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マッツ・エックの『アパルトマン』を踊ってリュドミラ・パリエロがアデュー

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris パリ・オペラ座バレエ団

Les Adieux de Ludmilla Pagliero
Sharon Eyal "Vers la mort" & Mats Ek "Appartement"
『死のほうへ』シャロン・エイアル:振付 『アパルトマン』マッツ・エック:振付

2012年からエトワールとして活躍してきたリュドミラ・パリエロが4月17日にマッツ・エック振付の『アパルトマン』を踊って引退した。パリエロは、1983年10月15日にアルゼンチンのブエノス・アイレスに生まれ、現在41歳だ。オペラ座バレエ団の定年(42歳)にはまだ数ヶ月の時間があるが、コロナ禍の時期から引退を考え始めていたパリエロは、思い出のあるマッツ・エック作品での早めのアデューを選んだ。ちなみに、パリエロは3月1日に『オネーギン』(ジョン・クランコ振付)の題名役で引退したマチュー・ガニオ(1984年3月16日生まれ)のパートナーとして、タチアナを入魂の演技で演じている。この二人の相次いだ引退によって、オペラ座ダンサーの世代交代が一気に進みそうだ。

パリエロは2012年3月22日、バスチーユ・オペラのルドルフ・ヌレエフ振付『ラ・バヤデール』で、怪我のため降板したドロテ・ジルベール(1983年9月25日生)の代役でガムザッティを見事に演じ、エトワールに任命されている(ニキアはオーレリー・デュポン、ソロルはジョシュア・オファルト)。パリエロはその時、平行してガルニエ宮で上演されていたマッツ・エック振付『アパルトマン』に出演していた。『アパルトマン』以外にも『ベルナルダ・アルバの家』(長女役、母親のベルナルダはジョゼ・マルティネーズ)『アナザー・プレイス』『A sort of』といったエック振付作品を踊ってきた。

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リュドミラ・パリエロ
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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ヴァランティーヌ・コラサンテ 八菜・オニール リュドミラ・パリエロ
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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リュドミラ・パリエロ ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

マッツ・エックがオペラ座バレエ団のために2000年に振付けた『アパルトマン』は、日常生活の寸劇が11の場面により、フラッシュ・カルテットの生演奏をバックに繰り広げられていく。どのダンサーも全力を尽くして役に取り組んでいたが、第1場「風呂場」のビデに呑み込まれていく女に始まり、八人の男女による「ワルツ」(第6場)、他の四人の女性といっしょに掃除機を手にスコットランド音楽に乗ったジーグ(第7場)から全員が参加するファイナル(第11場)まで、状況とともに刻々と表情、視線、身体の動きが細やかに変わるパリエロからは、目を離すことができなかった。
この作品がオペラ座のレパートリーに入ってから四半世紀が経過したが、その内容は古びていない。第2場は長椅子に座っている一人の男(かつてジョセ・マルティネーズやニコラ・ル・リッシュが演じた役で、今回はユゴー・マルシャン)がテレビの画面から目を離せないでいる。21世紀になってテレビが携帯やパソコンに変わっただけで、画像に魅入られた人間が自己を失っている現実が生々しく視覚化されているのには改めて脱帽せざるを得なかった。
オニール八菜、クレマンス・グロス、イダ・ヴィキンコスキー、ジェルマン・ルーヴェ、マルク・モロー、アントワーヌ・キルシャー、パブロ・ルガサ、ダニエル・ストークスが横断歩道を渡る男女のさまざまな姿を短いスケッチで描いた第3場では、マッツ・エックの温かい視線が感じられた。それに対して第8場で、胎児をオーブンで焼いてしまう夫婦(ジェルマン・ルーヴェ、アントワーヌ・キルシャー)による目を背けたくなるようなグロテスクなシーンも、人間の持つ一面として取り上げられていた。

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ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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イダ・ヴィイキンコスキー マルク・モロー
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

それに続いた第8場「ドアのパ・ド・ドゥ」は、男と女の関係における出会いが主題だろう。夫婦やカップルといった男女関係の複雑さを、マッツ・エックはしばしば取り上げている。お互いに惹かれ合いながら、近づくかと思うと相手から離れ、最後に一つとなるという男女の感情の機微をイダ・ヴィイキンコスキーとマルク・モローが視線のやり取り、細やかな指の動きといった細部をていねいに積み重ねていくことで、鮮やかに形象化していた。
前半はイスラエルの女性振付家シャロン・エイアル(1971年イェルサレム生まれ)による「死のほうへ」という「新作」だった。オペラ座バレエ団でエイアルの作品は2021年12月に『牧神たち』が上演されている。新作をエイアルは強迫性障害(OCD Obsessive-compulsive disorder )にかかったアメリカの詩人ナイル・ヒルボーン(1990年生) の詩に触発されて作った。強迫性障害とは 強い「不安」や「こだわり」を繰り返して感じるために日常生活に支障が出る病気である。「鍵をきちんとかけただろうか。」「手を洗っただろうか。」といった疑問が頭脳から絶えず離れなくなるのが好例だ。
エイアルは恋をした状態になったために起きる病的な症候を通じて、男と女が歩み寄ることのむずかしさを浮き彫りにしようとした。舞台にはコンテンポラリーダンスで活躍しているカロリーヌ・オズモンやイヴォン・デュモルに加えて、通常はクラシックに起用されているナイス・デュボスクも含め、合計9人のダンサーが踊った。
作品は強い光線(ビーム)を照射された女性ダンサー(顔は影になってよく見えない)が、所作をだんだん極端にしていって均衡を失う長いソロで始まった。やがて、ソリストの女性の前に彼女に無関心な男性が現れてデュオとなり、数分間が経過してからさらに他のダンサーたちが加わった。個人が集団の中に入っていったり、そのグループから出ていったり、といったシーンが繰り返されて、最後はダンサー一人で終わった。ソロとアンサンブルの組み合わせからなる40分の長いスペクタクルは、オーリー・リッチティックによるテクノ音楽をバックに、変化に富んだ照明によって変転する空間で演じられた。目についたのはこわばった動きの繰り返し、身体のそり返し、痙攣、執拗な足踏み、といった動きで、人の内面を表現しようとしたものだったと推察される。ダンサーたちのエネルギッシュな動きには目を奪われたが、振付家の意図がもう一歩つかみきれない印象が残った。

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ユゴー・マルシャン
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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八菜・オニール パブロ・ルガサ
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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八菜・オニール パブロ・ルガサ
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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アントワーヌ・キルシャー
© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

後半の『アパルトマン』が終わると、リュドミラ・パリエロのアデューとなった。例外的に大道具方の男女職員も舞台に招かれ、和気藹々とした雰囲気の中、観客たちは立ち上がって長い拍手で感謝の気持ちを伝えようとしていた。3月1日に引退したばかりのマチュー・ガニオをはじめ、彼女のパートナーだったダンサーや教師、夫と子供が次々にパリエロを抱擁した。最後には80歳を迎えたマッツ・エックも登場し、オペラ座バレエ団きっての演技派エトワールとの別れを惜しんでいた。
(2025年4月17日 ガルニエ宮)

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

『死のほうへ』 (パリ・オペラ座バレエ団のためのクリエーション)
振付・衣装 シャロン・エイアル
共同制作・衣装 ガイ・ベイハー
音楽 オーリー・リッチティック
照明 チェリー・ドレフュス
照明アシスタント ギヨーム・フルニエ
振付アシスタント レオ・レリュス
音楽は録音を使用
ダンサー 
ナイス・デュボスク、カロリーヌ・オズモン、ニーヌ・セロピアン、アデル・べレム、マリオン・ゴーティエ・デュ・シャルナセ
ミカエル・ラフォン、イヴォン・デュモル、ナタン・ビッソン、ジュリアン・ギユマール

『アパルトマン』(2000年5月27日 パリ・オペラ座バレエ団により初演)
振付 マッツ・エック
音楽 フラッシュ・カルテット(舞台上で生演奏)
装置・衣装 ピエデル・フレイユ
照明 エリック・ベルグルント

配役
1 風呂場:リュドミラ・パリエロ、マルク・モロー、ジャック・ガストット、アントワーヌ・キルシャー、パブロ・ルガサ
2 テレビ:ユゴー・マルシャン
3 横断歩道:オニール 八菜、クレマンス・グロス、イダ・ヴィイキンコスキー、ジェルマン・ルーヴェ、マルク・モロー、アントワーヌ・キルシャー、パブロ・ルガサ、ダニエル・ストークス
4 台所 パ・ド・ドゥ:ヴァランティーヌ・コラサンテ、ジャック・ガストット
5 トリオ パ・ド・ドゥ:ジェルマン・ルーヴェ、アントワーヌ・キルシャー、ダニエル・ストークス
6 ワルツ:オニール 八菜、パブロ・ルガサ、ヴァランティーヌ・コラサンテ、ジャック・ガストット リュドミラ・パリエロ、ユゴー・マルシャン、イダ・ヴィキンコスキー、マルク・モロー 
7 掃除機の行進:ヴァランティーヌ・コラサンテ、オニール 八菜、リュドミラ・パリエロ、クレマンス・グロス、イダ・ヴィイキンコスキー
8 胎児のデュオ:ジェルマン・ルーヴェ、アントワーヌ・キルシャー
9 ドア パ・ド・ドゥ:イダ・ヴィイキンコスキー、マルク・モロー
10 ポリス・テープ:フレッシュ・カルテット
11 ファイナル:ダンサー全員

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