ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2010.11.10]
最近は、民主党の政策もあって文化予算について様々な意見が寄せられている。実際、文化予算をどのように執行するかは非常に多岐にわたる問題が含まれざるを得ないから、それだけ複雑になるのも止むを得ない。また財政事情が厳しい時には、それなりのプレッシャーがかかることも常識的に理解できる。「文化予算を減らすのはけしからん」という意見もそうだろとは思う。しかし、科学技術の分野からは「限られた予算を有効に使うために自分たちも努力しなければならない」という声が上がった、と報道された。文化予算に関与しているところからもそういった声は上がっているのか? 寡聞にしてそんな立派な声は聞えてはこない。逆に予算を如何に獲得するかと言った、いうなれば低級な雑音ばかりで悲しい気持ちにさせられる秋の文化シーズンである。

ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエは同じ舞台に立つといっそう美しい

BOLISHOI BALLET & MARIINSKY BALLET "Stars of the Russian Ballet"
ボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演「ロシア・バレエのスターたち」

「ここでは競い合ったり、覇を争ったり、美をめぐって対立したりするのではなく、自分の実力を遺憾なく発揮し、自分の才能、ロシアの二大都市に脈々と流れるバレエの豊穣な伝統を意気高らかに余すところなくお見せしたい」とプログラムの巻頭に寄せられたボリショイ・バレエ団芸術監督のユーリー・ブルラーカの言葉も、この公演に対する一段と熱の入った心情を感じさせる。
むろん、芸術が「世界制覇」などといった惚けた卑俗な意識と次元が異なることは、今さら言うまでもない。
そしてこのボリショイ・バレエ団とマリインスキー・バレエ団の2回目の合同ガラ公演で何よりも強く感じられたのは、「ボリショイ・バレエ団はマリインスキー・バレエ団と同じステージに立つと、よりいっそう美しさが際立つし、その逆もまた事実」ということだった。

Aプログラム
幕開きはドーリン振付、プーニ曲の『パ・ド・カトル』。グラーンはエフゲーニヤ・オブラスツォーワ、グリジはアンナ・ニクーリナ、チェリートはガリーナ・ステパネンコ、タリオーニはウリヤーナ・ロパートキナだった。
ロパートキナは動きそのものがすでに他のダンサーとは微妙に異なって見える。彼女自身が今日までに創り上げてきた動きを、19世紀ロマンティック・バレエのバレリーナの動きと融和させているのだ。背景に使われている古い石版画から抜け出てきたようでありながら、21世紀のステージに立つバレリーナであるところが傑出していると思った。
『眠れる森の美女』第3幕のパ・ド・ドゥ(プティパ振付、チャイコフスキー曲)は、アリーナ・ソーモアとレオニード・サラファーノフ。ソーモアの美貌とサラファーノフの軽快な動きが典雅な雰囲気を醸す。ソーモアは美貌は文句のつけようがないが、音楽と動きの一体感としては観客側にごく微妙な感覚が残ってしまうとところがあって、少し残念な気持ちになった。
『海賊』よりパ・ド・ドゥ(チェクルィギン、チャブキアーニ振付、ドリコ曲)ではナターリヤ・オーシポワとイワン・ワシーリエフが登場した。7月のボリショイ・バレエ団のロンドン公演で『スパルタクス』全幕を踊って「歴史的舞台」とまで評されたワシリエフ。彼への期待で、客席にじわがくる。それを察知してか、やや抑え気味のワシーリエフの踊りには、返って内に秘められたエネルギーがふつふつとたぎっているのが感じられる。オーシポワの睥睨する演技とワシリエフの身を挺して仕える動きが『海賊』の最高の見せ場。一瞬、ワシリエフのハーレムバンツに隠された大腿部の筋肉を見たくなった。それは伝説のダンサー、ソロビヨフのようにむっくりと隆起しているのだろうか。

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グリゴローヴィチ振付、メーリコフ曲の『愛の伝説』のモノローグとアダージョで、ヴィクトリア・テリョーシキナが黒い総タイツで登場すると、あまりに見事なプロポーションに観客は唖然。細身でしなやかなだけではない。その身体が表すものをじつに正確に把握しているから卓越した表現力が生まれる。女優バレリーナとして一世を風靡したブリセツカヤを彷彿させ、さらに凌駕するのではないかと思わせる実力をみせた。モノローグに続いてイーゴリ・コールプとアダージョが踊られた。マリインスキーとボリショイのバレエは、一体となるとさらに輝く。それはこの合同ガラが証明しているところだが、マリインスキーで育ちボリショイで花開いたグリゴローヴィチの振付には、その大きな魅力が潜在している。もちろん花咲かせるのはダンサーしだいなのだが、深情を込め力強く踊ったテリョーシキナとコールプの印象は一段と鮮やかだった。
『ジゼル』(ペロー、プティパ振付、アダン曲)よりパ・ド・ドゥは、スヴェトラーナ・ルンキナとアレクサンドル・ヴォルチコフが踊った。ボリショイ・バレエ団の『ジゼル』は完成された舞台として定評があり、振付、演出、美術、照明総てが一糸乱れず統括されている。ダンサーも自信を持って堂々と踊ってゆるぎなかった。

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第2部冒頭は、若手振付家スメカーロフが映画『夢へのレクイエム』(アロノフスキー監督)のクリントン・マンセルが作曲した音楽を使って振付けた『ナルシスへのレクイエム』。ウラジーミル・シクリャローフのソロだった。グレーの燕尾服をアレンジした衣裳、背中に光る飾りを付けた主人公は、鏡の面に現れた自分と格闘する。やがて自分の影像から解放されると、そこには心理的帰結を表す花の抽象模様が現れた。耽美的な嗜好をうかがわれせる振付だった。

プティパに基づいてグリゴローヴィチが振付けたグラズノーフ曲の『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥは、Aプロではステパネンコとヴォルチコフが、Bプロではニクリーナとミハイル・ロブーヒンが女性ヴァリエーションを違えて踊った。
『別れ』は前出のスメカーロフの振付。音楽はジョン・パウエルだが、別々の依頼主から同一人物の殺しを依頼された暗殺者夫婦を描いた映画『Mr.&Mrs.スミス』(05年ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー主演)のサウンドトラックを使用している。鮮やかな赤に深いスリットの入ったロングドレスのオブラスツォーワと黒いベストを直接肌に着け黒いロングパンツのアレクサンドル・セルゲーエフが踊った。一脚の椅子を置いて、タンゴ調の曲にのせ心理的背景を感じさせる<別れ>のシーン。映画のイメージを活かした振付けだった。

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プティパ、グーセフ振付、ドリゴ曲の『タリスマン』よりパ・ド・ドゥ。舞踊理論家で19世紀のロシア・バレエの多くのレパートリーを復活したことで知られるグーセフの尽力によってボリショイ・バレエ団に振付けられた。ニクリーナと今年早々にマリインスキー・バレエ団から移籍したロブーヒンが踊った。ニクリーナのフェミニンな雰囲気とロブーヒンの力強さが良い味を出していた。
呼び物の『タランテラ』(バランシン振付、ガチョーク、ケイ曲)は、テリョーシキナとサラファーノフという魅力的なペアが踊った。明るく軽快に舞台全体を音楽にしてしまうようなサラファーノフと驚異的な柔軟性を感じさせるテリョーシキナによる軽快感溢れる舞台。テリョーシキナの手と脚は合計で8本あるかのように錯覚させられた。

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第3部はルンキナとアンドレイ・メルクリーエフが踊る『黄昏のヴェニス』(ヴィスクペンコ振付、ニンファ、フレーム、ヘーフェルフィンガー曲)で始まった。昨年9月にボリショイ・バレエ団の名花、エカテリーナ・マクシーモア追悼公演で初演された作品だそうだ。マクシーモアは後輩に親切に尽くしたことで知られるが、その最も愛された一人であるルンキナは、レースを織り込んだ白い清楚なワンピースで、ダークスーツを着けたメルクリーエフとともに歌曲にのせて哀切な情感を踊った。シルエットを使ったフィニッシュが見事に決まった振付だった。
続いて『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(バランシン振付、チャイコフスキー曲)はソーモアとシクリャーリョフ。よくリズムにのった軽快な踊りだった。ソーモワはドラマ性よりもこうした曲だとのびのびと気持ちよく踊っている。シクリャーリョフも爽やかにテクニックが使えて良かった。あるいは、そう思わせるところがバランシン振付の洗練されたところなのかも知れない。
グリゴローヴィチ振付、ハチャトリアン曲の『スパルタクス』よりパ・ド・ドゥはニクリーナとロブーヒン。ロブーヒンはマリインスキー・バレエ団から移籍してまだ日が浅いが、堂々としたボリショイ・バレエ団のダンサーになっていてじつに逞しい。ニクリーナは清潔な色香があってボリショイ・バレエ団の中では、タイプは異なるがかつてはマクシーモアがそうであったように、際立って愛らしい。滝に打たれながら健気に咲いた一輪の花、といった風情だろうか。
ラトマンスキー振付、プロコフィエフ曲『シンデレラ』のデュエットは、オブラスツォーワとセルゲーエフ。当たり前のようだが、二人は登場人物の気持を音符に添えるように表すラトマンスキーの振りの意図を明快にとらえた踊りだった。

アロンソ振付、ビゼー、シェチェドリン曲の『カルメン組曲』は、ステパネンコとメルクリーエフ。運命を表す牛の映像とお馴染みの曲を背景に、バレエに現れたドラマティックな表現が印象深い。
ロパートキナとコールプの『ジュエルズ』より「ダイヤモンド」のパ・ド・ドゥ(バランシン振付、チャイコフスキー曲)も逸品だった。表現する身体が精確なステップを刻み、バランシンが創造した美しさはこれなのか、と改めて思う。ロパートキナは完璧。長いシーケンスを揺るぎなくコルプと踊った。身体がアンシェンヌマンを自家薬籠中のものとしていてまったく余分な力が入っていないのだ。
とりはワシーリエフとオーシポワの『ドン・キホーテ』のパ・ド・ドゥ(プティパ、ゴールスキー振付、ミンクス曲)。ロンドン公演では<ロケット・マン>とも呼ばれたワシーリエフは、内に矯めてから垂直に跳ぶ高さが圧巻だった。クランコが『ボリショイに捧ぐ』でも称揚した天を突くようなリフトとジャンプ。共にボリショイ劇場の巨大空間で映える技である。

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Bプログラム
『フローラの目覚め』よりパ・ド・カトル(プティパ、レガート、ブルラーカ振付、ドリゴ曲)は、ルンキナのフローラとオブラスツォーワのディアナ、ソーモアのオーロラ、オーシポワのヘーベで踊られた。マリインスキー劇場でプティパ振付の原典を何曲か復元したヴィハレフがこの作品も復元しているが、今回踊られたパ・ド・カトルは2008年にブルカーラが振付けたものだそうだ。『フローラの目覚め』が1894年に初演された時は、ミハイロヴィッチ大公とクセーニヤ大公女の結婚式のための、外国の皇族も臨席された盛大なガラ公演だった。そうした荘厳な雰囲気も感じられる、神話的な時間の流れるゆかしい作品だった。
舞台は一転して、マリインスキー劇場に時折、新しい振付を提供していたミロシニチェンコ振付、ピアソラ曲の『タンゴ』。黒いセクシーな衣裳のテリョーシキナとセルゲーエフが迸る情熱を際どく、美しくコントロールして踊る。めくるめくような官能的な瞬間が、あっという間に過ぎ去っていた忘れ難いステージだった。

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続いてロシア・バレエの代表選手のようなダンサーだったウラジーミル・ワシーリエフがアルゼンチンの音楽を使って振付けた『Fragments of a Biography』。まず、ハットに白いシャツ、黒いベストとパンツのメルクリーエフがソロ、やがてレースとフリルの付いた白いワンピースのステパネンコが踊り、最後に甘いタンゴの歌声にのせて二人が踊った。人生で遭遇した愛の縮図をタンゴで表した一曲だが、メルクリーエフの端正な踊りがいくつかの愛の表情を映していた。
Bプロ第1部の締めは『ロミオとジュリエット』のパ・ド・ドゥ(ラヴロフスキー振付、プロコフィエフ曲)。バルコニーのシーンをソーモアとシクリャローフが踊った。ソーモワのジュリエットはピュアな気持ちがこもっていてとても良かった。

第2部冒頭の『ゼンツァーノの花祭り』(ブルノンヴィル振付、ヘルステッド曲)はサラファーノフの自動人形のようなステップが見もの。オブラスツォーワも衣裳が良く似合っていて愛らしい。弾むような楽しい舞台だった。
オーシポワとワシーリエフはヤコブソン振付、ロッシーニ曲の『パ・ド・ドゥ』。ヤコブソンは周知のように、20世紀半ばに活躍した実験精神旺盛な振付家で、マリインスキーからボリショイに移籍、『スパルタクス』などを振付けている。この曲は既成のバレエを越えた様々な動きを積極的にとり入れて、新しいコンビネーションのパ・ド・ドゥを創ろう、という試み。6人の作曲家のそれぞれの音楽を使って構成した作品のロッシーニ編だそうだ。速いコミカルなタッチで、今日みても新鮮な印象を与える。そういえば、マラーホフが『南京虫』を踊っているコミカルな表情をを思い出した。オーシポワとワシーリフが複雑なテクニックを難なくこなしテンポ良く踊った。

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『パピヨン』よりパ・ド・ドゥ(タリオーニ、ラコット振付、オッフェンバック曲)はソーモアが紺のラインどりした白いチュチュでシクリャーリョフと踊り、蝶を表す触覚の髪飾りが可愛かった。タリオーニの振付を雰囲気をだして明るく軽く若々しく踊ったが、こういう役は彼女に良く似合っていると思う。現在のソーモアは、美しいだけのジェーボシュカから大いなるバレリーナに成長する過程にいるようだ。動きはほぼ完璧だが、ちょっと心が動きに囚われているのだろうか、少しゆとりがないようにみえて、屈折した登場人物だとパッションがもうひとつ舞台に迸りでてこない。おそらくは、ロパートキナのようにマリインスキー・バレエ団全体の評価をすべて一身で受け止める、という強い決意がかたまった時が次の飛躍の時になるのではないだろうか。
『グラン・パ・クラシック』(グゾフスキー振付、オーベール曲)はルンキナとヴォルチコフが踊った。グラン・パ・ド・ドゥ形式の完成品とも思われるスタイルを、ボリショイ・バレエ団のペアらしくのびのびと踊り、豊かな気持ちが感じられる舞台だった。
『ロシアの踊り』(ゴールスキー、ゴレイゾフスキー振付、チャイコフスキー曲)はアンナ・パヴロワやマチルダ・クシェシンスカヤなどの舞踊史を彩る名花が世界中で踊り、多くの観客の胸に<ロシアの美>を焼き付けた作品。特別に難しいステップはないが、華麗な衣裳と音楽と動きの一体感でロシアの踊りの美しさを象徴する作品だった。ロパートキナは自身のダンスの精髄をみせた。
『海賊』のパ・ド・ドゥ(チェクルィギン、チャブキアーニ振付、ドリゴ曲)はAプロに続いて、ボリショイ・バレエ団組のニクリーナとロブーヒンが踊った。

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休憩20分で第3部の幕が開いた。未だ胸の動悸が収まらない気持ちに追い打ちをかけたのは、オーシポワとワシーリエフが踊った『パリの炎』(ワイノーネン、ラトマンスキー振付、アサーフィエフ曲)よりパ・ド・ドゥ。ワシーリエフが踊るというだけで、客席の期待のマグマは噴火寸前になっている。登場するやいなや、オペラグラスでは捉えられないほどのスピードと垂直に上昇するジャンプで観客の心をわしづかみにする。オーシポワも負けじと小気味の良いステップで応えるので会場は盛り上がり、これまでにないエキサイティングなステージになった。ワシーリエフはヴァリエーションを踊る時などの出のタイミングが絶妙。観客の期待をその胸にしっかりと受け止めてから登場するワシーリエフは、間違いなく客席と対話を交わして踊るダンサーである。
オブラスツォーワとセルゲイエフは、Aプロとは異なるマリインスキー・バレエ団の『ジゼル』のパ・ド・ドゥ(プティパ振付、アダン曲)。オブラスツォーワは愛らしさの残るウィリだけに一段と哀しみを誘った。彼女はヴィシニョーワが参加しなかった今回の公演ではほんとうによく活躍した。
プティ振付、サン=サーンス曲の『プルースト〜失われた時を求めて』のデュエットはルンキナとヴォルチコフが踊った。ルンキナはボリショイ・バレエのアサシンだ。ニコリともしないで、ドラマチックな深い表現を見せ、観客の心を射止める。いつも笑顔を絶やさないオブラスツォーワとは対照的なキャラクターに見える。それはまた、ルンキナが情感をより濃密に色濃く描くことができるダンサーともいうことができる。

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Bプロのハイライトもまた、ロパートキナだった。『ファニー・パ・ド・ドゥ』(シュプック振付、ロッシーニ曲)は、黒縁のキャリアウーマン風の眼鏡に赤いちっちゃなハンドバッグを手に、チュチュを纏ったバレリーナの珍妙なパ・ド・ドゥを披露するコミック・バレエ。そこには女性的なるものの一面が、巧まずしてデフォルメされて表されていて愉快。コールプは、ズレ続けるパートナーに辟易してたて直そうとするが、そこをまた見事に足をすくってしまう。極め付けの見せ場を裏返してみせるという難しいタイミングにも乱れを見せず、二人の呼吸は見事に合っていた。
ステパネンコとメルクリーエフはのりのいい『ドン・キホーテ』のパ・ド・ドゥ。やはり、『ドン・キホーテ』はボリショイ・バレエの華である。
そしてBプロは、テリョーシキナとサラファーノフによる『白鳥の湖』より黒鳥のパ・ド・ドゥ(プティパ振付、チャイコフスキー曲)でしめ括られた。テリョーシキナのオディールはほんとうに黒鳥の化身だっだ。シベリヤのクラスノヤルスク出身で、控え目で大人しい実際のテリョーシキナとしては、まさに驚異の変身ぶりである。ロパートキナが踊ったファニーな姿も女性なら、黒鳥に変身して婉然と微笑んで男性を誘惑し、奈落の底に突き落とすのもまた女性なのである。
(2010年10月23日、26日Aプロ 24日Bプロ 東京文化会館)

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撮影:瀬戸秀美、写真提供:ジャパン・アーツ
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