沖香菜子と柄本弾が踊った東京バレエ団『ジゼル』、ダンサーたちのテクニックは申し分なく、完成度の高い舞台だった
- ワールドレポート
- 東京
掲載
ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
東京バレエ団
『ジゼル』レオニード・ラヴロフスキー:振付
東京バレエ団が、ロマンティック・バレエの名作『ジゼル』を2年振りに上演した。2023年7月のオーストラリア公演で称賛を浴びた成果を踏まえての凱旋公演だった。ところで、今年は3月から6月にかけて、異なるバレエ団による異なる版の『ジゼル』の上演が相次ぐことになったので、そのことに少し触れたい。3月のスターダンサーズ・バレエ団はピーター・ライト版で、今回の〈NEXT〉の付いた公演は、主要な役に若手ダンサーを起用し、準団員やジュニアカンパニーのメンバーの参加も得て、若手の育成やバレエ団の向上を目指したものだが、もちろん作品の継承も意図されただろう。4月の新国立劇場バレエ団は、2022年の吉田都・芸術監督による新演出版(改訂振付:アラスター・マリオット)の再演で、来る7月に初めてとなるロンドン公演を控えているだけに、磨きのかかった舞台だった。5月の東京バレエ団は、長くレパートリーとしているレオニード・ラヴロフスキー版で、最初に記したようにオーストラリア・ツアーの凱旋公演だった。6月中旬に予定されているのは牧阿佐美バレヱ団で、牧阿佐美の演出・改訂振付によるものだが、実に10年ぶりの上演ということで、パリ・オペラ座バレエ団の若手ダンサーが主演するのが話題になっている。このように異なるバレエ団による4者4様の『ジゼル』が月替わりで提供されるなど滅多にないことと思い、紹介した次第である。
さて、東京バレエ団の『ジゼル』である。ラヴロフスキー版は1944年にボリショイ劇場で初演されたもので、東京バレエ団ではこれを「ペローとコラーリの原振付とプティパの改訂振付を見事に融合させた優れたプロダクション」として、1966年にレパートリーに採り入れ、再演を重ねている。今回の公演は3回で、ジゼルとアルブレヒトは、沖香菜子&柄本弾、秋山瑛&宮川新大、足立真里亜&生方隆之介のトリプル・キャストだった。このうち、沖&柄本というバレエ団のトップダンサーが組んだ日を観た。なお、ラヴロフスキー版では踊り以外の演技の部分をとても重視しているということで、ダンサーたちのテクニックは申し分ないだけに、今回は特に第1幕でこの点を注視してみた。
© Shoko Matsuhashi
舞台は葡萄の収穫期を迎えた山間の村で、下手にジゼルの家、上手にアルブレヒトの小屋があり、遠くに聳えたつ城が見える。村人たちの世界と城に住む貴族たちの世界の隔たりがさり気なく示唆されている。マントを翻して颯爽と登場したのはアルブレヒトの柄本弾で、従者ウィルフリード(大塚卓)が待機していた小屋に入った。弾むような柄本の足取りに、ジゼルとの逢瀬が待ち切れない様子が伝わってきた。入れ替わるように、森番のヒラリオン(安村圭太)が現れた。ジゼルの家の扉を叩こうとして邪魔してはいけないと思いとどまり、獲物の鳥を戸口に掛けて、静かに立ち去った。ジゼルへの溢れる想いを滲ませた安村の演技だった。冒頭で、ヒラリオンがジゼルの母と親しく会話し、水を運ぶのを手伝ったりするシーンが入る版もあるが、それがなくてもヒラリオンの人となりは伝わってきた。小屋から出てきたアルブレヒトは、公爵たちの一行が来るから行動を慎むようにと説得するウィルフリードに耳を貸さずに立ち去らせたが、ここでの大塚の立派な服装と礼儀正しいマイムから、アルブレヒトの属す世界が想像できた。そして、ジゼルとの逢瀬になる。ジゼルの家の扉を叩いてかげに隠れるなど、ジゼルを驚かそうと悪戯っぽく振る舞うアルブレヒトの無邪気さが、柄本の演技から感じられた。喜びに顔を輝かせて出て来て彼を探すジゼルの沖香菜子は、弾む心をアルブレヒトに伝えるように繊細なステップで表現し、花占いで凶が出るとふさいでしまうほど傷つきやすい心の持ち主であることも伝えていた。仲睦まじく踊る二人だが、まだ相手を十分には知り尽くしていないようで、どこか初々しさを感じさせる演技だった。ヒラリオンは二人が親し気に踊る様を見て驚き、ジゼルに自分の想いを告げるが退けられ、しつこく迫るとアルブレヒトに決然と去るよう命じられて立ち去った。ヒラリオンの告白に困惑するジゼルと、冷厳と彼をはねつけるアルブレヒトと、憤りを露わにするヒラリオンが織りなす緊迫感溢れるシーンだった。
© Shoko Matsuhashi
© Shoko Matsuhashi
場面は一転し、葡萄狩りにやってきた若者たちの賑やかな踊りが始まると、ジゼルとアルブレヒトも一緒に踊る。ジゼルの母親は心臓の弱い娘の身体を気遣って踊りをやめさせ、家の中に入れた。公爵とバチルド姫の一行の到着を告げる角笛に、アルブレヒトが慌てて森に隠れるのを見て不審に思ったヒラリオンは、彼の正体を知ろうと小屋に忍び込んだ。公爵の一行はジゼルの家の前で休息を取った。バチルドの政本絵美は、自分のドレスの裾に触れたジゼルに驚くが、ドレスの豪華さに目を奪われてのことと知ると、その純真な心に打たれ、「好きな人はいるの?」などと優しく話しかけ、自分の首飾りを彼女にかけてあげた。バチルドの豪華なドレスに恐る恐る手を伸ばす仕草や、高価な首飾りをもらって喜ぶ様に、沖はジゼルの無垢な心を貴族への憧れも忍ばせて表現していた。公爵とバチルドが家に入ると、一行は解散した。小屋から出てきたヒラリオンは、中で見つけた剣の紋章でアルブレヒトの身分を確かめて剣を隠した。そこに、ヒラリオンの正体を暴いてやろうという復讐心と、ジゼルを彼から救いたいという思いが感じられた。葡萄狩りから戻った若者たちの踊りが始まると、ジゼルが家から出てきた。通常の"ペザント・パ・ド・ドゥ"に代わって、東京バレエ団では2003年からウラジーミル・ワシーリエフが振付けた4組の男女によるパ・ド・ユイットを採り入れている。この日に出演したダンサーたちは皆、粒ぞろいでレベルが高く、様々な技が散りばめれた踊りを鮮やかにこなしていた。
公爵の一行は帰ったと思い、アルブレヒトが安心してジゼルと踊っていると、ヒラリオンはアルブレヒトが貴族であることを示す剣を二人の間に割り入れた。予想だにしない展開に、アルブレヒトがその剣をヒラリオンに向けると、ヒラリオンは出発の合図の角笛を吹き鳴らした。家から出てきた公爵やバチルトは村人の格好をしたアルブレヒトに驚くが、アルブレヒトは適当に取り繕って慇懃に振る舞い、バチルドの手にキスしようと身を屈めた。ジゼルがそうさせまいと割って入ると、バチルドは毅然として自分は彼の婚約者だと告げた。アルブレヒトに騙されていたことを知ったジゼルは、バチルドから贈られた首飾りを引きちぎり、ショックのあまり気を失った。意識を取り戻しても朦朧とした状態のままで、アルブレヒトと踊ったステップを力なく踏み、凶と出た花占いを繰り返したりしていたが、一瞬、正気に戻って母親の胸に抱きついた後、アルブレヒトの腕に飛び込もうとして力が尽き、崩れるように息絶えた。"狂乱の場"の沖は、うつろな眼差しを周囲に向け、何かに突き動かされるように人々の間を走り抜けたかと思と、身体をふるわせてあざけり笑うなど、狂気に翻弄される様を陰影深く演じて哀れを誘った。この場のアルブレヒトを演じるのは、どのダンサーにとっても難しそうだ。柄本からは、ジゼルの狂う様を見ていられずに目をそむけたり、手を出そうとしてウィルフリードに止められたりと、もどかしく思っても佇んで見ているより他ない情けない様子が感じ取れた。自分の胸に飛び込もうとしてジゼルが絶命したことで更なる衝撃に打ちのめされた柄本が、発作的にヒラリオンを剣で襲おうとしたのもうなずける。ヒラリオンの安村は、ジゼルのためを思って取った行動が引き起こした事態にうろたえ、潔くアルブレヒトの剣を受けようと身構えたが、その姿にジゼルへの深い愛が感じられた。横たわるジゼルにアルブレヒトが寄り添い、悲嘆にくれるところで幕が下りた。
© Shoko Matsuhashi
第2幕はジゼルの墓がある夜の森の、ウィリたちが支配する世界である。打ちひしがれた様子のヒラリオンがジゼルの墓にやって来るが、飛び交う鬼火に怯えて逃げていった。静寂が戻ると、ウィリの女王、ミルタ(伝田陽美)が現れ、繊細なパ・ド・ブーレで滑るように舞台を横切り、威厳に満ちた態度で他のウィリたちを呼び寄せた。白いロマンティック・チュチュのウィリたちは軽やかに舞い、様々なフォメーションを綾なして整然と踊り、夢幻の境地を漂わせた。二手に別れて左右からアラベスクで交差するシーンでは、定評のある精緻なアンサンブルを披露した。ウィリの仲間入りをしたジゼルは、たおやかに身体を操り、高速で回転してみせた。ウィリたちが森に姿を消すと、傷心のアルブレヒトが白百合の花を抱えて現れた。ジゼルは彼が心から後悔していることを感じ取り、霊となった自分を気付かせようと、彼の脇を走り過ぎた。アルブレヒトはジゼルの存在に気付き、ジゼルを繰り返しリフトするなど、彼女への偽りのない愛を伝えた。沖と柄本が見せたデュエットは、魂と魂が呼応するような清らかな美しさを湛えていた。
© Shoko Matsuhashi
ウィリたちに見つかったヒラリオンは踊り続けるよう命じられ、極限まで踊らされたあげく沼に突き落とされた。続いてアルブレヒが捕まった。ジゼルはミルタに許しを乞うが、冷たく拒否されたため、彼をかばうように一緒に踊り始めた。ジゼルの沖がアルブレヒトを救おうと励まし支えるように踊り続ける姿からは、ウィリになっても変わらぬ彼への愛が感じられた。アルブレヒトの柄本は、ジゼルの想いに応え、心からの懺悔の気持ちも込めて、息絶え絶えになりながらも高速のターンや垂直のジャンプを繰り返した。夜明けの鐘が鳴り、アルブレヒトが救われたことを知ると、ウィリとして無表情だったジゼルの顔から、安堵の気持ちと、これで永遠の別れになるという寂しさが入り混じった複雑な感情が読み取れた。ウィリたちは消え、ジゼルも一輪の花をアルブレヒトに渡して墓の中に消えた。ジゼルの託した花を抱えたアルブレヒトが、悲しみに耐える姿で幕が下りた。深い余韻を残した舞台だった。踊りの完成度が高かっただけでなく、ダンサーたちがそれぞれの登場人物になりきり、ドラマの陰影を深めていたからだろう。オーストラリア・ツアーの成功を実感させる公演だった。
(2025年5月16日 東京文化会館)
©Shoko Matsuhashi
記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。