パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ニンヌ・セロピアン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Nine Seropian ニンヌ・セロピアン(スジェ)

昨年末のコール・ド・バレエ昇級コンクールの結果、今年からスジェのニンヌ・セロピアン。パリ・オペラ座バレエ学校を2016年に卒業した彼女は、契約団員を3年経験した後、2019年に正式団員として採用された。今年2月に東京文化会館で行われた『白鳥の湖』『マノン』のオペラ座ツアーで来日。『マノン』ではホヤン・カン(スジェ)とともに二人の高級娼婦役に配された彼女は技術的にも演技面でも巧みに踊って、物語に面白みを添えていたので名前を覚えた人もいることだろう。パリではそれまで細身のすらりとしたボディをエネルギッシュに弾けさせてコンテンポラリー作品を踊ることが多かった彼女。来日公演後のパリで、『ジゼル』の収穫のパ・ド・ドゥをアンドレア・サーリと踊り、また今シーズンの年末公演は『Play』ではなく、『パキータ』でパ・ド・トロワに配役されているそうで、クラシック作品での活躍も今後は増えるようだ。
なおパリ・オペラ座のストリーミング・プラットフォームPOP(Paris Opéra Play)では、2023年12月の公演「イリ・キリアン」4作品が視聴可能。この中で彼女は『Gods and Dogs』『Stepping Stones』の2作品を踊っている。

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ニンヌ・セロピアン © Julien Benhamou/ OnP

Q:いつ、どのようにダンスを習い始めたのですか。

A:3歳半の時です。私がローテーブルの上でアラベスクをするのを見たママが、 ''ダンスを習わせよう ! " と思ったことから。彼女自身も学業が忙しくなる前の若い時に、ダンスを習っていました。私は何を見てということなく、ごく自然にアラベスクのポーズをしたんですね。私はパリ近郊の生まれ。パリ郊外のコンセルヴァトワールには6歳から通えるのだけれど、私は特別に3歳半で始めることができて・・・最初のレッスンを終えた後、母に言いました。'' ママ、私はエトワール・ダンサーになるわ!" って。こうしてコンセルヴァトワールに通って、学校の公演にも参加しました。先生が私を見て、'' 彼女には才能がある''って。その頃私はダンスだけではなく乗馬、水泳、ゴルフ、ピアノなども習っていたけれど、それでクラシック・ダンスに絞ることにしました。6~7歳の頃ですね。テレビでルポルタージュ『オペラ座のプチ・ラたち』を見て、'' 私はこの学校に入りたい '' と言ったことから、パリ・オペラ座のバレエ学校に入るための養成をしてくれる先生のところで学びましょう、となったんですね。こうしてパリでモニーク・アラビアンのもとで、その目的に向けたレッスンを2年間受けたのです。

Q:それで試験を受けて、入学したのですね。

A:そうです。9歳の時でした。まず短期研修があり、そして一番下の第六ディヴィジョンから最後の第一ディヴィジョンまで進みました。バレエ学校の ''純粋培養品'' ですね、私って(笑)。

Q:パリ・オペラ座バレエ学校には2008年に入り、2016年に卒業しています。

A:そうなんです。というのも9歳で入学したので第一ディヴィジョンに至った時はまだ15歳と若かったので、第一ディヴィジョンを3回。その間に怪我もして・・・。2016年に契約団員となり、それが3年続いて2019年に正団員としてカンパニーに入りました。

Q:契約団員というのは何年でも繰り返せるのですか。

A:リミットはありません。その3年の間、私は正団員になることを決して諦めませんでした。契約は1年ごとの更新で、毎回私は上位だったので配役にも恵まれてました。オペラ座での最初の仕事はクリスタル・パイトの創作『Seasons' Canon』への参加。その後『白鳥の湖』『ラ・シルフィード』があり、それからコンテンポラリー作品も。私、コンテンポラリーに配役されることが多かったですね。

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「ジゼル」収穫のパ・ド・ドゥ(アンドレア・サーリと)© Julien Benhamou/ OnP

Q:クラシック作品とコンテンポラリー作品。どちらも見応えのあるパフォーマンスを見せていますが、どちらか好みはありますか。

A:どちらも同じくらい好きで、これからも両方を続けて行くつもりです。両方を踊りなれてるので、身体的に難しいということはありません。入団してから3年間、コンクールの時をのぞいて、ずっとコンテンポラリーばかり踊っていたんです。というのも、コンテンポラリー作品のオーディションに参加すると、そこで選ばれることになるので・・・。それはとても心をくすぐられることだし、選ばれた以上はできませんとは言えませんから。というわけで、コンクールの自由曲には踊る機会がないクラシック作品をいつも選んでました。

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コンクール、コリフェからスジェへ © Svetlana Loboff

Q:セルジュ・リファールの『Variations』やピエール・ラコットの『パキータ』などですね。

A:はい、『パキータ』を踊って2021年にコリフェに上がったんです。昇級はしなかったけれど最初のコンクールの自由曲は『エチュード』でした。入団した年の最初のコンクールだったので、''少なくともステージで踊ることを楽しんだのだから''、と結果はさほど気になりませんでした。

Q:3年の契約団員期間中、学ぶことが多かったのではないでしょうか。

A:この期間に私は待つということを学んでいます。また身体面で好ましくない面があったので、それまでとは異なる仕事の仕方を探して、筋肉を細く長くして・・・ということもしました。この仕事はハードでした。上半身をよりしなやかに動かせるようにして、それからポワントも・・・。たとえコンテンポラリーを踊るにしても、私は毎朝クラシックのクラスレッスンを欠かさず、クラシックの厳格さを常に守っています。これは大切なことだと思います。過去にとにかく多数のコンテンポラリー作品を踊ったので、ジョゼ(・マルティネズ芸術監督)にある時会いに行きました。「コンテンポラリー作品を踊ることでクラシックにも多くをもたらしたけれど、今後のキャリアを考えたときにもう少しクラシックを踊りたい」と。つまりエトワールを目指すために、ということですね。彼とは多く話し合い、その結果、クラシック作品を踊るために、いくつかのコンテンポラリー作品のオーディションには参加しないことの許可をもらいました。

Q:マルティネズ芸術監督以前は思っていても、そうした話し合いの機会を持つのは難しかったのではないでしょうか。

A:そうですね。もちろん私たちがいう全てを叶えてくれるということはないですけど、ジョゼはとてもダンサーのいうことに耳を貸してくれます。素晴らしいことです。ジョゼは私たちがダンサーとして作品においてより喜びを感じられるように、ということにとても配慮をしてくれています。アーティストとしてダンサーが進化していくことを彼は望んでいるんですね。

Q:コンテンポラリーでは創作に多数参加しているという印象があります。

A:はい。契約団員時代の『Seasons' Canon 』が一番最初でした。そしてメディ・ケルクーシュの『Et si 』、シャロン・エイアルの『Faunes』があり、それからアラン・ルシアン・オイエンの『Cri de coeur 』、シー・シンの『Horizon』・・・たくさんありますね。

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「Faunes」© Yonathan Kellerman/ OnP

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「Faunes」© Yonathan Kellerman/ OnP

Q:創作に参加するというのは職業的にとても有益なことではないですか。

A:そうですね、まず選ばれるということがあります。そして既存の振付けを再演するのではなく、これから観客に見せる作品のクリエーションに参加するというのは私たちアーティストそれぞれのパーソナリティやダンスの個性に合わせて創作されるのですから。

Q:とりわけ思い出に残ってる創作はどの作品ですか。

A:どの作品も仕事は全て順調でした。『Seasons' Canon』はまだコール・ド・バレエ、それも契約団員だったのでどちらかというと後方にいて、という感じでしたけど。メディ・ケルクーシュとは、これまでで最も美しい出会いだったと確かに言えますね。まず彼は振付家であり、また我々に年齢的にも近くて友達的。それにに彼はフランス人なので会話も弾んで、彼とダンサーたち全員が一丸となって『Et si』を創作した感があります。もちろん他のコレグラファーともうまくいったけれど、メディとのクリエーションは新型コロナ感染症の外出制限が解けた直後で、リハーサルもステージも全てが通常に戻った! という喜びもあり、こうした様々な要素が混じり合って素晴らしい思い出となっています。

Q:2023年9月に踊られたシー・シンの『Horizon』はとてもスローな動きで無重力空間で踊られているような独特な世界でした。

A:これ、私たちにはとてもハードな振付でした。これまで私が踊ったコンテンポラリー作品の中で、動きの学びが一番難しかった作品です。床に足が触れるか触れないかというたびに、足のあらゆる筋肉を働かせる必要があって。また腕の仕事も、指、手首、肩、胴体、そして肩に戻って、というように動きの1つ1つについて、毎日進めてゆきました。動きはとてもスローなので筋肉という筋肉が痙攣しそうになって。最初の頃は翌日歩くのも難しく、座るのも大変だし、例えばバッグを床に置くことすら辛かった。慣れてない動きばかりなので、日頃使ってない筋肉が動員されて・・・。この創作に参加したダンサーはみんなこんな感じに。他のコンテンポラリー作品で筋肉痛とかはあっても、これは特別でした。最初に彼女の振付のスタイルを学ぶワークショップがあったときは、ちょうどオペラ・ガルニエで『マノン』の公演があった時期です。ワークショップが午後にあり、夜は『マノン』の公演があってとても大変だったけれど、私たちには役立ちました。もしこのワークショップなしに夏のバカンス明けにダイレクトに創作にかかっていたら、きっともっときつかったでしょう。少なくともバカンス明けに何が待ってるかがわかっていて、ハードだってわかってるからバカンスの最後には準備ができて。最初の2週間は体が理解するまで、とにかく大変でした。あらゆる動きを軽くして、音を立てずに・・・。だから、公演中にちょっとでもどこかから音が聞こえると、''あああっ''ってなってしまって。シー・シンは最初はとても厳しかったけれど、徐々に私たちと知り合いになってリラックスしていって、最後の方には夜一緒に飲みに行ったりしたんですよ。

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「Horizon」© Julien Benhamou / OnP

Q:現存の振付家との創作ならではですね。

A:そうなんです。過去に創作された作品を踊る時と違って、創作の時はコレグラファーと本当のつながりを築くことができます。

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「ロメオとジュリエット」(ジャック・ガツォットと)
© Svetlana Loboff / OnP

Q:2021年の公演「若いダンサーたち」ではアンジュラン・プレルジョカージュの『ロメオとジュリエット』を踊っています。ジュエリエットは仮死状態であり、次いでロメオが亡くなった状態で、というなかなか激しいパ・ド・ドゥでした。

A:これは私にとって初めての本格的パ・ド・ドゥで、素晴らしい経験ができました。この作品は踊るのはハードでしたけど、絶望、悲しみ、同時に怒りといった感情を身体から放たせるという信じられないような仕事をして・・・。心からの動きである必要がありました。もしフェイクだったら身体からは何も出せません。この時はパ・ド・ドゥを踊っただけなので、いつか機会があれば作品全てを踊ってみたいですね。

Q:このときはプレルジョカージュと直接仕事をする機会に恵まれましたか。

A:いえ、この時は彼のアシスタントと仕事をしました。でも、私、7歳の時に彼と仕事をしてるんですよ!! まだオペラ座バレエ学校に入る前の小さな時に、オペラ・ガルニエで公演のあった彼の『Le Songe de Médée 』に出る子供の代役でした。私が通っていたマダム・アラビアンの教室に来た人にプレ・セレクションされて、それから彼のオーディションで選ばれて。

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「ロメオとジュリエット」
© Svetlana Loboff / OnP

Q:『ロメオとジュリエット』のパートナーはアレクサンドル・ガス。彼は「若いダンサー」のカテゴリーには当てはまらないので意外でした。

A:そうですね。このパ・ド・ドゥは私とジャック(・ガツォット)、アワ(・ジョワネ)とミロ(・アヴェック)という配役だったのです。でも、みんなが怪我をしてしてしまい残ってるのは私だけ。パートナーが必要だということで、オーレリー(・デュポン前芸術監督)がアレクサンドル・ガスを選びました。彼はコンテンポラリーに優れたダンサーで、スケジュール的にも問題なかったので。こうして世代の違うダンサーと踊れる機会ともなって、良い経験でした。

Q:昨年12月にオペラ座のレパートリー入りしたイリ・キリアンの『Gods and Dogs』でのあなたのパフォーマンスは強烈な印象を残すものでした。今、POPで見ることができますが、あなたにとってこれはどのような体験でしたか。

A:最高の体験でした。キリアンの4作品(『Gods and Dogs』『ステッピング・ストーンズ』『小さな死』『6つのダンス』)のためにオーディションがあって、それで私は『Gods and Dogs』と『ステッピング・ストーンズ』に選ばれたんですね。この作品で私が踊るパートが伝説的なパ・ド・ドゥだと知った時は、大興奮しました。これが踊れるなんて、すごい幸運! しかもパートナーがアンドレア(・サーリ)!

Q:なかなか複雑なパ・ド・ドゥに見えましたが、彼との息はぴったりでした。

A:彼は私の親友! 私たち同じ年に入学して、その時以来何をするのもいつも一緒なんです。だから一緒に踊る時、そこには真のコネクションが存在しているのです。この時はリハーサルコーチが私たちに詳しい説明をしてくれて、素晴らしかった。外部の人、とりわけダンスのモニュメントと言えるイリ・キリアンから選ばれるというのはうっとりするようなことですよね。信じられない体験となりました。私のキャリアにおいて、最も印象に残るものがこれです。

Q:二人のパ・ド・ドゥのとき、背景のカーテンが左右に揺れる演出が踊りのインパクトをさらに強めています。

A:そうらしいけれど、踊ってる私たちには後ろなので見えないんです。それにパ・ド・ドゥの世界にすっかり埋没しているので・・・。このパ・ド・ドゥはとても長い。だから覚えるのにかなり時間を要しました。動きそのものは、私もアンドレアもそれまでかなりコンテンポラリーを踊っているので特に身体的に難しいというものではなかった。最初は音楽なしでステップを覚えて、それから音楽をかけて私たちがちゃんと理解できてるかを確認し、振付を少しづつ少しづつ進めてゆきました。ステップと音楽のタイミングがパン、パン、パンそしてパン! というように明快なんです。相手を足で蹴ってしまうことのないように極めて細かいムーヴメントまでリハーサルスタジオで繰り返し稽古をしました。

Q:この公演では『ステッピング・ストーンズ』も踊っていますね。

A:『Gods and Dogs』とはまた別の体験でした。この作品ではエトワール・ダンサーに囲まれて踊ることになりました。私がマチュー・ガニオと一緒に踊ると知った時は ''ええええ! 私、パーフェクトじゃなくては! '' となってしまって(笑)。彼は私の緊張をすぐに解いてくれて、とても優しく接してくれました。周囲がエトワールばかりというステージなので自分のベストをステージで差し出さねば、という思いにすごくプッシュされました。この時はコンクールでスジェに上がることが決まっていたけれど、まだ肩書きはコリフェ。その私の周りはエトワールばかりというのは夢のよう。彼らと共に踊れるということによって、エトワールを目指す私のモティヴェーションはぐんと上がります。私はこの公演「イリ・キリアン」では両作品とも第一キャストだったので、同じ晩に2作品を続けて踊るというように激しいものだったけど、これによって私は前へと押し出されることになってとても満足しています。

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「Stepping Stones」リハーサル
© ann ray / OnP

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「Tree of Code」リハーサル
© Agathe Poupeney / OnP

Q:この公演は昨年の12月でした。今年の12月は『プレイ』ですか『パキータ』ですか。

A:『パキータ』です。私は前回『プレイ』が公演された時は配役されてましたけど、クラシック作品を踊りたい、とジョゼにお願いしたようにこの年末は『パキータ』です。パ・ド・トロワを踊ります。今シーズンはヨハン・インゲルの『Impasse』から始まり、次が『パキータ』。その後にシャロン・エイヤルの創作、そして『シルヴィア』があって、と希望通り両方のバランスが取れたシーズンなんです。シャロンの創作は彼女が過去に振付けた『OCD LOVE』からインスピレーションを得た作品で、ポワントで踊る作品であることを彼女は希望してるようです。でも実際に私たちダンサーとやってみないことには・・・。というのも、彼女の振付をポワントで踊るのって、とてもハードなんです。私自身はチャレンジが好きなのでいいですけど。

Q:来日公演で『白鳥の湖』『マノン』を踊ったのも、ジョゼに話をした結果ですね。

A:はい。そうじゃなければ、パリでオハッド・ナハリンの『Sadeh21』だったでしょう。私は日本での『白鳥の湖』ではワルツの4カップルを踊り、その後、パリの公演では4羽の大きな白鳥とスペインの踊りに配役されました。エトワールを目指すステージでクラシック作品を踊らないと。最もジョゼには、夢に至るためにクラシックばかりを踊るということは望んでいませんとも伝えました。コンテンポラリーと両方が好きなので、シャロン・エイヤルのポワントの作品のように新しいプロジェクトがあるなら興味があるし、私を豊かにしてくれるのだから参加したいんです。

Q:オペラ座のレパートリーのクラシック作品で踊りたい作品は何ですか。

A:私、ヌレエフの『ロメオとジュリエット』にはまだコール・ド・バレエとしても一度も配役されてないけれど、これはいつかソリスト役を踊りたい作品です。『椿姫』も素晴らしいですね。こうした演劇的作品も試したいし、それから『ドン・キホーテ』。キトリ役は溌剌としていてエネルギーがいっぱいという私のパーソナリティに合うものなので。『ライモンダ』はコール・ド・バレエの仕事はとてもハードだったけど、でもソリストが踊るのを見ていて良い思い出があります。

Q:ではオペラ座のレパートリーのコンテンポラリー作品で興味がある作品はありますか。

A:長いこと踊られてないけれど、イリ・キリアンの『かぐや姫』『優しい嘘』です。昨年12月で踊られた4作品で『小さな死』には配役されなかったので、これもいつか踊りたいですね。シェルカウイの『ボレロ』も好き。ベジャールの『ボレロ』、これは何があっても踊りたいと思っています。

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コンクール © Svetlana Loboff

Q:もうじきコール・ド・バレエの昇級コンクールが行われます。

A:私はスジェなのでもうコンクールはありません。もっとも日頃からストレスを感じず、冷静なタイプなので・・・。ここに至るまでの私の道のりは学校時代も長く、また契約団員時代も3年あって簡単ではなかった。私にとってコンクールというのは、'' 私は仕事をした。私は真のアーティスト。それをステージで見せる機会'' というように考えていました。カドリーユやコリフェの時代、役についてるわけではないので自分をステージで見せることができない。だからコンクールは私は誰なのか、そしてきちんと仕事をしてることを見せる機会でした。その結果スジェまで上がれたのは、私の仕事と意思ゆえです。

Q:スジェからプルミエ・ダンスールは任命制です。毎回公演でステージに立つたびに、コンクールのようにジャッジされているという感じがありますか。

A:いいえ。そうしたプレッシャーを自分に与えたくないし、そもそもステージで踊るのは作品の公演であり、コンクールとは別のものです。公演では与えられた役、それを得たチャンスを楽しんでいます。私は一人のアーティストとし、毎回観客と私の心と仕事を分かち合いたいですね。毎回のステージをコンクールのようには感じたくない。私たちは人間であってロボットじゃない。いつも成功するとは限りません。自分に言いきかせています。''ニンヌ、ちょっと失敗があったといっても死ぬわけじゃないから、大丈夫よ''って。

Q:時間に少し余裕があるときは他のカンパニーの公演を観に行きますか。

A:できることなら・・・でもオペラ座の仕事で夜は疲れてしまっていて。それに私、最近犬を飼い始めたので・・・。朝は私が彼の面倒をみて、帰りが遅い日は近所に住むオペラ座以外の友達が散歩に連れて行ってくれてます。ここで公演あるときは、連れてきています。犬は小さなダックスフント・・・ソーセージ犬ですね。11月17日にセーヌ河岸に大集合して飼い主と犬が歩く「ソーセージ行進」も天気が良ければ参加してみようと思っています。

Q:外部のガラに参加することもありますか。

A:11月にアレッシオ・カルボーネによるガラがバルセロナの近くであるので、参加します。アレクサンドル・ボカラとマニュエル・ルグリの『ドニゼッティ・パドドゥ』とイヴォン・ドゥモルが創作したソロを踊ります。アレクサンドルは私の1年後に学校に入学したのだけれど、1998年生まれの私と同じ年なので学校の授業は同じクラスでした。

Q:他にはどのように時間を過ごしますか。興味を持ってることは何でしょうか。

A:オペラ座の外では友達や家族と時間を過ごすことが多いですね。美術館に行くのが好きで、とりわけモード展に興味があります。パリの装飾美術館でオリンピックの服の展示があった時に、同時開催されていたオランダのデザイナーの『イリス・ヴァン・ヘルペン』展をみてとても楽しめました。それからテレビでシリーズ物を見たり・・・日本のも見ますよ。小さい時は、『デスノート』とか日本の漫画をよく読んでいました。

Q:小さい頃に日本の漫画に興味を持ってたフランス人の中には、日本語を少し話せるという人が少なくないですね。

A:私、スターバックスで日本語で注文ができます。聞きたいですか ? 「ホワイトモカ デカフェ、トーニュウ・・・ト、ヴァニラシロップ、ホット」(笑)。

Q:学校時代、『スカラムーシュ』で来日公演に参加していますか。

A:はい、第五ディヴィジョンの時でした。その時の日本については、とても良い思い出があります。ずっとコンテポラリーを踊っていたので入団してからの来日は、今年の2月が初めて。東京文化会館のステージ裏方の壁に残されたダンサーたちのサインとか覚えていて、懐かしく見ました。

Q:日本で『スカラムーシュ』の公演後、劇場の外で待つ人の行列に驚きましたか。

A:はい。公演の後、彼らは私を知らないのにサインを求めらて・・・'' 12歳の私にサインを! って、最高だわ'' って(笑)。今年の2月の時も劇場の外に長い行列がありました。私は『白鳥の湖』でパ・ド・トロワなどを踊ったわけでもないのに、それでも名前で呼んできた男性がいてびっくり。彼、オペラ・ガルニエで私が踊った『Horizon』を見たって言って。それで彼にサインをしたら、次々と他の人たちからも求められて・・・。日本の人々って親切で優しいですね。

Q:ツアーの2公演の合間のオフには、京都などに旅をする団員も少なくないようです。

A:3日しかないので、もし京都にゆくならもう少し日程が取れる時じゃないと・・・。富士山を見に行ったけど、基本的には東京に残って、いろいろな地区を歩きました。私とアンドレア、そしてもう一人同じ年に学校に入ったのがポール・マルク。私たち3人、いつもつるんでいます。このツアーでポールは『白鳥の湖』だけで、一方アンドレアは『マノン』だけ。彼が日本に着くのは私たちがオフの時なので、それで3人揃って何かをできる1日を見つけようって出発前から準備をして、ポールが帰る前の晩に3人で渋谷でストリートカートを楽しみました。

Q:目標はエトワール。いつ頃までに、と夢見てますか。

A:来年2月に27歳になります。30歳とか32歳の頃だと、その後10年をエトワールとして素晴らしいキャリアが築けるので良い年齢だと思いますね。まずは、それまでにステージ数を重ね、自信をつけて芸術的な強さと豊かな経験を持つダンサーとしてエトワールになれたらと願っています。私、入団するまでに時間がかかったけれど、入団してからはカドリーユを2年、コリフェを3年、そして今、スジェの2年目です。母がいつも私に言うんですよ。「あなたはディーゼル。動き出すまで時間がかかるけれど、一旦動き出したら・・・」って。入団以来順調に進んでいます。何事も来るべき時に来るのだから、待ちましょう。いつプルミエールに上がれるかどうかわからないけれど、努力は常に怠りません。スジェまで上がれたのは、とにかくたくさん仕事をしているし、意欲もあります。それにダンスが大好き。3歳半からの夢は手放しません。

Q:夢の続きとしてお聞きします。理想としてはどの作品で任命されたいですか。

A:ああ、それって考えたことがなかった。エネルギー溢れる私にぴったり合っている『ドン・キホーテ』かしら。

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