パリ・オペラ座バレエのコンクール(昇進試験)の今後について――「フィガロ」紙バレエ評論家、アリアーヌ・バヴリエに聞く
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ワールドレポート/パリ
インタビュー=三光 洋
フランスを代表する日刊紙「フィガロ」のバレエ評論家、アリアーヌ・バヴリエさんに昇級試験をめぐる、一連のオペラ座バレエ団の動向についてお話を伺った。
――昇級試験が11月16日土曜日に行われました。午前11時から男性、午後1時半から女性で、男性5名と女性6名がコリフェに昇進することが決まりました。前回までと異なり、今回はカドリーユだけだったのですね。
アリアーヌ・バヴリエ そうです。
――試験的なやり方を試みた年ということでしょうか。
アリアーヌ・バヴリエ © DR
バヴリエ 試験的な年というよりも、「反抗の年」と言った方が良さそうですね。階級毎に昇級試験に対する賛否の投票が行われました。ただし、ダンサー全員が対象ではありませんでした。もし全員が投票していたら、昇級試験の見直しはありませんでした。カドリーユとコリフェだけが投票に参加しました。スジェはすでに舞踊監督が任命する方式に変わったからです。カドリーユでは試験反対が1票多く、コリフェでは反対票がより多かったのです。オペラ座側は「カドリーユに関しては入団したばかりで、どんなふうに踊っているのかを見る時間が十分にないから、試験以外では評価ができない」と主張して、一クラスだけながら試験が残りました。一方、コリフェのダンサーたちに関しては別の方法による昇級の方法を探ることになりました。舞踊監督が決めるのか、ダンサーたちの委員会が決めるのか、といった方法についてまだ合意ができていないのが現状です。
パリ・オペラ座バレエ団の組織は世界で類例のない選別的なエリート主義で、「オペラ座バレエ団のダンサーは傑出していなければならない」とされ、ダンサーの仕事を天職と考えています。
これまで昇級試験によって二つのことが保証されてきました。第一は、ダンサー全員がソリストとして踊れる力量があります。昇級試験で規定のヴァリエーション一つと自由に選んだヴァリエーションを一つ踊っているからです。昇級試験は芸術家としてのデモンストレーションの場です。第二は舞踊監督が全権を握っているのでないために、カンパニーとしての安定性が保証されている点です。このことはウィーン国立歌劇場バレエ団と比較するとよくわかります。マニュエル・ルグリが舞踊監督を退任したとき、次の監督はコンテンポラリー・ダンスの好きな人がなりました。そのため、新しい舞踊監督とでは踊れなくなったクラシックのダンサーたちは揃って退団せざるを得ませんでした。
パリでは舞踊監督が昇級試験に立ち会ってダンサーを見ていくことで、バレエ団の継続的な活動が可能となり、クラシック・バレエ団としてのダンスのスタイル(様式)を守ってきました。昇級試験を廃止するという現在の動きはこうした特徴を危うくさせるものです。
オペラ座のダンサーの中で、十人から二十人程度のグループが現在、昇級試験廃止に向けて動いていますが、百五十人という全体の中ではごく少数派です。コンテンポラリー・ダンスしかやりたくない、という人たちですから、彼らにとって昇級試験は不要です。アカデミックなヴァリエーションを踊るつもりはもうなくなっていて、女性はトゥシューズを履いてポワントをやらず、男性はショーソン(ダンス靴)をはきません。クラシック・バレエにはもう興味がなくなっているのです。このグループはオーレリー・デュポン前舞踊監督の時代(2016年から2022年在任)に生まれました。かつて1995年から2014年まで19年間舞踊監督を務めたブリジット・ルフェーブルは多くのコンテンポラリー・ダンス作品をオペラ座で上演しましたが、その目的はクラシックとコンテンポラリーの両方で優れたダンサーを育て、レパートリーを充実させることでした。これはルドルフ・ヌレエフの考え方と同じです。コンテンポラリー作品も踊ることでダンサーが自分の身体について、よりよく知ることができるようになり、その結果としてクラシックのダンサーとしても成長できるという考えです。そのためには両方を踊らなければならないのです。コンテンポラリー・ダンス作品の導入はクラシック・ダンスの可能性をより広げることが目的だったのです。
例えばオペラ座のダンサーがピナ・バウシュ振付の『春の祭典』を踊るとき、ホフェッシュ・シェヒターの作品を踊るような時とは違って、クラシックで鍛えた自分のスタイルで取り組めます。ヌレエフやルフェーブルは、コンテンポラリー専門のダンサーたちを集めたバレエ団と競争するためではなく、クラシック・ダンサーに多様なレパートリーによって新しい武器を身につけさせようとしました。
現在、昇級試験を廃止させようと動き、デフィレに参加するのを拒否するダンサーたちがいて、彼らはそれらを時代遅れと決めつけています。こうした動きを見ていると、彼らがオペラ座バレエ団に一体なんのためにいるのか、首をひねらずにはいられません。この問題はオペラ座バレエ団を今後どのような方法に導いていくか、ということにも関わっています。
まず、昇級試験は義務ではありません。参加したくなければしなくてもよいのです。それに、コンテンポラリーだけを踊っているダンサーたちは、それでも良い給料をもらっています。昇級すればバレエ団のハイラルキーの上に上がり、昇給があります。しかし、コンテンポラリー作品では、例えば最近あったフォーサイスの『レ・アレ』がありますが、コリフェのダンサー二人はプルミエール・ダンスーズのロクサーヌ・ストヤノフと同じ手当をもらいました。同じ仕事をした、と評価されたからです。公演だけでなく、リハーサルもプルミエール・ダンスールと同じ報酬だったのです。ですから、彼らが主張するような悪条件で仕事をしているわけではありません。しかし、昇級試験がある、ということそのものが、自分たちの美学(エステティック)に合わない、という不満があるだけです。ちょっと身勝手な考えと言わざるを得ません。
コリフェへの昇級者 アポリーヌ・アンクティル
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
コリフェへの昇級者 クレール・テセール
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――先日オニール 八菜にインタヴューしましたが、彼女は「昇級試験に大きな意味があります。昇級試験をやめたら、他のバレエカンパニーと同じになってしまいます。レベルの問題だけでなく、昇級試験はオペラ座のアイデンティティーだと思っています」と言っていました。最初に昇級試験を受けた時は「初めてだったし、一人で舞台に立ってヴァリエーションができるというだけで、楽しみだった」そうです。
バヴリエ ええ、コール・ド・バレエのダンサーにとって昇級試験は、普段はできないヴァリエーションを踊れる唯一のチャンスです。昇級試験のときに、エトワールが踊るヴァリエーションを踊るのは自分が成長する絶好の機会です。コーチについて準備し、コール・ド・バレエとしての普段の舞台よりもはるかに繊細に踊っていくことになりますから。ヴァリエーションを練習することは優れたダンサーになるために欠かせません。パリ・オペラ座バレエ団が高い水準にあるのは、下の階級のダンサーでも優れているためです。試験を廃止する、という考えはマイナスの結果しかもたらしませんし、そういう主張をするダンサーはモチベーションがないと思います。オペラ座バレエ団が他のバレエ団と同じようなモダンで、リラックスしたものに変わればいい、というのが彼らの望みです。
もちろん昇級試験に問題がないわけではありません。招聘された振付家たちは、ダンサーたちが昇級試験に夢中になっていて、思うようにリハーサルができない、と嘆いている場合もあります。しかし、その期間は限られたものです。準備期間は1ヶ月に過ぎません。
かつてクリスマス公演の時期と昇級試験とが重なっていたことがあって、昼は昇級試験、夜は本公演がガルニエ宮とバスチーユ・オペラの2箇所である、という非常にハードなスケジュールだったことがあったことも事実です。それに昇級試験は一日で行われ、朝8時に女子で始まり、午後の男子の部門は夕方の6時までと長時間にわたっていて、身体的にハードでした。しかしその後、最初の日が女子、翌日が男子と二日間になり、開始時間も11時に繰り下がっていました。
スケジュールの面でハードだ、というのが廃止主張の本当の理由ではありません。
コリフェへの昇級者 ルチアナ・サジョーロ
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
コリフェへの昇級者 ディアーヌ・アデラック
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――オペラ座の中で、クラシックを中心に踊るダンサーとコンテンポラリーだけを踊るダンサーとが別れてしまったということが問題の背景なのでしょうか。
バヴリエ 一部のダンサーが「コンテンポラリー・ダンスに特化しているから、アカデミックな昇級試験は自分たちに合わない」と主張しています。しかし、実際に9月にマッツ・エックがアナ・ラグーナと『アパートメント』のリハーサルをした時に、十一人のダンサーが最初に参加しましたが、今回の騒ぎの中心になっているコンテンポラリーのグループに属している七人のダンサーたちは数日後に揃って医師の病気証明書(arrêt maladie アレ・マラディー 患者が病気のために仕事ができないことを医師が証明する書類)を提出して、練習に来なくなってしまいました。彼らにはマッツ・エックのボキャブラリーは複雑すぎたのです。彼らはシャロン・エイヤルやクリスタル・パイト、ホフェッシュ・シェヒターの振付ける新作にだけ出たがるのです。裸足で踊るのが彼らは大好きです。昨シーズンも彼らはイリ・キリアンの作品に出演するのを嫌がりました。キリアンやエックはフランスではリヨン国立歌劇場バレエ団がしばしば取り上げ、リヨンのダンサーたちは二人を現代の大御所として尊敬しています。パリ・オペラ座バレエ団のようなカンパニーに在籍していながら、コンテンポラリーのダンサーを標榜している一方で、現代の最も優れた振付家の作品に出演を拒否する、というのはどうみても矛盾しており、問題です。
これと関連してもう一つ問題があります。数年前まで、コンテンポラリーの振付家がオペラ座に来ると、たいていエトワールをダンサーとして起用していました。声をかけられたエトワールは新作の創造に共同製作者として参加した、という気持ちになっていました。トリシャ・ブラウンはオーレリー・デュポンにポワントをさせ、マニュエル・ルグリ、ニコラ・ル・リッシュも一緒で、こうしたエトワールの個性に合わせて新しい作品が生まれました。こうしたエトワールたちは振付家が卓越した地位に到達した自分たちのために作品を作ってくれたのに満足していました。それがコンテンポラリーとクラシックを踊るダンサーが別れてしまい、コンテンポラリーの中でもグループを対象とした作品が増えたこともあり、こうしたエトワールのための場が失われてしまったのです。現在、振付家が来ると、コンテンポラリーをメインに踊っているグループに声をかけています。そして、エトワールはクラシック作品に特化しています。現代作品の初演から遠ざけられてしまったことをエトワールたちは残念に思っています。
[注:10月にマイカル・ストロマイル振付の『ワード・フォー・ワード』(上演時間12分)の世界初演があり、ギヨーム・ジョップ、ヴァランティーヌ・コラサンテ、オニール 八菜のエトワール三人とジャック・ガストフ(プルミエール・ダンスール)、ルーベンス・シモン(コリフェ)が参加した。最初の三公演だけの上演であるため、バヴリエ記者は本格的な新作とみなしていない。]
これはクラシック・ダンサーとコンテンポラリー・ダンサーというふうにオペラ座のダンサーが二分されてしまった結果で、この事態にエトワールたちは不満を抱いています。自分たちのためのクリエーションがなくなってしまったと思っているからです。かつて大エトワールたちは本格的な新作の誕生に立ち会えていたのです。
――バレエ団が内部で分裂してしまっているのですか。
バヴリエ そういうことです。仕事の内容がダンサーによって違っているのです。これに加えてアレクサンダー・ネーフ総監督のマネージメントの問題もあります。ネーフ総監督はカナダで長い間仕事をしたために、ウォーキズム(注:現代社会が欧州の白人によって支配されているとし、アフリカ系を社会の前面に押し出そうとする運動・イデオロギー)といった思考に染まっていて、それまでの制度を解体しようとしています。バレエを熟知していた故ユーグ・ガル総監督が「昇級試験はオペラ座バレエ団の卓越性を保証する要で、バレエ団の将来のために欠かすことのできない守るべき伝統だ」と考えていたのと正反対です。ネーフ総監督はオペラ座バレエ団の特徴をよく知らないダンス関係者も含めた多くの人々に話を聞き、そこから結論を引き出そうとしています。この間の土曜日には「昇級試験は今年が最後になるだろう」と繰り返して言っていました。彼の目的は総監督の地位にとどまることで、バレエ団の将来は考慮されていません。こうしたマネージメントを採用したために、彼は2032年まで総監督の地位に留まることが決まりました。いずれにせよ、この「(昇級試験)改革」はナンセンスです。
コリフェへの昇級者 山本小春
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
コリフェへの昇級者 ジュリア・コーガン
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――ネーフ総監督はバレエ団の根幹に関わる問題に大きく踏み込んでいますが、彼がユーグ・ガル氏のようなバレエ通でないだけに、疑問を感じます。
バヴリエ(ネーフ総監督は)バレエに通じてはいませんし、パリ・オペラ座は彼の所有物ではありません。もちろん昇級試験を再考すること自体は可能です。例えば、クラシックのヴァリエーション一つとコンテンポラリーのヴァリエーション一つを課題とする、という方法が考えられます。そうすれば誰にも文句はないでしょう。
それに、もし昇級試験を廃止してしまったら、どういう方法で昇級させるのでしょうか。誰がダンサーの昇級を、どういう基準で決めるのでしょうか。団員たちが決めれば良いのでしょうか。
エトワールたちは「自分たちが昇級者を決めることはできない。全ての公演を見て、ダンサーたちを評価する時間はない、自分たちには自身のキャリアのために他にやることがある。」と言っています。
一方、全ての公演を見ているのは舞踊監督です。しかし、舞踊監督による任命にしたら、監督一人の判断にダンサーの運命が委ねられることになってしまいます。
昇級試験はダンサーに大きなストレスになるのは確かですが、実際の公演で他のダンサーたちの前で初めてソロの役を踊るのは(試験よりも)はるかに大きなストレスになります。昇級試験でストレスを感じながら、皆の前で踊ることは、その後、ソリストに起用された時に大きな助けになります。ダンサーたちと観客の目がある本番でソロを初めて踊るときのストレスは昇級試験でのストレスとは比較になりません。
――昇級試験はダンサーの将来のための貴重な経験の場になっているわけですね。
バヴリエ その通りです。オペラ座のハイラルキーは時代によって多少変わってきています。1970年代には、スジェ以外にプティ・スジェ、グラン・スジェという階級もあって全部で8つの階級がありましたが、今では簡略化され5つになりました。ですから、階級を改訂して、コール・ド・バレエのソリストを設定することも加能です。しかし、昇級試験は誰でも自分の最良の姿を審査員に見てもらう場ですから、これを廃止するのはバレエ団の伝統に対して敬意を欠いた冒涜に他なりません。
パリ・オペラ座バレエ団は1669年創立ですから、時代とともに変わって行くのは当然です。昨年、スジェのクラスの昇級試験が廃止され、舞踊監督の任命制になり、すでに前とは制度が変わりました。スジェのダンサーたちが、試験ではなく、シーズン中の実績をジョゼ・マルティネスが評価する、という方式になることを望んだからです。これはこれで問題ありません。しかし、昨年(のプルミエール・ダンスールへの)昇級はよかったものの、今年誰を昇級させるかは微妙です。昇級可能なダンサーはいますが、飛び抜けてはいないので、コンクールをやれば結果がはっきりしたはずです。女性ダンサー1名は昇級が確実ですが。私が舞踊監督だったら、今年も4人プルミエール・ダンスールに任命はしないで、空席があっても一人だけの任命にとどめるでしょう。
コリフェへの昇級者 レミ・サンジェ=ガスナー
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
コリフェへの昇級者 マックス・ダーリントン
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――バヴリエさんはIMAX『白鳥の湖』の批評記事で、「コール・ド・バレエのダンサーたちが宮廷でのダンスの場面において、なぜこのダンスを踊るのか、を考えていない」と批判されていましたが、それはかつての水準に比べてそれほどではない、という意味でしょうか。バレエ学校がかつては今より厳しく、そのために水準がより高かった、ということをいうバレエ関係者もいますが。
バヴリエ バレエ学校が厳しくなくなったということよりも、バレエ・マスター(仏語=メートル・ド・バレエ)の質が変わったことが原因です。コール・ド・バレエを現在指導している人たちのモチベーションが落ち、仕事をやる気力がなくなっています。アンサンブルの指導をするときに、その踊りの意味をダンサーたちに継承していないのです。ステップ(=パ)は教えていますが、それだけではダメです。なぜ、そのステップを踏まなければならないか、を知っていなければいけません。優れたバレエ・マスターはダンサーに踊るための「鍵」を渡してくれます。この「鍵」がないと、ただステップが連なっているだけの空虚なダンスになってしまいます。
――魂のない、役に対する解釈のないダンスということでしょうか。
バヴリエ そういうことです。「ヌレエフがコール・ド・バレエのために複雑なパを使ったために、オペラ座のコール・ド・バレエは世界一の水準になった」とよく言われますが、確かにヌレエフ版にはソリストと同じぐらいむずかしい部分があります。ヌレエフは忙しくて時間がなかったので、「なぜここにポロネーズがあるのか?」といった説明は一切しませんでした。しかし、当時のダンサーたちは説明なしでもダンスの意味をより早く理解できました。今よりモチベーションが高かったからです。今日では何事においても、全てを説明しないとだめです。名前が出てきませんが、サンチョ・パンサを始めとするキャラクラー・ダンスをいつもヌレエフに任せられていたダンサーが一人いましたが、彼は抜群の演技力を持っていました。役の性格を的確に身体で表現していたのです。コール・ド・バレエのダンサーもこうした側面を忘れてはいけません。
『白鳥の湖』で白鳥たちを踊るコール・ド・バレエのメンバーたちは白鳥に姿を変えられてしまった王女の嘆き、といったコンテキストをよく理解して、それが演技に反映されてうまく表現されています。しかし、宮廷でのダンスでは、踊っている時に人物たちの間で何が起こっているのかが全く示されていませんでした。「なぜ、チャルダーシュ、スペインのダンス、ナポリのダンス、マズルカという順番なのか?」という問いがありません。こうした現象はバレエという芸術では全てが変わっていく中で、一つの現れなのでしょう。
――フランスの社会が変わったことがバレエにも影響しているのでしょうか。
バヴリエ フランス社会が前とは違うことは間違いありません。バレエの世界でもダンス教育、ライバル関係が大きく変わりました。オペラ座バレエ学校の教育は(クロード・ベッシー校長時代)より人間的になりましたが、これは良いことです。練習時間を一定限度にとどめ、身体の限度を超えないようにする、という方向ですが、バレエへの情熱がやや弱くなってしまっている感じは否めません。以前は、何がなんでも他のダンサーよりも上手に踊りたい、というチャレンジ精神がみなぎっていましたが、こうした競争心はもうありません。モチベーションを生徒に与えるためには教育者にもカリスマ性が必要です。
コリフェへの昇級者 ミカ・ルヴィーヌ
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
コリフェへの昇級者 ミロ・アヴェック
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――競争精神は昇級試験を支えている要素の一つですが、総監督、舞踊監督、他のバレエ団の監督、ダンサー代表からなる審査団が行うコンクールという競争の場は公平さや平等を保障しています。これを廃止するだけの説得力のある理由があるのか、疑問です。ただし、バレエの専門家とは限らない総監督が2票、バレエ監督が1票という投票規定には前から首を傾げています。
バヴリエ これは驚くべきことです。昇級試験で修正すべき点があるとすれば、まずこの点でしょうね。舞踊監督の判断が審査団中で他の審査員と同じ重みしかない、というのは奇妙です。
コリフェへの昇級者 ケイタ・ベラリ
© Opéra national de Paris/ C Maria-Helena Buckley
――故ユーグ・ガル総監督は「私はバレエの愛好家に過ぎないから、バレエに関しては全てブリジリット(・ルフェーブル)に任せています」と言って、介入しませんでした。彼自身はバレエに通じた人だったのですが。
バヴリエ ユーグ・ガルはオペラ座の黄金時代とされているロルフ・リーバーマン総監督時代にバレエについて任されていた人です。いずれにせよ、昇級試験の決定に置いて、舞踊監督の票により重みを与えることは、適切な改革でしょう。バレエ公演の責任者は総監督ではなく舞踊監督なのですから。
――ジョゼ・マルティネスは前任者とは違っていつ行ってもガルニエ宮かバスチーユ・オペラにいますね。
バヴリエ 彼はいつもいます。一方、オーレリーは現場にいませんでしたが、バレエ・マスターたちからの話を聞いて判断していました。
――バヴリエさんの記事は詳細にわたっていて、昇級試験改革を通じて現在オペラ座バレエ団が抱える多岐の問題点を指摘されています。数年前、オペラ座バレエ団が差別主義的だ、という批判が一部のダンサーから出て、外部の第三者によるアンケート調査が行われました。しかし、ギヨーム・ジョップが若くしてエトワールに任命されたように、実際には人種差別はありません。
バヴリエ ギヨームは本当に素晴らしいダンサーです。しかし、一部のダンサーたちの反乱はあと数年は続くでしょう。
こういう状況なのでジョゼ・マルティネスはもっと自分を主張した方がいいでしょう。舞踊監督として、ダンサーたちのことをよりよくわかっているのは彼なのですから。私は今、彼が置かれている立場にはいたくないですね、実に困難な状態ですから。いろいろな人々の意見を聞いたら、一番よい解決が出る、という問題ではありません。現在の(ネーフ総監督の)マネージメントの方向はいい結果を生まないでしょう。
(2024年11月19日)
なお、11月16日に実施されたカドリーユ対象の昇級試験の結果は以下の通りだった。
女性のコリフェへの昇級者
アポリーヌ・アンクティル、クレール・テセール、ルチアナ・サジョーロ、ディアーヌ・アデラック、山本小春、ジュリア・コーガン
男性のコリフェへの昇級者
レミ・サンジェ=ガスナー、マックス・ダーリントン、ミカ・ルヴィーヌ、ミロ・アヴェック、ケイタ・ベラリ
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