ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2010.05.10]
かつては、”新しい”といわれる芸術表現にこそ関心があった。しかし、気が付いてみると、今は”新しい芸術表現”にはほとんど興趣が湧いてこない。多くの場合、”新しい”といわれるところを尋ねてみても、それはじつは”珍奇”のことであり、「真実、新しいものに触れた」という清新な悦びを感得することはまったくといっていいほどない。 むろんダンスの表現もまた同様で、自身の関心が結局、古きを温ねることになってしまうのは、良いことの兆しなのか停滞の証しなのか、わからなくなって暗中模索が続く。 一方では、そうした迷いが全くなく、古いことの探索に邁進している人や、新しいと言われることを必死に追究している人がいる。その確信は一体どこからきているのだろうか、不思議に思えてくる。

壮大な愛のカタストロフィ『エスメラルダ』、ドラマを凝縮して音楽と融合『白鳥の湖』

Stsnislavsky & Nemirovich-Danchenko Moscow Academic Music Theater Ballet
Opening Gala/Vladimir Burmeister "Esmeralda"、"Swan Lake"
スタニラフスキー&ミネロヴィッチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場バレエ団
「オープニング・ガラ」/ウラジーミル・ブルメイスティル振付・演出『エスメラルダ』『白鳥の湖』

国立モスクワ音楽劇場バレエ団といえば、チャイコフスキーの原典に還って再振付・演出されたブルメイスティル版『白鳥の湖』を初めて観た時のドラマティックな感動もさることながら、本拠地のモスクワの劇場で1990年に初演された、ウラジーミル・ワシーリエフ振付の『ロミオとジュリエット』を観た夜の鮮烈な印象は忘れ難い。
舞台を上下2段に分けて同時進行で物語を展開するのだが、中央にオーケストラのメンバー全員に中世の僧衣を纏わせて帯状に並べて区切りとする、というクラシック・バレエではとても考えられない舞台空間設定に、まず仰天。ロミオを演じたのは今回『エスメラルダ』でフロロを演じたウラジーミル・キリーロフでなかなかの熱演だった。しかしそれよりも何よりも休憩時に楽屋で見た、ナチュラルウェーブの光り輝くプラチナの髪を、たてがみのように靡かせて精力的に動き回るワシーリエフの強烈な存在感が圧巻だった。私は楽屋の隅で小鳥のように振えていたが、当時の古い劇場(2006年に焼失)は木造で、巨大なヒグマのようにのし歩くワシーリエフの足下で、木の床がギシギシと悲鳴を上げていたのを記憶している。
モスクワにはボリショイ劇場があり、世界有数のバレエ団が活発に活動している。しかしそこからほど遠からぬ場所にある劇場では、クラシック・バレエの伝統をでんぐリがえすような大胆不敵な演出が試みられている。作品の評価はさておいても、そこに漲る劇創造のエネルギーの膨大さには圧倒されショックを受けた。
今日では、その1990年にボリショイ・バレエ団のプリンシパルに昇進したセルゲイ・フィーリンが芸術監督となっている。恐らくフィーリンもワシーリエフの『ロミオとジュリエット』の初演は観ているだろう。もちろん、そうしたロシア・バレエの”ボリショイ”な創造のエネルギーは、フィーリン監督の中に脈々と受け継がれているに違いない。

「オープニング・ガラ」

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プティパの振付をミハイル・ラヴロフスキーが改訂振付けし、フィーリンが演出した『パキータ』で幕が開いた。コール・ド・バレエはよく整えられており、衣裳の豊かな色彩が活かされた見事な舞台だった。
続いて第2部が始まるとプロコフィエフ音楽の『石の花』。あのグリゴローヴィチの独特の群舞のステップが、古いスラブの民俗的なデザインの色とりどり衣裳を着けたダンサー立ちによって、舞台狭しと繰り広げられた。ライブでグリゴローヴィチの謳いあげるステップを感じるのは、じつに久しぶり。良かれ悪かれグリゴローヴィチの威光が隅々にまで行き渡っていたボリショイ・バレエ団の感触が甦り、なかなか感慨深いものがあった。
昨年のモスクワ国際バレエ・コンクールでジュニアの銀賞を授賞した地主薫バレエ団の金子扶生が、ゲオルギー・スミレフと『グラン・パ・クラシック』を踊った。金子はまだ青い蕾の雰囲気を残すが、それが清潔で何より初々しさが際立って美しかった。
1985年にこのカンパニーの首席バレエマスターとなり、来日公演を指揮したこともあるドミトリー・ブリャンツェフ振付の『ロマンス』(音楽ゲオルギー・スヴィリードフ)も上演された。この作品にも見られたように、ブリャンツェフは細やかなモダンな感覚の持ち主で、親日家だったが不幸な死をとげた。その裏にはロシアの暗い側面がある、とも噂された。
前述の金子扶生とモスクワ国際バレエ・コンクールで銀賞を授賞した地主薫バレエ団の奥村康祐が、ガリーナ・イスマカーエワとブルノンヴィルの『ゼンツァーノの花祭り』を踊った。奥村はブルノンヴィルの軽やかなステップを品よくすっきりと見せてくれた。ロシア人ダンサーの中で踊ってまったく遜色のないレベルの高さには感心させられた。
モスクワ出身だが、サンクトペテルブルクでミハイル・フォーキンに師事してマリインスキー劇場で踊り、後にボリショイ・バレエに戻り、センシティヴな振付けで注目を集めたカシアン・ゴレイゾフスキー振付の『悲しみの鳥』はマリーヤ・セメニャチェンコのソロ。音楽はモーリス・ラヴェルである。悲しみを訴える手の美しい動きが、生命の偉大さを浮かび上がらせるダンスだった。
他にはナターリヤ・レドフスカヤとセミョーン・チュージンの『ジゼル』、ラヴロフスキー振付・演出の『ワルプルギスの夜』(抜粋)、ナターリヤ・ソーモワ、スミレフスキ他が踊った『ドン・キホーテ』などがガラ・パフォーマンスを華やかに彩った。
(2010年4月13日 Bunkamura オーチャードホール)

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ブルメイステル版『エスメラルダ』

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1950年に初演されたユーゴー原作、プーニ、グリエール、ワシレンコ音楽、ブルメイステル振付・演出の『エスメラルダ』を、2009年に芸術監督のフィーリンがリバイバルし演出を加えたヴァージョンである。原作に描かれ、ジュール・ペローの振付でも重要な役をどころとなる詩人グランゴワールは登場しない。
プロローグは幼いエスメラルダと母が生き別れるシーン。愛する娘を失って母は狂乱する。そしてラストシーンで無実の罪を負わされて死刑に処されるエスメラルダを愛娘の成長した姿と知る悲しい運命を生きる。醜悪な姿のカジモドは美しいエスメラルダに秘かな愛を抱いている。エスメラルダは『ジゼル』のアルブレヒトよりもさらに誠意の無いフェビュスを愛するが、2人の世界の違いは歴然。ノートルダム寺院の僧フロロは、秘かにエスメラルダを我が物にしようとたくらんでいる。
といった救いようのない無情な悲劇の糸が絡み合って、エスメラルダの死へとドラマは進んでいく。

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希望を持つことさえ叶わない虐げられた群衆は、寺院前の広場に屯して虚しい時を過ごしている。祭りの時には醜いカジモドを民衆の”王”に仕立てて、その皮肉を喜ぶという退廃ぶりをも曝け出している。
こうしたアナーキーな群衆と、ペシミスティックな愛の姿がコントラストを描きながら次第にカタストロフィへと向かっていく。狂ったはずの母が死の直前の我が子に気付く、という天涯孤独なエスメラルダに残されていた唯一の救いが、この悲劇をいっそうドラマティックに際立たせる。じつに見事な物語の展開というべきだろう。
フェビュスとエスメラルダの出会いのパ・ド・ドゥなど優れたダンスシーンも多いが、群衆の力強い群舞が圧巻だった。
(2010年4月15日昼 Bunkamura オーチャードホール)

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ブルメイステル版『白鳥の湖』

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ブルメイステル振付・演出の『白鳥の湖』(第2幕はイワーノフの振付をグーセフが復元)は、1953年にモスクワ音楽劇場バレエによって初演された傑作である。
プロローグはオデットがロットバルトに捕まって白鳥に変えられるシーン。
第1幕は、自由な青春の終りの時を迎えるジークフリード王子の憂愁を時折交えながら、宮廷の野外の遊びを情趣豊かに三人の道化を使って描く。そして第2幕のアダージョ。幽囚の哀しみを表すコール・ドのフォーメーションとオデットの清らかな愛。オーケストラがシンフォニーを演奏しているように動きと音楽が揺るぎなく一体化している。何回観ても美しく感じられる見事な振付である。
第3幕は第1,2幕とは対照をなすように、ロットバルトがディヴェルティスマンを目まぐるしく操り、オディールを踊らせてジークフリード王子を眩惑する。清らかな愛と眩惑されて昂る愛、ソロもパ・ド・ドゥもコール・ド・バレエも演奏も鮮やかに鋭いコントラストを描く。さらにまた、道化を四人つかって第1幕のフーガのような効果もあげている。
第4幕も渦巻くようなフォーメーションが、見事にカタストロフィへと向かっているだけに、オデットが白鳥から人間に戻る、というエンディングは、プロローグと一対になっているとは言え、やや物足りない感が無きにしもあらずだった。
とはいえ、ドラマティックな要素を凝縮した構成でありながら、音楽を絶対に劇伴とせず、楽想と演劇的テーマを見事に融合させている。一貫して密度の濃い舞台で構成されている。
オデット/オディールを踊ったナターリヤ・ソーモアは、一見、おっとりとしたキャラクターに見えるが、第3幕では客席をもねめつけ「黒」を際立たせた。全身がひきつるような緊張感まではないが、作品のクオリティにも助けられて好演だった。ジークフリード王子を踊ったセミョーン・チュージンは、「オープニング・ガラ」とは見違えるほどの好演だった。全体を通して演技を抑え目にしたのが功を奏したのかもしれない。
(2010年4月17日 Bunkamura オーチャードホール)

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写真提供:キョードー東京
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