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ピーピング・トムが『トリプティック』で描いた、洋上を走る豪華客船の空間に錯綜する終末的絶望感に戦慄した

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

ピーピング・トム/トリプティック

「ミッシング・ドア」「ロスト・ルーム」「ヒドゥン・フロア」ガブリエラ・カリーソ、フランク・シャルティエ:構成・演出

ピーピング・トムの『トリプティック』が世田谷パブリックシアターで上演された。ピーピング・トムの日本公演は2009年の『土の下』以来、『ヴァンデンブランデン通り32番地』(2010年)『フォー・レント』(2014年)『ファーザー』(2017年)『マザー』(2023年)と世田谷パブリックシアターで行われてきた。
今回上演された『トリプティック』は、NDT1の委嘱により制作された『ミッシング・ドア』(2013年)『ロスト・ルーム』(2015年)『ヒドゥン・フロア』(2017年)を再構成した作品であり、2017年にデン・ハーグでNDT1のダンサーにより上演された舞台に基づいている。そしてこの『トリプティック』は、2023年にパリ・オペラ座の招聘により、ピーピング・トムのキャストがガルニエ宮で上演し、連日満員の観客の喝采を浴びた。
『トリプティック』の構成・演出はガブリエラ・カリーソとフランク・シャルティエだが、この二人は、ベルギー出身の演出・振付家アラン・プラテルのカンパニー、les ballets C de la Bで踊っていて出会い、2000年にピーピング・トムを結成した。ベルギーのゲント生まれのアラン・プラテルは、教育学を学び、身体的・知的障害のある子どもたちと働いたのちに、マイムとバレエを始め、les ballets C de la Bを設立し、ヨーロッパのフェスティバルなどに作品を発表して注目を集めた。そして、2000年代にはいわゆる<フレミッシュ・ウェーヴ>の中心としてベルギーのコンテンポラリー・ダンスを世界に知らしめた。また、プラテルは「バウシュの子」と称してピナ・バウシュに敬意を表している。
ピーピング・トムは、ダンス、演劇、ライヴミュージックなど様々なパフォーマンスを融合したり、アマチュアや高齢者など多様な人たちを出演させるなど、プラテルのスタイルを継承しているところもあるが、常に独自の閉鎖空間を設定して極めて濃密なダンスを創造する独自の活動を展開しており、ハイパーリアリズムの美学による舞台、とも評されている。
<3部作>を意味する『トリプティック』は「ミッシング・ドア」「ロスト・ルーム」「ヒドゥン・フロア」を再構成したもので、洋上を走る豪華客船の中の三つの空間を舞台としている。大海を走り続ける豪華客船の中で起こる出来事を、登場人物たちの深層意識を白日の下に晒す苛烈な身体表現によって描いている。

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「ミッシング・ドア」© 片岡陽太

「ミッシング・ドア」は黒いドアがいくつかある船のサロン。Tシャツに血をにじませた男が椅子にもたれている。その前を給仕が遺体を無造作に運び出している。男の足元をタオルで拭うと真っ赤な血が溜まっていた。閉ざされたドアは、時に開いたり、歪んだり、微動だにしなかったり、極めて不安定。ドアを開けようとする男の身体の一部の動きが繰り返し反復されて強調される。ドアを拳で敲く動きが止まらなくなり、凄い速度で反復される。極度に追い詰められると、身体が特定の動きを自律的に反復させるのか。かと思うとドアを磨くタオルが勝手に床の上で動いたり、身体から発生する幻想ともとれる事象が現れる。そんな剣呑な状況下で、男と女の凄まじい葛藤が繰り広げられる。女を無理無理に、不可能と思われる方向に捻ったり、ゴム人形のように振り回す男。想像域を超えて体勢の際どいバランスを保つ女性ダンサーの、サーカスのアーティストのような極限的身体能力には、心底、驚かされた。これは男女の身体性を極限にまで突き詰めると、男と女の関係はこうなるのだ、という潜在下の意識を表しているのだろうか。そしてこの二人の男女の激しい絡み合いが中心となって、奇怪な事態が不連続的に展開されていく。
ラファエル・ラティーニ(音響ドラマターグ)による音響は、激しい雷鳴のような破裂音、深く響く不吉なゴロゴロという音、奇怪な電気音、音楽の断片などが混淆されたもので、聴いているだけで観客としての存在感覚が揺さぶられるようだった。

「ロスト・ルーム」は、ベッドが置かれたキャビン。若いメイドがベッドを整え、大きな花が運び込まれるという具象的なシーンから始まる。だが、突然、雷鳴とともに激しい風が部屋に吹き込んで何もかもが吹き飛ばされてしまったり・・・奇怪な迷宮に迷い込んだかのよう状況となる。脳に響くような赤ん坊の声が絶え間なく続き、女と男が激しくもみ合い、クローゼットから何人もの男がなだれ込んできたり、おぞましい騒動が繰り広げられる。赤ん坊が戦火の中で翻弄されている状況にも感じられる凄まじい事態も現れる。新しい命を産んで育て、社会を移譲していかなければならない、という人間の宿命が剥き出しの欲望が衝突する現実の中に厳しく描かれていた。ベッドに埋め込まれた女の顔からは、絶え間なく、奇妙なこの世のものとも思えない嘆き声が響くシュールなシーンがあり、やがて赤ん坊の死が明らかになる。するとドアから、トランクを幾重にも重ねて背負った男が現れ、ベットに腰掛けてひたすら泣く。女が呪いの言葉をつぶやいて去る。そしてそこは涙の海となった。

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「ロスト・ルーム」© 片岡陽太

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「ロスト・ルーム」© 片岡陽太

「ヒドゥン・フロア」は、沈みゆく豪華客船の廃業されたレストラン。天井から水が絶えることなく滴り落ち続け、椅子とテーブルが二セット侘しく置かれている。フロアは水浸しで、窓の外は水中でこの客船は沈没している。暗く陰鬱な空間の中、6人のダンサーがのたうち回る。執拗に女を振り回す男、テーブルに座って延々と飲み食いを続ける女、水浸しのフロアで水しぶきを上げて滑ったり、全裸で女を抑えつける男などが次々と現れ、終末的絶望感を輻輳する。やがて水中と見えた窓の外には、猛烈な火炎が激しく燃え盛る。誰かが船の油に火をつけたのか・・・それとも死に瀕した人たちの眼に映った地獄の幻影なのか。

ピーピング・トムの作品は、時間と空間を超えて現実と幻想を混濁させたカオスを閉鎖空間に現して表現さるので、文章で伝えることはなかなか困難である。そのためか、デヴィット・リンチ監督の映画やエドガー・アラン・ポーの小説、ヒエロニムス・ボッシュの絵画などを援用して紹介されていたりする。また、ピーピング・トムは、安部公房原作、勅使河原宏監督の映画『砂の女』や深沢七郎原作、今村昌平監督の映画『楢山節考』などにも触発されたことがある、とも伝えられている。
ただ『トリプティック』は三つの作品を(おそらく圧縮して)再構成しているからか、ピーピング・トムの他の作品にあった独特の深奥に苦く響くユーモアがあまり感じられなかった。これは個人的には少し残念だった。
(2025年9月27日 世田谷パブリックシアター)

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「ヒドゥン・フロア」© 片岡陽太

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「ヒドゥン・フロア」© 片岡陽太

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