ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2010.09.10]
バレエを観ていると、よく、ブラボー!の声がかかる。こうした掛け声は会場の雰囲気に大いに影響を与える。確かに外国のバレエ公演でもダンサーを讃えてブラボー!が飛ぶ。特にロシアでは盛んで、舞台はいっそう盛り上がる。それは根っからのバレエ好きがなけなしの小遣いをはたいてチケットを購入して思いのたけを表した声、ということが会場全体に伝わり、おのずと観客の一体感が生まれるからである。ところが近年の日本のブラボーには、不快なものが混じっていることがある。それは自分がバレエを良く理解していることを露骨に誇示するブラボーであって、舞台を讃えているのではない。ただいたずらに会場の雰囲気を悪くしている。 古来、日本人は歌舞伎の醍醐味を表すために、じつにイキな掛け声の掛け方を考案してきた。そこには舞台の楽しみ方の洗練のひとつの極致ともいうべき文化がある。逆に、無神経なブラボーはヤボの骨頂ということになるだろう。

エトワールたちが創った珠玉の舞台に21世紀のエスプリが輝いた!

étoiles GALA 2010  エトワール・ガラ2010
Marie-Agnès Gillot, Mathieu Ganio, Benjamin Pech, Dorothée Gilbert, Mathias Heymann, Eleonora Abbagnato, Josua Hoffalt, Silvia Azzoni, Alexandre Riabko, Jiří Bubeníček, Evguenia Obraztsova
マリ=アニエス・ジロ、マチュー・ガニオ、バンジャマン・ペッシュ、ドロテ・ジルベール、マティアス・エイマン、エレオノラ・アバニャート、ジョシュア・オファルト、シルルヴィア・アッツーニ、アレクサンドル・リアブコ、イリ・ブベニチェク、エフゲーニヤ・オブラスツォーワ

今回で3回目を迎えたエトワール・ガラは、アーティスティック・オーガナイザーを務めているバンジャマン・ペッシュが言っているように、出演するダンサーが「自分のレパートリーの中から古典、コンテンポラリー作品、そして委嘱した新作まで・・・自ら選んで」いる。このほぼ同世代ダンサーたちは、日々観客と向き合ってその反応を肌で実感しているし、お互いに交流もしている。おそらくそこには、コンテンポラリーな共通の感覚が生じているだろう。
「エトワール・ガラ」とは、そうしたダンサーたちが主体となってレパートリーを選び、プログラムを構成している公演である。ペッシュは彼らの積極的な関わりを尊重するために、芸術監督ではなく、アーティステック・オーガナイザーという立場を選んでいる。
今回はローラン・プティ振付の3作品が加わり、多彩なプログラムが組まれた。中でも前回(08年)の『メリー・ウィドウ』に続いて、ピエール・ラコットがこのエトワール・ガラ2010のために新作『三銃士』を振付けたことは注目される。ロマンティック・バレエのオーソリティとして知られる振付家が、特定のバレエ団にではなく、2年に1回開催されているグループ公演のために1幕物を連続して新たに振付けた。これだけでも特筆すべきだが、ペッシュによるとラコットは<夢のキャスト>を想定して振付けた、というのだから彼がこの創作をいかに楽しみにしていたか、明らかだろう。

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Aプロは、ノイマイヤーの『シルヴィア』第一幕のパ・ド・ドゥをシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコが踊って幕が開いた。細かいモダンな動きでミソロジカルな男女の関係を表し、斬新な効果を狙った振付だが、私にはその効果はもうひとつに感じられた。このパートだけ観ていると、演技と動きのリズムが完璧に一致しておらず、滑らかでダイナミックな表現が創られているとは思えなかった。
それに比べると次に上演されたローラン・プティの『カルメン』は、エレオノラ・アバニャートとマチュー・ガニオが見事な踊りを見せた。もう様々なペアリングで何十回も観ているが、動きに無駄がなくすべてに情感の込められた表現が創られている。どうしてもセクシャルな動きに目を奪われがちだが、ディティールにまで演技と動きがじつにきちんと構成された表現でほぼ完璧なバランスが保たれている。アバニャートのラテン的な雰囲気がカルメンに血を通わせ、ガニオのキャラクターが巧まずしてホセを演じ、二人の恋人の運命がビゼーのメロディの中に秘かに浮かび上がってくるあたりは、まさに20世紀の傑作に相応しい。
ジョゼ・マルティネスが振付けた『天井桟敷の人々』よりスカルラッティのパ・ド・ドゥは、ドロテ・ジルベールとジョシュア・オファルトが踊った。無音で踊って創ったリズムに音楽がきれいに重なって、また無音でフィニッシュするという洒脱な工夫が凝らされていた。流麗なパ・ド・ドゥの動きはマルティネス振付ならではのもので、初参加のジルベールとオファルトは息がよく合っていた。
イリ・ブベニチェクが振付けた『フェリーツェへの手紙』が世界初演された。20世紀を代表する作家フランツ・カフカは、ブベニチェクと同じチェコ出身でドイツ語作家。これはカフカが婚約者フェリーツェに宛て書いた500通の手紙に触発されて創った小品である。音楽は、やはりチェコ生まれの17世紀の作曲家フォン・ビーバーの『ロザリオのソナタ』の中の「パッサカリア」をブリュッセル在住のヴァイオリニスト、寺神戸亮が演奏した。カフカとフェリーツェは2度婚約を交わしながら、創作上の理由や病気のために、結婚することはなかったそうだ。ブベニチェクがそうした苦悩するソロを、バロック・ヴァイオリンとともに踊った。
ノイマイヤーの『人魚姫』第1幕のパ・ド・ドゥはアッツォーニとアレクサンドル・リアブコ。瑠璃色の長い袴のような衣装を着けたアッツォーニの水の中あるいは水になじんだ動きが、独特のニュアンスを表現して興味を惹く。恐らくはここに物語から生まれる哀調が重なっていくのだろう。続いてプティの『アルルの女』のパ・ド・ドゥ。アバニャートとバンジャマン・ぺッシュが踊った。ここでもプティのさりげないが細心を凝らした振付に感心させられる。アバニャートは『カルメン』とはまるで異なった女性の愛の相貌を踊った。ぺッシュが全身を使って醸しだす、繊細に変化していく心の模様の表現がじつに見事だった。心理の引っ張り合いと破綻が身体表現に呼応して、ひとつの命が生成し消滅していくかのように表されていた。

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休憩の後はピエール・ラコットの新作『三銃士』の世界初演である。
ラコットはまず、登場人物の衣装から創作を始めるという。その衣装はキャラクターや役柄を表す鮮やかな色彩にあふれれ、過重な羽飾りの着いた帽子など、パロディ風にデフォルメされている。『シェルブールの雨傘』を始めとする映画音楽で一世を風靡したミッシェル・ルグランの、1973年の映画『三銃士』の曲を中心にした音楽も、様々の楽器からアカペラまで駆使して、大袈裟なしかしエスプリを利かした動きがお腹の底からおかしさが湧いてくるような表現効果をあげて観客を喜ばせた。もちろん、予算を慮った映像が残す印象もしっかりと計算されている。
ラコットが<夢のキャスト>とも言った、ジロのミステリアスなミレディー、ペッシュの悪役リシュリュー枢機卿、マチューの草食系ルイ13世、キャラクターがくっきりした三銃士・・・オブラスツォーワのコンスタンスとエイマンのダルタニアンと、まさにガラのためのお祭イベントに相応しい絶妙のキャスティングだった。
とりわけ、マティアス・エイマンは目を見張るような大活躍。速い動きを用意した、という振付家の要望に応える軽やかなステップ、柔らかく俊敏な身のこなし、なによりも若々しいリズムが舞台に活きているダルタニアンを、軽やかに余裕をみせて描いた。さらに唯一マリインスキー・バレエ団から参加しているエフゲーニヤ・オブラスツォーワが溌剌とした鮮やかなダンス。マリインスキー・バレエのダンサーたちと踊る時には、男装していっそうの魅力を輝かせることなどないだろうし、水を得た魚のように活き活きと舞台映えがして見えた。
ラコットはシーンを短目にテンポ良く展開して、ダンサーたちとともに振付を心ゆくまで楽しみ、もちろん、観客にも洒落っ気たっぷりなエンタテインメントを堪能させる、というヴェテラン振付家の真骨頂を見せた。

Bプロはジルベールとオファルトの『コッぺリア』のパ・ド・ドゥで開幕。オペラ座の『コッペリア』はパトリス・バール版だが、これはやはり元エトワールのジャンーギヨーム・バールが、97年にチェケッティ版を改訂振付けたものだそうだ。ジャン−ギヨームはチェケッティの研究で知られている。
パリ・オペラ座のヌレエフ版ではなく、マリインスキー・バレエのラヴロフスキー版でもないマクミラン版の『ロミオとジュリエット』を、オブラスツォーワとガニオが踊った。エイマンとはぴったり息が合っていたオブラスツォーワだが、ガニオだともうひとつしっくりこない。ガニオとは細かい動きのスケールに違いがでるのだろうか。
『フラジル・ヴェッセル』はラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の第2楽章にブベニチェクが振付けたもの。アッツォーニとリアブコ、ブベニチェクがレオタード姿で踊るトロアだった。きれいな流れるような動きと速いテンポで様々に3つ身体が織り成す造型の美しさを見せる。高いリフトがあり、3人のバランスが多様に変化して複雑で鮮やかな軌跡を描く。しかし、次に踊られたプティの『プルースト〜失われた時を求めて〜』の「囚われの女」をみると、必ずしも複雑な振付だから優れているとは限らない、などとも思ってしまう。この曲はアバニャートとぺッシュがサン=サーンスの音楽で踊り、驚くような複雑な振りはないが、情熱とたゆたう感情がせめぎあい情感が二人の身体の隅々に宿って、観客の胸に迫ってくる。無駄がなく適切だがオリジナリティがあり、動きが一貫した優れた表現力を感じさせる作品である。
マリ=アニエス・ジロが踊ったカロリン・カールソン振付の『ディーヴァ』は、ジロならではの圧巻の存在感が際立った舞台だった。

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休憩が終わるとニジンスキーが待っていた、そう感じた方もいただろうか。花弁で飾られた衣装に身を包んで『薔薇の精』を踊ったエイマンからニジンスキーを彷彿したような気がしたのである。オブラスツォーワの夢みる少女は幻の舞踏会で、見事に曲の深奥を捉えたエイマンのステップにリードされて踊る。舞い上がって薫る薔薇の花びらの奏でるリズムとすべての観客が一体となって過ごした清冽で官能的な一刻だった。
そして新国立劇場にも振付作品を提供しているドミニク・ウォルシュの『瀕死の白鳥』(サン=サーンス曲、日本初演)。マリ=アニエス・ジロというアーティストの才能をフューチャーしようとした作品のようだった。ダヴィッド・ボンバナが、ドビュッシーの『牧神の午後へのプレリュード』に「『牧神の午後』よりプレリュード」を振付け、アバニャートとぺッシュが踊って世界初演された。牧神にアバニャートが扮し、ペッシュがニンフを踊った。これもアバニャートというアーティストに触発されて、牧神をイメージしマラルメの物語をバレエにした、という舞台だった。『薔薇の精』に続いた三作品は、バレエ・リュスへのオマージュとして上演されている。
『幻想〜”白鳥の湖”のように』第1幕のパ・ド・ドゥは、アッツォーニとリアブコが踊った。ノイマイヤーのルードヴィッヒ2世の人生に、バレエ『白鳥の湖』の物語というかキャラクターを巧みに織り込んだ演出・振付はよく知られている。ルードヴィッヒ2世に扮したリアブコの魂の喪失と妄執が、婚約者の表情の中に描かれるシーン。しかし凡人にとっては、才気や権力、財力が有り余る選ばれた人の奇矯な行動に感情を移入するのは少々、辛い。
『プルースト〜失われた時を求めて』のモレルとサンルーのパ・ド・ドゥは、ガニオとオファルト。私はこのシーンは、パトリック・デュポンとジャン=シャルル・ジルの神秘的で官能的な映像が、未だに脳裡から離れない。しかしその後、マッシモ・ムルとイーゴリ・コルプ、ギヨーム・コテとデヴィッド・ホールバーグなど多くのダンサーが踊っている。ここではオファルトの独特の中性的とも感じられる存在感が際立った。

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マッツ・エクが2000年にパリ・オペラ座バレエ団に振付けた『アパルトマン』のグラン・パ・ド・ドゥはジロとブベニチェクが踊った。シュルリアリスム的なオブジェの感覚をバレエ表現にとり入れて、現代的なエスプリを味わわせるエクらしい作品だった。
そしてオオトリは、スーザのマーチにのってバランシン振付『スターズ・アンド・ストライプス』。ジルベールとエイマンが圧巻の踊りをみせた。とりわけエイマンは、快活な若きドン・キホーテ、ダルタニアンや夢幻的舞踏会の音楽を奏でる妖精に加えて、新大陸の広大な空にたなびくスターズ・アンド・ストライプスのはためきを、おおらかにまた軽やかに踊って、観客の胸に希望の火を灯してくれた。われわれはこの火を消さないように、2012年を待ってます! その時は、アバニャートとオファルトはエトワールに、オブラスツォーワはプリンシパルに昇格しているはず・・・。
(7月28日 Aプロ。30日 Bプロ。Bunkamura オーチャードホール)

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撮影:(C)瀬戸秀美
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