ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Paris <パリ>: 最新の記事

From Paris <パリ>: 月別アーカイブ

大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2015.10.23]

オペラ座ダンサー・インタビュー:リディ・ヴァレイユ

Lydie Vareilhes リディ・ヴァレイユ (コリフェ)
10月21日からの「アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル」のミックスプログラム中、『La nuit transfigurée』に配されているリディ。興味深いダンサーなので、ここに紹介しよう。

ウエイン・マクレガーが創作し、マンチェスター・インターナショナル・フェスティバルで初演された『Tree of codes』。彼のカンパニーのダンサー9名と、オペラ座のダンサー6名が踊るという珍しい作品である。その6名の一人に選ばれたリディなので、オペラ座の仕事だけではなく、この作品についても多く語ってもらうことにした。音楽はジェイミーXX、舞台美術はオラファー・エリアソンという豪華な顔ぶれ。日本での公演予定がないのがいささか惜しまれる。

Q:オペラ座では次は何を踊るのですか?

pari1510b_01.jpg photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

A:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルのミックス・プログラム中、『La nuit transfigurée』に私は配されています(注:Suman役)。今、そのリハーサルがあって、それにもうじき12月の公演のクリストファー・ウィールドンの『ポリフォニア』のリハーサルも始まるんですよ。そして、コンクールの準備もあります。

Q:今年の 女性コリフェの課題であるヌレエフ振付『ライモンダ』第一幕のピチカートのヴァリエーションについて、どう思いますか。


A:これは踊ったことがないけれど、好きなソロなのよ。だから、このセレクションはうれしいです。自由曲はロビンズの『ダンシーズ・アット・ア・ギャザリング』に決めました。ここ何年かこの作品が踊られるのをコンクールで見ていて、今年は私もこれを試してみよう!と。トワイラ・サープの『グラン・パ』とかオリジナルな作品をビデオとかで探して選ぶ傾向が私にはあるのだけど、今年はどうしてもこれを踊りたいって思ったの。この作品はとても音楽的。音楽が生み出す感動が内にこめられているので、演技面もとても豊かなんですよ。課題曲ではテクニック、スタイルを見せて、こちらでは踊る喜び、演技といった芸術面をより見せることになりますね。コーチはクロード・ド・ヴィルピアンにお願いしました。

Q:これまで自由曲にはコンテンポラリー作品を選んでいましたね。

A:そうですね、私はコンテンポラリー作品により惹かれるものがあるので。シェルカウイとかネザーランド・ダンス・シアターの・・・といった作品が好きなんです。で、彼らの作品からコンクールで踊れるヴァリエーションをみつけるのって難しいこと。実は今回ウエイン・マクレガーの『ジェニュス』のヴァリエーションを踊りたかったの。でも、私が選んだのはボックスの中で踊られるものなので、それは空間的にも移動が少なくコンクール向きではないって彼は判断。ピナ・バウシュの作品も、一部を取り出して踊ることは彼女の意図に背くことになるのでコンクールでは踊られていないでしょう。

Q:6月29日から7月12日にかけて開催されたマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルで、マクレガーが発表した作品『Tree of codes』。どのようにして、この創作に参加することになったのですか。

A:オペラ座で彼と初めて仕事をしたのは、『ジェニュス』が再演された時で、その後『感覚の解剖学』の創作に参加しました。だから彼とはすでに知り合いで、この『Tree of codes 』を踊るオペラ座のダンサー6名の一人に選ばれたんです。この作品については、語ることが山ほどあります。創作のアイディアの1つは、彼のカンパニーのダンサー9名とオペラ座のダンサー6名が一緒に踊るということ。選ばれたオペラ座のダンサーは、エトワールからカドリーユまでとランク的に幅広いものでした(注:6名とはマリ=アニエス・ジロー、リディ・ヴァレイユ、ルーシー・フェンウィック、ジェレミー・べランガール、ジュリアン・メイザンディ、セバスチャン・ベルトー)。エトワールのマリ=アニエスは他の人より多く踊る部分があったけど、ダンサーのセレクションという点でいえば完全に階層ミックスですね。

pari1510b_06.jpg 『Tree of codes』 photo Joel Coster

Q:ジョナサン・サフラン・フォアの作品にインスピレーションされた創作ですね。

A:フォアの作品はブルーノ・シュルツが書いた『大鰐通り』の文章をパッチワークして、新しい作品に作り上げたもので、つまり、この解体というアイディアをマクレガーは創作のプロセスに取り入れたわけです。ある程度動きの流れができると、それを彼は反対にするとか、あるいは部分を切り取ったりと・・・。何週間もかけて作り上げたものを解体して、作り上げたのです。創作は彼の本拠地のロンドンで行われました。3週間行って、それからまた1週間。合計1か月ですね。でもそれより前にマリ=アニエスとジュリアンの二人は、2週間かけて彼と創作を始めていたんです。

Q:創作に参加すると知った時、どんな気持ちでしたか。


A:ああ、これはすごくうれしかった!このプロジェクトに私が参加することを彼が認めてくれたことに、まずは大満足。それにタイミング的にも、8年間オペラ座内にいて、いったい外で何がおき、どのように進んでいるのかということにちょうど好奇心を募らせている時だったので・・。新しい人に会いたい、コンテンポラリーのダンサーから学びたい、という時期だったので、アーティストとしてまた一人の人間として私が想像していた以上に素晴らしい経験ができました。

Q:オペラ座を長く留守にすることについて、不安はなかったのですね。

A:これに参加することによる不在が、オペラ座のキャリアにブレーキをかけることがないように、と祈ったのは確かですね。でも、それほど長期間でもないし。コレオグラファーと緊密に仕事をし、オペラ座とは異なる小さな組織で人間関係も異なる環境で仕事をすることは、ダンサーとして、また人間的にも大きくなれる良いチャンスだと思って・・。

pari1510b_04.jpg pari1510b_05.jpg
『Tree of codes』リハーサル写真 photos Percy Dean

Q:彼のカンパニーのダンサーたちと同じ振付をオペラ座のダンサーも踊ったのですか。

A:どちらのカンパニーというより、個々のダンサーに個々の踊りがあったといえますね。
私たちオペラ座のダンサーは突然、コンテンポラリー・ダンサーにはなれませんよね。マクレガーのカンパニーのダンサーが、突然クラシックのダンサーになれないようにね。各人各様に彼の振付に適応したということなんです。例えば、ウエインがある動きを見せるとしましょう。私たちダンサーは、それぞれの過去に習ったことが作った体で踊るわけなので、当然、そこには異なるものが生まれます。だから彼らのカンパニーとオペラ座のカンパニーがみせるものは違うし、私たちオペラ座の中でも私とマリ=アニエスとでは違うわけです。彼らのダンサーは当然ウエインの振付には、私たちオペラ座のダンサーよりずっと慣れています。私たちは、見せられたものにより近いものにしようという努力はしますし、揃って踊るときには統一感を追求しました。一方ソロやデュオには、グループで踊る時よりより自由があります。彼から私たちに課題が与えられ、そこから動きがつくられてゆきました。だから創作の過程からして、パーソナルなのです。この作品は彼が振付家ですが、部分によっては彼から与えられた課題から生まれたものあります。私たちがクリエートした例えば3つのパ・ド・ドゥがあるとしましょう。彼はこういうのです、「この部分から君たちは始めてみよう。そして次は、あのパ・ド・ドゥの一部をとって・・そして最後は最初のに戻って・・」というような具合です。あるいは、「君がやったこの動きを、背中を観客側に向けてやってみよう」というように・・・。

Q:観客に背を向けて踊るのですか。

A;そうなんです。これは3つめのアイディアです。先にお話ししたように、1つはオペラ座のダンサーの参加、そして2つめのアイディアは組み立て方。そして3つめが、コレオグラフィーの見えない部分をみせることだったんです。今回、舞台美術はオラファー・エリアソンが担当したのですが、鏡を彼は使用。つまりダンサーが舞台で後ろ向きになっても、観客は鏡を通して私たちの正面をみることができます。3次元のアイディアですね。舞台では観客に見えない部分というのが常にあるのだけど、この装置によって規模が変わり、見えないものが見えるんです。例えば、私を抱えたパートナーの筋肉の動きなどは、普通は観客の目にはみえないでしょう。いかにパートナーを扱うのかということが鏡を通してみえるんです。面白いことですね。

Q:鏡にむかって踊ることには、ダンサーはスタジオで慣れていますね。

A:そうですね。ただ今回の舞台での鏡というのは自分の姿が10倍になるんです。自分が10人。この舞台装置の中にはいると自分の様子、動きを10倍感じることになるので、この鏡の装置に慣れることができるように私たちはリハーサルを重ねたんですよ。

Q :『Tree of codes』の公演はマンチェスターだけですか。

A:初演はマンチェスターのインターナショナル・フェスティバルで。そして、9月にニューヨークのパーク・アヴェニュー・アーモリーで1週間の公演がありました。かつてミリタリーベースだった建物がイヴェントスペースになったもので、とても巨大なスペースなんですよ。19世紀の建物で、すべてが木製・・。確かニューヨークに残る最古の建物の1つだったと思います。古い額がかかっていたりして、歴史を感じる建物の中で踊るって、快適でした。最初はこの創作への参加は私のキャリアに何かをもたらしてくれるだろうというと、ダンサーとしてのキャリアの面でしか考えてなかったのだけど、自分自身の進歩が感じられ、人間的にもとても豊かになれたと思っています。公演だけでなく、いろいろな人との出会いがあって・・・。とても実り多い経験ができたので、本当にうれしいです。

Q:いつかパリでもこの作品を見ることができるのでしょうか。

A:オペラ座の先の予定は私にはわからないけれど、来年はマイアミ、パリ、ロンドンで公演予定と聞いています。基本的に私はこれらの舞台に立つと思うけど、もしミルピエがオペラ座の何かの公演に私を必要とするのなら、オペラ座に残りますよ。私のプライオリティはここの仕事ですから。でも、いかんせん、先のことなので何とも・・・。

Q:マンチェスターとニューヨークの公演で、何か作品に変更がありましたか。


A:・・・大きな変更はありませんでした。どんな作品でも進歩があり、物事はより完成度を高めますよね。これについてもアンサンブルやカウントといった正確さの面で、ニューヨークの公演では、よりよいものになったとはいえます。

pari1510b_07.jpg 『Tree of codes』 photo Joel Coster

Q:とてもカラフルな舞台美術の写真をインターネットで見ることができました。

A:カラフルな時もあるけれど、それだけではないんです。作品中、さまざまな雰囲気があって、ジェイミーXXの音楽も基本的にはエレクトロだけど、クラシック曲のようなピアノのパートもあって・・本当にさまざまなんです。シーンによっては背景がまったくなく、とてもミニマルな部分もあります。色がなく、陽気ではないセクションもあるけれど、最後は音楽も舞台美術も実にカラフルです。

Q:作品の長さはどれくらいですか。

A:休憩なしの1時間30分。私は作品に登場するのは遅いのだけど、一旦舞台に出るや、最後まで踊り続け・・・疲れますね。彼の動きは何しろ過激でしょう。体を歪めたり、動物的な動きをみせたりと。

Q:『ジェニュス』の再演に参加する前から、彼の仕事には興味があったのですね。

A:はい。私にとってオペラ座での初のコンテンポラリー体験が、この作品でした。最年少だったうえ、即興も一部あって、自由があり・・こうしたことは初体験だったので、とても良い思い出となりました。そして『感覚の解剖学』の創作があって。創作に参加するって、とても刺激的な体験ですよね。オペラ座で仕事をしてると、こういった信じられないような素晴らしいこと起きるんです。

Q:オペラ座ではクラシック作品も踊っていますね。

A:『白鳥の湖』『ラ・バヤデール』『くるみ割り人形』『ジゼル』・・・いろいろな作品に配されました。

Q:『マノン』の第一配役では、少年に扮した娼婦役でしたね。

A:はい。少年に扮するって、すごく興味深い作業でした。コスチュームは素晴らしくって、振付も楽しく、雰囲気もよくって・・。こういうことって、毎回味わえるものじゃないんですよ。少年に扮した娼婦って、考えるといささか衝撃的ではあるけれど、当時はこうしたことって今思うほどのことじゃなくって、それに舞台でもそうだけど、娼婦たちのおかみがちゃんと目を見張らせているので、行き過ぎることがない、という状況。今思うより、ずっと軽い感じのことだったんだと想像します。

pari1510b_03.jpg 「マノン」 photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:これまで一番舞台を楽しめた作品は何ですか。

A:フォーサイスの『パ・パーツ』。オペラ座のレパートリーの中で、一番私が踊りたかったというのがこの作品なんです。音楽は信じられないほど素晴らしいし、動きには自由があって。それにフォーサイス自身と一緒に仕事をすることができて、これは私の経験の中でも最も素晴らしいものでした。それから、エドワルド・ロックの『アンドレア・オーリア』ですね。ロックとの出会いも含めて。再演だったのですけど、彼は私とマチアス(・エマン)のためにバレエの一部を作り直してくれたんですよ。芸術的な面で、彼との出会いも素晴らしいものでした。このように前シーズンは、私には実に素晴らしいシーズンだったんです。

Q:どのようなきっかけでダンスを始めたのですか。

A;私の両親はオペラ座のダンサーでした。二人はここで知り合ったんですよ。だから、おそらく私は小さいときからオペラ座のバレエ公演を見ていたんじゃないかと思います。でも、彼らは決して私にダンスをしろと強いたことはなくって・・かといって、彼らが自分たちの仕事に不満を持ってたわけではないですけどね。美しい体のポジションやそうしたことのためにどこの子供もやるように、私もダンスを習い始めました。で、ある時ママが「ダンスの学校に入りたい?毎日ダンスする学校があるのよ」って。両親ともオペラ座のバレエ学校の下から始めたわけではないので、外部から来てオペラ座で踊ることの大変さをよくわかっていました。だから、もし本当に私がダンスをしたいのなら可能な限りのチャンスを与えたい、若いときからオペラ座の学校で学ぶべきだと、彼らは考えたのでしょうね。1998年の1月、9歳のときに入学しました。私は学校でダンスをすることがとっても楽しくって・・マイムなどクリエーティブなクラスで自己表現をするのが、すごく気に入りました。

Q:ダンスを職業にしようと思ったのはいつ頃ですか。

A:セカンド・ディヴィジョンのときに大怪我をしてしまって、1年間休むことになってしまいました。17歳くらいだったかしら、毎日ダンスをすることがすごく恋しくって・・・その時に、職業として毎日バレエを踊りたいという願いが生まれました。

Q:学校は寮生でしたか。

A:低学年の時は週末は自宅で過ごしていたし、両親と離れてることがそれほど辛くありませんでした。セカンド・ディヴィジョンまで寮にいましたが、自宅からの通学に変えました。15〜16歳となると、世界を広げたいという気持ちになりますよね。ナンテールに閉じこもっているだけより、たとえ通学路で人々をみることだけでも違いがあります。

Q:ご両親は今でもダンスの仕事を続けてるのですか。


A:オペラ座の後、彼らはダンス教師となりました。父は今はもう定年で辞めたけど、その後文化省でダンスの視察監の仕事をしていたんです。
 
Q:彼らから何かアドヴァイスされることがありますか。


A:私が聞けば・・ですね。確かに時々適切なことをいうことがあるけど、彼らも他のダンサーの親と同じ。自分の子供はいつだって素晴らしい!(笑)。あまり客観的になれないようです。

Q:学校時代はコンテンポラリー・バレエの授業は多くなかったのではないでしょうか。

A:そうね、確かにあまり・・。私、ベジャールの作品がずっと好きだったんですよ。今は、古くなったのでそれほどではないけれど。セカンド・ディヴィジョンのときに彼の『ドン・ジョヴァンニ』の主役に選ばれ、これを踊ったときにすごい感動がありました。その次の年にはノイマイヤーの『ヨンダリング』のリヴァー役。これはネオクラシック作品ですね。

Q:入団したときから、すぐにコンテンポラリー作品を踊りたいと願っていたのですか。

A:入団は2007年です。クラシックに多く配されていたのですが、興味を持っていたサミュエル・ミュレーズのグループ「3エム・エタージュ」(http://www.3e-etage.com/index.php)に加わって、コンテンポラリー作品に多く接するようになりました。これは彼が2006年から公演を始めたグループで、9年目の今シーズンは公演数も20〜30と活発な活動をします。小さいグループでメンバーは、フランソワ・アリュ、タケル・コスト、ユーゴ・ヴィリオッティ、レオノール・ボーラック、ポール・マルク、クレマンス・グロなど。サミュエルの作品を踊るグループ公演だけでなく、最近ではアリュによるガラやジョジュア・オファルトによるガラも3エム・エタージュの活動に含まれていて、グループはどんどん大きくなっているんです。私はサミュエルからコンテンポラリーの動きをどう把握するのかとか、いかに体を使うのかということなど、いろいろと学びました。このグループの特徴はとても大きな自由があることなんです。クリエーションについての自由。各人がアイディアを持ち寄って、各人の解釈で踊ることができます。小さいグループなのでオペラ座での関係より、ダンサー間の関係が緊密。このグループの仕事をするのは、芸術面で私にはとても大切なんですよ。若いダンサーにとって、あまり踊るチャンスのないコンテンポラリー・ダンスへのアプローチができるグループ。ダンサーはそのおかげで進歩できます。

pari1510b_08.jpg サミュエル・ミュレーズ振付「 Processes of  intricacy 」フランソワ・アリュと
photo Jean-François Quais

Q:ガラが増えるほど、オペラ座外の仕事量が増すので身体的には大変ではないのですか。

A:確かにこの3エム・エタージュの仕事はオペラ座の仕事に加えてのものですが、でも踊る喜びに溢れているので・・。奇妙なことに、疲労がプラスされることはなく、逆にオペラ座での仕事の役にたっている、と言えるほどなんです。ダンサーたちとサミュエルの間には信頼関係、人間的な深い繋がりがあります。このグループに加わって、サミュエルから学ぶことも多く、こうしてコンテンポラリー作品へより私の気持ちは向かうことになったんです。そして『ジェニュス』があって・・。私、ブリジット・ルフェーヴル(前芸術監督)にもっとコンテンポラリーを踊らせて欲しい、って、その後、お願いにいったんですよ。以来、カニンガムの『un ou deux jour 』、キリアンの『輝夜姫』、クルベリーの『令嬢ジュリー』、フォーサイスの『インザミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』・・など、様々なコンテンポラリー作品に配されるようになりました。

Q:あなた方がニューヨークの公演でパリを不在にしている間に、オペラ座ではミルピエ監督がプログラムした初のシーズンが開幕しました。戻った時に、変化を実感しましたか。

A:ウイでもあり、ノンでもあり。オペラというのはとても巨大な組織ですから、たとえバンジャマン(・ミルピエ)が強く願っても、物事が変化するには時間が必要。それは彼もわかっていることだと思います。でも以前とは異なるエネルギーがカンパニー内に漲っているのが感じられたのは、確かですね。それに、今シーズンは多数のクリエーションがプログラムされています。ダンサーにとって、クリエーションというのはやる気をかきたてるもの。シェルカウイの作品があるし、クリスタル・パイクがくるというような噂も耳にしたし・・・。今シーズンは、エドワルド・ロックの創作もプログラムされていて・・・。

pari1510b_02.jpg 『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイティッド』
photo Ann Ray

Q:公演「20人のダンサーのための20世紀のダンス」は見る機会がありましたか。

A:はい。劇場のパブリック・スペースをつかった公演というのは過去にないことで、これによってオペラ座が大衆に対して広く開かれたという印象を受けました。それにゲネプロが若い世代に対して開かれ、またオペラ座のサイトで見られる3 エム・シーンのようにソーシャル・ネットワーク面も充実し、これまでオペラ座に縁のなかった人々もダンスに触れられるようになりました。これまでオペラ座というのはいささか神聖視されていて、足を踏み入れるのをためらっていた人々がいます。きれいにしていかねばならないとか、鑑賞するにはある程度の知識がなければならないのかなど、恐怖心を抱く人も少なくなく・・。大衆に向けてオペラ座を開くという賭けに、「20名のダンサーのための20世紀のダンス」は成功したといえますね。あらゆる階層、あらゆる年代の人々を劇場でみかけました。ダンサーについていえば、新しいエネルギー、新しいプログラムのおかげでモチヴェーションがあがっています。オペラ座はオペラ座のままで、コンクールも続けられるし、労働条件も変わらない。と同時に、これまでとは異なるエネルギーが感じられるのです。雰囲気も以前より和らいでいます。というのも、このように多くのプロジェクトがオペラ座の内外であるおかげで、ダンサーの誰もが自分の力を発揮できる何かをみつけることができると感じられるからでしょう。

Q:モード雑誌の撮影やアーチストのプロジェクトへの参加なども増えてるみたいですね。

A:そうですね。オペラ座って閉ざされた世界というイメージが強かったので、いいことですよね。といっても、開かれすぎることで夢が欠けてしまうことがあってはならないと思いますけど。でも、こうしてダンサーたちがメディアに知られるようになるのは良いことです。150名ものダンサーがいるのだから、誰もが各人各様に自己表現し、進歩してゆくことができることは素晴らしい。

Q:オペラ座のサイトでは、今シーズンから全ダンサーの顔写真が見られるようになりました。

A:そうですね。ダンサーの名前と顔が一致するようになった、と最近よく耳にします。以前は名前は知っていても顔がわからないという人が多かったけれど。

Q:入団して以来、怪我で休んだことはありましたか。

A:いえ、小さな怪我はあっても、1年も休むというような大きな怪我はありません。というのも、何か不調があったら自分の体に聞くようにしてるので。多くのダンサーが、「どうしてもコンクールには参加したい」「どうしてもxxの役は踊りたい」と言って、その結果、怪我で1年も2年も休むことになったケースをたくさん見ています。私はそうなりたくない。決定が難しいことも時にはあるけれど、踊り続けるためには決心が必要。私が昨年のコンクールに参加しなかったのも、それゆえなんです。ちょっとした怪我をしていて、その時にコンクールよりも、『くるみ割り人形』の公演の方を私は選びました。もし両方やろうとしたら、きっとすごく大変なことになっていただろうと想像します。この自分の決心には後悔がありません。その後にはエドワルド・ロックの『アンドレア・オーリア』という素晴らしい思い出となる作品も踊れました。でも、怪我で踊れなくなったら、という不安はいつも頭の中にありますよ。ここ何年か、先のことを考えています。怪我をしたら何が自分はできるのだろうかって・・今から準備してなければ、というように。何かをやり始めるというより、まだ頭の中の準備段階ですが、別の形でダンスに関わっていたいって思っています。ダンスの公演のPRやプログラム作り、あるいはプロダクションか・・・というように、具体的にはまだわかりませんけど。

Q:コンクールに参加しないことは、その年は昇級できないということになりますね。


A:ダンサーのランクについていえば、財政面が関係していますね。上がるほど給料はいいので、家族のことを考えると確かに昇級はいいことです。でもソリストで踊りたいというエゴは、私にはありません。一番大切なのは、素晴らしい経験ができることなのです。もっとも、今は少し変わったとはいえ、上のランクにゆくほど興味深い役が得られので、これは昇級したいという意欲につながりますね。

pari1510b_09.jpg photo Steve Murez

Q:在籍8年の間に、オペラ座を辞めたいと思ったことはありますか。

A:ええ、ありますよ。このように大きなカンパニーなので、とりわけ最初の頃のことだけど、自分の場所をみつけるのが大変でした。プログラムはヴァリエーションに富んでいるので、飽きるということはないけれど、8年間周囲にいるのはいつも同じ人々というのは・・・。だからマクレガーの『Tree of codes』への参加の話に戻るけれど、これは私にとってはこれまでとは異なる人々に会える素晴らしい機会だったわけです。小さなグループ内で働くことによって、ダンサーとして自分のアイデンティティを確認することができました。本当に、これは実り多い体験となりました。

<10のショート・ショート>
1. プティペール:学校の上級生だったセバスチャン・ベルトーと団員だったヤン・サイズの二人にお願いしました。
2. プティット・メール:ジュリエット・ジェルネーズ
3. 朝食の定番メニュー:ヨーグルトとシリアル、そしてカフェ。
4. 学校時代の思い出:ベジャールの『ドン・ジョヴァンニ』と、スコット先生のマイムの時間の2つ。
5. 舞台に上がる直前にすること:頭の中で何度も振付を繰り返します。
6. 好きな音楽のジャンル:ジャズ 。
7. ダンサー以外に考えられる職業:小さい時は登山家か調香師になりたかった。
8. 好きな香り:香水はパコ・ラバンヌのウルトラ・ヴィオレットを使用(オスモンチュスの花の香り)。
9. ニューヨークで好きな場所:ハイ・ライン。
10. ストレス解消法:頭を空にしてプールで泳ぐ。