役に取りくむダンサーたちの真摯な姿勢、高いレベルの群舞の美しさ、完成度の高い舞台だった東京バレエ団『ラ・シルフィード』
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ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
東京バレエ団
『ラ・シルフィード』ピエール・ラコット:振付

© Shoko Matsuhashi
東京バレエ団が、ピエール・ラコットがフィリッポ・タリオーニの原案に基づき振付けたロマンティック・バレエの名作『ラ・シルフィード』を5年振りに上演した。空気の妖精ラ・シルフィードと人間の青年ジェイムズの哀しい恋を描いた幻想的な作品で、東京バレエ団では1984年の初演以来、繰り返し上演してきた自信作の一つである。現団長の斎藤友佳理は、かつてラコットから直接指導を受けてタイトルロールを踊り、海外でも称賛を浴びた。また、モスクワ音楽劇場では作品の振付アシスタントを任されるなど、ラコットから厚い篤い信任を得ていた。それだけに、斎藤団長にとっては特に思い入れの深い作品である。公演は2回。主役のシルフィードとジェイムズは、初日は前回もそれぞれこの役で卓越した演技をみせた沖香菜子と宮川新大で、2日目はこのところ進境目覚ましい秋山瑛と生方隆之介だった。初日の公演を観た。
ロマンティック・バレエの傑作『ラ・シルフィード』は、1832年パリ・オペラ座で、シュナイツホーファーの音楽、フィリッポ・タリオーニの振付、娘のマリー・タリオーニの主演で初演された。当時はまだ珍しかったポワントを美しくこなしたマリーの演技が注目され、ロンドンやサンクトペテルブルクでも公演を行い人気を博したが、その後、上演は途絶えてしまった。このタリオーニ版を詳細な資料を基に復元したのがラコットで、1972年にパリ・オペラ座バレエ団で発表して評価を得た。なお、『ラ・シルフィード』にはオーギュスト・ブルノンヴィルによる版もある。パリでタリオーニ版を観て感銘を受けたブルノンヴィルが、自身がメートル・ド・バレエを務めるデンマーク王立劇場で上演しようとしたが、音楽の使用が許可されなかったため、レーヴェンスョルドに作曲を依頼し、自身の振付で1836年に初演した。こちらは途絶えることなく上演され続けている。

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『ラ・シルフィード』第1幕の舞台はスコットランドの農家の一室で、ジェイムズとエフィーの結婚式の日という設定。幕開き、暖炉のそばの椅子でタータンチェックのキルトスカートをはいたジェイムズ(宮川新大)がまどろんでいる。その姿をうっとりと見つめるシルフィード(沖香菜子)の何ともいえない優しい表情が印象的だった。花冠を被り、背中に孔雀の羽をつけた白いロマンティック・チュチュのシルフィードが軽やかに飛び回る様は、空気の精そのもの。シルフィードがジェイムズの顔に悪戯っぽくキスをすると、ジェイムズは目を覚まし、シルフィードに気付いて捕まえようとするが、シルフィードは逃れるように暖炉の中に消えてしまう。目の前で起こったことが現実なのか戸惑いつつ、シルフィードに惹かれていくジェイムズを宮川は自然体で伝えていた。
エフィーがジェイムズの母や友人たちと一緒に入ってきて結婚式の準備が始まる。エフィーの三雲友里加は幸せ一杯といったふうに、浮き立つ気持ちでジェイムズと踊るが、ジェイムズはシルフィードが気になり、時々、上の空になってしまう。ジェイムズの友人ガーンはエフィーへの秘めた愛を断ち切れず、募る想いを伝えようと試みる。そんな強引で抜け目のないガーンを樋口祐輝は好演。不穏な空気も感じられる中、照明が暗くなり、ジェイムズとエフィーの踊りにシルフィードが絡み、3人で踊られる"オンブル"が始まった。ジェイムズとエフィーが繋ぐ手の間にシルフィードが割って入り、ジェイムズがエフィーと自分とを交互にサポートするよう仕掛けるなど、息詰まる展開が続いたが、シルフィードの姿がジェイムズにしか見えないことも緊張感を増幅した。
シルフィードに惹かれていく自分を制しきれないジェイムズ、ジェイムズに異変を感じつつも信じようと懸命なエフィー、ジェイムズの心を捉えようと必死な想いのシルフィードと、三者三様の乱れ惑う心の内をそれぞれが繊細に伝えていた。続くヴァリエーションで、ジェイムズの宮川は強靭なジャンプをこなすなど、抑えていた感情をほとばしらせるように見事な技を披露。対照的に、エフィーの三雲はいかにも女性らしい、しなやかな身のこなしを際立たせた。シルフィードの沖はさらに柔らかで軽やかなステップで妖精らしさを醸していた。

©Shoko Matsuhashi

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魔法使いマッジを演じたのは柄本弾。自分を追い出そうとするジェイムズを無視し、手相占いで娘たちを一喜一憂させた。エフィーが手を差し出すと、ジェイムズとは幸せにならないと告げ、ガーンの手相を見て、エフィーと結ばれるのはガーンだと予言した。マッジは怒り狂うジェイムズに追い払われるが、柄本の鋭い眼光やトゲのある仕草からはジェイムズへの激しい敵意が伝わってきた。シルフィードが一人になったジェイムズのもとに現れ、彼の結婚を嘆き悲しむと、ジェイムズの心は再び揺れた。
やがて祝宴が始まり、エフィーや友人たちと踊るジェイムズだが、時々近くに現れるシルフィードに気を取られてしまう。エフィーに渡す結婚指輪をシルフィードがジェイムズの手からかすめ取って去ると、ジェイムズは慌てて後を追って出て行った。悲嘆にくれるエフィーにガーンがすかさず求婚するところで第1幕は終わる。なお、ここで披露された友人たちの素朴な味わいの群舞は舞台に彩りを添え、中川美雪と池本祥真の端正なパ・ド・ドゥも見応えがあった。
第2幕は、奥深い森の中でマッジが喜々として呪いのベールを大釜で煮て作るシーンで始まった。マッジは年老いた魔法使いという設定だが、ここでの柄本は背筋を伸ばし、猛々しく動き回り、ジェイムズへの憎悪の念を体現していた。場面は一転、シルフィードが住む森の世界になる。シルフィードの仲間たちが宙吊りで木々の間を飛び交い、また親し気に集い踊る様は幻想的で、異次元の美しさに満ちていた。シルフィードの沖は、自分を追いかけてきたジェイムズの前で爽やかに飛び回ったが、柔らかい腕の動きや繊細なつま先の表情、重みを感じさせない跳躍など、どれも素晴らしかった。ジェイムズの宮川は、ここでも鮮やかな脚さばきをみせ、跳躍の妙技も披露した。
ジェイムズはシルフィードを捕まえようとしても逃げられてしまうので苛立ちを募らせ、かつて追い払ったことも忘れて、マッジにシルフィードを繋ぎとめる方法を聞く。マッジは呪いをかけたベールを渡し、それをシルフィードに巻き付けるよう教えた。ジェイムズは何も疑わずに、もらったベールをシルフィードの身体に巻き付けると、彼女は苦しみ始め、背中の羽が抜け落ちて力を失っていった。ジェイムズの腕の中で息絶える前に指輪を返すシルフィードの切ない想いと、ジェイムズのシルフィードへのこみ上げてくる想いが響き合い、哀しみを誘った。

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シルフィードの亡骸が仲間たちによって天上へ運ばれていくシーンは、シルフィードの魂の救済を思わせた。再び現れたマッジにジェイムズが怒りをぶちまけると、マッジは勝ち誇ったように、木立の向こうに見える、花嫁姿のエフィーとガーンと友人たちの一行を指差した。すべてを失ったことを悟ったジェイムズが気を失って倒れるところで幕は閉じられた。
沖と宮川の演技は、繰り返しになるが、的確で申し分なかった。エフィーの三雲は、喜びや戸惑い、悲しみなどの振幅の大きい感情をシーンに応じて素直に表現していた。ガーンの樋口は、踊りの見せ場には欠けるものの、癖のある役を自在に演じていた。特筆すべきはシルフィードたちの群舞で、たおやかに身体を操り、そよ風のように軽やかに飛ぶ。滑かな腕の動きや繊細な指先の表情が愛らしく、優しさにあふれた、ぬくもりのある情緒を醸していた。
5年振りの公演だったが、それぞれの役に取りくむダンサーたちの真摯な姿勢が見て取れ、バレエ団が誇りにする高いレベルの群舞の美しさも確かめられた。今回も完成度の高い舞台だった。
(2025年11月2日 東京文化会館)

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