ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2009.01.13]
テレビ番組で観たのですが、地球は赤道まですっぽりと氷河に覆われた全球氷結となったことがあり、それによって今度は酸素が爆発的に増えて生命が発 達し、また二酸化炭素に覆われて温暖化する、ということを何百万年だか何千万年だかのサイクルで経験している、そういう説が有力だそうです。そんな環境で も生命は、地中深くや深海で生き延びてきた、といわれています。実際に、塩の結晶に何億年も閉じ込められていた微生物が栄養を与えられて、現代に生き返っ たりしています。そして生命とは、有限なものではなくて永遠に連鎖していくものだ、とも考えられているそうです。なんだか、自然観と生命観が根本的にくつ がえされるかもしれない、そんな気もした新年でした。

ザハーロワ、アレクサンドロワなどによる、ボリショイ・バレエの魔力

 現在は改装中だが、天にアポロンの馬車をいただくボリショイ劇場の巨大なプロセニアムは、ロシアの大地と比例するように雄大。客席に着くとまず、その印象に圧倒される。
マリインスキー劇場のバレエ団とはまた異なった、ボリショイ・バレエの舞台が持つ底の知れないスケールの大きな魔力は、この巨大プロセニアムを持つ劇場を拠点としているところから生まれたのだろう。

『ドン・キホーテ』
08年のボリショイ・バレエ団の来日公演は、そのボリショイ劇場で1869年12月26日に初演されて以来、ずっと絶えることなく上演され続けてきた『ドン・キホーテ』で幕を開けた。
台本はプティパで、原振付プティパ、ゴールスキーに基づいてアレクセイ・ファジェーチェフが改訂振付、そして部分的にゴレイゾフスキー、ザハーロフ、シ マチョフの振付を挿入、とクレジットされ、プティパ版はもちろんファジェーチェフ版の初演日も1999年6月25日ボリショイ劇場と記されている。当然の ことだが、こうした正確な記録の集積が、無用の混乱を避け、伝統の正統な継承には必要不可欠なことだと思われる。ぜひとも、日本のカンパニーにも心がけて 欲しい。

 ドン・キホーテが騎士物語に夢中になって旅立つ、プロローグが終わるとボリショイ・バレエが作る舞台に、一気にスペインの踊りの王国が出現する。
カスタネット、タンバリン、ギター、アバニコ、ナイフ、ハレオ、パルマ、マタドールとその大きな赤い布などなど、スペインの様々な小道具を総動員して、 キトリ、バジルからエスパーダ、メルセデス、街の踊り子、さらにコミカルなキャラクターのガマーシュ、ロレンソ、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサたちが 加わって、じつにヴァラエティに富んだダンスが展開される。
これはスペイン以上のスペイン、スペインを越えたスペイン、長い冬の間に憧れ続けた明るい太陽とダンスへの熱い想いが培ったボリショイ・バレエの伝統の力が作った極上の楽園、スペインなのである。

  キトリとバジルは、ボリショイ・バレエらしくリフトを使ってアクセントを付け、かつてはプリセツカヤやアナニアジヴィリが踊ったキトリをマリーヤ・アレク サンドロワが若々しく仄かなエロスを漂わせて踊った。またワシーリエフやファジェーチェフが踊ったバジルは、ドミトリー・ペロゴロフツェフが青春の情感を 輝かせて踊り、圧巻の第1幕は瞬く間に終わってしまった。

 第2幕はキトリとバジルが隠れるタブラオで、ここではソロ・ダンスが中心となる。エスパーダに扮したアンドレイ・メルクリーエフの切れ味鋭い シャープな踊り、メルセデスや街の踊り子ルチアなどの踊りもなかなか見応えがあった。また、ここではちょっとバラード風のダンスも踊られ、スペインの居酒 屋の雰囲気を色濃く感じさせて楽しい。
そして風車の見えるロマ(ジプシー)の野営地のシーンでは、ドン・キホーテの猪突猛進などが演じられたが、まるでゴヤの絵が踊り出したような素晴らしい 色彩が忘れ難い。第3幕の貴族の館の色彩感覚も見事だったが、スペインの人々の生活の中に生きている色彩の鮮やかさを芸術的表現に高めた美術には、深く感 心させられた。衣裳も1906年の舞台のスケッチに基づいて復元されたそうだ。
『ドン・キホーテ』という名作を創り世界に送り出した、ボリショイ・バレエの実力を堂々と主張する見事な舞台だった。
(2008年12月3日 東京文化会館)

12/3「ドン・キホーテ」アレクサンドロワ&ベロゴロフツェフ 撮影:瀬戸秀美

『白鳥の湖』
『ドン・キホーテ』同様、『白鳥の湖』もボリショイ劇場で、1877年、チャイコフスキーの音楽にプラハ生まれのバレエ・マスター、ユリウス・レイジンゲ ルが振付けて初演されたバレエである。その後、種々の曲折を経てプティパ、イワノフ版が振付けられ、今日の『白鳥の湖』の基本形が創られた。
ボリショイ劇場では、プティパ、イワノフ版を改訂したゴールスキー版、メッセレル版などが踊られてきたが、今回上演されたユーリー・グリゴローヴィチ版(プティパ、イワノフ、ゴールスキーに基づく)が、今日、最も良く知られているヴァージョンだろう。

  グリゴローヴィチ版の特徴は、マイムを使わず踊りの流れのテンポを活かしたシャープな演出と、ヴィルサラーゼの大胆で抽象的な背景によって登場人物の心理 的陰影をくっきりと浮き上がらせる手法だろう。ロットバルトもジークフリート王子の心理を見透かすように、積極的に踊ってドラマを盛り上げる。
そしてまた、第3幕のデヴェルティスマンは、ハンガリー、ロシア、スペイン、ナポリ、ポーランドと各国の王女たちが充分に踊る。ディヴェルティスマン は、振付家によってドラマと直接的な関係をもたないから、といって省略したり軽視されることも時折あるが、バレエ全体の舞踊構成としては意味があり、たい へん重要な役目を果たしている。そのことをこのグリゴローヴィチ版の『白鳥の湖』は、非常によく教えてくれる。ストーリーを語るために漫然とダンスをなら べているのではなく、鋭く洗練された舞踊構成によってドラマを表現している。そのため観客には、振付・演出の流れとダンスのテンポが、じつにバランスよく 感じられるのである。

 オデット/オディールを踊ったスヴェトラーナ・ザハーロワは、細部を除けばほぼ完璧だった。特に、悠揚迫らざる踊りのラインの美しさは、21世紀のバレリーナの最高峰と言ってもいいのではないだろうか。ただ、グリゴローヴィチ版との相性はもう少し見てみたい気もした。
ジークフリート王子のアンドレイ・ウヴァーロフは、柔軟な動きと細やかな表現でザハーロワをよくサポートして密度の高い舞台を創った。
そして岩田守弘の道化がドラマを見事に盛り立て、舞台をいっそう華やかに際立たせた。
ボリショイ・バレエの魔力が細部にまで行き渡り、じっくりと醸成された情感がこめられた素晴らしい舞台だった。
(2008年12月5日 東京文化会館)

12/5「白鳥の湖」ザハーロワ&ウヴァーロフ 撮影:瀬戸秀美

ショスタコーヴィチ音楽、ラトマンスキー振付『明るい小川』
アレクセイ・ラトマンスキーは、初演から68年間も埋もれていた『明るい小川』をなぜ復活させたのか、と尋ねられて、まず第1に、ショスタコーヴィチの音楽が素晴らしいからだ、と答えている。
  ショスタコーヴィチは生涯に3曲のバレエ音楽(『黄金時代』『ボルト』『明るい小川』)を作曲したが、旧ソ連当局の批判を受け、1935年の『明るい小 川』以後は創っていないという。しかし、ショスタコーヴィチの音楽には振付家を刺激するものがあるのだろうか、マシーン、クランコ、ベジャール、マクミラ ン、モリスなどが彼の曲を使って振付を試みている。
そしてまた『明るい小川』も活き活きとしたモダンな感覚が素晴らしい、今にも踊り出したくなるような優れたバレエ音楽である。

 旧ソ連時代の地方のコルホーズ(集団農場)の収穫祭に、バレリーナやそのパートナーのバレエダンサー、アコーディオン奏者などの芸術慰問団やって きて巻き起こす、恋愛沙汰を明るくコミカルに描いた作品。内容はじつに他愛ないのだが、ダンスの妙味はいろいろと用意されていて、多彩なダンスが楽しめて たいへんにおもしろい。ロシア・バレエで言えば、もっと古典的だがプティパが振付けた『騎兵隊の休止』なども、こうした一種の滞在物のコメディ・バレエで あり、もっと古くは『無益な用心』(『ラ・フィーユ・マルガルデ』)なども、設定自体が笑いを誘うバレエになっている。

12/9「明るい小川」アレクサンドロワ&フィーリン 撮影:瀬戸秀美

 農業技師のピヨートルとその妻ジーナが主人公だが、慰問団のバレリーナに魅了されてしまった夫をこらしめるため、ジーナはバレリーナに変装。同じ バレリーナに言い寄る別荘の住人に対応するために、バレエダンサーがバレリーナに変装。バレエダンサーを誘惑しようとする別荘の住人の妻へは彼に変装した バレリーナが会いにいく。さらに、女学生のガーリャを誘うアコーデオン奏者に対しては、大きな犬のぬいぐるみを着たトラクター運転手が付き添う、といった 「とりかえばや」のおかしさにスプラスティックな味を加味した、クリエーターの才気を際立たせ誇示するかのようなバレエである。
圧巻は、バレエダンサーに変装したバレリーナ役のアレクサンドロワの男性ヴァリエーションだろう。男性ダンサー顔負けの力強さを、しなやかに柔軟に素敵 に踊り、観客を完璧に魅了した。一方、バレリーナに変装したバレエダンサー役のセルゲイ・フィーリンは、トウシューズの捌きも鮮やかに、ユーモラスに魅力 的に優雅に女性パートを踊った。指先からポワントの先まで女性らしさを誇張してみせ、客席と一緒になって楽しんでいるかのよう。
また、自転車や銃や弾薬帯、望遠鏡などの近代的な小道具を使い、モダンなセンスを光らせる。社会主義の青春時代に花開いたロシア・アヴァンギャルドの若々しいアイディアを駆使した表現技法が、今は不思議になつかしく感じられた。
結局ラストシーンは、ジーナ夫妻が元の鞘に納まるハッピー・エンドで、コルフォーズでは、仕事だけではなく生活も共にしていた人々のぬくもりが、どこからともなく漂ってきた。
(2008年12月9日 東京文化会館)

12/9「明るい小川」アレクサンドロワ&フィーリン 撮影:瀬戸秀美