ウィル・タケット演出・振付『イノック・アーデン』に出演する秋山瑛にきく「クラシックバレエとは違うアプローチで自分の表現の幅を広げるために日々模索しています」
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インタビュー=香月 圭
3月7日(金)~3月16日(日)、新国立劇場 小劇場で『イノック・アーデン』が上演される。原作は、イギリスの桂冠詩人アルフレッド・テニスンが1864年に著したドラマ性の高い物語詩で、夏目漱石も絶賛している。偶然にも、この年に生まれたリヒャルト・シュトラウスが、テニスンの詩に音楽的韻律美を感じ取って、同名の朗読劇を1890年に作曲した。
演出・振付は英国ロイヤル・バレエ出身でオリヴィエ賞受賞のウィル・タケット。新国立劇場バレエ団『マクベス』、天海祐希とアダム・クーパー主演による世界初演『レイディマクベス』、2025年12月末には新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』の新制作が予定されるなど、日本国内での演出振付作品も多く手がける。
リヒャルト・シュトラウスの『イノック・アーデン』は、従来、一人語りで上演されてきたが、今回、原田宗典の翻訳によるテキストを読み、語るのは、ミュージカルで活躍する田代万里生とドラマ『北の国から』などで知られる国民的女優、中嶋朋子の二人となる。さらに東京バレエ団より、秋山瑛(プリンシパル)と生方隆之介(ファーストソリスト)、南江祐生(セカンドソリスト)が加わり、ダンスで物語に深みを与える。ピアノ演奏は、米サンフランシスコ・クロニクル紙で「傑出したピアニスト」と称賛され、アメリカを拠点に活動する櫻澤弘子。言葉と舞踊、ピアノの音色が融合した新感覚の舞台に、期待が高まる。
ヒロインのアニー・レイをダンスで演じるのは秋山瑛。令和5年度(第74回)芸術選奨 文部科学大臣新人賞を受賞し、日本のトップバレリーナとして活躍を続ける彼女に、今回の新たなジャンルへのチャレンジについて話をきくことができた。
――『イノック・アーデン』への出演が決まったとき、どのように思われましたか?
photo NBS / The Tokyo Ballet
衣裳提供:チャコット株式会社 キャミソールレオタード
お問い合わせ:0120-155-653
秋山 演劇とピアノにダンスという組み合わせは、私自身もこれまで観たことがあまりなく、演じたこともなかったので、最初は期待する気持ちのほかに、どんな感じになるのかなという不安も少しありました。
――秋山さんはアニー・リーという女性を演じます。幼なじみの2人の男性イノック・アーデンと結婚しますが、彼が長い航海に出たまま帰って来なくなると、フィリップ・レイのアプローチを受け、彼の愛を受け入れるか悩む姿が描かれます。このドラマチックな物語に対して、どのような感想をお持ちになりましたか。
秋山 このお話が決まってから、アルフレッド・テニスンの原作を読ませていただいたのですが、最初の感想は、登場人物が皆辛い目に遭い、悲しく切ないお話だと思いました。アニーについても、初めから共感する部分が多いな、演じやすそうだな、と感じるより先にこの女の人はどんな人なんだろうという気持ちが先に来ました。バレエ作品でも悲劇が多いせいか、ふだん、映画を観るときには、ハッピーエンドの話しか観たくないというタイプでこれまでずっと来たくらいでしたが、リハーサルが始まって物語が進むにつれてただ悲しいお話というだけではなく、その中にある愛とか義務とかその人なりのその時々の最善の選択とかそういうものが積み重なってそれぞれの人生になるんだなと。
たくさん考えさせられるし、自分にとっての当たり前が当たり前なのか、ということや大切な人との関わり方を私自身に問いかける機会を与えてくれる作品だなと思いました。
――アニーがたどった、過酷とも思える人生について、どのように思われましたか。
秋山 イノックがアニーのもとに戻ってこないまま10年の年月が流れ、アニーのことをずっと想っていたフィリップからプロポーズされたとき、アニーはイノックのことが好きだったはずなのに、はじめは何でOKしたのだろうかと思いました。現代に生きる私は、19世紀のイギリスの漁村で暮らしていた当時の人々についての理解がまだまだ足りず、このドラマを表面的に捉えていただけかもしれません。フィリップとイノックの性格は正反対ですが、どちらも違う魅力を持っていて、男女の壁がない子どものときは、アニーが「私は2人のお嫁さんになるから喧嘩しないで」と言えるぐらい、いつも一緒にいる3人組で、彼女にとっては多分、どちらかを選べと言われても、選べないくらい仲が良かったのではないかなと思います。3人が成長して、アニーがイノックからアプローチを受けたときに、彼女は彼に惹かれる気持ちがあってイノックと結婚したのだと思います。でもリハーサルが始まり実際にお稽古をしていくなかで、貧困の中での子育てや子供との死別、自分を取り巻く環境が変わっていく10年という年月の中で彼女の心や選択が変わっていくということも理解できるなと感じています。
稽古場にて、秋山瑛、ウィル・タケット 撮影:井野敦晴
――ウィル・タケットさんをお迎えしてのリハーサルでは、物語の最初の部分から創っていらっしゃると伺いました。タケットさんの振付を実際踊ってみて、どのように思いましたか。
秋山 ウィルさんとお仕事させていただくのは初めてですが、音楽に敏感で、音楽をすごく大切にされているな、と感じます。セリフは日本語なので、日本語のリズムやイントネーションといった日本語の音の流れも振付の中に組み込んで、振り付けされているように思います。セリフに加えて、ピアノの音楽とも踊りがぴったりと合います。
彼の創作スタイルは「皆にこうしてほしい」と決めるのではなく、一緒に作っていくという感じです。もちろん振付はしてくださったうえで、はじめに「こういうふうに動いてほしい」とご自身の希望を伝えてくださいますが、私たちが実際に踊ってみる様子をご覧になって「それはとてもいいから、振付に取り入れてみよう」と言ってくださったりします。キャラクターの表現の仕方についても、決めすぎずに、私達から自然と引き出されるように、ウィルさん自身が導いてくださっています。
――タケットさんからアドバイスを受けた中で、印象に残っているものはありますか。
秋山 ウィルさんが話してくださる作品についての、彼なりのとらえ方や、登場人物に対する彼自身の考えをお伺いすることは、アニーの人物像を見つけることにおいて、とても役に立っています。今、ポワントを履いてクリエーションしていますが、ウィルさんからは「もっと大きく動いていい。体の稼働域をもっと大きくしていいよ。足を出すときも、歩幅を大きくして、全体的にもっと大きく出してほしい」と言われました。それを試してみたら、音楽と合わせるときにも、自分の表現の幅が広がったように感じました。ウィルさんにアドバイスをいただいてやってみると自分の身体はもっと大きく使えるし、それによって表現できることの幅も広がるなと思います。このような一つ一つの気づきが、自分にとっての学びとなっています。
photo NBS / The Tokyo Ballet
衣裳提供:チャコット株式会社 キャミソールレオタード
お問い合わせ:0120-155-653
――『イノック・アーデン』では、子供時代から父親・母親になるまでの長い人生を演じます。
秋山 物語は幼少時代、そして青年期にはイノックと結婚して子宝に恵まれるも、その後、彼が長い航海に出たきりアニーのもとになかなか戻らず、10年後にイノックが生きていたという展開になります。これらの長い年月を短い時間で語っていくのですが、今演じているのは、どの年代のアニーなのかということを、クリエーションの際に自分なりに把握して臨みたいと思います。例えば、あるシーンでは、アニーは母親になっているので、イノックとフィリップに対して、幼い頃とは異なる心情を持つようになっているのではないか、と想像力を膨らませて臨みます。恐らく、ふだんのバレエの舞台よりも、演じる人物の性格や彼女をとりまく状況を、より繊細に意識して演じることになるのではないかと思います。
舞台上では1分間というわずかな時間の推移かもしれませんが、ドラマの上で何年間か経過している場面では、年月が流れたのだということを自分自身も分かったうえで、観てくださる方々にも理解していただけるように表現したいと思います。
冒頭の子供時代では、アニーはこの後に待ち受ける、イノックとフィリップの狭間での悲劇は知らないで幸せに過ごしています。彼女がイノックと結婚して赤ちゃんができたときも、この後にイノックが怪我することも想像すらしていないですし、イノックが彼女の前から姿を消してしまうことも、この時点では知らないわけで、彼女の人生の一瞬一瞬を新鮮な気持ちで生きていきたいと思います。
――東京バレエ団からは、生方隆之介さんがフィリップ役を、南江祐生さんがイノック役を演じます。
秋山 隆之介くんと祐生くんとは、ふだん仲良しなので、幼なじみという関係性が近い役を、今回のように二人と時間をかけて創ることは、やり易いのではと思っています。
――フィリップは引っ込み思案な性格で、アニーへの思いを長年秘めており、後半で彼女の人生に再び深く関わるようになるという役ですね。生方さんとは、最近ではベジャールの『くるみ割り人形』のグラン・パ・ド・ドゥでも素晴らしいパートナーシップを見せてくださっています。今回、このようなモノローグドラマで再び共演されることを、どのように感じていますか。
秋山 私に遠慮することなく、気づいたことは何でも言ってくれます。彼自身も探究心が豊かで、自分が気になったことや、知りたいと思ったことを、妥協しないで突き詰められるダンサーです。 一緒に踊るときも「何となくできているから、これでいいか」という感じではなく「もっと良くするためには、こうしていこう」ということを面倒くさがらずに一緒にやってくれます。
『ロミオとジュリエット』のときは、隆之介くんがパリスで、私はジュリエットだったのですが、今回は、そのときよりも彼と一緒に舞台上で過ごす時間が長い役ですし関係もより複雑なので、彼との新たな関係性をこの作品で作り上げていくのが楽しみです。隆之介くんがどのようにフィリップを演じるのか、彼の新しい一面が見られそうでもあり、すごく楽しみにしています。
稽古場にて、生方隆之介、ウィル・タケット 撮影:井野敦晴
稽古場にて、秋山瑛、南江祐生、ウィル・タケット 撮影:井野敦晴
――南江祐生さんについてはいかがですか。
秋山 祐生くんは、一度、東京バレエ団から離れて、カザフスタンのアスタナ・バレエ団で活動した後、東京バレエ団に再び戻ってきたときに、びっくりするくらい大人になっていました。ダンサーとして、技術が向上したのはもちろんですが、海外での生活で、いろいろな経験をしたのだろうなと思います。祐生くんは、私が初めてジュリエットを演じたときのパリス役で、ほかには『ザ・カブキ』の塩冶判官のイメージも強いです。パリスも塩冶も心の中に青い炎を燃やしているような役で、海の男みたいなワイルドで型にはまってないようなイノック役を、祐生くんがどのように演じるのか楽しみです。彼は優しくて、愛情深いのと同時に自分の信念を貫く強さも持っていると思います。イノックが10年たって帰郷したものの、アニーがフィリップと築いた新しい家族の生活を壊したくないため、それを周囲に言うまいと決意する場面では、祐生くんから滲み出るものとイノックのキャラクターが合わさって本当に切ない苦しい気持ちになります。
photo NBS / The Tokyo Ballet
衣裳提供:チャコット株式会社 キャミソールレオタード
お問い合わせ:0120-155-653
――リヒャルト・シュトラウスの音楽は、ピアニストの櫻澤弘子さんが演奏されます。
秋山 弘子さんとは、稽古場でご一緒させていただいており、毎回、生で弾いてくださるのですが、それは素晴らしい演奏で感謝しております。「アニーは今、こういう気持ちだよ」とウィルさんが説明しながら振り付けてくださるのですが、彼女が弾いてくださるシュトラウスの音楽が加わると、自分でこういうふうに演じようと考えて無理やりその心情に持っていく必要がなく、音楽とセリフの力に自然と助けられて、スムーズにその場面に入れるのです。彼女が奏でる音楽を聞いているだけで、登場人物が感じているような切ない感情や、そのときの情景がすっと頭に浮かんできます。弘子さんはいつも「何かやりにくいことがあったら、何でも言ってくださいね」とおっしゃってくださって妥協せずいいものに向かって創りあげる過程をご一緒できて幸せです。これまで、シュトラウスの音楽で踊る機会がなかったので、今回の舞台でその機会に恵まれてとても嬉しいです。物語の後半では、ウィルの振付と俳優さんたちのセリフにどのように音楽が組み合わさっていくのか、今から楽しみにしています。
――今回の舞台では、田代万里生さんと中島朋子さんが朗読を務めます。
秋山 朗読する俳優のお二人は歩き回ったり、ベンチに腰掛けたり、私たち踊り手がいるところにやって来て、語りかけるシーンもあります。お二人はナレーションの部分とセリフについて、ウィルさんと話し合って、楽譜と照らし合わせながら「このセリフは誰々に言ってもらおう、いや、やはり君に読んでもらおう」と、その場で担当の台詞を変更したり、音楽との合わせ方や立ち位置や間の取り方、読み方を試したり1番いいものを探しながらダンサーと役者全員が絡み合って、一つの舞台を創り上げています。お二人の語りの力で自分だけでは見つけられなかったアニーの感情を引き出していただいたり、新しい気付きををいただいてイノック・アーデンの物語に没入させていただいています。
――この公演を楽しみにしている方々へ、メッセージをお願いします。
秋山 お稽古の映像を毎回確認するのですが、ウィルさんの組み合わせるセリフと音楽と踊りが違和感なく融合した演出が素敵です。演劇が好きな方はもちろん、バレエや音楽が好きな方、そしてテニスンの原作を読まれる方など、幅広い方々に楽しんでいただける作品だと思いますので、ぜひ劇場にお越しください。
『イノック・アーデン』
2025年3月7日(金)〜16日(日)
新国立劇場 小劇場
原作:アルフレッド・テニスン
作曲:リヒャルト・シュトラウス
翻訳:原田宗典
演出・振付:ウィル・タケット
出演:田代万里生 中嶋朋子
秋山瑛 生方隆之介 南江祐生(東京バレエ団)
演奏:櫻澤弘子
公式HP:https://tspnet.co.jp/enoch/
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