スペイン舞踊、バレエ・ブラン、クラシック・バレエが融合した見事な舞台、谷桃子バレエ団『ドン・キホーテ』
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ワールドレポート/東京
関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi
谷桃子バレエ団
『ドン・キホーテ』マリウス・プティパ/アレクサンドル・ゴルスキー、スラミフィ・メッセレル:原振付、谷桃子:脚本・演出・振付、高部尚子:再演出・構成
光永百花、中野吉章
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
ミゲル・デ・セルバンテスの長編小説『奇想天外の騎士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』を題材として作られたバレエは以前にも上演されていたが、1869年にプティパが若き日の長期スペイン旅行の体験に基づいた『ドン・キホーテ』をモスクワのボリショイ劇場で初演し、以後、これが基本的な形となった(音楽はレオン・ミンクス)。スペイン舞踊とクラシック・バレエの融合を試みたこのバレエは人気を集め、その後、アレクサンドル・ゴルスキーのモスクワでの改訂上演を経て、プティパ、ゴルスキー版として今日まで上演され続けている。バレエ好きのモスクワっ子は、この世界中で脈々と受け継がれ上演されている人気バレエが、ボリショイ劇場で初演され発展してきたことを誇りとしている。
谷桃子バレエ団が『ドン・キホーテ』全幕を日本初演したのは1965年。会場は今回公演と同じ東京文化会館だった。この『ドン・キホーテ』を谷桃子バレエ団にもたらしたのは、ボリショイ・バレエ団で活躍したスラミフィ・メッセレル。彼女はマイヤ・プリセツカヤにバレエを手ほどきした叔母であり、ボリショイ・バレエの重要なプリンシパルとして1930~40年代に踊り、振付家、名教師としても知られるアサフの妹、という芸術家の家系に生まれた優れたダンサーだった。
谷桃子バレエ団『ドン・キホーテ』全幕の日本初演には、スラミフィ・メッセレルは構成・振付指導とクレジットされており、振付と主演は谷桃子だった。そして谷桃子は、日本初演にあたって、「・・・ボリショイの伝統を受け継ぐというのが、今度の公演の狙い・・・」とコメントしている。ボリショイ・バレエの中央で活躍してきたメッセレルを招いて、その伝統を日本のバレエが受け継いで発展させようと試みていたのである。谷桃子はその後もイリーナ・コルパコワを招いてマリインスキー・バレエの伝統を習得しようと試みているが、諸事情により叶わなかった。そこにはボリショイ・バレエやマリインスキー・バレエの優れた伝統の精髄を学び、日本のバレエの発展に寄与しようとする谷桃子のバレエ芸術に対する正統で真摯な取り組みがあったことが理解できる。
おそらく、スラミフィ・メッセレルがもたらした『ドン・キホーテ』のヴァージョンは、1940年にボリショイ劇場で初演されたロスチスラス・ザハロフ版であろう。ザハロフは『バフチサライの泉』や『タラス・ブーリバ』『シンデレラ』なども振付けている。そしてこのヴァージョンにはカシアン・ゴレイゾフスキーも協力したと伝えられている。ゴルスキーがカットしたプロローグが復活し、ジプシー女の踊りやギターを持った女たちの踊りが第2幕のタブラオのシーンに組み込まれ、ジプシーの野営地のシーンがカットされている。また、第3幕ではドン・キホーテと銀月の騎士の決闘(谷桃子版では無名の騎士)が行われることなどが特徴である。
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
今回公演ではキトリとバジルは、森岡恋/森脇崇行、馳麻弥/田村幸弘、光永百花/中野吉章、倉永美沙(サンフランシスコ・バレエ団)/森脇崇行、という4組のキャストが組まれた。私は5月24日昼公演(光永百花/中野吉章)を観ることができた。当日の主要キャストはドン・キホーテ/小林貫太、サンチョ・パンサ/田渕玲央奈、メルセデス/永橋あゆみ、エスパーダ/今井智也、ガマーシュ/三木雄馬、ピッキリア/白井成奈、ジャネッタ/高谷麗美、イスパンスキー/石本晴子、ギターを持った女達/嶌田紗希、今西由記、ジプシーの女/種井祥子、ドルシネア姫/光永百花、森の女王/大塚アリス、キューピッド/尾島結子だった。
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
谷桃子バレエ団の『ドン・キホーテ』は、プロローグでドン・キホーテの騎士道への盲信とドルシネア姫(山口緋奈子)への熱い憧憬を描く。
第1幕は、明るい太陽が降り注ぐバルセロナの街に、キトリとバジルの恋と結婚をめぐる人間味溢れるコミカルな情景が、エスパーダ、メルセデス、トレアドールたちの踊り、セギディリア、キトリとドン・キホーテのメヌエットなどとともに描かれる。今井エスパーダの鮮やかなマント捌き、永橋メルセデスの華麗なステップ、光永キトリの繊細で柔らかく優美なライン、中野バジルのしなやかな動きなどが、活気に溢れるバルセロナの広場を駆け巡り、エキゾティックなスペイン情趣が会場全体を包んだ。
第2幕1場は一変して、スペイン独特の舞踊の花が咲き競うタブラオ。メルセデスとエスパーダの踊り、カスタネットの踊り、ギターを持った女達の踊り、ジプシー女の踊りと、濃密な色彩がさまざまに塗り込められた魅惑的な夜である。
第2幕3場になると、幻想的なドン・キホーテの夢に舞台が替わり、森の女王とキューピッドそしてドルシネア姫がコール・ド・バレエとともに典雅に踊るバレエ・ブランとなる。ドン・キホーテは、妖精達が美しく優しく誘惑する夢の中でキューピッドにハートを射抜かれ、思いがけなく憧れのドルシネア姫と結ばれる、という夢の中で幸せな夢を見る。
第3幕は公爵の広大な館。ドルシネア姫と結ばれるという夢の中にいるドン・キホーテは、魔法で封じ込められた姫を解放するために無名戦士と決闘して勝たなければならない。手袋は投げられた! 勇気ある騎士として堂々と決闘に臨んだドン・キホーテだったが、無情にも自身の拍車が絡み合って、呆気なく敗れる。しかし騎士道精神に則り、潔く敗北を認め、生きることの悲哀を噛み締めながら何処へか旅立った。
一方、キトリとバジルはめでたく結ばれ、華やかな結婚式の宴が開催される。
ここではプティパが確立したクラシック・バレエの大輪の花が艶やかに開く。グラン・パ・ド・ドゥはコール・ド・バレエから始まって、リフト、回転、ジャンプ、バランスなどが続くアダージョ、ソリストの踊りが挿入され、男性のヴァリエーション、女性のヴァリエーション、ソリスト、そして最も華やかなコーダとなり舞台と客席が一つのリズムとなって浮き立った。華麗なるダンス・クラシックの花をいく重にも重ねて構築された大きな庭園のような量感豊かな舞台だった。
光永百花と中野吉章のペアは、全幕を生き生きと踊り抜き、フレッシュなパートナーシップを表した。そして今井智也、永橋あゆみ、三木雄馬、小林寛太といった経験豊富なダンサーたちががっちりと脇を固めて、この大作の舞台を強く支えていた、という印象が残った公演であった。
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
撮影/スタッフ・テス株式会社 小川智恵子 中岡良敬
『ドン・キホーテ』はプティパが初演した時は4幕8場という長編だったが、1871年にサンクトペテルブルクで再演した時は、さらに幕を重ねて5幕11場の大スペクタクルとなった。その後、ゴルスキー、ロプホーフ、ザハロフ、ファジェーチェフあるいはヌレエフ、バリシニコフ、ワシーリエフほかのロシアの優れた舞踊家たちが物語と舞踊表現の精錬を重ねて、今日上演されているいくつかのヴァージョンが生まれている。新しいものではロシア人ではないが、カルロス・アコスタ版なども知られている。
そうしたヴァージョンの一つである谷桃子バレエ団の『ドン・キホーテ』は、街の広場で踊られる闊達なスペイン舞踊、夜のタブラオで踊られるスペインのドラマティックで濃密な踊り、夢幻的な幻想美を描いたバレエ・ブラン、そしてロマノフ王朝の宮廷を象徴する豪華なクラシック・バレエ、というコンントラストを描く四つの舞踊スタイルが融合して全体がひとつの<舞踊の美>を構築している。コミカルな物語展開と4つの洗練された舞踊スタイルがバランス良く巧みに構成されており、豊かな芸術性があり同時にエンターティンメントとしても優れているのである。
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