東京バレエ団とM.ベジャールのつながりの強さを改めて感じさせられた素晴らしい『くるみ割り人形』
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ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
東京バレエ団
『くるみ割り人形』モーリス・ベジャール:振付
東京バレエ団が、創立60周年記念シリーズの掉尾を飾って、モーリス・ベジャールが自身の幼少期をファンタジー豊かにバレエ化した『くるみ割り人形』を上演した。チャイコフスキーの三大バレエの一つ『くるみ割り人形』は、クリスマス・イヴに少女クララ(またはマーシャ)が見た夢を描いた古典名作。台本はマリウス・プティパで、振付も着手したが、高齢と病のため、助手のレフ・イワーノフが引継いで完成させた。一方のベジャール版『くるみ割り人形』は、ビムと呼ばれていた自身の少年時代の回想を、亡き母への思慕とバレエへの憧れを織り交ぜて、ファンタスティックな展開で綴った見応えある作品である。
1998年にモーリス・ベジャール・バレエ団(BBL)により初演されたが、東京バレエ団は早くも翌1999年にこれを日本初演した。その際、東京バレエ団のために、ベジャールは自ら日本語で語るナレーションを録音し、さらに、第1幕の終盤でプロのアコーディオン奏者が子供たちに演奏を聞かせるシーンに、"キューピー"の愛称で親しまれた今は亡き東京バレエ団の団長、飯田宗孝を「マジック・キューピー」として起用し、手品で子供たちを楽しませる新たな演出を創出した。ベジャールと東京バレエ団の強い絆を感じさせる作品ということで、クリスマスの季節ではないけれど、バレエ団の記念シリーズを締めくくる演目として選んだように思えた。
© Shoko Matsuhashi
© Shoko Matsuhashi
今回は7年振りの上演で、世界のバレエ団で活躍するダニール・シムキンと、昨年までBBLの芸術監督を務めていたジル・ロマンがケスト出演し、さらにロマンは振付指導も行うということで、注目度は高かった。だが、シムキンは来日後のリハーサルで足に痛みを生じ、残念ながら降板した。
3回公演の初日を観たが、主な役はダブルキャストが組まれていた。少年ビムは池本祥真と山下湧吾、母は榊優美枝と政本絵美。ビムの愛猫フェリックスはシムキンが降板したため宮川新大が3回とも務めた。「M...」は場面に応じてビムの父親に、"バレエの父"と称されるM.プティパに、バレエ教師にもなる狂言回し的な役で、柄本弾と大塚卓が演じた。グラン・パ・ド・ドゥは秋山瑛&生方隆之介と金子仁美&安村圭太のカップル。ジル・ロマンは「マジック・キューピー」に代わり自身が新たに設けた「プティ・ペール」の役で全日出演した。なお、宮川はシムキンが出演する日は秋山とグラン・パ・ド・ドゥを踊る予定だったが今回は見送りになり、代わりに生方が務めた。宮川以外は初役として臨んだダンサーが多かったが、ベジャール作品は踊り慣れているだけに、こなれた舞台が楽しめた。
© Shoko Matsuhashi
冒頭、チャイコフスキーの音楽が始まると、スクリーンにベジャールの映像が映され、「思い出すなあ! クリスマス」と本人が日本語で語るナレーションが流された。生前のベジャールを知る人なら、その声を聴いた途端に懐かしさで胸がいっぱいになっただろう。
クリスマス・ツリーの傍で、寂しそうに一人で遊ぶ7歳のビム。部屋には父親のM...と大好きな猫のフェリックスもいる。亡くなったはずの母が白いスーツ姿でプレゼントを持って現れると、舞台は一転し、ビムの追憶の世界が始まった。短いエピソードが次々と綴られていくが、全体を貫くのは、結婚したいと思うほど好きだった母への思慕と、「僕はバレエと結婚した!」と語るほどのバレエへの情熱である。追憶の描き方は独創性に富み、カラフルで賑やかだ。厳格なバレエ教師の下でレッスンを受けるビムや生徒たち、妹らと楽しんだ『ファウスト』の芝居ごっこ、ボーイスカウトでの合宿、子供のころショーで良く見た髭面のド派手な衣装の光の天使とセクシーな妖精たちなど、場面はめまぐるしく移ろうが、転換を促すのは猫のフェリックスとM...、それと要所で流されるベジャールのナレーションである。
舞台の上手後方に現れた巨大なヴィーナス像に母の面影を感じてビムはよじ登るが、滑り落ちてしまう。その像が回転すると、胎内を思わせる祠(ほこら)の中に聖母子像の絵が現れた。その祠でビムは母と再会し、互いをいと惜しむように柔和なパ・ド・ドゥを展開した。
続く雪のワルツのシーンでは、「プティ・ペール」のジル・ロマンがアコーディオンを携え、ソリに乗って登場した。彼は小さなオーナメントのついた赤い傘を開いて回し、子供たちを庇護するように一緒に戯れ、歯切れのよいジャンプも見せ、ビムにくるみを渡して去っていった。短くても印象に残るシーンだった。
第2幕の原典のお菓子の国は、ベジャール版では「母の日 おめでとう」と掲げられた横断幕から読み取れるように、ビムが母を各国の踊りでもてなす形で進められた。もちろん、随所にベジャール好みの趣向が凝らされていた。ビムが好きだった闘牛を採り入れた「スペイン」、自転車を乗り回す男性にバトンガールを絡ませた「中国」、美女が入った箱に男性が剣を刺す奇術を見せた「アラブ」、男女のパワフルなデュオで印象づけた「ソ連」、「葦笛の踊り」の音楽でフェリックスがみせた鮮やかなソロ、シャンソンにのせて男女が粋に踊る「パリ」と進み、「花のワルツ」では母とビムも踊りに加わった。「グラン・パ・ド・ドゥ」は、M...が「プティパや古典バレエを尊重して、原典の振付けで踊られる}と告げた上で、オリジナルな形のまま端正に踊られた。
場面は冒頭に戻り、クリスマス・ツリーの傍らで目覚めたビムは、母がプレゼントに置いていったヴィーナス像のミニチュアを見つけて喜ぶ。下手に置かれた鏡に映るビムの喜ぶ姿を確かめた母は、鏡の中のビムに向かってそっと手を振り、別れを告げた。たまらなく切ない幕切れだった。ベジャールがこの『くるみ割り人形』を創ったのは71歳の時という。幼い日の記憶と幻想を斬新なスタイルで織り交ぜて、イマジネーション豊かに綴った瑞々しい感性に改めて驚かされた。
© Shoko Matsuhashi
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ビム役の池本祥真は、母やフェリックスとのやりとりや、バレエに取り組むところなど、場面に応じて表現を変え、感受性の鋭い男の子を元気一杯に演じていた。母役を務めた榊優美枝が秀逸だった。白いスーツにヒールの靴、マリンルックで裸足、白の総タイツなど、衣裳を替えながら、母の愛を惜しみなくビムに注ぎ、常にビムを優しさで包み込んでいた。それだけに、幕切れでビムに別れを告げる、寂寥感を滲ませた後ろ姿が忘れ難い。フェリックスの宮川は、前回も演じた役だけにこなれていた。猫の仕草を真似た引っ掻くような手の動きや飛び出すようなジャンプなど、楽しんで演じているようで、ビムとのやりとりにはコミカルな味も出していた。M...は柄本弾。プティパやバレエ教師、父親も兼ねる難しい役だが、柄本は厳格さで存在感を示し、足先まで力をこめた鋭いジャンプを披露してみせた。クライマックスの「グラン・パ・ド・ドゥ」を踊ったのは秋山瑛と生方隆之介。黒いチュチュの秋山は一つ一つのパを丁寧に繋いで典雅に舞い、生方は次第に調子を上げ、端正な演技をみせた。各国の踊りでは、「アラブ」の沖香菜子が、しなやかな動きに妖艶さを匂わせていたのが印象に残った。
もう一度触れたいのが、ジル・ロマンが演じた「プティ・ペール」。名付け親のことで、「精神的親としてその子の成長を見守り、助ける」と説明されていた。「マジック・キューピー」に代わる役として「プティ・ペール」を登場させたのは、飯田宗孝が東京バレエ団にとって、まさしくプティ・ペールのような存在だったと感じたからのようだ。さらには、ロマンは、この役を通じて自分は東京バレエ団を見守り続ける、と伝えているようにも思えた。確かに、短くてもインパクトのあるロマンのパフォーマンスだった。カーテンコールでロマンが現れると、盛大な拍手が送られた。今回の公演だけではなく、40年近く日本で見せてきた舞台やBBLでの功績を称えての拍手に違いない。東京バレエ団とベジャールの繋がりの強さを改めて思い起こさせた公演だった。
(2025年2月7日 東京文化会館)
© Shoko Matsuhashi
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