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佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2009.03.10]

ノイマイヤーの新作『人魚姫』と『椿姫』

Hamburg Ballett
John Neumeier : 『Die Kleine Meerjungfrau』 『Die Kameliendame』
ジョン・ノイマイヤー演出・振付『人魚姫』『椿姫』

 ハンブルク・バレエ団が、芸術監督ジョン・ノイマイヤーに率いられて4年振りに来日した。今回の来演は、この振付の偉才の芸術監督就任35周年を記念するものでもあった。演目は、アンデルセン生誕200年を記念して、デンマーク・ロイヤル・バレエ団のために創られたホットな新作『人魚姫』(2005年初演、2007年改訂)と、再演を熱望する声に応えて再演が叶った『椿姫』。ともに文学作品に基づいており、テーマは愛である。
『人魚姫』はアンデルセンの同名の童話に基づくが、ノイマイヤーは、バイセクシャルだった作者が、親友が結婚して自分の元を去ってしまったことへの悲しみをこの童話に込めたと知り、これをプロローグに描き込んだ。作者を詩人として登場させ、詩人が船上でエドヴァートとヘンリエッテの結婚式を思い出して流した涙が海に落ち、海底で人魚姫となって、原作に独自のカラーが加えられた物語が始まる。時代設定は現代に引き寄せられ、エドヴァートを船長の王子として、ヘンリエッテを浜辺で王子を介抱する修道院学校の女生徒の王女として描いたことで、物語はより身近なものになった。人魚姫は詩人の創造物だが、詩人の分身でもあるのだろう、詩人は人魚姫に寄り添い、ドラマの展開を見守り、促しもした。音楽はデンマークの作曲家レーラ・アウエルバッハのオリジナルである。
振付で最も独創性が発揮されたのは人魚姫(シルヴィア・アッツォーニ)の動きだろう。長い袴のような尾ひれをつけ、黒子たちにダイナミックにリフトされて舞う姿は、黒子たちとの息も見事に合い、海中を自在に泳ぐ魚そのものに映った。衝撃的だったのは、脚をもらって人間になるシーン。海の魔法使いに尾ひれをはがされ、脚を得たが、鱗もはがされ総タイツだけの裸になる瞬間は息をのんだ。辛さをこらえて必死に脚を動かし、立ち、歩くことを習う様はひどく痛々しそうだが、そこにダンサーがバレエの技法を学んでいく過程がダブって見えた。

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 アッツォーニは王子に愛を伝えようと煩悶し、顧みられずに嘆き、王子の花嫁の介添えを務める辛さに耐え、王子を刺そうとして果たせずに葛藤するといった、激しく揺れ動く人魚姫の繊細な心の内を手に取るように伝えて哀れを誘った。
エドヴァート(カーステン・ユング)は王子となり、甲板でゴルフに興じ、落ちたボールを追って海に潜るが、少々愚かで知性にも掛け、人魚姫の愛にふさわしいとは思えない描かれ方。対照的に、最初はエドヴァートと同じレベルにいた詩人(イヴァン・ウルバン)は人間として成長し、魅力を加えていった。すべてはノイマイヤーが意図したことに違いない。海の魔法使い(オットー・ブベニチェク)は、空を切るように飛び回って威力を発揮し、舞台を引き締めた。ただ悪役ではないので、強烈な隈取りには違和感を覚えた。
ノイマイヤーは人魚姫の物語を海の中と地上の世界だけで終わらせずに、詩人と共に人魚姫を天上に昇らせ、人魚姫の魂は永遠のものに、詩人の創作は不滅のものになったことを象徴した。星がまたたく宇宙で、詩人と人魚姫が泳ぐように舞う幕切れは意味深く、振付家のメッセージが感じられた。
(2009年2月12日、NHKホール)

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『椿姫』は、1997年に日本初演されて以来の全幕上演。ノイマイヤーのバレエはヴェルディのオペラと比べてデュマ・フィスの小説により忠実だが、単なるバレエ化ではない。 
ノイマイヤーは、アベ・プレヴォの小説『マノン・レスコー』によるバレエを劇中劇として挿入したのだ。プレヴォが描いたマノンとデ・グリュの悲劇的な愛に、『椿姫』のマルグリットとアルマンの愛をなぞらえたことで、マルグリットの心情がより深く浮き彫りにされたといえる。マノンは劇中劇の中だけでなく、マルグリットの恐れを煽るように彼女にからみ、マルグリットが戻るべき世界を示すように宝石を掲げてみせもした。
舞台は、亡くなったマルグリットの財産が競売にかけられているところに、恋人だったアルマンが駆け込んできて、父親に彼女との愛を語って聞かせる形で始まる。バレエ『マノン』を観た劇場でのマルグリットとの出会いと愛の告白、彼女との幸せな日々、突然の一方的な別れ、愛の再燃、彼女に与えた侮辱…。彼女が晩年に観たバレエ『マノン』の幻影におびえながらも彼との再会を望んでいたことを、アルマンが彼女の日記を読んで初めて知るまで、すべては淀みなく語られた。全く緊張感が途切れることのない緻密な構成に、改めて感心した。音楽はショパンのピアノ曲やピアノ協奏曲。切なく響く旋律や激しい曲想に、登場人物の心を見事に合致させた振りは、説得力を持って観る人に迫った。
見せ場は、各幕に用意されたマルグリット(ジョエル・ブーローニュ)とアルマン(アレクサンドル・リアブコ)のパ・ド・ドゥで、場面毎に異なる状況や心理を二人は踊り分けた。最初のデュオは、高級娼婦として華やかに暮らすマルグリットが若いアルマンの無邪気な愛の告白を受け入れて共に踊るもので、ヒロインが純真な愛に戸惑いながら次第に心を開いていく様を、ブーローニュは巧みに伝えた。彼女がアルマンとの愛だけに生きる決意をした後に置かれたデュオからは、穏やかな幸福感が立ち上ってきた。
最後のパ・ド・ドゥで、二人は再び愛をほとばしらせる。マルグリットは全身に悲しみを滲ませて登場し、アルマンに身をゆだね、リフトされるたびに大きく背を反らせ、彼の激情をひたすら受け止めることで愛の証をたてようとしているように映った。アルマンは、荒々しくマルグリットの服を脱がせ、抱き合って床を転げ、高くリフトしては抱え込み、激情を爆発させた。
リアブコのアルマンは、純粋なだけに自分をコントールできなくなる直情な青年という役作り。強靭なテクニックの持ち主で、怒りに駆られた時にみせた驚異的なグラン・ジュテでは、足の先端から怒りが放出されているように感じられた。ブーローニュは細やかな演技が光っていた。アルマンの父(カーステン・ユング)が息子と別れるようマルグリットに迫る場面で、抵抗しながらも受け入れるよう追い込まれていく様を、ブーローニュは演技の幅も大きくリアルに伝えた。アルマンへの愛を封じた後の控え目な態度に、ブーローニュはヒロインの哀しみを注ぎ込んだ。それだけに、ヒロインが孤独のうちに死んでいく幕切れは、彼女の無念さを強く偲ばせるものとなった。
(2009年2月18日、神奈川県民ホール)

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