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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2006.07.10]

ジゼルは幸せだったのか、3作の『ジゼル』から

私は『ジゼル』を観る時は、いつも「このジゼルは幸せだったか」と問うことにしている。舞台がはねた後、「今日のジゼルは幸せだった」という感想を持て た時は、その『ジゼル』は成功作。しかし「今回のジゼルは幸せじゃなかったかもしれない」と感じられた場合は失敗作、そう一人決めしている。
最近はなぜか『ジゼル』の上演が多いから、比較するチャンスも自ずと増えている。

まずは新国立劇場バレエ団の『ジゼル』。これはコンスタンチン・セルゲイエフ版でドジンスカヤが監修しているが、ゲストは、クレマリー・オスタとパン ジャマン・ペッシュのオペラ座ペアだった。私はオスタのジゼルを切望していたのでよかったが。アルノはそのためにバレエマスターに入っているのだろうか。 あるいは、今さらロシアだとかフランスだと言う方がおかしい、ということなのか、マリインスキー劇場にオペラ座のダンサーがゲスト出演するのとは明らかに 異なるのだから、不思議な感じがしないではない。ところが役名はアルベルトとハンスで統一されており、こちらは厳密なのだろうと拝察する。

 がしかし、オスタは来なかった。彼女自身が来られなくなったわけではないらしいが、諸般の事情で微妙な問題があるのであろう。チケットのキャンセルも可能だったが、ほぼ満席。
代役は昨年『ジゼル~能とバレエによる~』第2幕でジゼルを踊った新国立劇場バレエのソリスト、西山裕子だった。
セルゲイエフ版は、どちらかというと、ダンスとマイムの流れを重視し、テキストにはあまり目を向けようとしていない。ハンス(ヒラリオン)はただの敵役 であり、漠然とした農民の男である。農民のジゼル&ハンスVS貴族アルベルトという階級的な対立は、この悲劇の主要な要因とはなっておらず、三角関係の破 綻が描かれている。演出は演劇としてよりも音楽劇的に解釈されており、セルゲイエフがダンサーとして踊った経験を重視して、随所に改訂を施しているように 感じられる舞台である。

西山裕子は美しいプロポーションを生かして踊った。初めて踊る第1幕は、表情にやや固さが残ったが、第2幕はしっかりと踊りきった。ペッシュも第2幕で はノーブルな印象を残した。ただ、第1幕の愛の表現は、恋人を愛おしく抱き締めようとするペッシュと、初々しさを滲ませようとする西山の呼吸が合わず、二 人の愛の姿を舞台に浮かび上がらせるまでは到っていない。この点は第2幕でも修正されなかったように思われた。
とはいえ第2幕は全体に、フォーメーション、コール・ド、照明などが一体となって完璧とも思われる見事な舞台を創った。
(6月30日、新国立オペラ劇場)

熊川哲也版の『ジゼル』を松岡梨絵とスチュアート・キャシディのアルブレヒトで観た。松岡梨絵は初役とは思えないほど落ち着いてジゼルを踊った。第1幕 の素朴な初々しい村娘と第2幕の毅然として愛を貫くウィリーを、くっきりとしたコントラストを描いて見せた。彼女は、高い理想を心の中に掲げて踊ることの できるバレリーナである。
キャシディもあのコッペリウス博士を踊った同じダンサーとはとても思えないほど、抑制の利いた演技で堂々と踊った。さすがに英国ロイヤル・バレエのプリンシパルを務めたダンサー、と思わせる舞台であった。

熊川版は、セルゲイエフの改訂振付とは対照的にテキストにこだわり、プティパ版以来のマイムも尊重している。
まず、第1幕では、アルブレヒトは非常に細やかに丁寧にジゼルに心を配る。それはふつうの気の置けない若い恋人同士の関係としては、異常と言ってもいい ほどの慎重な配慮にも見える。それはむろん、名をロイスと偽り貴族の身分を隠し、婚約者まである身でありながら、この素朴な村娘に愛を囁いている罪の意識 が心理として滲み出ているからである。
一方ジゼルは、村の男たちからは感じたことのないアルブレヒトのノーブルなマナーにも心惹かれている。ヒラリオンは、アルブレヒトがあまり関心を示さな いジゼルの母ベルトに、猟の獲物を与えたり、水桶を運んであげたり、同じ農民の仲間として暮らしのレベルで交流している。
つまり、熊川版は演劇的な要素を重視し、観客がドラマとしてバレエの舞台に共感できるように演出・振付けているのである。
同じダンサーとして主役を踊った経験を持つ振付家のヴァージョンでも、このように異なった展開を見せている。その背景には、ロシアと英国のバレエ文化の違いがあるのではないだろうか。
(6月17日、オーチャ-ドホール)

もう1作の『ジゼル』は、NBAバレエ団の第3回トゥール・ヴィヨン公演で、安達哲治の演出・振付によるもの。原振付にはジュール・ぺロー、ジャン・コラリがクレジットされていた。
ジゼルはヤンヤン・タン、アルブレヒトはセルゲイ・サボチェンコ、ヒラリオンはアレクサンダー・ミシューチンである。ヤンヤン・タンの際立ったプロポー ションよるジゼルは、やはり、素敵だった。繊細とはいえないが、すべての動きがシャープで大きく見栄えがする。堂々たるジゼルであった。
振付は古典の良さを残したフォーメーションをモダンな感覚で構成しており、独特の美しさが感じられた。特に第2幕には、『レ・シルフィード』のフォーメーションを彷佛させ興味深かった。
(6月3日、調布グリーンホール)


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