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ロシアやベルリンで踊るダンサーたちの新鮮なパフォーマンスが楽しかった「Ballet Musesーバレエの美神 2025ー」

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

「Ballet Musesーバレエの美神 2025ー」

2023年に続いて「Ballet Musesーバレエの美神 2025ー」が開催され、プログラム A(2部構成各6曲)を観ることができた。未曾有の事態であったコロナ禍や厳しい国際情勢の中で、世界のバレエ界にも大きな変化が起きている。そうした中で「Ballet Musesーバレエの美神 2025ー」は、若いロシア・バレエやベルリンで踊るダンサーたちを観る貴重な機会であった。また、ロシアのカンパニーで芸術監督を務めた経験のある岩田守弘をアーティスティック・アドバイザーに起用したことも好結果を招いたと思われる。

「Ballet Musesーバレエの美神 2025ー」開幕は、マリインスキー・バレエのプリンシパル・ペア、マリア・イリューシキナとティムール・アスケロフによる『眠りの森の美女』第3幕よりグラン・パ・ド・ドゥ。長身の二人が優雅に踊って<ロシア・バレエ>を久しぶりに観た、という心境になった。今年9月にプリンシパルに昇進したイリューシキナの風に靡く柳のようにしなやかな身体がたおやかにラインを描いて、アスケロフの静かな佇まいと融和する。「これがバレエである」と語っているような舞台だった。長身でありながら繊細な表現力を持つイリューシキナの表情は、哀しみをも秘めた喜びを表しているようにも観えた。
第2部ではイリューシキナとアスケロフのペアは、バランシンの『ジュエルズ』より"ダイヤモンド"(チャイコフスキー音楽)のパ・ド・ドゥを踊った。こちらもまた1級品で、イリューシキナの若さがそのまま宝石の王ともいうべきダイヤモンドの高貴でゆるぎない輝きを表しているかのよう。イリューシキナの身体は舞台に立つと、豊かな情感を音楽と共に自然に表現することができる能力を備えているのではないか、とも思われた。久しぶりにマリインスキー・バレエに現れた新星であろう。

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「ジュエルズ」マリア・イリューシキナ、アスケロフ Photo: Hidemi Seto

続いてナチョ・ドゥアト振付の『ウィズアウト・ワーズ』より。ミハイロフスキー劇場バレエのユリア・ルキアネンコとヴィクトル・レベデフが、かつて芸術監督だったドゥアトの作品を踊った。
『ウィズアウト・ワーズ』は、ナチョ・ドゥアトがシューベルトの音楽に振付け、1998年、ニューヨーク・シティ・センターでABTにより世界初演された。パロマ・ヘレーラ、ジュリー・ケント、ウラジーミル・マラーホフ他が出演している。音楽はシューベルトの6曲をミシャ・マイスキーがチェロ用に編曲している。ここではパ・ド・ドゥ部分が上演された。二人は、肌色の身体に密勅した衣裳でやや速いテンポで流麗に踊り、ドゥアト作品らしい身体の美しい流れをみせた。
ルキアネンコは2024年にファースト・ソリストに昇進しており、『白鳥の湖』『ジゼル』『ロミオとジュリエット』などを踊っているが、ナチョの振付もうまく踊って豊かな身体性を感じさせた。レベデフはワガノワ・バレエ・アカデミー出身。2015年にプリンシパルに昇進している。
第2部ではルキアネンコとレベデフは、『ジゼル』第2幕終盤のパ・ド・ドゥを踊った。生者と霊の愛の存在を巡る踊りである。決して触れ合うことのできない二人は、夜明けの陽の光によって別れて行くのだが、その胸中に愛が確信されていることをリアルに表していた。

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「ウィズアウト・ワーズ」ユリア・ルキアネンコ、ヴィクトル・レベデフ Photo: Hidemi Seto

ベルリン国立バレエのともにプリンシパルの佐々晴香とダヴィッド・ソアレスは、バランシン振付の『シルヴィア・パ・ド・ドゥ』を踊った。バランシンは1950年に『シルヴィア』第3幕のシルヴィアとアミンタのグラン・パ・ド・ドゥを振付けており、ヴァリエーションなどがコンクールで時折、踊られている。佐々とソアレスはシンプルな衣裳を着け、生きる喜びに溢れるようなレオ・ドリーブの音楽をしっかりと身体で受けて踊った。佐々のピチカートは楽しく身体が歌っているようだったし、ソアレスは軽快なスピード感のあるステップを<バランシン・ダンサー>であるかのように見事に踊った。
佐々とソアレスはカンパニーの芸術監督であるクリスチャン・シュブック振付の『ノクターン』も披瀝した。音楽はよく知られたショパンの曲。黒の衣裳を身に着けた佐々とソアレスは、無音から踊り始める。落ち着いたしっとりとしたパ・ド・ドゥで音楽が二人の関係を象徴するように流れ、無音となり、幕が降りた。佐々はロシアのダンサーたちとともに踊る中で、「ヨーロッパの香りのするもの、ベルリンのダンサーらしいもの」を観せたいと思って選曲した、と語っている。佐々はスェーデン王立バレエ団で出会ったニコラ・ル・リッシュ他のオペラ座の元エトワールたちに指導を受けたことで、成長することができたとも語っていたが、落ち着いた堂々とした舞台姿で日本の観客の喝采を浴びていた。また、ソアレスもブラジリアンらしい俊敏で音と一体化した身のこなしで、天性の音楽性に優れたところを見せて観客を沸かせた。

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「シルヴィア」パ・ド・ドゥ 佐々晴香、ダヴィッド・ソアレス Photo: Hidemi Seto

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「カルメン組曲」エリザヴェータ・ココレワ、ダニール・ポタプツェフ
Photo: Hidemi Seto

2023年に22歳の若さでボリショイ・バレエのプリンシパルに昇進したエリザヴェータ・ココレワと、さらに若いファースト・ソリストのダニール・ポタプツェフは『カルメン組曲』よりを踊った。周知のように『カルメン組曲』は、マイヤ・プリセツカヤがイニシアチブをとって、キューバのアルベルト・アロンソに振付を依頼し、夫のロディオン・シェチェドリンがビゼーの『カルメン』の音楽を編曲して制作された。その制作過程では旧ソ連当局の表現への執拗な政治的干渉を受けたが、プリセツカヤは舞踊人生のすべてを賭して跳ね除け、困難の末に上演に漕ぎ着けた。当時、古典全幕作品が全盛だったボリショイ・バレエでは実に革新的なバレエだったが、カルメンを踊ったプリセツカヤの表現には、その厳しい闘いの苦しみが澱のように重なって深く染み込んでいたのである。日本のアニメが好きだというボリショイ・バレエ最年少のプリンシパル、ココレワは「(『カルメン組曲』を踊ると)いつもマイヤ・プリセツカヤと比較されます」とインタビューで語っている。まさしく時代は変わるのである。ココレワのカルメンは、鮮烈というよりもむしろ清冽にさえ感じられ、新しいモダン・バレエ作品を観たかのようであった。
モスクワ国立バレエ・アカデミー卒業のココレワとエイフマン・ダンス・アカデミー出身のポタプツェフは第2部の冒頭で、ブルノンヴィル版の『ラ・シルフィード』よりパ・ド・ドゥを踊った。初々しいシルフに扮したココレワと人生の何かから解放されて喜びに溢れるジェームスに扮したポタプツェフが、ブルノンヴィル独特の表現力を秘めたステップを駆使して、悲しみの詩情を漂わせた。一体、ジェームスは何を得ようとして、すべてを失ったのだろうか・・・。

第1部のトリは、ワガノワ・バレエ・アカデミー出身でボリショイ・バレエのプリンシパルのアリョーナ・コワリョーワと、モスクワ国立バレエ・アカデミーからワガノワ・バレエ・アカデミーに編入してマリンスキー・バレエのプリンシパルとなったエゴール・ゲラシェンコによる『海賊』よりグラン・パ・ド・ドゥ。
メドーラとアリの踊りで、力強くエネルギーを発散する踊りだったが、少し息の合わないところも見受けられた。
そしてコワリョーワとゲラシェンコは第2部では、グリゴローヴィチの初期の傑作と言われる『愛の伝説』よりを踊った。『愛の伝説』は全3幕の大作バレエで、トルコの詩人ヒクメットの戯曲が原作。音楽はアリフ・メリコフ、美術はシモン・ヴィルサラーゼ。1961年にレニングラードのキーロフ劇場で初演され、コルパコワ、モイセーエワ、グリボフなどが踊った。古代東方の国を舞台に、女王メフメネ=バヌーの愛の葛藤と社会的貢献の物語である。妹シリンの病を治すために自身の美貌を犠牲にした女王は、シリンの恋人の画家フェルハドに恋してしまう。女王の想いの中、フェルハドはシリンとの愛を犠牲にして、水を求める人々のために生きる道を進む、という物語。今回、上演されたのは、女王メフメネ=バヌーが夢の中で自身の美貌を取り戻し、王として登場するフェルハドと愛のパ・ド・ドゥを踊るシーン。壮大なロマンを背景に描かれる物語の中のかりそめの夢を、コワリョーワとゲラシェンコは情感豊かに踊った。ロシア・バレエの力強さの中に浮かび上がる優雅さが見事だった。

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「ドン・キホーテ」マリア・ホーレワ、マカール・ミハルキン Photo: Hidemi Seto

マリインスキー・バレエのファースト・ソリスト、マリア・ホーレワとボリショイ・バレエのソリスト、マカール・ミハルキンは、ニキヤとソロルに扮して『ラ・バヤデール』第3幕"影の王国"よりを踊った。このシーンは、真実の愛を自ら裏切った戦士ソロルが、苦悶の末にアヘンを吸引して観る幻影を描いている。やや小柄だが素速く細かい動きでスピード感のあるミハルキンと、ホーレワのゆったりとした感情表現が、幻影のシーンの神秘性をいっそう際立たせていた。
ホーレワとミハルキンはトリで『ドン・キホーテ』第3幕よりグラン・パ・ド・ドゥを踊った。カンパニーは異なっているが、この二人はよくペアを組んで踊っているということもあり、息も合って舞台全体に音楽を強調してかき鳴らすかのように身体性を響かせた。ガラ公演のエンディングにふさわしい舞台であった。
フィナーレは岩田守弘が構成したそうだが、12名の出演ダンサーが次々と技を披露しながら舞台を駆け巡って、バレエの身体の素晴らしさを横溢させ、観客とともに喜びを分かち合った。
(2025年10月31日 東京国際フォーラムホール C)

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フィナーレ Photo: Hidemi Seto

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