ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2010.12.10]

マーラーの『大地の歌』を巡って三つの別れを創ったケースマイケル

Anne Teresa De Keersmaeker & Jérôme Bel "3Abschied"
アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ジェローム・ベル
:コンセプト『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』
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アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルがフランスのダンサー、振付家のジェローム・ベルとともに、グスタフ・マーラーの大作『大地の歌』の最終楽章「告別」に取り組んだ『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』が上演された。
マーラーが9番目の交響曲と歌曲からなる『大地の歌』を作曲したのは、亡くなる3年前のこと。長女の死や作曲家自身の心臓病、ウィーン歌劇場音楽監督の辞任とメトロポリタン歌劇場との契約など人生の重要な出来事が重なった時期だった。
ベートーヴェンやブルックナーが9番目の交響曲を作曲した後に亡くなっていることから、マーラーはこの宿命的な番号を避けた、と言われている。
1921年アーノルド・シェーンベルクが13人(原曲は80人のオーケストラ)の小編成の編曲にとりかかり、後にライナー・リーチンが完成している。

まず、13人の楽団員と指揮者が登場し、下手ではケースマイケルがCDと客電をコントロールして、マーラーの『大地の歌』の最終楽章「告別」のCD を会場に流す。
曲が終わるとケースマイケルが舞台中央に現れ、日本人の演奏家を通訳に指名。この曲を歌った歌手は癌に侵されていて、自身の別れの気持も込めて歌った歴史的名盤であるといった説明を行う。
そしてケースマイケル自身はこの曲と出会って魅了され、自分で歌おうとして教師を捜す。しかしそのチャレンジは「昨日歩くことを覚えた人がエベレストに登ろうとするようなもの」と言われて断念。次にはダンスにしようとしたが、バレンボイムから「この曲は世界で最もダンスにしてはいけない、ダンスを越えた死を受け入れる曲だから」と言われる。そこでケースマイケルは、ジェローム・ベルの力を借りることにしたといった説明を、観客の前で軽いユーモアを混じえながら率直に語った。さらに当日配布のプログラムに掲載されている「告別」の歌曲の訳詞を観客が読む時間を待った。この曲の歌曲の詩は、中国の唐代の李白などの詩を集めて翻訳編成した『中国の笛』に基づいて全6楽章で構成されているが、今回使われている最後の楽章は、孟浩然と王維を詩に手を加えたものである。

そしてシェーンべェルグが13人の編成に編曲した「告別」が演奏され歌手が歌った。演奏中にケースマイケルは楽団員の間を縫うようにして踊った。これが第1の「別れ」である。
次に客席からジェローム・ベルが登場。同じ通訳を使って彼は演出のコンセプトを、ハイドンの『告別交響曲』の演奏の終わった順に楽団員が次々と舞台から消えるというパフォーマンスを援用したと説明。そして実際に演奏が終わると、ホルンを奏でていた若い美女が最後に残って余韻嫋々と絶え入るようにメロディを奏でて舞台を去り、無人の舞台が観客に晒された。
それが二つ目別れと思えたのだが、再びベルが舞台に登場し、「今のはちょっとおもしろすぎた」とか言って、今度は演奏が終わると次々死んでいく、というのを見せようと言う。ということは13人が死んでいく順番を私は知っている、あの美女の死に際をみるのもいい、と思ったが、見事に順番は変えられていた。演奏が終わった後、指揮者を含めて14人の死体が舞台上にランダムに並んだ有り様は、なかなか見応えのある別れの光景ではあった。
そして最後はピアノ奏者とケースマイケルだけが舞台上に残って、最後の別れが始まった。
するとケースマイケルは、なんと歌い始めた! エベレストにチャレンジし始めただけではない、ソロで踊る。こうして彼女はバレンボイムにも挑戦状を叩きつけた。歌いながらピアノ付近で踊った。そして最後は床上に残された団員たちの椅子や譜面台をおしやってスペースを創って踊った。そしてついには彼女は背景の闇へと消えた。孤独な<別れ>だったのだろうか、満ち足りた<別れ>だったのか。
 

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私はケースマイケルが1989年に初来日し、じつに斬新だった『ミクロ・コスモス』を上演して、大いに人気を博した時のことをよく覚えている。当時はじつにナーバスで未だ少女の面影を残す女性で、ジャーナリストを避け、カメラを向けられないように控え目に行動していた。
そのケースマイケルが今、死を受けれるダンスについて観客に語りかけ、苦慮しつつ創っているのだから、時の流れ、というよりも20年を一気にワープしたかのようでもあり、いささか感慨が深かった。

最後の<別れ>では、まるでグラデーションのようにケースマイケルの身体は舞台の闇の中に薄らいでゆき、やがて生命とともにその身体が消えていく。彼女は生命を身体と一体として捉えており、魂は身体とともに消滅していく、とほとんど疑ってもいないかのように見えた。
しかし私たちは、死とは土に還ること、とどこかで思っていないだろうか。身体は自然の力によって解体され、やがて土に還る。火葬に付されても生命そのものには質量はないから、身体が解体されるとさらに別の何かに宿る。そうして生命は循環していく、ということが私たちの死生観になっているのではないだろうか。
ケースマイケルの<3つの別れ>を観て、私はそんな印象も持った。

21世紀に入ってベジャール、カニングハム、そしてついにはピナ・バウシュまで鬼界に入った。舞踊家にとって自身の創作活動と迫りくる死とどう折り合いをつけるかは、極めて重大な問題だろう。未だ若く作品には勢いがあるケースマイケルが、マーラーの<告別>と格闘する姿には、残されたものの孤独と新しいパースぺクティブへの希求が浮かび上がった。
(2010年11月6日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

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Photos:(C)南部辰雄
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