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大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2016.03.10]

オペラ座ダンサー・インタビュー:ポール・マルク

Paul Marque ポール・マルク(コリフェ)
昨年のコンクールで昇級を決め、2016年1月1日からコリフェとなったポール・マルク。2月にオペラ・ガルニエで踊られたジェローム・ロビンズの『ゴールドベルグ変奏曲』の14公演のうち、11公演でソリストとして舞台に立つ幸運に恵まれた。

ポール・マルクは2014年に入団したので、昨年がコンクールに参加できる最初の機会だった。その結果、コリフェの2空席のうち1席を、満場一致で1位で得た彼。その際、確かなテクニックと表現力が多いに話題となった。2月の公演「ベル、ミルピエ、ロビンズ」のトリプルビル中、彼はロビンスの『ゴールドベルグ変奏曲』で最初のパートの2組のトリオのうち、セカンド・トリオの一人として、ほぼ毎晩のようにソリストとして活躍。ピエール・アルチュールやヴァランティーヌ・コラサントといった経験豊かなプルミエ・ダンスールたちと共に、軽快に、優雅に、ユーモラスで、フレッシュにロビンズの振付けを踊り注目を集めた。
180cmとオペラ座のダンサーの中では並の身長ながら、舞台上では体の使い方ゆえか、実際より一回り大きく見える頼もしさ。美しいポール・ド・ブラ、つま先と指先までまったく手抜きのない細やかさ・・・古典作品での活躍が期待したくなる18歳の若者だ。3月19日からオペラ・バスチーユで始まる『ロメオとジュリエット』では、今のところコール・ド・バレエでの出演が決まっている。ソリストの代役として舞台で踊れることになるかどうか・・・。

pari1603c_01.jpg Paul Marque
photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:今(2月下旬)は『ロメオとジュリエット』の稽古中ですね。何を踊りますか

A:コール・ド・バレエでキャピュレット家の従者と9人のアクロバットを踊ります。そして、代役としてマーキュシオの4人の友だちおよびベンヴォーリオをリハーサル中です。

Q:ロビンズの『ゴールドベルグ変奏曲』でソリストとして踊ったことは、コリフェとしては異例の配役だったのでないでしょうか。

A:合計14回の公演があって、そのうちソリストとして11回、コール・ド・バレエで3回踊ったんですよ。セカンド・トリオはもともとフランソワ・アリュ、アレッシオ・カルボーネ、マニュエル・ティボーが踊ることになっていて、マニュエル・ティボーは最初の配役通り、3晩踊りました。アレッシオは腰を痛めてしまって降板。フランソワは風邪で体調を崩しているところにリハーサル、そしてゲネプロ・・・その結果、菌に筋肉をやられてしまって。彼の体調が戻るのは公演終了の頃だろうという状況でした。その結果、僕がフランソワ・アリュとアレッシオ・カルボーネの分を踊ったわけです。

Q:もともとこの代役としてリハーサルをしていたのですね。

A:いえ、全然!まずコール・ド・バレエとしてこの作品に配役されていました。
それゆえマニュエル・ティボーがセカンド・トリオを踊った3晩は、もともとの配役通り、僕はコール・ド・バレエで踊ったわけです。コール・ド・バレエに加えて、僕はファースト・トリオのピエール・アルチュールやファビアン・レヴヨンが踊ったパートの代役でもあったけど、代役なので、それについては公演予定は特にありませんでした。

Q:ピエール・アルチュールもファビアンも二人とも怪我もせず、無事に公演を終了しましたね。

A:そう、だからこのファースト・トリオの代役は踊らずじまいでした。セカンド・トリオについては、プレ・ゲネプロの前夜のことですが、それを踊るフランソワ・アリュは病気、マニュエル・ティボーも少々体調に問題があって・・・。つまり翌日のプレ・ゲネプロで誰もセカンド・トリオの彼らのパートを踊るダンサーがいないという状況に陥ってしまったのです。それで急遽このパートをできるかどうかと、僕に問合せがあって・・・。それまでのソリストのリハーサルで、踊らず見ていただけだったけれど、何度もリハーサルがあったので、かなりな部分の振付を僕、覚えていたんです。それでその日の午後のリハーサルのときに、1つめのソロをまず稽古して、それから、その晩帰宅してから翌朝3時までビデオを見ながら全部の振付を覚え、翌日、プレ・ゲネプロで踊りました。それから2月20日の最終公演まで、ずっと踊っていました。つまり、このセカンド・トリオについては、僕は正規のリハーサルは一度もしてないんです。

pari1603c_02.jpg 「ゴールドベルク変奏曲」photo Benoïte Fanton/ Opéra national de Paris

Q:セカンド・トリオに声をかけられたとき、どんな気持ちでしたか。

A:ああ、最高に幸せでしたよ。もちろんですよ。役がもらえるなんて、コリフェの僕には望外なことなんだから。

Q:ロビンズ作品を踊るのは、入団以来これが初めてではないですか 。


A:はい。このバレエのためにオペラ座にロビンズのところから、2名のリハーサルコーチが来ていました。ファースト・トリオのソリストのパートと、コール・ド・バレエのリハーサルのためにぼくは彼らと仕事をする機会があったのですが、その間、まるでロビンズ自身が彼ら二人を介して話しているような感じを得ることができ、素晴らしい時間を過ごしたんです。とてもたくさんのことを学びました。ロビンズのスタイル、ロビンズの踊り方、動き方・・・つまりロビンズ作品を踊る基本ですね。僕が実際に踊ったセカンド・トリオのソリストの部分については、彼らと仕事をしていないのだけれど、舞台ではこの時の経験がすごく役立ったと思っています。で、セカンド・トリオについては、先に話したようにぎりぎりの状態で覚えることになったのだけど、実のところこうした方法が僕にはけっこううまく行くんですね。もちろん最初からリハーサルに参加できていたら、もっと深めることができて、うまく踊れただろうけれど・・。

Q:たいそうな集中力が要されたのではないですか。

A:はい。でも、それはリハーサルの間だけのこと。公演が始まってからも僕はリハーサルがあって、そのときはすごい集中力をもって仕事をしました。でも、舞台に出るときは、「たとえ間違っても、仕方ない。続けるしかないんだ!たとえ何か失敗しても、たいしたことじゃない。即興で踊り続けるんだ!」って、自分に言い聞かせてたんですよ。ストレスゆえに舞台上で踊る喜びが味わえなかったら、惜しいじゃないか、って。

Q:観客にはストレスは感じられず。快適に踊っているとしか見えませんでした。

A:寛いだ気持ちで踊れるよう、努力しました。前日に覚えた振付だから・・・最悪、何か失敗があったら、つまり、それに対してこういう言い訳があると思っていました。これが逆に僕の助けになったのでしょうね。最後まで振付を間違えることも失敗もなく終えられました。

Q:どんな反応を周囲から得られましたか。

A:もちろんコレクションはいくつかあったけど、とてもポジティブで良い反応ばかり。友だちのみんながこれを僕が踊ることになって喜んでくれて、支えてくれたんです。幸福感いっぱいでしたね。

Q:ソリストの代役だと、場合によっては今回のあなたのように、スジェのダンサーたちの前で代役のコリフェがソリストとして踊る晩もあるのですね。それは代役の一種のアドヴァンテージといえますね。

A:そうですね。僕にとってはすごいチャンスで、こうした機会を得られたのは本当にうれしいことでした。ただ、それは怪我や病気をした誰かの代わりということなので・・・。公演を全うできなかったフランソワやアレッシオには、とても残念なことです。

pari1603c_03.jpg 「ゴールドベルク変奏曲」photo Benoïte Fanton/ Opéra national de Paris

Q:コンクールでは自由曲も課題曲同様にヌレエフ作品でした。なぜでしょうか。

A:ずっと昔から、『眠れる森の美女』のプリンスのスロー・ヴァリアションがとにかく大好きなんです。僕が一番踊りたいのがこれなんです。それでこれを初めてのコンクールの自由曲として、準備を始めていました。課題曲が同じ『眠れる森の美女』からのヴァリアションだとわかったときに、自由も同じ作品からというのは良い選択ではないと考え、『白鳥の湖』の第三幕のヴァリアションを踊ることに変えました。これも素晴らしいソロで、大好きです。コンクールを見た人が、「あ、これは君の価値をよく引き出すセレクションだ」というような反応をする作品よりも、自分が心から好きで、舞台上で心から楽しんで踊れるソロを踊りたいと思って、これにしたんです。自分ができることをみせるというより、自分が好きなものを踊って喜びが得られるものを・・・。

Q:課題曲の『眠れる森の美女』は、かつてコリフェからスジェへのコンクールでの課題曲だったと聞きました。カドリーユには難易度が高いソロでしたか。

A:確かにそうだけど、でも、同時に、もし挑戦する必要があるものでなければ、面白くないですよね。この課題曲はもちろんテクニックを要するものだけど、とても短く、その分激しい。僕はこういうのが好きなんですね。だから、課題曲も自由曲も、自分が心から好きなヴァリアションを踊れることができたと言えます。

Q:コンクールの前、上がれる!という確信のようなものはありましたか。

pari1603c_04.jpg コンクール photo Sébastien Mathé

A:いえ。これが初めてのコンクールだったし、まだ若いのだし、カドリーユの中にはぼくより10年以上の経験を持つダンサーもいるのだし・・・と。だから上がることや、誰々よりは上の位置に、とかそういったことにコンクールの目標を定めず、「後悔なしにコンクールを終えたい」ということだけでした。自分がしたいことを踊り、技術的に何も失敗せず、芸術的には喜びをえて・・・。踊る喜びだけを感じ、後悔なしに舞台を去りたい、と思っていました。もちろん、初めて一人で舞台にたつのだから、自分のダンスを審査員たちに見せる機会でもあるとは思ったけど、踊る喜びがまずは第一。だから舞台上では、「何も失うものがないんだ。やるんだ!」という感じでした。

Q:結果はどのように知りましたか。

A:コンクールが終わるや、オペラ座から一刻も早く遠ざかろうと、すぐに楽屋に戻ってシャワーを浴び、着替えをし・・・。たとえ友だちでも、周囲に誰もいない環境が必要だったのです。結果はメールで受け取ることになっていたので、コンクールを見に来ていた母と一緒に通りを歩きながら、何度も何度も携帯でメールをチェックして・・・ストレスいっぱいだったんでしょうね。結果を知った時は、夢のような瞬間でしたね。まったく思ってもみなかったことで・・・。目標でなかったにしても、コリフェに上がるというのは夢だったし、それも一位で。これ以上のことは望めませんね。母はうれしさあまって、大泣きしていました。

Q:ダンスを始めたきっかけを話してください。

A:僕はフランスの南西部、ダックス市の出身。ラグビーで有名な町です。クラシック・ダンスとは正反対の町ですよね。母はノルマンディーの出身で、小さいときにダンスをやってました。スポーツ・ダンスといって、今はおそらく存在しないジャンルなんじゃないかな。膝にサポーターをつけたり、タンゴがあったり、いろいろなスタイルのダンスが混ざり合ったものなんです。それで母は国内のコンクールで賞をもらったりしていて・・・。僕が3歳のときに、1歳上の姉がモダン・ダンスの教室に通っていて、姉を迎えにゆくときに僕も母にくっついて行っていたんです。母によると、教室のガラス張りのドアにくっついて、僕は中を食い入るように見ていたそうです。女の子ばかりのクラスで、彼女たちが踊るのを見るのに、夢中だった・・・と。僕自身は覚えてないことなんだけど。レッスンが終わるたびに、僕は教室にとびこんでいって、一人で踊る真似事をしていたそうです。ある日、「僕もダンスを習いたい」と両親にいったそうです。それで4歳のときに教室にはいって、最初の1年はモダン・ダンスを、その次の年からクラシック・バレエを始めました。

Q:ダンスを習いたいと思ったのは、クラシック・バレエをみたからではないのですね。

A:それまで自分が見ていたのダンスはモダン・ダンスだったのだから、習いたいと思ったのはモダン・ダンスでしょうね。習い始めてからクラシック・バレエの教室を見る機会があって、その時に「これこそが自分のやりたいことだ」と両親にいったようです。それで5歳からクラシック・バレエを習い始めました。姉もその時一緒に習い始めたのだけど、僕がオペラ座の学校にはいって一年したところで、彼女はダンスをやめました。たとえ二人一緒に踊るのではなくても、教室の往復も二人一緒で、同じクラスで一緒に学んで・・・と、姉にとってダンスは姉弟二人でするもので、それに彼女はダンスを仕事にとは思っていなかったので。

Q:クラシック・バレエの何が気に入ったのですか。

A:正直なところ、まったくわからない・・・・わかりません。

Q:オペラ座のバレエ学校に行きたいと思ったのは、なぜですか。

A:その頃、学校の第一ディヴィジョンにカミーユ・シャンという生徒がいました。彼女のダンスは素晴らしかったけれど、あいにくとカンパニーの入団試験に受からず。その後、彼女はパリの名門高校のアンリ・キャトルにはいって1〜2年学び直し、今はボルドーの大学の医学部で学んでいます。偶然なことに、昔から医者志望だった僕の従兄弟も今彼女と共に学んでいて・・・彼女がオペラ座学校時代に得た大学入学資格は文系なのに、今や学部の最優秀生徒だそうです。で、話を昔に戻しましょう。彼女もぼくと同じダックス出身です。それで、僕が夏のダンス研修に参加していたときに、オペラ座の生徒だった彼女と会って話す機会があって、こうして、彼女が僕にオペラ座の存在を教えてくれたんですね。ダンスのプロになるための学校ってあるのかな、とちょうど思い始めてた頃です。

Q:その頃すでにプロのダンサーになることを考えていたのでしょうか。

A:きっと、そうだったんでしょうね。彼女と話していて、オペラ座やオペラ座のバレエ学校というのを知って、なんとなく頭にはあったことが、パチン!と確実になった感じ。その後、2年くらいして、両親にオペラ座のバレエ学校で学びたいと伝えました。すぐに両親が手続きをして、試験を受けて・・・半年の研修の後、第6ディヴィジョンから始めました。

Q:両親と離れて一人で暮らすことに、何の不安もなかったのですか。


A:そういったことは、全然意識の中になかった。とにかく、毎日ダンスばかりの暮らしというのがうれしかったので、そのほかのことは何も考えていませんでした。その当時ぼくの頭の中には、パリ・オペラ座!オペラ座の学校!それしかなくって。2008年の入学からバレエ団の入団まで、すべてが順調に進みました。

Q:その間、本当にこれが自分の道かどうかとか迷ったことはありますか。


A:挫けるようなことがあったときは、誰しもそうしたことを考えるものだから、きっとあったかもしれない。ダンスに対して本当に情熱があるのか、本当に好きなのかと・・・。でも、あったにしても一瞬のこと。すぐにダンスの情熱100パーセント!に戻ります。

Q:学校時代に何が一番の思い出ですか。

pari1603c_05.jpg コンクール photo Sébastien Mathé

A:楽しい思い出がたくさんありすぎて・・・たとえば寮生活。ぼく、親と離れて暮らしたことがなかったので、最初は恐ろしいものだった。でも夜とか友だちとじゃれあって、楽しい時間を過ごすにつれて・・・。悪い思い出もあるかもしれないけど、あまりにも多くの良い思い出があるので、学校時代そのものが良い思い出だといえます。

Q:学校の海外ツアーに参加したことはありますか

A:入学したての第六ディヴィジョンのときに、『スカラムーシュ』の公演で日本に行きました。11歳とまだ小さくて、あまり詳しい思い出はないけど、日本がすごく気に入ったことは覚えています。来年のオペラ座のツアーに参加できるのを期待してますよ。

Q:コンテンポラリー作品に興味はありますか。

A:学校ではコンテンポラリーのレッスンがあまりなかったので、そちらに向かうようには指導されませんでした。これまで少しフォーサイス作品に接する機会があっただけでコンテンポラリー作品を舞台で踊る機会もあまりなかったし・・・。今のところ、ビジュアル面ではコンテンポラリー作品に余り気をひかれていません。でも、踊ったら楽しめるのではないかと思います。

Q:クラシック・バレエの中でもヌレエフ作品、とりわけプリンス役を踊りたいと期待していますか。

A:はい。ヌレエフの古典作品の大役を踊りたい・・・プリンス役にひかれているといえますね。

Q:オペラ座外での公演は、グループ "トロワジエム・エタージュ’’ に参加しているのですね。

A:はい、サミュエル・ミュレーズ、フランソワ・アリュ、ジョジュア・オファルトによるグループです。

Q:オペラ座の仕事で忙しいのに、さらに外部での公演に参加するのはなぜですか。

A:オペラ座に入団しても、すぐにソリストとして舞台で踊る機会はないですね。いつか踊りたいと願っているソロを踊れることは、すぐにはない。外部での公演では、そうしたソロや、パ・ド・ドゥを踊る機会が得られるんです。入団してすぐに、サミュエル・ミュレーズと話す機会があって、徐々に彼のグループの一員となったという感じです。これまで、彼らとは何度もあちこちで踊りました。グループのレパートリーには、たくさんの作品があります。トロワジエム・エタージュの中にジョジュアの創作による公演『チャイコフスキー 空想の王国の物語』があって、その中ではジークフリートの役や青い鳥を踊りました。ジョジュアのバレエは全幕物だけど、フランソワやサミュエルの公演は、さまざまな作品を毎回のテーマにあわせて組み合わせたプログラムです。彼らの振付作品もあれば、『ロメオとジュリエット』『ラ・バヤデール』や『ドン・キホーテ』からのパ・ド・ドゥといった古典大作もあります。コンテンポラリー、ネオクラシックがメインなので、クラシックが必要なときはこのように古典大作となるようです。実は2月28日にもグループ公演があったのだけど、ぼくはその数日前にお腹をこわしてした上、右足の故障にもみまわれ・・・。公演までに治るかもしれないけれど、わからないし、またガラに参加することで足の故障が戻ってきてもいけないし・・・。直前のキャンセルは避けなければならないので、早めに彼らに参加できない旨を伝えようと決断しました。参加できないのはとても残念だけど、ぼくのためにもいいし、彼らにもそれがいいのだと。

Q:どのようなパートナーとパ・ド・ドゥを踊るのですか。

A:サミュエルのガラではまだあまりパ・ド・ドゥは踊ってないのだけど、ジョジュアの公演でジークフリートを踊ったときは、イダ・ヴィキンコスキーが黒鳥で、リディ・ヴァレイユが白鳥でした。他のガラでは例えば、アンブル・シャルコソー、ウージェニー・ドゥリオンと。5月に参加するガラではロクサーヌ・ストジャノフと踊ります。

Q:あなたにとって良いパートナーシップの基準は何でしょうか。

A:たくさんあります。技術面についていえば、女性ダンサーの体軸や、ソー、ポルテなどパ・ド・ドゥを成功に導くためのレスペウクトすべきコードがありますね。パ・ド・ドゥでは二人の間に相互浸透作用があることがとにかく大切だと、僕は考えています。二人のダンサーの間の物語なのだから、パートナーとの感情の一致が必要です。この相互浸透作用というのは女性ダンサーとのパ・ド・ドゥだけには限らない。例えば、『ロメオとジュリエット』でロメオが後ろにのけぞるようにソーを繰り返すたび、それをベンヴォーリオがしっかりと受け止めるというシーン。ここでも、二人のダンサーにそれが必要とされることなんです。

Q:42歳の引退後の人生について、考えることがありますか。

A:オーストラリアで暮らすのが、小さいときからの夢です。巨大な砂漠や大峡谷がありながら、そのすぐ脇にシドニーのような都会がある。まだ実際にいったことがない国だけど、ずっと心惹かれていて・・・。そこで現実に何をするかまでは、まだ考えてません。でも、定年後も何かオペラ座で仕事があるならともかく、それ以外何も僕をフランスにひきとめるものはないので、オーストラリアに行きたいと夢見ているんです。

Q:バンジャマン・ミルピエ芸術監督が手がけた変化の中で、あなたが最も感謝していることは何ですか。

A:それは階級に関係なく、若いダンサーたちにソリストとして舞台にたつチャンスを与えたことです。もしぼくが『ゴールドベルグ変奏曲』の代役に入ってなかったら、今回のような幸運は訪れなかったのですからね。

<<10のショート・ショート>>
1. プチペール:いない。その代わりというのではないが、学校の第四ディヴィジョン時代から、ジル・イゾワールが指導してくれ、面倒をみてくれている。
2.  プチット・メール:今はいない。学校時代はカミーユ・シャン。
3.  朝食:自宅でカフェとシリアルをボール一杯。オペラ座に着いてからパン・オ・ショコラを1つか2つ。クラスレッスンの前に、一度に大量を食べたくないので。
4.  好きな食べ物:和食。遅くまで仕事があり、翌朝が早いときはよく和食の配達を頼む。サーモンとアヴォカドのカリフォルニア・ロールが一番のお気に入り。2番目はギョーザ。
5.  性格の特徴:良くも悪くも、こうと決めたことに固辞すること(何かを決めたとき、頑固者だと思われないように、それをあまり表に表さないようにしている)。
6.  2014年入団の同期のダンサー:学校から一緒に入ったのはアクセル・マグリアノ。外部からはジュリアン・ギユマール、イザック・ロペス・ゴメーズ。女性の同期は、ウジェーニー・ドゥリヨン、アワ・ジョワネ、エロイーズ・ジョクヴィエイユ、マリオン・ゴティエ・ドゥ・シャルナ。
7.  舞台に出る直前にすること:特別な儀式はなし。 17時から18時30分のクラスでウォーミングアップ。コスチュームを着た後は、自分がそれから踊ることをコレクションなども踏まえて頭の中でさらう。
8.  ダンサー以外に考えられる職業:建築家。ナンテールのバレエ学校のようにモダーンな建物を建築するクリスチャン・ドゥ・ポルザンパークや彼の妻エリザベットの仕事に興味を持っている。
9.  パリを歩いていて眺めるもの:ケースバイケース。女友だちと一緒の時はブティックなど。一人のときは目をあげて建物の上方をみる。屋根の上のテラスとか信じられない発見がある。
10.  バカンスの夢の行き先:バリ島(この夏に行く!)