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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2011.06.10]

純白の劇空間に鮮やかな軌跡を描いた森下洋子の「白毛女」

清水哲太郎:演出・振付 新『白毛女』
松山バレエ団
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「白毛女」は、中国で「白毛仙女」の物語として語り継がれてきた話。1945年に魯迅文芸学院がオペラ化、それを当時の中国共産党が推奨した。さらに1950年には映画にもなった。その映画を観て感激した松山バレエ団創設者の松山樹子と清水正夫がバレエにして1955年2月12日、日比谷公会堂で初演した。
そして、この虐げられた民衆のエネルギーを解放する物語をバレエにした松山バレエ団と中国には、たいへん友好的な関係が生まれた。1955年10月、国慶節に招かれた松山樹子を周恩来総理は、オペラの主役の王昆、映画の主役の田華とともに3人の白毛女の一人として、外国記者団に紹介したという。
1958年には、松山バレエ団の第1回訪中公演が実現。北京の天橋劇場を皮切りに成都、重慶、武漢、上海を巡る中国ツアーが刊行され、『白毛女』全3幕を中心にクラシック・バレエのガラ演目で構成したプログラムが59日間28公演行われ、各地で大成功を収めた。それはちょうど、最近公開された映画『小さな村の小さなダンサー』の主人公が生まれる3年前のことだから、映画で描かれているような状況だったのかも知れない。当時の中国は、ロシアの教師によるバレエ教育は行われていたが、バレエが劇場で上演されることはまったくなかったので、多くの観客が『白毛女』見るために劇場に集まったという。
その後、国内はもちろん、数次にわたる中国ツアーも繰り返され、1971年の第四回中国公演の際、清水哲太郎の新演出による『白毛女』が森下洋子と清水哲太郎の主演により上演された。

そして今回、松山バレエ団の第三次改訂演出による新『白毛女』が昨年 9月の試演会を経て、5月の本公演を迎えた。その間に未曾有の大震災に襲われているだけに、団員たちの意識もいっそう高まったと思われる。森下洋子を中心に全員が熱のこもった舞台を作った。
まず、後に白毛女となる主人公の喜児と婚約者、王大春の結婚の絆である髻(もとどり)の鮮やかな赤と、深い雪に埋もれた純白の光景との象徴的なコントラストが鮮烈だった。そしてその雪景色の中で森下洋子が、白髪をたなびかせて深山の雪の精のように踊る。今年、舞台生活60年目を迎えたとはとても思えない身軽さで、神出鬼没の仙女のイメージを舞台上に描いた。彼女をとり巻く白毛女たちの群舞もなかなか美しかった。
舞台のプロセニアムから紗幕、フロアに敷き詰められたホワイト・リノリュウムまで、白で統一された劇的空間が見事に効果を上げていた。
森下洋子の喜児は、全身体を搾り尽くすかのような激しい怒りを表して演じ踊ったが、年齢を超越した軽快な踊りには、ただただ舌を巻くばかりである。八路軍から戻った王大春と、筆舌に尽くし難い苦難の果てに塩分の不足から白髪となり、大きな苦しみを抱えて結ばれ、「毛沢東万歳」を唱える。そのエネルギーを舞台上に表すことは、この作品の最も肝要な点であり、困難なチャレジでもあるだろう。しかしながら、あまりに本筋に力を注ぎ込んだために、登場人物の具体的な人間性を表すものがいささか少なかったかもしれないのは残念だった。
バレエ『白毛女』は、60年安保闘争や文化大革命に激しく揺れた時代背景とも遭遇したバレエであり、日本のバレエ界に大きな足跡を印した作品であることは間違いない。この第3次改訂演出版がどのように展開していくのか、見守っていきたいと思う。
(2011年5月3日 bunkamura オーチャードホール)

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