレーヌ・テスマー、ジャン=ギョーム・バール、ヴェロニク・ドワノー、エリック・カミヨ