沖香菜子は『ラ・シルフィード』でシルフィードを踊り、繊細な表現力と緻密な役作りで一段と評価を高め、クリスマス・シーズンには『くるみ割り人形』のマーシャを踊る
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ワールドレポート/東京
インタビュー=佐々木三重子
沖香菜子(東京バレエ団プリンシパル)インタビュー
東京バレエ団のプリンシパルとして主要な作品に主演し、しなやかなテクニックに加えて、近年は繊細な表現力と緻密な役作りで一段と評価を高めている沖香菜子さん。11月2日の公演ではロマンティック・バレエの名作『ラ・シルフィード』のタイトルロールを務めたが、12月にはクリスマス・シーズンに欠かせない『くるみ割り人形』でマーシャを踊る。空気の妖精シルフィードと少女マーシャという全く異なるキャラクターを演じる沖さんに、作品との取り組みや役作りについて聞いた。

沖香菜子 Photo:Koujiro Yoshikawa
――『ラ・シルフィード』(ピエール・ラコット版)は5年振りの上演でした。公演は終わってしまいましたが、どのように役に臨まれたか、改めてうかがいたいと思います。幕開け、眠っているジェイムズを優しく見つめるシルフィードの沖さんの表情が何とも素敵で魅せられてしまいました。瞬時に作品の世界に引き込むようなシーンでした。
沖香菜子 シルフィードはあの日、いきなりそこにいるわけではなくて、おそらく、ジェイムズのことをずっと見守ってきたのでしょう。ジェイムズがその存在を気付いていなかったとしても、何か温かいものに見守られているような気持ちになってくれればいいなと。守り神ではないですけれど、そういうイメージを抱いてもらえるようなシルフィードでありたいという想いがありました。
――シルフィードには、ちょっと悪戯っぽいところがありますよね。
沖 悪戯っぽいことをしている時も、自分では悪戯をしているとか、悪いことをしているという感覚は全くないと思います。その場の思い付きで深いことは考えずに行動している、というような感じです。悪戯をしてやろうという感覚は、ほとんど持たずに演じていました。
――ジェイムズの婚約者であるエフィーに対しては、どのような気持ちでしたか。
沖 エフィーに対してはジェイムズの婚約者であるというだけで、あの子みたいになりたいとか、あの子が憎いというような感情は全然ありませんでした。シルフィードはジェイムズと一緒にいるのが当たり前と思っていただけで、それが急に一緒にいられなくなったという感覚です。ジェイムズに裏切られたというのではありませんが、「私のことに気付いていなかったの?」という感覚でしょうか。ジェイムズが結婚してしまうことよりも、今まで一緒にいたのに離れてしまうのではないか? ということへの悲しみはありましたね。
――第2幕ではジェイムズを森の世界に連れて行きます。
沖 シルフィードの森はとても温かくて、本当に素敵な場所。愛と幸せに溢れています。ジェイムズが自分を追いかけてきてくれたことが嬉しいというよりも、自分の大好きな森に自分の大切な人を案内することができたことがシルフィードには嬉しいのです。ジェイムズに自分の森を紹介することができて、仲間のシルフィードたちも紹介できて、シルフィードはすごく幸せなのだという感じです。
――でもジェイムズがシルフィードをつかまえようとすると、すり抜けて逃げてしまう。
沖 逃げているわけではなく、シルフィードは飛べるけれど、ジェイムズは飛べないということです。シルフィードは普通に動いていても、飛べてしまうから飛んでいるだけで、逃げているという感覚はありません。ただ楽しんでいるだけなのです。ジェイムズにとっては、思い通りにならないという感じかもしれませんが。
――終盤、羽が抜けて力を失っていくシルフィードは、最後にジェイムズから取り上げた結婚指輪を返しますね。
沖 はい。ただ、"結婚指輪"という感覚が果たしてシルフィードにあるのかどうかは分かりません。シルフィードはジェイムズが触れたものを同じように触りたい、ジェイムズが持っているものをピョンと取って、それを自分も身につけてみたい、という気持ちなのです。最後にその指輪を返すのも、結婚指輪だからという意識からではなく、ジェイムズから取り上げたものだから、ちゃんと返さなくてはいけないと思うからで、「元の生活に戻ってね」というのではないですけれど、想いを込めて返すのです。

『ラ・シルフィード』Photo:Shoko Matshuhashi

『ラ・シルフィード』Photo:Shoko Matshuhashi
――『ラ・シルフィード』ですが、作品としてどんなところに惹かれますか。
沖 2日目の別のキャストの公演も観ましたが、作品として振付は難しいけれど、とても面白いです。群舞などのフォメーションも素晴らしい。舞台上で目まぐるしく人が動いているのが純粋に楽しめる作品だと思います。第1幕の人間が大勢いる世界から、第2幕の妖精たちの世界への変化もユニークです。また、"白いバレエ" では、大体コール・ド・バレエがこんなに温かくありません。『ジゼル』(のウィリたち)はもっと冷たいですし、『白鳥の湖』(の白鳥たち)も冷たいわけではありませんが、誰も笑顔で踊っていません。でも『ラ・シルフィード』(のシルフィードたち)のコール・ド・バレエは、皆が温かく見守ってくれています。この第2幕の空気感は本当に温かくて幸せですね。
――シルフィードの踊りはいかがですか、ソロが何カ所もありますね。
沖 振付は全てが難しいです! コントロールが必要ですし、脚さばきもとても難しい。シルフィードの踊りには、妖精らしい軽やかさや上半身の柔らかさがとても大事だと思うので、本当に難しいです。
――ジェイムズとエフィーの踊りにシルフィードが割り込むように入り、3人で踊る"オンブル"は、緊迫感に満ちていて、見せ場の一つでもありますね。それぞれの心の内が透けてみえてくるようで、見ていてハラハラさせられます。
沖 あの場面は舞台がとても暗いので、本当に難しいんですよ。純粋に踊るだけでも、暗いと体感がブレるので、本当にこわいです。ヴァリエーションのところも、真っ暗な中で踊っていると周りがよく見えず、急に人が現れたりする場面もあるので、とてもドキドキします。また、ジェイムズの心が揺れ動いていることをお客様に伝えるためには、エフィーとシルフィードのタイミングがうまく合わないときちんと表現できないので、3人で何回も相談しながら練習しました。

Photo:Koujiro Yoshikawa

『ラ・シルフィード』
Photo:Shoko Matshuhashi
――12月は、シルフィードという妖精の役とは一転して、『くるみ割り人形』(斎藤友佳理版)でマーシャという7歳の少女を演じますね。
沖 はい、7歳のつもりで演じてはいるのですけれど(笑)。でも、マーシャは普通の7歳の女の子の中では、ちょっとマセているのかなと思います。恋というか、そういうのを夢見るくらいの想像力がありますから。絵本かも知れないし、アニメかも知れないけれど、そういうのを見て憧れるような、そんな女の子なのかなあと思います。
――マーシャは、ドロッセルマイヤーが持ってきたたくるみ割り人形に特別な想いを抱きますね。
沖 一目惚れではないですけれど、くるみ割り人形に心が惹きつけられて目が離せなくなってしまう、そして心から欲しいと思ってしまうという感じです。人形という物として欲しいのではなく、どうしても惹きつけられてしまい、手に取りたい、近くにおきたいというのが最初の想いです。
――その想いは、場面が進むにつれて変わっていきますね。
沖 最初のパーティーのシーンでは、弟のフリッツと人形の取り合いをして、お気に入りのおもちゃの人形が壊れてしまったので泣いてしまうマーシャです。けれど、真夜中の広間で、くるみ割り人形がねずみたちと戦って倒れてしまうと、壊れてしまったかもしれない、ダメかもしれないと思った時には、おもちゃに対しての感情ではなく、人に対して抱く感情に変わっています。子どもにとってはおもちゃが壊れたことも絶望ですけれど(笑)。物に対してと人に対してでは、気持ちの違いがあると思います。そのような感情の違いが明らかにあると思うので、くるみ割り人形がねずみと戦ってくれている時は、ゲーム感覚ではなく、リアルな感情でマーシャは見守っている気がします。

『くるみ割り人形』Photo:Kiyonori Hasegawa
――マーシャの心の変化を本当に深く考えて演じていらっしゃるのですね。そのくるみ割り人形が王子に変身すると、王子とのパ・ド・ドゥになりますね。
沖 大好きだったくるみ割り人形が王子様になった時、マーシャには戸惑いがありますし、恥じらいもあります。どう接していいかわからない状態から、王子が温かく導いてくれて、二人の心が盛り上がってパ・ド・ドゥになります。そして一緒に雪の国に向かう時には、人形という物に対して惹かれていたのとは違う恋心が芽生えています。王子に対する愛情のようなものが湧いてきていると思います。
『くるみ割り人形』にはマーシャと金平糖の精を別々のダンサーが踊るヴァージョンがありますが、あの版に関しては、マーシャが王子に対して抱くのは、ずっと憧れという感覚だと思います。でも、(東京バレエ団のヴァージョンのように)マーシャが最後に王子とグラン・パ・ド・ドゥを踊ることを考えると、王子に対しての感情は、憧れだけではない、愛情のようなものがあるのではと思っています。
――斎藤友佳理版では、マーシャたちがクリスマスツリーの中の世界へと入っていく独創的な演出ですね。
沖 マーシャは見たことのない、キラキラしている世界へ連れて来てもらうわけですが、そこに着くまでにも色々な世界を旅します。本当にキラキラした世界です。『ラ・シルフィード』とは立場が逆で、『くるみ割り人形』ではマーシャが王子の世界に連れてきてもらいます。そこでは色々なディヴェルティスマンが披露されますが、いつも私はそれを観客と同じ目線で観ています。みんなの踊りが大好きですし、どれも素晴らしいので、もう純粋に楽しんでいます。

『くるみ割り人形』Photo:Kiyonori Hasegawa
――そしてグラン・パ・ド・ドゥになりますね。
沖 マーシャは、他の人たちの踊りをずっと座って見ている状態からグラン・パ・ド・ドゥを踊ることになりますが、体力的にもきついパ・ド・ドゥですので、気合が要ります。でも、ずっと舞台上にいたからこそ、気持ちの面で積み上げられてきたものもあります。その時の舞台で皆の踊りを観ながら積み上げてきたものを、そのままグラン・パ・ド・ドゥに繋げていくのが一番いいと思っています。その時その時で、毎回、感情が少し違っていいのかなと思っています。
――そのグラン・パ・ド・ドゥですが、本当に難易度が高く、異なる形のリフトも入っています。いつもとても綺麗に決められているので、凄いなあと感心しています。
沖 リフトが多いと、緊張はしますね。今回は、王子役のパートナーが(宮川新大さんに)変わります。それぞれのパートナーにそれぞれのやり方があるので、またイチから一緒に創っていけたらいいなと思っています。最初のすり合わせが上手くいけば、問題ないのですけれど、わずかなタイミングのずれとか力加減の差に左右されることもありますので、お互いが一番気持ちよく踊れるところを、きちんと探していければと思います。
――幕切れの、マーシャが寝室のベッドで目覚めるシーンは、どのような気持ちで演じられていますか。
沖 マーシャが、いったん大人の女性のようになったところから少女に戻るという違いは見せたいと思います。少女に戻っているといっても、寝る前のマーシャと目覚めた時のマーシャは同じではないと思うので、(その違いが出せるよう)目覚めた瞬間のマーシャの雰囲気を大事にしたいと思います。少し成長している感じです。
――斎藤版の『くるみ割り人形』では、どんなところに惹かれますか。
沖 真夜中のマーシャの寝室に子ねずみが出て来て、マーシャのスリッパを持って行ってしまいますが、そのスリッパがとても上手く使われていて、最後の寝室のシーンに繋がっているんです。初めて観る方にその感動を味わっていただきたいので、これ以上説明はしないでおきます(笑)。結末はぜひ劇場でごらんください。
――マーシャはもう何度も演じられていますね。
沖 マーシャはずっと7歳ですが、私は年齢を重ねていって、どんどんマーシャとの年齢差がひらいていきます。毎年演じていますが、斎藤友佳理さんは「前よりもちゃんと幼くなれていますよ」と言って下さるので(笑)。本当にそうなのか、励まして下さっているだけなのか分かりませんけれど。
――それは沖さんがマーシャになりきっていらっしゃるからでしょう。それと、共演者が変わると、また違ってくるからでしょうか。
沖 王子像というのは、演じる方によってそれぞれ違いますね。その時の王子役の方が出してくださるものによって、マーシャの気持ちも変わります。王子がマーシャに対してお兄さん的存在として導いてくれる雰囲気の時もあれば、お互いが愛情を持っているような雰囲気の時もあります。今回はどういう雰囲気になるのか、私自身も楽しみです。でも王子も物語が進むにつれて変化していくと思います。最初はお兄さん的な雰囲気でマーシャを守ってくださり、導いてくれますが、金平糖の精のパ・ド・ドゥの時には王子の気持ちも変わっていると思います。

『くるみ割り人形』Photo:Kiyonori Hasegawa

『くるみ割り人形』Photo:Kiyonori Hasegawa
――プライベートなことですが、沖さんは出産のため休まれましたが、すぐに復帰されました。もう以前と変わらないご活躍で、演技に磨きがかかったなどと評価を高めていらっしゃいます。出産を考えているバレリーナの方への励ましにもなると思うので、出産されてからのことなど、お聞ききしたいと思います。産休は短かったですね。
沖 東京バレエ団は〈上野の森バレエホリデイ〉を毎年4月末に開催していますが、2022年の『ロミオとジュリエット』の舞台を最後に産休に入り、翌年の〈バレエホリデイ〉の金森穣さんの『かぐや姫』の影姫役で復帰しました。丸一年休みました。
ーーとても早い復帰で、身体の負担など大変ではなかったですか。
沖 一年で復帰したことが大変というよりも、復帰した後、身体の変化が大変でした。出産前になるべくレッスンはしていましたが、出産後は身体の筋肉が全部ゆるんで、ゼロになってしまった感覚でした。次にレッスンしようと思った時には、筋肉が全部ないから、どうしようと...。私は色々なところの筋肉に話しかけながら踊るタイプなので、今ここの筋肉を意識したいなとか、こっちにバランスを持っていきたいから、こっちの筋肉を使おうとか、身体の効きを考えながらバランスを取っているのです。それがゼロになってしまったので、どこでバランスを取っていいかも分からないし、骨盤も広がっているから、脚をクロスしなければならない幅も違ったりするし、単純に柔軟性も失っていたり...。そういうことが沢山あったので、それを立て直すまでに、すごく時間がかかったと思います。
――斎藤友佳理さんも出産を経験されているので、いろいろ助けて下さったのでは?
沖 はい。親身になって、いろいろ聞いて下さいますし、こちらが言うことを分かって下さるので、それはすごく助けになります。
――バレエから離れていた一年間のブランクで、何か得たこととか、気付かれたことはありましたか。
沖 お休みしている期間、誰よりも東京バレエ団のファンになったと思います。今まででしたら、とても全公演は観られなかったのに、全公演を客席で観ることができました。そうすると、「ああ、みんな素敵だなあ」「東京バレエ団って本当に良いバレエ団だなあ」と思って、純粋にファンになりました。
――出産されてから、何か精神的な変化はありましたか。
沖 時間を大切にしようと思うようになりました。時間を効率よく使おうとすることが、前より上手くなったと思います。前は、どれだけ(長く)自習しても、自分だけの都合なのでそれで良かったのですけれど、今は子供のお迎えの時間を考えると、30分だなあとか。その30分で何を練習するかを決めて、練習したら真っすぐ帰るというふうに、時間の使い方や集中の仕方がうまくなったように思います。以前は9時や10時に起きていたのが、今は7時には起きなくてはなりませんし(笑)。そうした違いはありますね。
――今はお子さんも小さいし、いろいろ大変なこともあると思いますが、もう以前と変わらないご活躍をされています。最後にお聞きしますが、バレエ団のレパートリーの中で、まだ踊っていない作品でこれから取り組んでみたいキャラクターはありますか。また、将来的にどのようなダンサーになりたいと思われますか。
沖 そうですね...。「これが踊りたい」といったような欲は多分なくて、与えていただいた役を大事に踊りたいという気持ちです。どのようなダンサーになりたいかというより、自分だからこそ出せるものというのを大切にしたいと思います。観にきてくださる方が、「素敵だな」とか、「また観たいな」と思ってくださるような踊りができたら、それ以上、幸せなことはないと思います。
――とても真摯に、ひたむきにバレエに向き合っていらっしゃるのですね。今日は、取り組まれる役について、沖さんがいかに深く掘り下げて解釈し、入念に役作りをされているかを知ることができて、舞台を拝見するのがますます楽しみになりました。今日は、お忙しいところ、ありがとうございました。
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