バデネスとフォーゲルによる『椿姫』はノイマイヤーが細部にわたって磨きを掛けた極めて完成度の高い舞台だった
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ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
シュツットガルト・バレエ団
『椿姫』ジョン・ノイマイヤー:振付
ドイツの名門、シュツットガルト・バレエ団が、フル・カンパニーで6年ぶりに12回目の来日公演を行った。今回の演目は、バレエ団の創始者、ジョン・クランコによる『オネーギン』(1965年初演)と、ジョン・ノイマイヤーによる『椿姫』(1978年初演)の2作品。共に文学作品に基づくドラマティック・バレエの傑作である。『オネーギン』については、別項で取り上げたので、ここでは『椿姫』について書きたい。『椿姫』というと、ノイマイヤーが長く芸術監督を務めたハンブルク・バレエ団に振付けたものと思いがちだが、実際は、かつてクランコに招かれて在籍したシュツットガルト・バレエ団のために創作したものである。
当時、ノイマイヤーはハンブルク・バレエ団の芸術監督に就いていたが、1973年にクランコが若くして急逝した後、芸術監督を務めながらプリマ・バレリーナとして舞台に立ち続けていたマリシア・ハイデのために創作したもの。絶賛を浴びた『椿姫』は、ハンブルク・バレエ団をはじめパリ・オペラ座バレエ団やアメリカン・バレエ・シアターなど有数のバレエ団のレパートリーに採り入れられている。その『椿姫』が、いわば本家のシュツットガルト・バレエ団によって日本で上演されるのは今回が初めてとあって、話題性は高かった。加えて、2023/2024年シーズンでハンブルク・バレエ団の芸術監督を退いたノイマイヤーが来日してステージングに協力するというので、注目度は増した。
ノイマイヤーの『椿姫』は、アレクサンドル・デュマ・フィスの小説を下敷きに、パリ社交界の高級娼婦マルグリット・ゴーティエと上流階級の青年アルマン・デュヴァルの激しくも悲しい愛の物語を、アベ・プレヴォーの小説『マノン・レスコー』によるバレエ『マノン』を劇中劇として巧みに織り込んで複層的に描いた、プロローグ付き全3幕の大作である。『マノン・レスコー』は、美貌の娼婦マノンと若き学生デ・グリューの悲劇的な愛の物語で、ノイマイヤーはマルグリットにマノンを重ね合わせることで、マルグリットの心理を掘り下げて提示しようとしたのだろう。参考までに、『マノン・レスコー』は1731年に、『椿姫』は1848年にそれぞれ刊行された。なお、『椿姫』にはヴェルディが作曲した歌劇が名高いが、ノイマイヤーはバレエ化にあたり、全てショパンの音楽で構成した。デュマ・フィスは実体験に基づいて『椿姫』を書いたそうで、マルグリットのモデルとなったマリー・デュプレシが結核で若くして亡くなったこともあり、小説と同時代にパリで生き、結核のため早逝したショパンの音楽が採用されたという。ピアノ協奏曲第2番やピアノ・ソナタ、ワルツ、プレリュード、ポロネーズなどから、それぞれの場面に合った曲を選んでいるが、繰り返し流れるロ短調ソナタのラルゴが耳に残る。装置と衣装は、『オネーギン』も手掛けたユルゲン・ローゼによるもの。『椿姫』では重厚な舞台装置はあまり用いていないが、衣裳は劇中劇用のものも含めて多彩だが、何と言っても意匠を凝らしたマルグリットのドレスが目を引いた。
公演は3回行われ、『オネーギン』同様、トリプルキャストが組まれており、その最終日に行った。マルグリットとアルマンは、ロシオ・アレマンとマルティ・パイシャという、共に2021/2022年シーズンにプリンシパルに昇進した若手が踊る予定だった。それが、2日目に主演予定のアンナ・オサチェンコが急病で来日できなかったため、この若手ペアが2日目に出演することとなり、3日目は初日に主役を務めたエリサ・バデネスとフリーデマン・フォーゲルが再び登場した。病気による降板はやむを得ないし、代わりにベテラン・ペアの円熟の舞台が観られたのは嬉しい限りだが、結果として2演目6公演のうち4公演が同じペアの主演になったわけで、ちょっと残念な気がした。
『椿姫』の舞台は、客席の照明が明るいうちにプロローグが始まっている。ホール内に足を踏み入れた観客を物語の世界に引き込もうというのだろうか。亡くなったマルグリットの家具などがオークションにかけられるのと並行して、マルグリットの物語が、マルグリット自身やアルマン、彼の父親ムッシュー・デュヴァルが思い出を回想する形で綴られていく。現在と回想される過去、現実と『マノン』の虚構の世界など、様々なエピソードが交錯して展開されるので、初めて観る人は戸惑うかもしれない。オークションが行われているマルグリットの邸宅には、彼女が遺した日記を手にして思い出に浸る侍女のナニーヌや、ムッシュー・デュヴァルの姿もある。そこに憔悴して駆け込んできたアルマンは気を失って倒れてしまう。父に助け起こされたアルマンがマルグリットの思い出を語り始めるところでプロローグが終わり、第1幕になる。
Photo Kiyonori Hasegawa
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第1幕はアルマンの回想。アルマン(フォーゲル)がマルグリット(バデネス)に紹介されたのは、バレエ『マノン』が上演された劇場だった。劇中劇として挿入された『マノン』は、美貌の娼婦マノン(アグネス・スー)が賛美者に囲まれ、恋人のデ・グリュー(マッテオ・ミッチーニ)を欺く物語で、マルグリットは不実なマノンを嫌悪し、アルマンはデ・グリューに自分をダブらせて不安を覚える。マルグリットとアルマンの出会いの場に、敢えて『マノン』を組み込んで二人の行く末を予感させたことに、ノイマイヤーの怜悧な意図が読み取れる。
バレエ終演後、マルグリットはアルマンや取り巻きをアパートに招いて愉快に過ごすが、咳の発作に襲われる。彼女を介抱するアルマンが抑えきれずに愛を告白すると、マルグリットも彼の情熱に心を動かされて、愛の芽生えとなるデュエットが始まる。マルグリットのドレスの色にちなみ、"紫のパ・ド・ドゥ(PDD)"と呼ばれる見せ場のひとつ。優雅に構えてアルマンを子ども扱いするマルグリット。駄々っ子のように甘え、床を転がり、彼女の足元にひれ伏していたずらっぽく見上げるアルマン。彼の純真な情熱に戸惑いながら心を開き、喜びを露わにするマルグリット。彼女に受け入れられて有頂天になり、目を輝かせるアルマン。バデネスとフォーゲルは、そんな二人の感情の受け渡しを目に見えるように演じてみせた。ただ、フォーゲルが一途に心を高揚させていったのに対して、バデネスは今まで感じたことのない愛情を抱いている自分に驚いているような、微妙な心の内ものぞかせていた。
第1幕は、マルグリットがパトロンの公爵の別荘に移り住み、アルマンが後を追うところで終わる。ところで、この場面が舞台上で演じられている間、ムッシュー・デュヴァルが下手脇の椅子に身動きせずに座っていたのを不思議に思った。これは、プロローグで助け起こしたアルマンが、マルグリットの思い出話を語るのに耳を傾けていることを示すものだろう。舞台上のことばかりに集中しがちだが、ノイマイヤーの演出は細部にまで張り巡らされていることに改めて感心した。
第2幕もアルマンの回想が続く。別荘でも崇拝者たちと享楽的な生活を送り、アルマンと密会を続けるマルグリットだが、パトロンの公爵と決別し、愛するアルマンとの生活を選ぶまでが、アルマンの回想として描かれた。マルグリットとアルマンが二人だけの世界を存分に味わうように踊る"白のPDD"は伸びやかで、幸福感に満ちていた。バデネスが無邪気な表情を浮かべ、軽やかなステップで躍る心を伝えると、フォーゲルは喜び一杯というように、彼女の手を取り、弾むように舞台を回った。ここでは、マルグリットのドレスは白で、別荘の客たちの衣裳も白が基調と、全体に白で明るい空間を演出していた。
Photo Kiyonori Hasegawa
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場面はムッシュー・デュヴァルがマルグリットに息子との別れを迫った時の苦い回想に切り替る。いかにも紳士然としたムッシュー・デュヴァルが、体面を重んじ、息子の将来を案じる気持ちをストレートにマルグリットにぶつけると、マルグリットは動揺しながらも、アルマンへの偽りのない愛を伝えて別れを拒んだ。激しく対立するうちに、マルグリットの心が折れてしまい、別れを受け入れると、ムッシュー・デュヴァルは彼女の献身的な決断を称えた。
ムッシュー・デュヴァルを演じたジェイソン・レイリーは威厳があり、息子を思い遣る気持ちから行動していると納得させた。バデネスは、毅然と構えていたものの、真摯にアルマンを思い遣る気持ちから、父親の頼みを受け入れる悲しみを全身で表していた。ここに幻覚として挿入された、マノンが崇拝者たちを従えて、マルグリットを快楽の世界へと招く姿は、マルグリットの複雑な心の内を映し出すものだろう。この後、マルグリットはアルマンへの手紙を残して別荘を去り、以前の暮らしに戻った。
第3幕はアルマンの回想で始まる。
マルグリットが公爵とよりを戻したのを見た後、アルマンが取った行動が舞台で演じられる。アルマンは高級娼婦でマルグリットの友人のオランプ(ディアナ・イオネスク)に近づき、これ見よがしにオランプと親密に踊り、マルグリットを傷づける。オランプとのデュオからは、マルグリットの心変わりを憎みながら、彼女への思いを断ち切れない自分を持て余し、捨て鉢になっていくアルマンの苦悩が感じられた。自分の余命を悟ったマルグリットはアルマンを訪れ、自分をこれ以上、苦しめないで欲しいと訴える。おずおずとアルマンに近づくマルグリットに冷たい視線を向けたアルマンだが、彼女への思いが抑えきれなくなり、マルグリットも逡巡しながらアルマンに身を任せてしまい、情熱的な狂おしい"黒のPDD"が繰り広げられた。アルマンはマルグリットを宙に投げて受け止める激しいリフトを繰り返し、二人は抱き合ったまま床を転がった。バデネスとフォーゲルの凄みを感じさせる演技からは、求め合う二人の魂の叫びが聞こえてくるようだった。嵐のようなデュエットの後、マルグリットはマノンの幻に促されるように、ムッシュー・デュヴァルとの約束を守ろうとアルマンから去っていった。マルグリットの真意を知らずに怒りに燃えるアルマンが、舞踏会でマルグリットに今までの報酬として札束を投げて侮辱するところで、彼の回想が終わる。物語の続きは、侍女ナニーヌがアルマンに渡したマルグリットが遺した日記で語られる。
Photo Kiyonori Hasegawa
日記には、マルグリットが最後に劇場で観た『マノン』のことが記されていた。落ちぶれたマノンが最後まで愛し続けてくれたデ・グリューの腕の中で絶命する最終シーンだった。劇場を出た後も、マルグリットはマノンたちの幻影に悩まされる。なお、物語の解説に「彼女(マルグリット)の分身であるマノン」「マルグリットはマノンと一体化する」などとあるが、マルグリットは、マノンのように贅沢で享楽的な生活を欲してアルマンから去ったのではなく、アルマンへの真の愛から身を引いたのであり、そこがマノンとマルグリットの生き方の決定的に異なる点ではないかと思う。衰弱していくマルグリットは、アルマンとの再会を願う思いを綴った日記をアルマンに届けるようナニーヌに託した。マルグリットは、アルマンの幻は見ることはできただろうが、再会は叶わず、マノンのように恋人に看取られることもなく、孤独のうちに寂しく息を引き取った。アルマンは真相を日記で知るが、もはやなすすべもない。無言で日記を閉じ、放心したように立ち尽くすところで幕になる。マルグリットがわずかな時間でもアルマンと再会できたなら、少しは救われただろうが、どこまでも暗くわびしいエンディングだった。
カーテンコールでは、作品の舞台では再会できなかったバデネスとフォーゲルが固く抱き合って登場すると、嵐のような拍手が起こった。作品を振付けたノイマイヤーが現れると、さらに盛大な拍手が巻き起こり、自然にスタンディングオベーションになった。上演にあたって、ノイマイヤーは細部に磨きを掛けたようで、全体に極めて完成度の高い舞台だった。次なる来演を予告するかのように、「SAYONARA」「See You Again」の横幕が吊るされて、12回目の日本公演は盛況のうちに幕を閉じた。
(2024年11月10日 東京文化会館)
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