ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2009.08.10]
ダンスは身体で表現する芸術だし文学は言葉で表現する芸術。近年は、いろいろなジャンルの表現を駆使して作品を創ることが多い。そういうジャンルが交錯する現場で「言語表現は身体表現よりも優れている」、などと言ったら失笑を買うだろう。ところが、なんとなくダンスより文学のほうが知的だという”常識”がまかり通っている。小賢しい人物はそれを逆手に取って、「私は文学をやっていたがダンスにも関わるようになった」などと言って優位性を保とうとする。優秀な舞踊家がころりとその手にのってしまっているのを見ると、じつに悲しくなってくるのである。

ルジマトフの阿修羅の鮮烈な存在感、血塗られた『シェヘラザード』

ルジマトフ&レニングラード国立バレエのソリストとサンクト・ペテルブルグのダンサーたち

ルジマトフ&レニングラード国立バレエのソリストとサンクト・ペテルブルグのダンサーたち、という公演が行われた。長いタイトルだが、ルジマトフと彼が芸術監督を務めるレニングラード国立バレエ団のダンサーをメインとし、コンセルヴァトワール・バレエ団のダンサーも踊る舞台である。特別ゲストとして最近、目覚ましい活躍を見せている西島千博が迎えられている。
コンセルヴァトワール・バレエ団は、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場と道路を挟んで向かい側にある。リムスキー=コルサコフ記念という名称を冠するが、劇場横の広場には、リムスキー=コルサコフの銅像が立ち、マリインスキー劇場とともにこの劇場を見据えて、今日のアーティストたちがロシア舞台芸術の伝統の発展に務めるように見張っている。長いこと二キータ・ドルグーシンが芸術監督を務めていたが、今年からかつては向かい側のマリインスキー劇場で、芸術監督として采配を振るったオレグ・ヴィノグラードフが芸術監督に就任し注目を集めている。

プログラムは古典名作バレエとコンテンポラリーなバレエによる2部構成だった。
第1部の白眉は、やはり、ルジマトフが踊った岩田守弘振付の『阿修羅』だろう。鼓と笛と和のパーカッションと見事に共振するルジマトフの身体。再演の舞台だが、鋭い気合のこもった動きの軌跡と立像としての美しさによる鮮烈な存在感が、隙がなく完璧にも感じられた。
舞台を観ているうちに、ルジマトフはヨーロッパ人なのだろうか、それともアジア人なのだろうか、という疑問が湧く。ルジマトフは阿修羅の胸に秘められた情念を踊ったが、それはシルクロードを往来した仏たちの姿となってわれわれの前に顕現したかのように見えた。ルジマトフに阿修羅を踊らせる、という岩田守弘のアイディアは、歴史的な時間と空間を舞台に彷彿させる、じつに卓越したものだった。
第1部は、オクサーナ・シェスタコワとミハイル・シヴァコフの踊った『ドン・キホーテ』の華やかなグラン・パ・ド・ドゥで幕を閉じた。
 

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第2部は、オレーシア・ガピエンコとアンドレイ・ベーソフのコンセルヴァトワール・バレエ組が踊る「ディアナとアクティオン」で始まった。
西島千博は『NEOバレエ〜牧神の午後』を自作自演。彩り豊かなドビュッシーの音楽の曲想を現代の若者の中に甦らせた。もう一人の自分の中に宿る魔の一刻の幻想とその幻想が生んだ一枚のヴェールと戯れる若者。通過儀礼を祝福するかのようなヴェールを通して新しい生命が躍動するひと時を描いた。洒脱でモダンな感覚で描かれた『牧神の午後』だった。
そして最後の演し物は、レニングラード国立バレエ団のイリーナ・コシュレワとルジマトフが踊った『シェヘラザード』。ハーレムの王の愛妾ゾベイダと金の奴隷が専制的権力から解放されて踊るシーン。つかの間の悦楽を味わった二人は殺される。そればかりではない宦官を始めとするハーレムのタブーを破った者全員が虐殺される。リムスキー=コルサコフの色彩が乱舞するかのような音楽は、皆殺しのバラードを奏でている。フォーキンの振付によるゾベイダと金の奴隷のパ・ド・ドゥは、皆殺しの血によって描かれた美である。コシュレワが官能的な見事な肢体を見せた。
(2009年7月22日 ゆうぽうとホール/撮影:瀬戸秀美)

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