ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Tokyo <東京>: 最新の記事

From Tokyo <東京>: 月別アーカイブ

佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2011.11.10]

ギエムの演技が輝いた『田園の出来事』とワイルドなダンスで圧倒した『アジュー』

〈シルヴィ・ギエム・オン・ステージ2011〉〈HOPE JAPAN TOUR〉
シルヴィ・ギエム、マッシモ・ムッル、東京バレエ団

〈Aプロ〉フレデリック・アシュトン振付『田園の出来事』/ケネス・マクミラン振付『マノン』より第1幕のパ・ド・ドゥ/セルジュ・リファール振付『白の組曲』ほか

[東日本大震災復興支援チャリティ・ガラ]の特別公演に続き、東京ではAとB、2種のプログラムが上演された。Aプロでギエムが踊ったのは2つの〈愛の物語〉。マクミランの『マノン』より“寝室のパ・ド・ドゥ”では、机に向かうデ・グリューに甘えて悪戯っぽく絡むマノンの仕草が可憐で、リフトされてしなやかに身体を反らせる姿には幸福感の極みが感じられた。デ・グリュー役のマッシモ・ムッルは、マノンの魅力に抗えずに踊り始め、滑らかに彼女をリフトし流動感あふれるデュエットを展開。二人が抱き合うシーンは、情熱的な愛の発露というより、今回は、互いに離れまいと愛を慈しむようにも感じられた。

tokyo1111c02.jpg 『田園の出来事』photo:Kiyonori Hasegawa

もう一つは、ツルゲーネフの戯曲を下敷きにしたアシュトンの『田園の出来事』。上流家庭の別荘を舞台に、美しいナターリヤ夫人と、息子の家庭教師に雇われたベリヤエフとの許されぬ愛と別離を、初老の夫イスライエフの悲哀や、ベリヤエフに憧れる養女ヴェラとの確執、ナターリヤを慕う友人ラキティンの存在を絡めて、ひと夏の出来事として詩情豊かにダンスで綴った珠玉の作品である。何よりも、ナターリヤになりきったギエムの演技が、揺れ動く心の内を繊細に伝えて感動を誘った。ギエムの立ち振る舞いからは優雅さや気品が匂い立ち、良き妻・良き母として幸せな家庭を築いていることをうかがわせたが、一抹の愁いも感じさせた。青年ベリヤエフが加わったことで、すべては一変する。マッシモ・ムッルが演じるベリヤエフは颯爽として清々しく、ナターリヤへの募る思いをストレートに表現。ギエムも、ベリヤエフに惹かれる心と抑制しようとする葛藤や、燃え上がる彼への思いをきめ細かく表現した。実際、一つ一つの動きがセリフとなって聞こえてくるようだった。二人による、高揚する心を伝えるパ・ド・ドゥが素晴らしかった。
ヴェラを演じた小出領子は、ベリヤエフへの一途な気持ちを初々しく踊りにこめた。その一方、彼と義母ナターリヤの仲に気付いて義母に向けた憎悪の眼差しは、ナターリヤが思わずヴェラに平手打ちを食わせてしまうほど凄みがあり、ギエムと互角に渡り合っていた。イスライエフ役のアンソニー・ダウエルは円熟の演技で、妻と家庭教師の仲を知って衝撃を受けながら、全身に苦悩を滲ませて耐える姿が忘れ難い。息子コーリア役の松下裕次は、高いジャンプや素早い開脚など高度の技を見事にこなし、天真爛漫な男の子を好演した。音楽はショパン。モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の〈お手をどうぞ〉の主題による心を弾ませるような変奏曲や、高揚する心や切ない胸の内を奏でるようなポロネーズを使用した選曲の妙にも、改めて感心した。また、ナターリヤとベリヤエフの互いに心を残しながらの別れを、一輪の花に託した幕切れの演出も余韻を残した。

tokyo1111c05.jpg 『白の組曲』photo:Kiyonori Hasegawa

ほかに、東京バレエ団によるリファールのシンフォニックな『白の組曲』が上演された。幕開けの、整然とした群舞のフォメーションの美しさには息を呑んだ。女性は白いチュチュ、男性は白の長袖シャツに白または黒のタイツと、白と黒で統一した洗練された舞台である。古典的な精緻さが要求される作品で、セレナードの小出領子やシガレットの田中結子、アダージュの上野水香と柄本弾、フルートの西村真由美が手堅く踊り、プレストの男性5人のアントルシャも楽しませた。また、ノイマイヤーの『スプリング・アンド・フォール』よりのパ・ド・ドゥでは、吉岡美佳が高岸直樹の好サポートを得て、全身に情感を漂わせ、抒情的なデュエットを紡いだ。
(2011年10月26日 東京文化会館)

tokyo1111c01.jpg 『田園の出来事』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c03.jpg 『マノン』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c04.jpg 『スプリング・アンド・フォール』
photo:Kiyonori Hasegawa

〈Bプロ〉マッツ・エック振付『アジュー』(Bye)/ウィリアム・フォーサイス振付『リアレイ』/モーリス・ベジャール振付『春の祭典』ほか

Bプロでは、トゥシューズを脱いだギエムが、鬼才ウィリアム・フォーサイスとマッツ・エックが彼女のために振付けた新作を日本初演するというのが話題で、東京バレエ団によるベジャールとイリ・キリアンの作品を含めた4演目で構成されていた。
幕開けは、人間の獣性や欲望、闘争心を描いたベジャールの『春の祭典』。東京バレエ団が繰り返し上演してきた自信作である。男性陣のみの前半で、生贄に選ばれた恐怖や心の動揺を全身でストレートに表現した長瀬直義に対し、後半の女性陣で、手で顔の半分を覆って心の内を隠しながら、胸郭を大きく振幅させて踊る吉岡美佳は、生贄に定められた運命を受け入れる崇高さを漂わせて対比を成した。群舞も迫力があったが、ダンサーが入れ替わったせいか、動きの質がやや異なる踊り手もいたようだ。上演を重ねれば解決されるだろう。

次はフォーサイスの『リアレイ』。7月にロンドンで初演されたが、東日本大震災はこの制作中に起こったという。フォーサイスとギエムは、『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』以来、24年振りのコラボラーションだそうだ。がらんとした舞台で、半袖のTシャツにパンツというラフな衣裳のギエムとマッシモ・ムッルが、二人で、また一人で踊る短いシーンを連ねた作品。薄暗い照明で踊る姿が闇に吸いこまれ、また浮かび上がるといった具合で、二人の腕が描く軌跡が美しい残像を結んだ。だが照明が総じて暗いため、身体を精密な機械のように操るスピード感あふれるムーヴメントは、ぼんやりとしか見えなかった。続いてキリアンの『パーフェクト・コンセプション』が上演された。逆さに吊るされた枯れ木、舞台上空で大きく回転するライト、四角いチュチュなどが暗示的な作品で、田中結子、川島麻実子、松下裕次、宮本祐宜により踊られた。皆、振りは巧みにこなしていたものの、作品の奥深さまでは伝えきれていないような印象を受けた。

最後を飾ったのは、昨年初演されたエックの『アジュー』(Bye)。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番の第2楽章にのせて踊るギエムのソロである。後方にドアのようにセットされた縦長のスクリーンにギエムの片目が大写しになり、やがて顔全体、全身が映される。手や顔など身体の一部がスクリーンからはみ出ると、その部分を補うようにスクリーンの後ろからギエムが手や顔をのぞかせる。モノクロの映像と実際のギエムとのコントラストが面白い。スクリーンの後ろから現われたギエムは、髪を三つ編みにし、ブラウスとスカートにカーディガンをはおり、赤いソックスに靴と、何ともダサイ格好をしている。ポゴレリッチの個性的な演奏に触発されたように、思い切りよく脚を振り上げ、背を反らし、束縛から解き放たれたようにワイルドに踊った。カーディガンを脱ぎ、裸足になると、奔放さも増し、強靭な身体性が際立った。それはバレエが希求する美の規範とは対極的と思えるような、逞しくて荒削りで、根源的なエネルギーに満ちていた。一切の虚飾を排して、生々しく自分をさらけ出せるギエムは、アーティストとしてさらなる深みを加えたようにも感じられた。照明が床を四角く切り取ったり、円形に広がったりと様々に変化したのも、人生の様々なステージを示唆するようで効果的だった。最後、スクリーンに行き交う人々が映し出されると、ギエムもその映像の中に入り込み、客席のほうを一瞥し、やわらかな表情を浮かべて去っていく。その姿は、過去の自分をいとおしみながら別れを告げ、新しい自分を探し求めて歩み出そうとするように感じられた。『アジュー』を経て、ギエムはどう進化するのか、それを期待させる舞台だった。
(2011年10月30日 東京文化会館)

tokyo1111c06.jpg 『春の祭典』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c09.jpg 『パーフェクト・コンセプション』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c08.jpg 『リアレイ』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c10.jpg 『アジュー』
photo:Kiyonori Hasegawa
tokyo1111c11.jpg 『アジュー』
photo:Kiyonori Hasegawa