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斎藤 珠里 text by Julie Saito 
[2009.02.10]

ピナ・バウシュ『スイート・マンボ』、女性の誘惑

THEATRE DE LA VILLE パリ市立劇場 PINA BAUSCH&Tanzentheater Wuppertal:SWEET MAMBO’ ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団『スイート・マンボ』

 毎年、パリ市立劇場で上演しているピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団が1月7~14日に『ヴィーゼンラント(緑の大地)』(再演)、19~30日にフランス初演となる新作『スイート・マンボ』を発表した。

 ピナ・バウシュは1979年6月の『青髭 (Barbe Bleue)』と『7つの大罪(LES 7 PECHES CAPITAUX)』以来、30年間にわたってパリ市立劇場を第二の拠点としてきた。当初から評価が定まっていたわけではない。
「ピナ・バウシュはダンスを究極の美と考えている人々の心を深く傷つけた。ピナが肉体に与えた侮辱、悲惨主義、厳格さ、ジェスチャーへの一切の装飾を拒む姿勢は挑発そのものだ。」(「ル・モンド」79年6月18日)
また、ある夕刊紙は「ドイツ女の胸はフランス女より大きいことを見せただけ」と痛烈に皮肉ったほどだった。しかし、こうした激しい反発にも動じなかった パリ市立劇場のジェラール・ヴィオレト前総監督の全面的な支持を受けたピナは、ほとんど毎年のように新作を発表し、世代を超えた広いファンを持つに至って いる。

  ピナの特徴は3つに絞られるだろう。第1は、長い年月によって規格化された型をはめられ、形骸化したクラシック・バレエの枠を崩し、人間の感情を端的に表 現するという踊りの原点に戻ったことだ。すでに演劇や小説で描かれた筋を辿るだけのクラシック・バレエにはない、驚きや発見がある。また、バランシンのよ うな抽象的な形の探求に終始したモダンバレエとも全く別のアプローチである。視覚的効果を狙った思いつきを並べる振付家が少なくない中で、ピナは身体の向 こう側にある人間の感情を妥協のない目で見据えてきた。
第2は制作の本拠地をヴッパタールという周縁に据えたことだ。ベルリンやミュンヘンといった文化都市ではない、荒涼とした工場が立ち並ぶ街が創造の場となった。
第3は劇団員とともに外国で生活を共にし、異国での日常生活から一つの物語を編み出してきた。この種の作品には1990・91年シーズンに発表された 『パレルモ・パレルモ』から2008年の『青い竹』にいたるまで、シチリア、マドリッド、アルゼンチン、日本、ブダペスト、韓国、インドといった多様な土 地の「旅日記」が綴られてきた。

  2008年5月にヴッパタールで発表された今回の新作は「旅日記」ではない。主題は「女性の誘惑」、その栄光と悲惨の両面が6人の女性と3人の男性という わずか9人のダンサーによって描かれている。装置のない裸の舞台に、白い布が天井から下っている。袖から送られる風によって布が絶えず波打つ。
ささやくようなムード音楽に乗ってサテンの夜会服を着た女性が男性に語りかけようとする。しかし、その声は相手には届かない。男性が女性の背後に立って 首筋から背中にさっと接吻する。しかし、二人の視線が交わることはない----。こうした場面に、ピナ特有のダンサーによる客席への語りかけが唐突に挿入 される。
白い布が風にふくらんだ球体の中での女性によるソロのダンスや、距離を保ったままのパ・ド・ドゥはそれ自体きれいだが、これといった劇的なインパクトは ない。イメージは美しいが、どのシーンも何度か繰り返される断片にとどまり、舞台が進行してもこれといった印象を与えることないままに消えていってしま う。Tanztheater(タンツテアーター)が目指したダンスとドラマが一体となった特有の高揚を迎えることのないまま、果てしなく長い二時間が経過 していた。

  公演が終わってからパンフレットの解説を見て、ようやく振付家の意図(それは必ずしも観客から理解されたわけではないが)に見当がついた。鍵は中央のスク リーンに映写されていた黒白映画にあったのである。映画は1938年に封切られたツァラ・レアンダー主演のヴィクトル・トゥルジャンスキーの『白いきつ ね、麗しのハンガリー女』(Der Blaufuchs)だった。夫に構ってもらえない若いハンガリー女性のよろめきがテーマである。「女と男の感情のずれ」を、映像に重ねてダンスがなぞっ ていたのだ。
しかし、客席にいて舞台を見ているだけでは、この意図は全くつかめなかった。ダンスであれ、演劇であれ、幕が上がってから最後の照明が消えるまでで舞台 は完結していなければならないだろう。いったんはじまったら振付家の手が一切見えないような自然な流れが生まれて初めて舞台は命を持つ。2007年の『満 月(Vollmund)』のダンサーの身体と照明と装置が一体となった場面が懐かしく思い出された。
(パリ市立劇場 2009年1月20日)