ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2005.03.10]

●ハンブルク・バレエ団『冬の旅』『ニジンスキー』

  ハンブルク・バレエ団による続く二演目は、共に芸術監督ノイマイヤーによる近作。『冬の旅』(2001年)は、ミュラーの詩による24曲から成るシューベ ルトの歌曲集をバレエ化したもの。ノイマイヤーはこれを「奇妙で親しみのある世界からの自己の亡命」と解釈し、初演の3か月前に起きた9・11のようなテ ロや戦争に怯える現代を投影した。シューベルトのピアノ伴奏を創造的に編曲したツェンダーの管弦楽版を用いたのは、寒々とした風の音の効果音や無気味な不 協和音が、そうしたイメージに合うと考えたからだろう。失恋した青年のさすらいを通じて、疎外されたよそ者の悲愁を描いた歌曲集だけに、服部有吉が演じる 主人公に、西洋の国で西洋の芸術に携わる異国の人という含みが読み取れる。

舞台の手前には雪道、左手隅には街灯が一本、中央近くには三段の階段。顔写真を並べた後方の壁は、テロや災害の犠牲者の掲示板に見える。傘をさした黒い コートに山高帽の男がゆっくり舞台前面を横切ると、後方の扉から水泳パンツの服部が姿を見せる。閉じた扉をまた開け、服を着た服部が大きな荷物を持ち出そ うとして果たせずに、身一つで凍てついた外界に出る。スキップする少女、首吊り自殺(菩提樹の暗喩)へ誘う黒衣の女性、鞄を持って行き来する人々、ペアで ダンスを踊る男女、ビデオを見る男――。少年と心通わせる人はわずかで、多くは無関心。不条理に満ちた世界に少年の居場所は見つからない。

「宿屋」で、泊り客の群れが次々と倒れて遺体のように転がっていく様はホロコーストを連想させる。上半身裸の男たちや服部によるダイナミックな踊りが続 き、やがて集まった人々が後方の壁の写真を見る時、かけがえのないものが失われたと気付く。終曲のさすらう辻音楽師をノイマイヤーが自ら演じた。だぶだぶ の大きすぎるセーターを脱いで無垢な水泳パンツ姿に戻った服部は、老いた楽師と一体となり、その小太鼓をバチで叩き、心を響かせ合う。だが原詩のように楽 師に付いて行こうとはせず、ひとり扉の向こうの暖かそうな世界に帰って行くのだ。すべてを許容するような滋味深い眼差しをたたえ、床の小太鼓を拾おうとす るノイマイヤーの姿が感銘を与えた。
(1月31日、オーチャードホール)


『ニジンスキー』(2000年)は、二十世紀初頭にダンサー・振付家として華々しく活躍した後、精神を病んだ天才ニジンスキーの生涯を二部構成で綴った もの。第一部ではバレエ・リュス時代の栄光を描き、第二部では、ショスタコービチの交響曲第11番「1905年」を用い、天才の狂気を第一次世界大戦を背 景に浮き彫りにする。幕開けの公演は、ニジンスキーが「神との結婚」と呼んだ、1919年にサンモリッツのホテルで行われた天才最後のステージを再現する ものだが、ディアギレフの幻影を見たことで、回想の迷路に入り込む。

回想には、精神異常をきたす兄や振付家となる妹も現れ、ニジンスキーが得意とした「シェエラザード」の黄金の奴隷や「謝肉祭」のアルルカン、「薔薇の精」 の役が、何人もの分身によって踊られ、喝采を浴びる。彼が振り付けた「牧神の午後」や「遊戯」は不評をこうむるが、ノイマイヤーは、斬新すぎて理解できな かった当時の人々を揶揄してもいるようだ。バレエ・リュスの主宰者で、天才を庇護し愛人にしたディアギレフとの関係や、電撃結婚することになるロモラとの 出会いを、分身たちの踊りに示唆的にからめたのが効果的だ。天才をめぐる二人の確執も露になり、虚と実が様々に錯綜し、ニジンスキーの繊細で多面的な人格 は引き裂かれていく。

第二部は、ニジンスキーの狂気だけでなく、戦争そのものの狂気も抽出する。威圧的な軍隊の行進、とらえられるニジンスキー、乱舞する兵士たちと、緊迫した 場面が続く。子供時代やバレエ学校時代も回想され、ディアギレフの姿がよぎる。そりを引いて現れたロモラとのデュオには哀切さが漂う。だが戦争がすべてを 飲み込む。舞台は冒頭のホテルの公演に戻り、ニジンスキーが最後に踊ったという「戦争」が踊られるのだ。クロスして敷かれた赤い布(ロモラ?)と黒い布 (ディアギレフ?)を体に巻きつけ、十字架にかかるように両腕を広げて倒れるラストに、翻弄され続けた天才の悲劇が集約されて見えた。ニジンスキー役のイ リ・ブベニチェクを始め、ダンサーの表現力が素晴らしかったことを付け加えておきたい。
(2月3日、東京文化会館)