ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2015.02.17]

オペラ座ダンサー・インタビュー :ジェニフェール・ヴィゾッキ

Jennifer Visocchi ジェニフェール・ヴィゾッキ(コリフェ)
昨年12月のコンクールの結果、ジェニフェール・ヴィゾッキは2015年1月からコリフェに昇格した。今回のコンクールではコリフェの5空席を18名のカドリーユが競ったのだが、3席は該当者なしという結果に。コリフェにあがったのは、イダ・ヴィキンコスキと彼女の2名のみだった。

『水晶宮』のドゥミ・ソリスト、『眠れる森の美女』の猫など、カドリーユ時代から配役に恵まれていたジェニフェール。目下、夜は2月3日から公演が始まった「ポール /リガル/ロック」の舞台、日中は3月11日からの『白鳥の湖』のリハーサルで忙しい。整った顔立ちで金髪という正当派の美女であり、そして優美さと溌剌が共存した踊りを見せる彼女に目をとめているバレエファンは、パリでは少なくない。なお、ヴィゾッキという名字は父親がイタリア系ゆえだそうだ。

Q:昇級についての何かのインタビューで、昨年のコンクールがもう最後だと決めていたと語っていましたね。

pari1502c01.jpg コンクール
(C) Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

A:カドリーユからコリフェにあがるコンクール。昨年のが7回目だったのか8回目だったのか、とにかくたくさんありすぎてもう数えてないのだけど、コンクールの前に自分に言ったのよ。「これがカドリーユの最後のコンクール。上がれなかったら、別の人生を歩むことになるかも・・・」というように。

Q:では、もし上がらなかったらオペラ座を去るつもりだったのですね。

A:あまり具体的には考えていなかったのだけど、私はこうと決めたら実行する質だから・・・もし昇級しなかったら、辞めていたでしょうね。でも、そうした決心が結果として上手く作用して、今回上がれたのかもしれない。それに上層部が変わったということも関係してるのではないかしら。この変化が私にとってきっと有利だったでしょうね。

Q:トワイラ・サープの『グラン・パ』を自由ヴァリアシオンに選んだのは、大胆な決断ですね。他に比べて、とても短いし・・。

A:そうね。これで賭けてみようか、と思った時、2分以下と短いし、テクニック的にとても難しく、カドリーユが選ぶヴァリアシオンじゃない、と迷ったのよ。でも、8年近くもカンパニーにいる私は新人じゃないのだから、審査員はみんな私のダンスを知ってるのだし、タイトルはカドリーユだけどスジェの役も踊ってるのだから、これにしてみよう!って。一昨年のコンクールでリディー・ヴァレイエが選んだもの。実は最初はベジャールの『春の祭典』か『アレポ』を考えていたのだけど、友だちのイヴォン・ドゥモル(コリフェ)が「トワイラ・サープをためしてみるべきだよ。君にぴったりだから」ってプッシュしたんです。

Q:カドリーユからコリフェに上がって、精神的に何か変化はありましたか。

pari1502c02.jpg 過去のコンクール
(C) Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

A:確かに昇級したのだけど、配役という点ではがらっとかわるわけではく・・だって、カドリーユでもコリフェやスジェの役を踊ってたので。でも、もうカドリーユのままじゃないんだ、ということには心が鎮められましたね。何年もカドリーユに留まってるということは、すごく精神的に負担で・・・長かったわ。ダンサー仲間たちも、いったいなぜ私がずっとカドリーユなのか理解できないって言ってくれてたのよ。

Q:自分ではそれをどのように分析していましたか。

A:わからない。とくに失敗をしたということもないし、数あるコンクール中1度あまりよくなかったにしても、他は自分ではよくできたと思える結果だったの。でもチャンスが占めるパーセンテージがとても大きいでしょう、コンクールって。審査員やディレクション・・、今回やっとチャンスに恵まれたんだと言えるわ。入団した年はいわば見習い期間。2年目も・・でも、4年めになってもカドリーユから上がれないって、これは何か変だわ・・・と思い始めたの。コンクールが終わるたびにクラシックの教師たちからも、よかったわ!といってもらえるのに、上がれない。『カルメン』の居酒屋のヴァリアシオン、『ノートル・ダム・ド・パリ』のヴァリアシオンのように重厚感のあるタイプもこなせたのに・・・何か変だわというのが、7年目まで続いたわけね。

Q:今年の年末には、コリフェからスジェのコンクールに参加するわけですね。

A:そう、続けるわ。次は何を踊ろうか、すでにちょっとしたアイディアがあるのよ。プティの『カルメン』・・・すでに居酒屋のヴァリアシオンは踊っているので、寝室のヴァリアシオンを踊ってみたいし、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』も好きなので・・。

Q:ブリューノ・ブーシェのガラ「アンシダンス・コレオグラフィック」によく参加していますね。

A:はい。ガラ、特にこのブリューノのガラに参加することによって、すごく救われたといえます。踊りたい作品を踊る機会を得ることができたし、イヴォン(・ドゥモル)の創作作品を彼と踊ることもできたし。ガラは、自分がソリストなんだと思うことができる機会なのね。コール・ド・バレエという集団から抜け出せて、代役という立場からも抜け出せて・・・。こうしたことがあったおかげで、長いことカドリーユでもオペラ座に留まっていられたのだと思うわ。

Q:イヴォン・ドゥモルが創作し、ガラで二人で踊った『ブルー・サンデー』について話してください。

pari1502c05.jpg 『ブルー・サンデー』
(C) Patrick Herrera

A:彼が最初に振りつけた『1827』は、4人のダンサーが踊る作品。昨年3月にあったガラで私と彼も含めて初上演という予定だったのだけど、オペラ座のツアー(注.2014年3月の『椿姫』)で二人とも日本にゆくことになって、私たちの代わりに他のダンサーが踊りました。とても良い作品なのよ。彼と私はすごく気が合うの。それで、この作品の後で、二人のための作品をクリエートしよう!ということになったんです。二人してスタジオでいろいろな動きを試してみて・・それから音楽をみつけようっていう感じに創作が始まりました。普通のプロセスとは、ちょっと違いますよね。音楽が後というのは。最終的にラヴェルに落ち着いたのですが、そこの至まで互いの意見が合わなくって・・・。動きという点では、私たちの間には通いあうものが大きいの。例えば、私の手の上に彼が手を重ねると、当然のように、すぐに次の動きが生まれる、という感じ。彼、『ブルー・サンデー』はそう時間をかけずに創りました。先週末、サンスという街で「アンシダン・コレオグラフィック」の公演があったので、踊ったところなのよ。10日くらい前から、彼、3作目の創作にとりかかってるところ。まだ、ダンサーなしで彼がスタジオで、という段階だけど。これは3月1日にガルニエ宮で開催される公演「ダンスとパーカッションの宵」で初上演されるのよ。踊るのはローレンヌ・レヴィ、ダニエル・ストークス、ジェルマン・ルーヴェ、そして私の4名よ。音楽はハープの演奏ということが、今のところわかってる程度なの。

Q:バレエを始めたのはどういうきっかけですか。

A:小さいとき新体操をやっていて、それと並行してクラシック・ダンスを習ってました。とにかく、エネルギーありあまる元気一杯の子どもだったので両親が2つの教室に入れたんです。6歳のときよ。リボン、サークル、ボールなど私としては新体操のほうが気に入ってました。こちらではチャンピオン・コースにつながる教室に入れ、ダンスはオペラ座の学校が受かって・・・というように、9歳のときに2つの道ができたの。というのもバレエ学校の先生が「この子にはすごい素質が備わってるわ。しなやかで、動きのセンスもあって、体つきもきれい・・・」といって、オペラ座の学校を提案されたので、受験したの。両親が「新体操は背中にきついし、キャリアも20歳どまりだからバレエにしなさい!」というので、バレエを選んだわけです。

Q:家族に誰かバレエをやっている人がいたのですか。

pari1502c03.jpg 『水晶宮』
(C) Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

A:いいえ、全然。ダンスとは無関係の家庭で、偶然この世界に入ったという感じ。私は特にクラシック・バレエに目覚めていたというのではなく、いつも駆け回っているようなとにかくアクティブな子でした。両親もオペラ座のことはよくわかってなかったし、二人の兄もバレエについては知らなくって・・・。私が学校を卒業するまでの間に、多くの生徒が放校されたのを両親はみています。それで私が17歳か18歳だったかで入団したときに「もし学校の厳しさを先に知っていたら、ここに入れなかったかもしれない」って。でも、いつも上位3位に入っている私には、学校生活はすごく順調に進みました。

Q:学校は寮生活でしたか。

A:最初の年はパパが私が寮に入るのを希望しなかったので、通学生。働いていないママが2年間私の送迎をしてくれたのよ。で、11歳のころ、「私、寮にはいりたい!」って両親に告げたの。というのも、12月の学校のお祭りとか、通学生はどことなくよそ者というか受け入れられない感じがあったので。私の時代、通学生より寮生とのほうがずっと多くって、それで両親もわかってくれて・・・。

Q:では、寮に入れて、うれしかったですか ?

A:すっごく嬉しかった(笑)。学校の最高の思い出を聞かれたら、ダンスとは関係なくって、それは寮生活よ! アマンディーヌ(・アルビッソン)と同室で・・・、当時から私たちはいつも一緒なの。それに先にも話したイヴォンもね。9歳のときから、私たちはとても蜜な関係。普通の学校を出るとその後は散り散りになってしまうものだけど、私たちは今も一緒で、とても強い繋がりで結ばれてるの。

Q:オペラ座ではコンテンポラリーとクラシックの両方にバランス良く配役されているという印象を受けます。

A:私、毎シーズン半分がクラシック、半分がコンテンポラリーというバランスね。身体にも良いバランスだわ。コンテンポラリーばかりでそれに身体がなれてしまうこともないし、ドゥミ・ポワントばかり毎日ということもなくって・・・。身体にきついのは確かよ。今、ニコラ・ポールの『レプリーク』の公演が夜にあって、でも午後は3〜4時間ポワントで『白鳥の湖』の稽古だから、とても大変なの。でも身体がたくさんのことをできる機会なのだから、いいことだわ。

pari1502c04.jpg 『水晶宮』(C) Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

Q:『レプリーク』には創作時も参加していますか。

A:3〜4年前だったかしら、クリエーションは。あの時は代役でした。今後は第一配役で踊ってるのよ。これは男性4名、女性4名が踊る作品。昨年11月、まだ私がカドリーユのときに、エトワールやプルミエールといったダンサーと一緒に私も配役されたの。

Q:作品の後半、舞台と水平にまっすぐに横たわってる姿が、とても美しいですね。

A:そう、ここはバレエの中でもとりわけ美しいシーンよね。後ろから私の身体を支えているダンサーの手がみえないので、浮いてるようでしょう。でも、すごく身体的には辛いのよ。腹筋がないと、水平に横たわることができないでしょう。

Q:オペラ座で機会があれば踊ってみたい作品は何ですか。

A:たくさんあるわ。まず、ローラン・プティの『カルメン』。テクニック的に難しいけど、主人公のキャラクターが強くって好きなの。コスチュームも気に入ってるわ。それから『ル・パルク』も好き・・・私、フェミニンな役が好きなのね。キリアンの『小さな死』もきれいなので、踊ってみたい。ヌレエフ作品? 踊りたいとはあまり思わないわ。人物像がはっきりしてる役がいいの。そういう点では『ジゼル』も踊りたいわね。ジゼルというキャラクターも興味深いし、それに一幕と二幕でがらっと異なるでしょう。今のところ、これはガラでも踊ったことがないので、今後の課題にするわ。

Q:昨年4月の「若いダンサーたち」公演で、あなたが踊ったミッシェル・ケルメニスの『Réversibilité / Pavane pour une Infante défunte 』の女性は、ぞくっとするほどミステリアスでした。

pari1502c06.jpg 『Réversibilité』(若いダンサーたちの公演より)(C) Benoite Fanton/ Opéra national de Paris

A:このプログラムの発表があった時、この作品って何かしら?って思ったんです。それにパートナーがアントニオ・コンフォルティとシリル・ショクルンで、彼らとも一度も踊ったことがなかったので、あらあら・・・まあ、見てみましょう、という感じに始まりました。この作品はエリザベット・モーラン、カデール・ベラルビ、ウィルフレッド・ロモリに創作(注:2004年)されたもので、そのビデオをみることから始めたの。ラヴェルの音楽もとてもきれいで・・・。私、この作品を踊れたことにとても満足しているわ。エリザベット・モーランはドゥミ・ポワントだけど、私はポワントで踊ったの。

Q:グリーンのドレスがとても強い印象を残しました。

A:スタンドカラーのとてもきれいな衣裳ね。創作の時の髪型は三つ編みで今回もそれで、となったのですが、私はもともと子どもっぽい顔立ちなので・・・ひっつめに変更してもらったの。こうした点、ケルメニスはオープンだったわ。私、この作品の女性は若い娘ではなく、一人の大人の女性であると理解したので、変更をお願いしたの。テクニック的にはすごく難しいという作品ではなかったわ。二人のパートナーと視線にベースをおいて仕事をしました。ときに視線って忘れがちだけど・・・。この時にケルメニス本人、そしてエリザベット・モーランと仕事をする機会が得られたのも幸運な思い出よ。

Q:「若いダンサーたち」の公演はこの時が初めての参加でしたか。

A:私、入団したての年に、一度公演に出ているの。踊ったのは、『コルセール』の中のトロワ・パ・デゾダリスク。この作品はクラシックで、テクニック的にも大変だったわ。昨年この「若いダンサーたち」の公演に参加することになって、実はちょっと驚いたの。というのも、入団したての若いダンサーたちが踊るのだと思っていたのに、私も、それに29歳のシャルロット・ランソンも入っていたから。若いというのがどういう基準なのかしらって..。でも、こうした表現の場を若いダンサーに与えるのはいいことよね。

pari1502c07.jpg 『Réversibilité』(若いダンサーたちの公演より)(C) Benoite Fanton/ Opéra national de Paris

Q:芸術監督がミルピエとなって、何か具体的に変化を感じていますか。

A:私個人についていえば、昇級できて彼の就任は有利だったといえるわ。彼、ダンサーたちのことをとても気遣ってると思うの。リハーサル・スタジオの床を張り替えたり、マッサージ師を常駐させたり・・・・。もっとも、今年の7月までは前監督によるプログラムなので、芸術的な面で大きな変化が感じられるのは彼によるプログラムが始まる9月以降でしょうね。

Q:新芸術監督の就任前、オペラ座ではちょっとしたベビーブームがありましたね。出産については、あなたも考えていますか。

A:私の場合、まずその前に結婚よ。8月に式を挙げるの。今年ではなく2016年の8月のことだけど。私、赤ちゃんの時から毎夏を南フランスのコリウールで過ごしていて、今のパートナーともそこで知り合ったのよ。偶然にも、私たちパリでは目と鼻の先に住んでいたのに、パリから遠く離れた場所で知りあうっておかしいでしょ。結婚式、このコリウールで挙げることにしたの。彼はダンスとはまったく関係のない仕事をしていて、私、そのおかげてバランスのとれた暮らしができてると思ってるわ。ガルニエから自宅まで地下鉄で20分ぐらい。ダンサーとして帰宅したくないので、その間に頭を切り替えるのよ。私たちは週末も仕事があったりするので、なるべく二人の時間をとれるようにしたり、私生活が上手くゆくように、と常に心がけてるわ。子どもについては・・先のことね。まだ25歳なので、時間はたっぷりあるから。

Q:ダンス関係では何かプロジェクトはありますか。

A:リーダーシップをとるのが好きなので、いつかガラをオーガナイズできたらって思ってるわ。1年半くらい前だったかしら、試したことがあるの。イヴォンやアマンディーヌといった、いつもの仲間たちと。写真や資料を用意して、市役所に電話をしてかけあって・・・・時間的余裕がないと実現はなかなか難しい・・・と、ガラのアイディアは自然消滅。私たちの空き時間と会場の空きが同じ時をみつけるのって、とても大変なことなの。でも、このアイディアを再び復活させて、小さなグループ公演をオーガナイズしたいって思ってるわ。

pari1502c08.jpg 『Réversibilité』(若いダンサーたちの公演より)(C) Benoite Fanton/ Opéra national de Paris

<<10のショート・ショート>>
1 . プティット・メール:ロレーヌ・レヴィ(当時、学校の上級生だった。今は友だち関係)
2 . プティ・ペール:ファブリス・カルメス(彼も学校の上級生だった)
3 . 趣味:仕事の後は疲れてるので、特に趣味をもつ余裕がない。
4 . 朝食:直前まで寝ているので、カフェとタルチーヌという程度。その代わり、夜にたくさん食べる。
5 . ダンサー以外に考えられる仕事:指導したり、監督したりが好きなので、マネージャー的な仕事。
6 . 好きな匂い:ヴァニラ系
7 . 夢のバカンス先:夏はコリウール、冬は島へというのが基本。今年の1月は、ガラ公演をかねてサン・バルテルミー島へ行った。寒いのが嫌いなので、太陽を求めている。
8 . 自分の性格:強い
9 . 変えられるなら変えたい一面:思ったことをすぐに口にだしてしまうので、それを直したい。
10 . 舞台に上がる直前に必ずすること:自分のバッグを自分の手で所定位置におく。誰にも触って欲しくない。

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pari1502c11.jpg 『Réversibilité』(若いダンサーたちの公演より)(C) Benoite Fanton/ Opéra national de Paris