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渡辺真弓 text by Mayumi Watanabe 
[2004.08.10]

●エクサン・プロヴァンスの話題 ケースマイケルがオペラ『班女』を演出

ロ-ザス率いるアンヌテレサ・ド・ケースマイケルが、三島由紀夫原作の近代能を基にした、細川俊夫作曲の新作オペラ『班女』を演出するというので、エクサン・プロヴァンス・オペラ・フェスティヴァルに出かける。

ケースマイケルは、つい最近も、テアトル・ド・ラ・ヴィルで、妹のジョラントとの共同演出による『カッサンドラ』を発表するなど、演劇の分野にも進出しており、他方面での活躍が注目されている。

振付家がオペラの演出を手がける傾向は、近年強まっており、例えば、ピナ・バウシュが、98年のエクス祭で、バルト-ク曲の『青ひげ公の城』を演出した のをはじめ、偶然にも同じ年に、ケースマイケルと山海塾の天児牛大が、それぞれブリュッセルと東京でこのオペラを演出。天児は、さらにリヨンで、ペー ター・エ-トヴェシュ作曲のチェーホフ原作『三人姉妹』を演出している。今年はジョゼ・モンタルヴォが、シャトレ座で、ラモー作曲の『レ・パラダン(遍歴 の騎士)』の演出、振付を手がけたのをはじめ、モネ劇場では、ヤン・ファーブルがワーグナー曲『タンホイザー』を演出し、それぞれ話題を呼んでいる。

  『班女』を作曲した細川俊夫は、このオペラと同時に、もう1曲近代能をテーマにしたオペラを作曲し、勅使川原三郎演出で、来年東京で初演される予定。振付 家に演出を依頼したのは、能なので、動きを重視したかったからだそう。昨年ケースマイケルが来日した際、一緒に能を見に行ったりして、準備が進められた。

『班女』は、7月8日から25日まで、ジュ・ド・ポーム劇場で上演された。指揮は、王立モネ劇場音楽監督の大野和士、演奏は、モネ室内オーケストラ。
『班女』

  物語は、吉雄に捨てられた芸者の花子が、花子を愛す る画家、実子の世話になりながら、恋人の帰りを待つが、吉雄が訪ねてきた時には、もはや彼と認めず、花子は再び実子と共に、彼の帰りを待ち続けるというも の。登場人物は3人。ピナ・バウシュが、『青ひげ公の城』を演出した時は、カンパニーのダンサーたちが舞台を占拠してしまった感があったが、ケースマイケ ルは、ダンサーを使わず、静謐な音響世界の中で、動きのエッセンスを追求しながら、 夢想的な舞台を展開させた。

冒頭、無音の中で、花子(ソプラノ:ゾフィー・カルトホイザー)と実子(メッヅォ:リリ・パシキヴィ)が登場し、花子が花魁道中を思わせる着物を羽織っ たまま、非常にゆっくりとしたテンポで動いたり、静止したりするシーンは、能の動きを想起させる。床には、扇状に大きな布が敷かれ、花子がこれを腰に巻き 付けると、裾が広がり、バルコン席から見ると、シルエットの見映えがよい。花子と実子の二人の配置やポーズ、これに吉雄(バリトン:ウィリアム・デイズ リー)が加わった時の構図など、視覚的に振付家らしい美的センスが感じられた。

エクスでは、オペラ・フェスティヴァルのほかに、7月22日から8月6日まで、ダンス・フェスティヴァル<ダンス・ア・エクス>も開催。アヴァン・プル ミエールとして、7月19、22日、プレルジョカ-ジュ振付<N>が上演されたのに続いて、ドミニク・ボワヴァン、ドイツのサミール・アキカ、マルコ・ベ レッティーニ、ベルギーのハンス・ヴァン・デン・ブロエク、ミシェル・ノワレ、ジャン=クロード・ガロッタ、マルセイユ・バレエ団など15カンパニーが招 かれた。

ピエトラガラの退陣以来、舞踊監督のポストが空席だったマルセイユ・バレエ団は、舞踊監督を公募していたが、そろそろ後任の人選が決定する頃だろう。

余談になるが、今夏のエクスは、比較的しのぎやすい暑さでほっとした。以前訪れたときは、覚悟はしていたものの、昼間は灼熱の太陽が照りつけ、5分と外を歩けるものではなかった。酷暑で思い出したが、亡くなった舞踊評論家の市川雅先生に最後にお目にかかったのも、ここエクスであった。あれは1995年の こと、ライン・バレエ団がクルト・ヨ-スの特集を組んでいたので、それを見に行ったのだが、エクスの中心ロトンドの近くのブラッスリーでばったりお会いし たのである。先生は、私がヨ-スのバレエに興味をもっていることに驚いた様子だったが、私が学生だった時、まだピナ・バウシュという名前が日本のメディア の活字にもなっていなかった頃、「さあ、今日はこれからピナ・バウシュのビデオを見に行こう」と誘ってくれるなど、私たち舞踊専攻の学生に様々な新しいダ ンスへの興味をかき立ててくれたのは、雅先生だった。また、ニューヨークの大野一雄の公演でも、ご一緒した記憶がある。先生は、体調がよくない上に、あの 暑さにすっかり参ってしまわれたようだったが、たまたま話に出たビデオをどうしても見たいと言われ、エクスの後、わざわざ時間を割いて、パリの私の自宅ま で見にいらしたのだった。それが先生とお話した最後となった。