ルビンシテインによるニジンスカ版、ギエムが踊るベジャール版などの貴重な資料や映像が展示されている「ラヴェルの『ボレロ』展」

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Exposition « Ravel Boléro » au Musée de la musique (Cité de la musique)

音楽博物館「ラヴェルの『ボレロ』展」

フィルハーモニー・ド・パリに近接したシテ・ドゥ・ラ・ミュジック(音楽都市)にある音楽博物館で6月15日まで「ラヴェルの『ボレロ』展」が開催されている。1875年3月7日に大西洋に面した南西フランスの町シブールに生まれたラヴェルの生誕百五十年を記念して企画された。この展覧会は世界で最もひんぱんに演奏されているクラシックの曲「ボレロ」を通じて、ラヴェルの作曲家としての特徴を浮き彫りにしようとしている。
1928年に53歳のラヴェルは栄光の絶頂にあった。1月から4月まで北米ツアーを行い[1]、パリに戻ったところで舞踏家イダ・ルビンシテイン(1885・1960)から「スペイン風のバレエ」を依頼された。イダはフォーキンの弟子で、ディアギレフのバレエ団で『クレオパトラ』[2]や『シエヘラザード』[写真3]を演じ、次いでオペラ座でドビッシー作曲の『聖セバスチャンの殉教』を初演した。朗誦とマイムにおいて秀でていて、ラヴェルの「ワルツ」(1920年)と「ボレロ」(1928年)、ストラヴィンスキーの「ペルセフォン」(1934年)を踊ったベルエポック時代を象徴する謎めいた美神だった。

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[1] 1928年3月7日 北米ツアー中のニューヨークでのラヴェルの誕生パーティー
©Bibliothèque nationale de France

写真2-クレオパトラに扮したイダ・ルビンシュタイン-(c)-Bibliothèque-nationale-de-France.jpg

[2] クレオパトラに扮したイダ・ルビンシテイン 1909年
©Bibliothèque national de France

写真3-シェヘラザードに扮したイダ・ルビンシュタイン--C-Nocolas-Lascourrèges-.jpg

[3]「シエヘラザードを演じるイダ・ルビンシテイン」
ジャック=エミール・ブランシュによる油絵 1911年
©Nicolas Lascourrèges

イダの依頼を受けたラヴェルは当初、イサーク・アルベニスの「イベリア」というピアノ曲をオーケストラ用に編曲すること考えたが、その権利を得ることができなかった。そのために、短期間で作曲されたのが「ボレロ」だった。
1928年11月22日にパリ・オペラ座でイダ・ルビンシテインのバレエ団によりニジンスカ振付、イダ主演で初演され、大胆かつ官能的な舞台がフランスだけでなく世界のバレエ批評家から絶賛された。[4・5]ブノワによる装置[5]や翌1929年のウイーン公演の写真[6]は当時の上演の模様をよく伝えている。

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[4] 1928年パリオペラ座初演時のポスター © 三光洋

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[5]「ボレロ」リハーサル中のプルミエ・ダンスール、アナトール・ヴィルツァック スペイン風の衣装をまとっている。サンクトペテルブルクでフォーキンに学び、バレエ・リュス、ついでイダ・ルビンシテインのバレエ団に参加した。

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[6] アレクサンドル・ブノワによる「ボレロ」初演の舞台装置 水彩画
©三光洋

写真7-翌1929年ウイーン公園の舞台から.jpg

[7] 1929年ウイーン公演の舞台写真
© 三光洋

ニジンスカ振付による初演後、ラヴェルの音楽に魅了された他の振付家たちが別の舞台を作ってきた。1941年12月31日にパリ・オペラ座で初演されたセルジュ・リファールとレオン・レリッツの共同振付は台本を大幅に書き換え、『カルメン』に近い物語に変わっている。リファールが闘牛士、スザンヌ・ロルシアがヒロインのマリレーナ、セルジュ・ペレッティがスポンターノを踊った。

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[8]「マリエラ」レオン・レリッツによる衣装のデッサン 鉛筆とグアッシュ 1941年
©Bibliothèque nationale de France

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[9]「闘牛」レオン・レリッツによる衣装のデッサン 鉛筆とグアッシュ 1941年
©Bibliothèque nationale de France

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[10]「闘牛士」レオン・レリッツによる衣装のデッサン 鉛筆とグアッシュ 1941年
©Bibliothèque nationale de France

バレエファンにとって見逃せないのはラヴェルの音楽「ボレロ」から生まれた振付作品の名演をつないだビデオが映写されていることだろう。モーリス・ベジャールをはじめとする複数の振付家の舞台映像をつないだビデオも見逃せない。ジョルジュ・ダン、シルヴィ・ギエム[11]、ニコラ・ル・リッシュといった20世紀を代表するダンサーたちの踊りが比較できる貴重な資料だ。欧州以外でも新しいボレロの舞踊作品が次々に生まれている。[12]

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[11] シルヴィ・ギエムと東京バレエ団 2009年 ©DR

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[12] ジュリアン・ファヴローとベジャール・バレエ団 ©DR

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[13 ] イースト・アフリカン・ボレロ 2022年6月22日 ©Marie Charbon

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[14 ]「ボレロ」を踊るエリザベット・ロス ©Marc Ducrest

音楽に関する部分で最も注目に値するのはフランス国立図書館所蔵のラヴェルの自筆譜だ。[15] 細かい几帳面な筆跡からはラヴェルの繊細そのものの人柄がうかがえる。曲を分析したクロード・レヴィ=ストロースの文章も展示されている。この著名な考古学者は友人の作曲家のルネ・レボヴィッツからの依頼でラヴェルのオペラ「スペインの時」の装置を考案したことが説明されている。

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[15] ラヴェルの鉛筆書きのオーケストラ自筆譜 オーケストラ版の1ページ目 1928年
© Bibliothèque nationale de France

「ボレロ」が作曲されたモンフォール・ラモーリーのラヴェル邸「ル・ベルデヴェール」(現在のラヴェル博物館)[16・17・18]から作曲家が使った旅行鞄や子供用玩具のコレクションが貸与されている。「ボレロ」が作曲される直前の北米ツアーで使用された旅行鞄には上着がずらりとかけられている。ラヴェルが身長1m61cm、体重48キログラムという華奢で小柄な男性だったことが一目路瞭然だ。[19]
オルゴール[20]や神戸で作られた子供の自動人形[21]、ゲーム「狼狩り」[22]は邸宅で使われていたもので、童心をいつまでも失わなかったラヴェルらしさが感じられる。

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[16]「ル・ベルデヴェール」と名付けられたラヴェルの邸宅
©Julie Toupance

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[17]「ル・ベルデヴェール」と名付けられたラヴェルの邸宅
©Julie Toupance

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(18は欠番)

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[19] ラヴェルが北米ツアーで使用した旅行鞄
© Julie Toupance

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[20] オルゴール ©Julie Toupance

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[21] 神戸で作られた自動人形
©Julie Toupance

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[22 ] ゲーム「狼狩り」
©Julie Toupance

最後になったが、展示場の入り口を入ってすぐの空間に設置された幅10メートルのスクリーンには、2023年に録画されたパリ管弦楽団による「ボレロ」の演奏が映写されている。中央に小太鼓奏者二人が配され、周囲に螺旋状に他の奏者たちが座って演奏している。旋律を演奏する奏者たちには赤、リズム打ちは青、オスティナート(音型反復)は黄の照明が当たることで、曲の構成が一目でわかるように工夫されている。

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[23]「ボレロ」を演奏するパリ管弦楽団 ©Camera Lucida

この展示会場をひと回りすると、ラヴェルが持つ多面性と彼が生きた時代が鮮やかに甦ってきた。

なお、La Martinière書店から フィルハーモニー・ド・パリとの共同でカタログ「ラヴェルの『ボレロ』」が出版され多くの図版や写真が添えられている。この中にはクロード・アブロモン執筆の「ラヴェルとダンス」やシルヴィ・ギエムによる「乗るかそるか」というバレエファンにとって興味の尽きない論考が収録されている。(フランス語)

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