ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Paris <パリ>: 最新の記事

From Paris <パリ>: 月別アーカイブ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2016.01.26]

オペラ座ダンサー・インタビュー:バンジャマン・ペッシュ

Benjamin Pech バンジャマン・ペッシュ(エトワール)
1987年にオペラ座バレエ学校に入学し、1992年にオペラ座バレエ団に入団した彼。若いときはエネルギッシュな踊りで観客を魅了し、30代後半には『ドガの小さな踊り子』の黒服の男、『天井桟敷の人々』のラスネールなどどこかミステリアスで個性的な人物を踊り、作品に厚みを与えていた。今年2月20日、約四半世紀のダンサーのキャリアに別れを告げる。

今シーズン開幕時は、オペラ・ガルニエのパブリック・スペースを使って開催されたボリス・シャルマーズの『20世紀のための20人のダンサー』に、唯一のエトワールとして参加したバンジャマン・ペッシュ。ガルニエ宮の地下、ロトンド・デ・ザボネにて周囲を取り囲む観客に作品をわかりやすく解説し、笑わせ、そして『牧神の午後』『薔薇の精』『白鳥の死』などをスニーカーで踊ってみせ、さらに iPhone で観客とセルフィーを撮ったりも! 彼のエンターテイナーぶり、人をひきつけるリーダー的要素、チャーミングなキャラクターが見事に全開した公演だった。

pari1601b_01.jpg (C) James Bort / Opéra national de Paris

2月5日から始まるトリプルビル「Bel, Robbins , Millepied 」の最終日にあたる2月20日にアデュー公演を行うが、ミルピエ芸術監督の信望厚い彼は新たな肩書きを得て、その後もオペラ座に留まることが決まっている。仕事の移行は徐々に始まっていて、このインタビューが行われた12月は『ラ・バヤデール』の公演責任者として多忙な毎日。疲労の色は隠せないものの、ディレクションの仕事は彼の得意とするところだ。インタビュー後、劇場に戻る際、「みんなが待ってるんだ」と言う彼に、「まるでダンサーたちのパパのようね」と声をかけたところ、一瞬の間の後、「そうだね!」と微笑んだ。バンジャマンのオペラ座での第二の人生は、すでに順調に始まっているようだ。

8月に日本で開催される「エトワール・ガラ」では、これまで通りアーティスティック・ディレクターとして、そしてダンサーとして参加する。彼の来日を楽しみに待とう。


Q:ボリス・シャルマーズの『20世紀のための20人のダンサー』では、観客を楽しませるだけでなく、自分でも楽しんでいた様子が伺えました。

A:シャルマーズのあれは最高だった。これこそ、ぼくが舞台から去るために、まさに必要としていたことだといえる。過渡というか推移というか。観客と舞台がオーケストラに隔てられたオペラ座の舞台とは異なる、別の方法で踊れるのだということがよくわかったんだ。劇場内でありながらパブリック・スペースなので、観客がごく近くにいるという大きな違いがあって、観客と言葉を交わすことができ、彼らの意見がきけて、ぼくにとって本当に最高の体験だった。オペラ座で約25年間ダンサーとしてやってきたことが、ぐっとヒューマナイズされたという感じで・・。これまでの表現法とは別なものがあるんだな、と知りました。こうしたプロジェクトは僕の気に入ること。また別の機会があるといいと思ってる。来シーズンも、ボリス・シャルマーズではないけど何かしら予定はあるようで・・・パブリック・スペースをダンスに用いるというシステムが作り上げられたのは凄いことだ。

pari1601b_02.jpg 「20世紀のための20人のダンサー」
photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:2月1日から始まる公演「Bel, Robbins ,  Millepied」で久々にガルニエの舞台上であなたが踊るのを見ることができますが、その最終日2月20日がアデュー公演なのですね。

A:はい。この公演で僕はジェローム・ベルの創作『Tombe』に配役されているので、まずこの晩もそれを踊ります。そしてロビンスの『イン・ザ・ナイト』とプレルジョカージュの『ル・パルク』の最後のパ・ド・ドゥをエレオノーラ(・アバニャート)と踊ります。

Q:この2作品をアデュー公演のために選んだのはなぜですか。

A:『イン・ザ・ナイト』というのは、若い時に初めて踊ったロビンズの作品です。プルミエ・ダンスールとして、初の大役の1つだった。それに何よりもこの作品は20世紀の傑作。マチュー(・ガニオ)、ドロテ(・ジルベール)、ローラ(・エッケ)、エルヴェ(・モロー)、エレオノーラ(・アバニャート)といった愛する仲間たちに囲まれて、美しい作品を踊りながらアーティストとして舞台に別れを告げることができる。それゆえに選びました。『ル・パルク』、これは腰を痛める前に踊った最後の作品なので、これで終わるということが、僕には象徴的なことに思えるので。それにエレオノーラをパートナーにして、何か踊りたいという気持ちもあって・・。彼女と僕はアーティストとして、これ以上ありえないというほど理解しあえる関係なんだ。

pari1601b_08.jpg 「イン・ザ・ナイト」
photo Sébastien Mathé/ Opéra national de Pari
pari1601b_09.jpg 「ル・パルク」
photo Laurent Philippe/ Opéra national de Paris

Q:入団して何年たったのですか。

A:92年に入団したから、24年。腰を痛めたせいで、2年くらい前にすでに舞台から退いた、という感覚がある。腰のアクシデント。これは決定的要因でこれ以来、ジャンプというのができない。もちろんジャンプしなくても、別の踊り方、別の表現法をみつけることによってダンスは続けられる。舞台数もぐっと減って、レパートリーにも変化があって、踊り方も違ってきていて・・例えば『天井桟敷の人々』でラスネール役から伯爵役へと変わったように、身体面で自分にあう役を踊って楽しんだ。肉体を駆使したパワフルに踊るダンサーだった自分は2年前に終わった、というような感じがある。

Q:24年のキャリアの中でダンサーとして一番楽しめたのはどの作品ですか。

A:たくさんある。すぐに思うのは『アルルの女』。ダンサー人生を共にした作品で、僕が最もよく知っている作品だから。この他にも踊るのが楽しみだった『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『火の鳥』など、いろいろある。マッツ・エックやフォーサイスといった振付家との仕事も素晴らしい時間だったし・・。長いキャリアを1作品に限ってしまうことはできない。それに同じ役とはいえ、例えば初めて踊った『白鳥の湖』は、何年か後に2度目に踊ったときとは異なるもの。『ジゼル』だって24歳で踊ったときと35歳で踊ったときとでは違う。自分の人間としての進化とあわせて、アーティストとしても自然に進化していくものだ。このことこそ、役について語るときに、素晴らしいことなんだ。同じ役でも再演すると、新しい発見があり、別の解釈があり、別の踊り方があって・・と。

pari1601b_04.jpg 「アルルの女」
photo Icare/ Opéra national de Paris
pari1601b_03.jpg 「ジゼル」
photo Icare/ Opéra national de Paris

Q:身体的に可能なら、もう一度踊ってみたいという役はありますか。

A:『ジゼル』を最後に踊れたら、と実は思ってたんだ。今シーズン、プログラムされてるでしょう。もともとは『ジゼル』でアデューをするつもりだった、というのも、これと『アルルの女』で僕はエトワールに任命されてるので。だから『ジゼル』でアデューというのがパーフェクトだったんだけど・・。腰のことがあるので僕は第一幕だけ踊り、続きは若いダンサーに、ということも一度は考えてみた。継承ということを語る点で1つのアイディアかもしれない、と・・でも、それはやはり意味のないことになってしまう。

Q:もしアデュー公演が『ジゼル』だったら、パートナーはエレオノーラだったでしょうか。


A:いや、レティシア(・ピュジョル)だったでしょう。

Q:現在公演中の『ラ・バヤデール』では、配役表によるとプロダクション責任者というタイトルですが、具体的にはどういった仕事なのでしょうか。

A:公演に関わるすべてを担当している、すべてを決定しているということです。つまりバンジャマン・ミルピエの同意を得て、僕が配役を決めます。主役をどの日に誰が踊るかということは、エトワールたちと話し合って決め、コール・ド・バレエについては僕が決める。その後配役の変更については、例えばこの間マチアスが怪我で降板したときに、代わりに XX にしましょうというように僕からミルピエに提案をする。大体の場合、彼はOKですね。以前はどのように進行していたのかわからないけれど、僕が今していることはバンジャマン(・ミルピエ)の希望なんです。忙しいですよ。ジェローム・ベルの『Tombe』の創作も始まっているし、毎晩のように『ラ・バヤデール』の公演があるので、毎日9時から23時まで仕事はノンストップだ。

Q:11月に行われたコンクールの時のプログラムによると、あなたの肩書きは’’バンジャマン・ミルピエのアーティスティック・コラボレーター ‘’となっていました。

A:はい。それが今の僕の正しいタイトル。2月20日のアデュー公演の後、おそらく別の呼び方の肩書きになるでしょう。

Q:アデュー公演の後も、オペラ座で仕事を続けるということですね。それは、もともとオーレリー・デュポンに託されることになっていた仕事ですか。

A:いえ、彼女に用意されていたのはバレエ・マスターという肩書き。だけど、個人的理由ということで、その誘いを彼女は断ったんです。おそらく、まだ舞台で踊りたいんじゃないかな。

Q:バンジャマン・ミルピエとあなたの仕事上の関係はとても密接ということですね。

A:僕は彼の右腕です。彼とはよくディスカッションしますよ。彼のディレクターとしてのヴィジョンを現実に実行するのが僕の役割だけど、良いと思ったことについては彼に提案をすることもある。シーズンのプログラムを作るのは彼。それについては僕は一切関与しません。内部でのオーガナイゼーションというのが僕の担当。ミルピエのプログラムが実現できるよう、カンパニーの芸術面での管理を僕がするんだ。

Q:あなたなら、ダンサーとディレクターとの間の橋のような役割を果たせますね。

A:まさにその通り! 僕自身もまだダンサーなんだし、それに20年以上もいるのだから、カンパニーのダンサーたちのことはよく知っている。若い世代のダンサーにしても、クラス・レッスンやリハーサルに立ち会っているし、それにコンクールという機会もあるので・・・。役に理想的なダンサーをみつけることはすぐにできますよ。

Q:若いダンサーの中から、8月の「エトワール・ガラ」に今回ユーゴ・マルシャンがメンバーに加わりました。彼について話してください。

A:なぜ彼か・・。「エトワール・ガラ」は来夏で5回目。すでにたくさんのレパートリーがある。でも、僕はいつも基本に戻りたいと思っている。基本、それは古典大作です。それを踊るには、若くてフレッシュなエネルギーが必要だし、そしてチャレンジも必要。ユーゴを選んだのはそれゆえ。若くてフレッシュで、しっかりとしたテクニックの持ち主が必要なとき、今のオペラ座の若手の中でパーフェクトなのがユーゴ、というわけで。それに毎回新しいダンサーが「エトワール・ガラ」には参加しています。前回はオードリック(・ブザール)、アマンディーヌ(・アルビッソン)で、今回はユーゴというように。ユーゴをメンバーに決めたのは、プルミエールへの昇級を決めた11月のコンクールより前で、まだ彼がスジェの時代・・・僕のセレクションに狂いはなかったといえますね。

pari1601b_05.jpg 「アルルの女」
photo Icare/ Opéra national de Paris

Q:若いダンサーの中では、他には誰に注目していますか。

A:たくさんいますよ。例えばジェルマン・ルーヴェ。今、コール・ド・バレエの中から飛躍して抜け出しつつある。だけど、「エトワール・ガラ」のようにヴァラエティに富んだレパートリーのインターナショナルなガラに参加、ということについては、若手ダンサーの中でも最もユーゴが準備できていると僕には感じられたんだ。彼が僕の願望に一番ふさわしいダンサーだったんだ。以前から、コンクールで見て彼には注目していて、で、彼の『マノン』を見た時に、まだ若いにもかかわらず芸術的面でとても成熟しているダンサーだと驚かされた。パートナーとしても大変素晴らしく、任せられるダンサーだと確信できたんだ。積極的に仕事に臨み、僕が何かを差し出したら、すぐにそれを掴み取る・・・という感じで頼もしい。彼、プルミエールまでかなりなハイスピードで上がりましたね。

Q:前回の「エトワール・ガラ」は『イン・ザ・ナイト』が画期的でしたね。次回のプログラムの大チャレンジは何ですか。

A:今回は、たくさんの新作をプログラムに入れようと努めています。観客にサプライズを与え続けたいから。ヴァリエーションのあるプログラムを構成し続けるって、そう簡単なことじゃないですよ。でも、5回目まで続けることができ、みんなが見に来続けてくれるというのは、うれしいことだ。

Q:過去には、オペラ座のダンサーと他所のカンパニーのダンサーが一緒に踊ったこともありましたが、最近はないですね。

A:これはオーガナイズするのが大変難しいことなんだ。来日前、初夏のシーズンの終わりに異なるカンパニーのダンサーのスケジュールを調整し、リハーサル時間を見つけ出すというのは、とても複雑で・・。プログラムは観客に対して良いものであることも大切だけど、また、良い舞台を見せたいと思っている僕たちダンサーにも機能するものでなくてはならない。ベストを求めるゆえに、異なるカンパニーのダンサーを組み合わせるのを止めました。

Q:あなたが「エトワール・ガラ」で担っている仕事は、今の、そしてこれからのオペラ座での仕事のためにとても良いトレーニングになっているように思えます。

pari1601b_06.jpg 「ジェニュス」
photo Laurent Philippe / Opéra national de Paris

A:実にその通り。最初はそんなことは何も思わず、ごく自然にスタートしたのだけど、オーガナイズのやり方、チャレンジ精神など多くを、10年に渡る「エトワール・ガラ」の仕事を通じて学んだ。プログラムを考え、ダンサーを舞台に立たせ・・・すごいエネルギーが必要とされるし、常に対応できる状況である必要もあるけれど、こうした仕事がすごく気に入ったんだ。

Q:トラブルを乗り越えることも良い経験となったわけですね。

A:第二回目(2008年)は散々だった。出演予定のダンサーたちの怪我、それもぎりぎりの段階で・・・。マニュエル・ルグリが参加してくれることによって、プロブラムを急遽変更して・・・。この時、本当にたくさんのことを学びましたね。常に冷静を保ち、救いとなる解決法を見出す。これは今の仕事に、本当に役立っている。

Q:エトワール任命は、キャリアの中で今でも特別に思い出深い瞬間でしょうか。

Q:素晴らしい瞬間であったことに違いないけど・・とにかく長いことその時を待っていて、やっと31歳で任命。24〜25歳くらいから『ロメオとジュリエット』『ドン・キホーテ』などエトワールが踊るあらゆる役を何度も踊っていて、そのたび、何度も今度こそ、今度こそ・・と思ったものだった。そして何度も肩透かしをくって、いったいなぜだろう・・・と。とても難しい時期だった。別のところで踊ろうと真剣に考えたほど。それが、2005年7月に「エトワール・ガラ」があって、そうした思いから解き放たれることになった。準備から関わった「エトワール・ガラ」を終えて、「ダンス以外のこともあるんだ」ということがはっきりと意識でき、エトワールというタイトルから距離を置くことができるようになった。「エトワール・ガラ」をやって、自分がちょっとしたカンパニーのディレクターになったような気がして・・・こうした仕事がすごく気に入ったんですね。初回の「エトワール・ガラ」のすぐ直後、9月に任命されることになった。

Q:負うことの多い「エトワール・ガラ」ですね。今回も楽しみです。

A:日本の観客から、この公演はとても支持されていますよね。東京だけでなく、大阪、名古屋でも大勢の人たちが見に来てくれて、おかげで満席となって・・・。今回もこれまで通り、「エトワール・ガラ」を通じて、ダンスへの愛を多いにマニフェストして欲しいです。観客の支持がなければ、公演を続けることは不可能。こうやってバレエ・ファンが集まってくれるのは、僕らへの最高に美しい贈り物なんだ。今回のプログラムは前回よりさらにエキサイティングなものになるはず。期待してください。

pari1601b_07.jpg 「クラヴィーゴ」
photo Opéra national de Paris