ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2006.08.10]

ジャン=クリストフ・マイヨーの『夢』と『シンデレラ』

モナコ公国のモンテカルロ・バレエ団の来日公演『夢 Le Songe ~「真夏の夜の夢」をモチーフにして~』(2005年)と『シンデレラ』(1999年)を観た。

二作品とも芸術監督のジャン=クリストフ・マイヨーの振付である。実は、私は、マイヨーの振付の華麗な才能には感心していたが、その舞台に、もうひとつ 気持ちを入れて観ることができなかった。ひとつは音楽と振りの一体感が、マイヨーの才気走った表現のために犠牲にされているのではないか、という印象。も うひとつは、マイヨーの舞台表現に潜んでいる、いささか実感的といおうか皮膚感覚的といおうか、敢えて言えばロー・ブローともととれる感覚。そのふたつが 気になっていたのである。
しかし、今回の『 夢 Le Songe 』では、目が開かれる思いだった。

  マイヨーはシェイクスピアの『真夏の夜の夢』の世界を、妖精、アテネの人々、職人たちに分け、それぞれに音楽を配した。妖精はダニエル・テルッジによる電 子アコ-スティック音楽、アテネの人々にはメンデルスゾーンの曲、職人たちには振付家の弟で、演劇やダンスの音楽の分野で活躍しているべルトラン・マイ ヨーの曲である。
オベロン、タイターニア、パックなどの妖精たちは、愛の本能そのもの、人間たちが営む愛そのものが妖精の姿となっている。あるいはまた、彼らはしばしば神々の姿となって人間の前に現れるが、ふつう彼らは人間の目には見えないのである。
ハーミア、ライサンダー、デミトリアス、ヘレナなどのアテネの人々は、愛し合い結婚を望むごくふつうの人間たちである。ニック・ボトム、クインス、ロビ ン・スターヴリングなどの職人たちは、物を造る自分たちの仕事にフェティッシュな愛を感じている。ここでは彼らは、結婚式の余興の芝居創りに熱中している のだが。
  愛という観点から人間を、愛し合い結婚生活営むふつうの人たちと物を造ることを愛し没入するフェティッシュな人たち、という2分法で捉えていいのかどうか は私には不明だが、少なくともこの作品ではそのようにみえた。可動式の装置も完結した世界を表していて、人間の欲望全体を捉えているという説得力もあった と思う。
ともあれ、この三つの世界が交錯し、オベロンの要望やパックの戯れ心が作用して、愛に関する様々の態様が繰り広げられる。そのポリフォニックなブレンドが、美術や照明の高度の技術を駆使しつつ絶妙であった。
アテネの三つのカップルが入り乱れるアップテンポのダンス、コメディ・フランセーズの薫陶を受けたという職人たちの劇中劇など、見応えのあるシーンが多 い。その中でも、多くの評者が指摘しているように、オベロンによりロバに変身させられたボトムと、そのロバに惚れさせられてしまったタイターニアが愛し合 うシーンが圧巻。メタリックなシルバーのトーンの身体に密着した衣裳と、尖端に房のついた長い白い綱を使った、大きな輪郭を描く大胆な動きに、会場は一瞬 静まり返った。見事な造形力というべきであろう。
終盤の結婚式では、収まるべきところに収まったカップルが愛の結晶となって、アテネの彫像のごとくポーズをとる。エロス的世界を鮮やかに象徴的に集約したシーンである。(7月14日、オーチャ-ドホール)

 一方『シンデレラ』は、プロコフィエフの音楽を使っている。
マイヨー版では、シンデレラの亡くなった実の母が仙女として登場。シンデレラと、今は再婚して優しい心を見失っている実の父に奇跡を起す。継母と異母姉妹は、欲望に取り憑かれた人間であり、シンデレラは、かつて父と母が愛し合っていた幸福な家庭を願っている。
仙女の計らいにより、王子の舞踏会に招かれたシンデレラの足は光り輝いていた。王子はその足の輝きこそ、自分が求めていたもの、と思い愛のパ・ド・ドゥを踊る。しかし、12時が告げられるとシンデレラは消える。
 王子はシンデレラを求めて旅にでるが、仙女に助けられて無事再会を果す、という物語となっている。
幸せを求めるシンデレラと愛に目覚めた王子の出会いを、仙女によって実現していく、魔術的ファンタジーである。全体にマイヨー独特のテンポで描かれてお り、いささか単調に感じられるパートもあったし、音楽と振りが途切れたように感じられるシーンもあった。しかし、凝った美術やきらびやかな衣裳と、自在の ダンスで雰囲気あふれる舞台だった。(7月9日、オーチャ-ドホール)