ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2016.07.11]
♪バレエ昔も今も♪BALLET OLD AND NEW♪
今年も吉田都と堀内元による「Ballet for the Future」公演が、8月31日(東京文化会館)と9月3日(金沢本多の森ホール)で開催される。この公演ではバランシンに薫陶を受けた堀内元の指導の下、米沢唯と奥村康祐が『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』を踊る。吉田都もこの演目を得意としていたから、彼らは良いアドヴァイスを受けることが出来るだろう。
今年2月に名バレリーナ、ヴィオレット・ヴェルディが82歳で亡くなった。ヴェルディは1960年に『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』の初演を踊ったダンサーとしても知られる。彼女はバランシンに好まれ他にも『エメラルド』『真夏の夜の夢』『ソナチネ』などを初演している。音楽性豊かなチャーミングな踊り手として定評があり、映像で観てもじつに活き活きとした柔らかいフェミニンなラインを描く。吉田都の踊りを彷彿させるところもあるが、実際、指導を受けたことがあると聞く。
ヴェルディはフランス出身で、若き日のローラン・プティとシャンゼリゼ・バレエ団やパリ・バレエ団で踊った。その後、バランシンに招かれてインスピレーションを与えたただけでなく、ジェローム・ロビンズのお気に入りともなって『ダンシィズ・アット・ア・ギャザリング』『イン・ザ・ナイト』の初演を踊った。1977年には女性として初めてパリ・オペラ座バレエ団のバレエ監督に就任した。バレリーナ出身の監督としては、オーレリー・デュポンの先輩となるわけだ。そのほかに英国ロイヤル・バレエやABTでも踊っているから、当時としては珍しい世界のオペラハウスで活躍したバレリーナだった。

美と醜のコントラストが際立って、観客の感情を揺さぶったプティの大作『ノートルダム・ド・パリ』

牧阿佐美バレヱ団
『ノートルダム・ド・パリ』ローラン・プティ:振付

牧阿佐美バレヱ団は60周年記念公演としてローラン・プティ振付の大作『ノートルダム・ド・パリ』を、4年ぶりに上演した。前回の上演は2012年2月でプティの追悼公演でもあった。(プティは2011年7月10日逝去)
ローラン・プティはパリ・オペラ座バレエ学校で学び、オペラ座に入団したが、わずか4年で退団。自身が主宰するグループで振付作品を発表する。その後、ロンドンで初演した『カルメン』が世界的に大ヒットするなどして活動を続けた。そして20年ぶりに古巣のパリ・オペラ座バレエに振付けた野心的大作が、この『ノートルダム・ド・パリ』だった。
今回公演では、絶世の美女、エスメラルダを踊ったのは、ミラノ・スカラ座バレエのプリンシパル、ニコレッタ・マンニ。歩兵隊隊長のフェビュスはやはりミラノ・スカラ座のソリスト、マルコ・アゴスティーノ。異形のノートルダムの鐘突き男カジモドには前回も踊った牧阿佐美バレヱ団の菊地研、司教代理のフロロはラグワスレン・オトゴンニャムと清瀧千晴のダブルキャストだった。

tokyo1607a1_0049.jpg 撮影/鹿摩隆司

開幕冒頭、イブ・サン=ローランの巨大なデコールを行進させ、ノートルダム寺院の広場にたむろしていたホームレス集団と、過剰な富裕文化に耽る支配層との格差を表す。その格差は神を象徴する場であるノートルダム寺院の壮麗さと、そこに屯する神とはほど遠いホームレス集団とがいかに遊離していたかをも表わしている。
サン=ローランのデザインによる衣裳は、第一幕はコール・ド・バレエにカラフルな色使いで不統一性を強調し、第二幕では黒い衣裳に統一して、エスメラルダの罪なき死、あるいは悲劇的存在の階層の人々の悲哀を表している。
第一幕は、エスメラルダに横恋慕しているフロロが嫉妬に狂い、彼女の愛するフェビュスを背後から刺し殺したうえに、彼女を犯人に仕立て上げて罪を逃れようとする。そして処刑される寸前のエスメラルダを、彼女にかけられた微かな情けが忘れられないカジモドが奪って、聖域となっている寺院の鐘突き堂に匿うまでが描かれる。美と醜のコントラストが際立ってドラマティックに展開する物語は、観客の感情を揺さぶり、たいへん興味深く感じられる。エスメラルダとフェビュスと彼には見えない設定のフロロが踊るパ・ド・トロワが、この愛の宿命を構図的に表わしていて、たいへんおもしろかった。司祭代理のフロロは、一向に自分になびかないエスメラルダに業を煮やして、フェビュスを闇にまみれて殺す、という神を恐れぬ大罪を犯すのだ。

tokyo1607a1_0197.jpg ニコレッタ・マンニ 撮影/鹿摩隆司 tokyo1607a1_0380.jpg ラグワスレン・オトゴンニャム 撮影/鹿摩隆司
tokyo1607a1_1330.jpg 菊地研 撮影/山廣康夫 tokyo1607a1_1529k.jpg マルコ・アゴスティーノ 撮影/山廣康夫
tokyo1607a2_1740.jpg ニコレッタ・マンニ、菊地研 撮影/山廣康夫

第二幕は、エスメラルダとカジモドの交流が描かれる。美しい者が醜い者の中に、純粋なものを発見するシーン。ただ、エスメラルダに扮したニコレッタ・マンニは、キャラクターとして少女らしさが勝ち過ぎて見え、醜い者への眼差しに深い慈愛があまり感じられない。もう少し母性的な魅力を発揮してほしかった。そのため、少年の心と少女の心が絡みあっているかのように見えてしまうところがあったのは、少々残念だった。
終盤は、人間が存在することの悲劇、悲劇的存在としての人間、というロマン主義的ペシミズムが舞台に横溢した。そしてラストでは、フェビュスの亡霊が登場して観客を驚かせる。
パリ・オペラ座の初演では、プティ自身がカジモドを踊ったという。彼はカジモドの美への羨望と微か芽吹いた心の動揺を、異形の身体を動かしてどのように表わしたのだろうか。私は、日本で上演された『コッペリア』のコッペリウスを踊ったプティの名演技が終生忘れることができない。それだけに、プティの卓抜した表現を見るチャンスがなかったことは、誠に残念至極だ。
プティから直接教えを受けた経験のある菊地研は、不気味な動きを作りながら、さりげなく感情を吐露するという難しい演技を良く作った。清瀧千晴も冷酷なフロロ役を過剰な表現を避け、ちょっとあっさり目に演じたが、なかなかの好演だった。
映画監督としても知られるルネ・アリオの装置は、巨大なまるで梵鐘のような鐘を上下に二つならべ、その前に抽象的な模様を嵌めたパネルをおろしたりあげたりして、巧みに場面転換を行った。ラストは上手に首吊り台をしつらえて、観客に強烈な印象を与えた。音楽は、『アラビアのロレンス』などの映画音楽を作曲したモーリス・ジャール。劇伴的効果は抜群だったが、音楽としての深い感動はなかった。
(2016年6月12日 文京シビックホール)

tokyo1607a2_0242.jpg 撮影/鹿摩隆司 tokyo1607a2_0656.jpg ニコレッタ・マンニ、菊地研 撮影/鹿摩隆司
tokyo1607a2_1387.jpg 清瀧千晴 撮影/山廣康夫 tokyo1607a2_1431.jpg 菊地研、清瀧千晴 撮影/山廣康夫
tokyo1607a2_0738.jpg 撮影/鹿摩隆司