フランチェスカ・ヘイワードとウィリアム・ブレイスウェルが踊った『不思議の国のアリス』の映像が1月17日より1週間限定で公開される

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を原作とする英国ロイヤル・バレエの同名のバレエは、クリストファー・ウィールドンが振付け、ジョビー・タルボットが作曲し、美術はボブ・クローリーが担当。2011年にロイヤル・オペラハウスで世界初演された。カンパニーにとっては16年ぶりとなる全幕バレエの新製作だった。当時、カレン・ケインが芸術監督を務めていたカナダ国立バレエが共同制作に加わっている。
ウィールドンは振付にあたって「英国ロイヤル・バレエは、すでに優れた全幕バレエを多く製作している。私はもっと軽く親しみやすい作品を創りたかった」と語っている。評判は上々で、カナダ国立バレエはもちろん、スウェーデン王立バレエ、デンマーク王立バレエ、オーストラリア・バレエ、バイエルン国立歌劇場バレエ、新国立劇場バレエなどが、次々と上演している。
ルイス・キャロルの原作は、多くの言語に翻訳され、聖書、シェイクスピアに次いで引用されることが多い、と言われるほど普及している。少女の地下の不思議な国をめぐる幻想冒険談だが、ナンセンス感覚やパロディ表現、言葉遊び、教訓詩などが技巧を凝らしてここかしこに散りばめられており、おそらくはこれらを忠実に音楽と身体による表現に還元することは至難の業であろう。そのためか、これまでにグレン・テトリー、ディレク・ディーンなどが振付けているとは言うが、著名な舞台とはなっていない。(日本では松崎すみ子が振付け西田佑子が踊った舞台がある)
その意味では英国ロイヤル・バレエの芸術監督、ケビン・オヘアにとって、ひとつの賭けであったかもしれない。しかし、アメリカのニューヨーク・シティ・バレエで修練を重ね、『パリのアメリカ人』などのミュージカル作品で成功を収めている、クリストファー・ウィールドンへの信頼もまた厚かったのであろう。
台本は、俳優のニコラス・ライトが担当しているが、原作の舞踊化が困難と思われる部分は避け、ルイス・キャロルが変身した白うさぎを狂言回しとしている。主人公のアリスも15歳くらいとし、ジャックへの淡い想いを中心に物語を構成し、ハートの女王が君臨するトランプ王国のシーンにクライマックスを作っている。

フランチェスカ・ヘイワード、ウィリアム・ブレイスウェル ©BC

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物語は1862年のオックスフォードから始まる。少女アリス(フランチェスカ・へウイワード)の父(ベネット・ガートサイド/ハートの王)や母(ローレン・カスバートソン/ハートの女王)、姉妹たちの一家がガーデンパーティを開催している。ここに数学者のルイス・キャロル(ジェームズ・ヘイ/白ウサギ)や手品師(スティーヴン・マックレー/マッド・ハッター)、牧師(中野太亮/三月うさぎ)などのゲストや召使(五十嵐大地/カエル)が登場する。アリスは庭師のジャック(ウィリアム・ブレイスウェル/ハートのジャック)から赤いバラを贈られ、そのお礼にとジャムタルトを進呈する。するとアリスの母はジャックがジャムタルトを盗んだと言って、彼を一方的に馘首してしまう。動揺したアリスを、いつも少女に優しいルイス・キャロルが慰め、得意の写真を撮ろうとしてフラッシュを焚くと一瞬のうちに世界が変わり、キャロルは白うさぎに変身してカメラバッグの中に消える。アリスはその白うさぎを追いかけて一緒に深い穴の底へ落ちていく、下へ下へ・・・。
そして、穴の底の奇妙な閉鎖された空間でアリスは、一瞬、魅力的なハートの女王の魔法の庭を垣間見る。しかし、大きくなったり小さくなったりして、自分の身体が思うようにならなくなってしまう。やがて自分が大きくなった時に流した涙が海となっている中に泳ぎだす。そしてさらに、白うさぎに導かれて不思議の国をめぐっていく。
アリスは公爵夫人(ギャリー・エイヴィス)へハートの女王からのクロケット・パーティの招待状を渡され、「HOMESWEETHOME」へと運ぶ。そこは血だらけの公爵夫人が赤ん坊に授乳し、肉切り包丁を振り回す料理女(クリステン・マクナリー)がソーセージを作っている。公爵夫人は招待に喜び、料理女は憤慨し、アリスは赤ん坊を守ろうとするが、赤ん坊はたちまち豚に変わる。公爵夫人は赤ん坊をソーセージにしようとする・・・とんでもない暴力と恐怖の館だった。
白うさぎがやってくると、ジャムタルトを持ってハートの女王の兵士に追われているハートのジャックも現れる。白うさぎは彼らを女王から隠して、クロケット・パーティに連れて行かなければならない・・・。

アリスは大きな顔と身体の部位がバラバラに動くチェシャ猫に行き先を尋ねるが、その指示は曖昧模糊としたもの。アリスはやがて、マッドハッター、三月うさぎ、眠りねずみ(ソフィー・アルナット)が踊り狂うイカれたお茶会に加わるが、逃げ出して迷子になってしまう。ところがキノコにのっていたイモ虫(ニコル・エドモンズ)がくれたキノコを食べると、ついに閉じ込められていたドアと壁が消え、魔法の庭に入ることができた。すると女王と兵士に追われたハートのジャックが逃げていく、その後を白うさぎとアリスが追いかける。

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ハートの女王の魔法の庭の入り口では、誤って白いバラを植えてしまった3人の庭師がバラを懸命に赤く塗るが失敗ばかり。そこへ女王と王が兵士、公爵夫人、料理女と一緒に到着。首切り役人(ケヴィン・エマートン)も大きな斧を手にして登場。庭師たちはバラを赤くできず怯えて震えている。
アリスと白うさぎはハートのジャックを密かに連れ去る。女王はお付きの兵士たちと「ローズ・アダージョ」ならぬ「タルトのアダージョ」を踊ってダンスの腕前を披露した。そして公爵夫人たちとクロケットを始める。マレットはピンクフラミンゴの首で、ボールはハリネズミだ! クロケットで女王に挑戦した公爵夫人の理不尽な処刑が命じられるが、アリスは王が女王を落ち着かせている隙に公爵夫人の脱出を助ける。
しかし、ハートのジャックはついに捕まってしまった。
女王はジャックを裁くために宮殿に連れて行くように命じる。アリスはハートのジャックを追って宮殿に向かう。
裁判が始まり、マッド・ハッターや公爵夫人、料理女などの証人たちがジャックを告発。ジャックは懸命に弁明するが、ほとんど効果がないので、アリスが助け、女王以外の王と証人たち全員を説得。すると女王は自分で処刑を実行するために、首切り役人の斧を手に取って襲い掛かる。ジャックとアリスは白うさぎの助けを借りて懸命に逃げようとするが、女王が彼らを見つける。逃げることができず、アリスは証人を押しのけ、その証人は他の人の上に倒れ、トランプカードの将棋倒しにより法廷全体が崩壊・・・。

彼女は目を覚ました。庭のベンチで「不思議の国のアリス」を読みながら眠ってしまったのだった。思いついて、スマフォを取り出し、ボーイフレンドと一緒に写真を撮って、と近くに居たおじさんに頼む。スマフォに二人の姿を収めると、仲良くキスを交わし去って行く。ベンチに「不思議の国のアリス」が一冊、取り残されていた。おじさんはその本のページをめくりながら・・・白うさぎのあの仕草をする・・・

物語を追うだけでも骨が折れるくらい、ウィールドンらしい速いテンポで連想と幻想が交錯して出来事が起き、物語が展開していく。けれど舞踊シーンはしっかりと振付けられ、それぞれに動きの表情があり、ダンサーたちもイキイキと踊っている。「ふさわしい音色を求めてロンドン中のあらゆる楽器を探した」と語るジョビー・タルボットの音楽は、実に多彩で変化に富み、心地よいテンポで物語の展開を後押ししている。幕が降りた後もなんだか身体にリズムが残っているように感じられた。プロジェクションマッピングを駆使したボブ・クローリーの美術が素晴らしく、アリスの落下シーンや目まぐるしくトランプのカードが入れ変わる3幕の宮殿に至る背景、トランプのカードを組み合わせた宮殿、ハートの女王の真っ赤な玉座などもユーモラスに抽象化されていた。小動物のキャラクターたちでは、やはり、身体の部位がバラバラに動いて何かを訴えているようなモワッとした表現を見せたチェシャ猫が傑作。マッド・ハッターや公爵夫人の衣裳とメイクには凄味があった。そして、全体に地下のワンダーランドらしいトーンで統一され、ラストの現代の現実の明るさとコントラストをなした。
アリスとジャックのパ・ド・ドゥも何回か踊られるのだが、それぞれにダンスの表情を変えている。最初のバラを贈られた喜びを表すパ・ド・ドゥも初々しくて魅力的だったし、二人が再会した喜びを踊るパ・ド・ドゥも躍動的で良かった。アリスの、子供が時折見せる無邪気で自然な所作を入れた動きが、新鮮に感じられた。また、時折、挿入されたアリスと白うさぎのパ・ド・ドゥも味があった。ジェームズ・へイがよく白うさぎに変わったルイス・キャロルの存在感を表しており、アリスとの距離感も正確で、彼女のキスを頬に受けた一瞬の表情は煌めいていた。
2幕の終盤は、魔法の庭へと向かう花が咲き競う中のミュージカル風の群舞となり、圧倒的な量感があって見応え十分だった。バレエとミュージカルの結婚を目指した、というウィールドンはその手応えを感じたのではないだろうか。
フランチェスカ・ヘイワードのアリスは、長丁場をほとんど出ずっぱりで踊り、少女としての存在感を十分に表現していた。英国ロイヤル・バレエの日本公演で踊ったローレン・カスバートソンのアリスと甲乙つけ難い見事な舞台だった。そのカスバートソンは、出産を経て、今回公演ではハートの女王役にチャレンジしている。そして初演の快演で大きな評判となったゼナイダ・ヤノウスキーがカスバートソンのコーチを務め、二人が役柄について話し合う貴重な映像も収録されていた。カスバートソンは持てるテクニックと演技力を総動員して熱演し、ダンサーとしての力量を見せた。とりわけ、<タルトのアダージョ>で見せたタルトを咥えた凄まじい表情は忘れ難く、当分、私の脳裏からも消えないと思う。

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冒頭から冤罪により追放され、後ろ髪ひく想いでパーティから消えたジャックを演じたウィリアム・ブレイスウエル。彼は終始、追い立てられる役回りだったが、人柄の良さを感じさせるやわらかな演技で、間違いなくこの舞台の好感度を上げている。(明敏なフランチェスカ・へワードが語るブレイスウェルの人物像を読んで欲しい
また、初演でマッド・ハッター役で鮮烈な印象を残したスティーヴン・マックレーは、大怪我を乗り越えてハマり役に返り咲いている。マックレーのキレキレのタップダンスはこの作品の大きな魅力のひとつである。リハーサルの風景も収録されていたが、以前よりも一段と逞しくなったようにも見え、稽古場のリハーサルでも同僚たちの喝采を浴びていた。
そして終幕の傍若無尽の暴君ハートの女王がもたらすカオスには、ピンクフラミンゴのクロケットなどに現される英国舞台芸術の伝統でもあるミュージックホールの流れが感じられた。またその一方では、女王が首切り役人を引き連れて、盛んに首をちょん切るぞ、と辺り憚らず喚き散らすのは、血に塗られたロンドンの権力闘争による残酷の歴史のパロディ、と見ることもできるだろう。一見、少女の天真爛漫な空想によるエンターティンメントのバレエと見えるのだが、実は背後にそら恐ろしい気配が潜んでいるのではないか、とも感じられた。あるいはそれが、クリストファー・ウィールドンの創作の真骨頂かもしれない。

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「英国ロイヤル・バレエ&オペラin シネマ 2024/25」

ロイヤル・バレエ『不思議の国のアリス』
アリス:フランチェスカ・ヘイワード
庭師ジャック/ハートのジャック:ウィリアム・ブレイスウェル
ルイス・キャロル/白うさぎ:ジェームズ・ヘイ
アリスの母/ハートの女王:ローレン・カスバートソン
アリスの父/ハートの王様:ベネット・ガートサイド
手品師/マッドハッター:スティーヴン・マックレー

振付:クリストファー・ウィールドン
音楽:ジョビー・タルボット
指揮:コーエン・ケッセルス
美術:ボブ・クロウリー
管弦楽:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団

1月17日(金)~1月23日(木) TOHOシネマズ 日本橋 ほか1週間限定公開
配給:東宝東和
公式サイト:http://tohotowa.co.jp/roh/

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