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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko 
[2009.06.10]

パリ市立劇場サシャ・ヴァルツ『二つの国』『宇宙飛行士通り』

THEATRE de La Ville
パリ市立劇場
Sacha Waltz «Zweiland »サシャ・ヴァルツ『二つの国』(1997年初演)
« ALLEE DES COSMONAUTES »『宇宙飛行士通り』(1996年初演) 

サシャ・ヴァルツ『二つの国』
振付と総括 サシャ・ヴァルツ
装置 トーマス・シェンクとサシャ・ヴァルツ
衣装 サシャ・ヴァルツ&ゲスツ と アンネッテ・ベッツ
音楽演奏指導 ホアン・クルズ・ディアズ・ドゥ・ガライオ・エスナオラ
照明 マルティン・ホーク
踊りと振付 リュック・デュベリ、ホアン・クルズ・ディアズ・ドゥ・ガライオ・エスナオラ、ニコラ・マシア、グレイソン・ミルウッド、クラウディア・デ・セルパ・ソアレス、鈴木たか子、ローリー・ユン
(上演時間1時間)

照明が点くと大きな壁が舞台の奥を左右に横切っている。その手前には掘立小屋を分解したような板や柱がまとめて転がっている。殺風景極まりない何の装飾もない道の中央が白々と広がっている。サシャ・ヴァルツの『二つの国』の冒頭シーンである。
ここにパンツ一枚にテニスシューズの男性二人が登場する。二人が前後に立ってぴったりと身体を寄せ合うと、頭一つ、腕二本、腹二つ、足四本の奇怪な獣となった。一匹になったようで二匹でもある、シャム双生子のような生き物は「統一」ドイツの暗喩だろう。また、粗大ゴミにもなりそうな柱と板がダンサーたちにより、カフェのカウンター、縁日の遊技場などに七変化するのも、あるもので日々の生活をどうにか切りぬけている旧東独をそのものずばり表現する結果になっている。
この通りに7人、4人の男性と3人の女性が現れる。移民労働者か、軍人か、娼婦なのかただの暇人かはよくわからない。これといったストーリーはなく、人と人との触れ合いが時にはゆったりとしたアコーデオンの音色に乗って、あるいは憂愁を帯びたチェロに支えられて変転する。
最後の場面は軒の上に天使の白い羽をつけた男がじょうろを傾けて「雨」を振らせ、その下で6人の男女が肩を寄せ合って雨宿りしているところだった。見ていてどこかほっとさせられる、胸があたたかくなる幕切れだった。
(2009年4月27日 パリ・オペラ座ガルニエ)

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サシャ・ヴァルツ『宇宙飛行士通り』
振付と総括 サシャ・ヴァルツ
装置 トーマス・シェンクとサシャ・ヴァルツ
衣装 サシャ・ヴァルツ&ゲスツ と アンネッテ・ベッツ
照明 アンドレ・プロンク
オリジナル音楽 ラルス・ルドルフ、ハンノ・レヒトマン
アコーデオン ホアン・クルズ・ディアズ・ドゥ・ガライオ・エスナオラ
踊りと振付 リュック・デュベリ、ホアン・クルズ・ディアズ・ドゥ・ガライオ・エスナオラ、ニコラ・マシア、ヤエル・シュネル、鈴木たか子、ローリー・ユン
(上演時間1時間)

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『二つの国』が東ベルリンの通りの真中という家の外を舞台にしているのに対し、『宇宙飛行士通り』は東ベルリン郊外の通りにある団地の一軒が「再現」されている。サシャ・ヴァルツは映像作家とともに実際に団地に住む数軒の家庭を訪れ、その生活を綿密に聞き取った。この証言を素材にアジア人女性(日本人ダンサー 鈴木たか子)の母と白人男性の父に子供が四人という家族が描かれている。
灰色の壁とソファー、板一枚の上に白布がかかったテーブル、これに三か所のテレビに室内や団地の周辺を撮影した映像が流れる。壁に立てかけられた板の上に座った息子が麻薬を吸っているところから始まる。
主婦が掃除機をかけたり、息子の一人がラジカセをかけて女の子と踊ったり、大小色彩もさまざまな箱を家族が競争で並べて遊んだりと、シークエンスは次々に変わる。音楽もワグナーの『ラインの黄金』や『ウインナワルツ』が雑音とともに聞こえてくるかと思うと、ロックがラジカセから流れる。照明、小道具の配置、動きのテンポも絶えず変化する。どの場面も荒唐無稽に見えながら、実に真実味に富んでいる。抜群の表現力を持ったダンサーたちから迸るエネルギーには終始圧倒的された。
1989年にベルリンの壁が崩れてから、20年が過ぎた。統一ドイツの首都はベルリンとなったが、東と西の経済格差は未だに亡くなっていない。「飽食の西とモノ不足の東」は歴然としてあるが、旧東独の実際の日常生活はどうだったのか、また今どうなのかはあまり知られていない。
サシャ・ヴァルツが1996年と1997年に発表したこの二つの作品を観終わったとき、壁の向こう側の生活、崩された後も残っている見えない境界の彼方が一つの手ごたえのある世界となって広がっているのに気づいた。そこには、貧しい、欲望むき出しの、あからさまな、猥雑なエネルギーがあふれた、それでいて肌ぬくもりのある、失望の横にちっぽけな夢のある、乱雑な、混沌とした日常が確かな質感を持って存在していた。
(2009年5月5日 パリ・オペラ座ガルニエ)

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