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大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2014.03.10]

オペラ座ダンサー・インタビュー:イザベル・シアラヴォラ

Isabelle Ciaravola イザベル・シアラヴォラ(エトワール)
2月28日、ガルニエ宮にてイザベル・シアラヴォラが『オネーギン』でアデュー公演を行った。パートナーは5年前のエトワール任命時と同じくエルヴェ・モロー。

今シーズンは昨年10月10日にアニエス・ルテステュのアデューがあった。2月28日、その夜の感動に再び満たされたガルニエ宮。『オネーギン』の公演が終了後、金色の星が舞台に降り注ぐ中、イザベルは別れの時間を慈しむように美しい笑顔を絶やさず。立ち上がった観客たちからの熱い拍手が鳴り止まない30分間だった。オペラ座の舞台はこうして終了したが、日本では3月21日、22日に東京文化会館で『椿姫』を踊る。その直前はフランス各地にて、マニュエル・ルグリのディレクションによる「ガラ・デトワール」に参加するなど、アデュー公演後も精力的に活動を続ける。

pari1403b_02.jpg photo Michel Lidvac

Q:当日の朝はどんな気持ちでしたか。
A:公演後のカクテルパーティでのスピーチでも話したことだけど、まるで子どものように目覚めたのよ。その日が誕生日の子どものように、「ああ、今日ね!」という感じで、にっこりと。そんなことは私には珍しいことだわ。子どもにとって1年に1度の誕生日って、自分の日でしょう。「今日は私の日。自分のしたいことができて、たくさんのプレゼントをもらって、みんな私に優しくしてくれて」。これは私の栄誉を讃えるお祭りの日。でもね、アニエスのアデュー公演を見た時は、誰かが去ってゆくのを見るのって感動的だわ・・て、思ったのよ。ノスタルジーもあるし。
私のアデューの日はどんな感じかしらって、次に番が回ってくる自分を重ね合わせてみたりしたの。この2月28日、私、とても幸せだったわ。オペラ座を去ることがじゃないわよ。この1日は私のための1日だってことが。アデュー公演をできること自体が、思えば幸運なことだもの。なぜって、例えばイザベル・ゲランのようにアデュー公演なしに去ってゆくエトワールもいるのだから。もしアデュー公演がなかったら、突然ぱっと消えてしまう感じで・・。 アデュー公演には終止符を打つような感じがあるので、美しく去ることができるでしょう。

Q:しかもエトワールに任命された演目でアデュー公演を行えるのは、幸運なことでしたね。
A:オペラ座のプログラムは、エトワールのアデュー公演に合わせて準備されるものじゃないでしょう。だからエトワールによっては、自分が評価されるような役で終われないのなら、アデュー公演はないほうがいいって思うのかもしれないわね。
私はラッキーだったの、この『オネーギン』があったから。以前にも話したと思うけど、ブリジットから最初は『ノートルダム・ド・パリ』をアデュー公演に提案されたのよ。でも、この作品でアデューをする自分というのが目に浮かばなかったの。ローラン・プティの作品はもちろん好きだけど、このバレエだと初役で踊ることになるし、それにイヤリングをぶらさげたエスメラルダに自分を重ねる、ということも全然できなかったので、「ノー」といったの。それから数日後にブリジットが、『オネーギン』があるけど・・・と。私、 『オネーギン』が今期にあるって知らなかったの。これは2月で、42歳になる誕生日の前の公演ということになる。でも、アデューが少し早まるにしても、自分が心から愛する作品で終えられるし、それも任命された作品でオペラ座を去ることができるって、すごい好機。まだ一週間もたってないけど、今思い出しても、2月28日はとても強烈な1日だったわ。どの公演においても観客の拍手をうけるのは快適なものよ。でも、この日は特別! 観客は私のアデューだと知っていて、そのために会場に集まってくれて・・。私が知らない人々だけど、彼らから贈られる拍手を受け止めることって、とても強く印象に残ることだったわ。

pari1403b_03.jpg photo Michel Lidvac

Q:この晩、公演そのものはどのように進みましたか。
A:これが最後の公演だと思うと、すごくエキサイティングだったわ。最初はいつものように集中してて・・最後のパ・ド・ドゥの最初の部分で、オネーギンがきて、私、立ち上がって、そして前進するでしょう・・。その時に一瞬「これでついに最後なんだわ!」って、頭の中によぎったの。この作品は『椿姫』と違って女性ダンサーにとって進行が素早いの。それでパ・ド・ドゥで何かを感じらるように、しっかり味わって・・と思ったものの、いざ踊り始めたらそんなことは忘れてしまって・・・。そしてその後は、金色の星が上から降ってきて・・・感動そのものだった。

Q:金色の星の中、舞台上に30分近く一人で立って、どんなことを思っていましたか。
A:何かを思うのではなく、感じていたの。観客が席から立ち上がって、叫んで・・それを受け止めていたの。心が熱くなってしまったわ。舞台の上に花束が投げられて・・・ちょっとばかり不満だったのは、感謝の言葉を言葉で伝えられないことよ。
どう観客に伝えたらいいのかしらって・・。 舞台に不器用に突っ立ったままということになってしまって・・。とても感激したせいで、 ステージを下手に歩き、ついで上手に歩いて、と身体が自然に動いていたわ。これが唯一できることだったの。

Q:自分なりに想像していたような終わり方でしたか。
A:私、自分のアデューについて数ヶ月前にこうかしら、と思ったこともあったけど・・どういった感動をアデューの場で感じるのかってことは、想像できることじゃないでしょう。それに『オネーギン』の最後がすでにすごく感動的だから、精神的にその後はどんな風になるかしら、悲しいのかしら、などと思ったりはしたけれど・・・。あのように観客の心を感じることができて、私、とても満足だったわ。こうした愛情をもらってしまうと、泣けないものね。アデューの場で一瞬涙が出たのは、舞台の袖でマチュー(・ガニオ)とレティシア(・ピュジョル)が泣いているのを見た時と、そして彼らが私をステージで抱きしめてくれたときね。二人ともとても仲のよい友だちなの。 でも、その後すぐに現実に戻って、舞台に向かって観客から来るものを受け止めて・・とても幸せな気持ちだったわ。

Q:今回の『オネーギン』は、なかなか大変なスタートでしたね。
A:6回の公演があったのだけど、最初の舞台リハーサルが始まってすぐにエルヴェが指を怪我してしまったので、私はパートナーなしでリハーサルを続けたのよ。骨がぽきっという音をたてたとき、まだ1か月近く先だったのでアデューのことには考えがいたらず、私、自分のことより、まずエルヴェの状態がとても心配だったわ。彼は私の親友よ。怪我の多い人なので、もし今回彼が降板するようなことになったら、精神的に彼にはとてもキツいことになってしまうに違いないわ、って。もしもエルヴェではないダンサーとアデュー公演をすることになっていたら、台無しになって、味わいは別ものとなってしまったでしょうね。彼は私が任命されたときに共に舞台にいたし、組むことはけっこう多いのだけど、今シーズンはあまり踊ってなかったの。だから『オネーギン』で一緒に踊れるのがとてもうれしかったのに・・・と、最初はとてもがっかりしたわ。<

pari1403b_01.jpg photo Michel Lidvac

Q:それでエヴァン・マッキーと踊ることになったのですね。
A:そう、エルヴェが戻るのを待つ間。でも踊りなれたパートナーとの間には、一種の目印のようなものができてる。つまり彼はどこに立って、というようなことがわかっている。それゆえに新たなパートナーと踊るというのは、こちらも不安定になってしまう・・・。ガラで一緒になって話をしたことはあっても、エヴァンとはそれまで一度も踊ったことがなかったので、こうした作品を踊るための信頼関係を築かねばって思ったわ。彼がパリにきて3日くらいあったかしら。彼って190センチの長身。エルヴェは183センチくらいなので、エヴァンに最初上に持ち上げられたとき、余りの高さに絶叫してしまったのよ。 いろいろなことが違って、そうしたことを受け入れて・・・。エヴァンと踊る機会が得られたことには、とても満足してるわ。で、エルヴェが戻ってきて彼と踊れた時は、余計にうれしかったわ。ああ、これで安心して踊れる、と思って。よく知ったパートナーが相手なので、自分の世界を取り戻すことができたの。

Q:アデュー公演の後、東京で舞台に立つのですね。
A:オペラ座での公式アデューがこの2月28日。これによって、オペラ座で踊るということを葬ったわけです。 でも今後ガラの予定もあって、アデュー公演の後突然踊れなくなるのじゃないってわかってるので、悲しさは軽減されますね。
東京で『椿姫』を踊れるのは好きな作品なので素晴らしいことだわ。これがカンパニーのツアーに参加する最後となるのよ。実はアデュー公演の前に、ブリジットから7月に『ノートルダム・ド・パリ』を踊らないか ? と提案されたのよ。私の契約が終わるのは今シーズン末だから、それも確かにありえるのかもしれないけど、私は観客に嘘をつきたくなかったので、断ったわ。アデュー公演を行って、その後カクテルパーティも開催されて、「悲しいわ、もう彼女を舞台で見ることができないのね」って人々が思って間もなく、『ノートルダム・ド・パリ』に出たら、「あら、また踊るのね!」となってしまって・・それは敬意を欠くことになるって私は思うの。アデュー公演から1年ぐらい後でゲストで踊るというのならともかく・・。

pari1403b_05.jpg photo Michel Lidvac

Q:今後はどんな予定がありますか。
A:私、今の時点で8月末まで決まってるのは、20のガラ公演と、6つの講習会。そして、たった今コンファームがきたのだけど、5月にヘルシンキのガラに招かれて、『オネーギン』の第三幕全部を踊ることになったのよ。これはヘルシンキのバレエ団のディレクターがパートナーなの。シュツットガルト・バレエ団の許可がおりるのを待っていて、今、決定したところ。私、これにはすごく満足しているわ。もし全幕だったら、この誘いは受けなかったでしょうけど・・・。最初、この提案があったとき全幕かしらと思って、オペラ座の舞台での良い思い出を大切にしたいし、全幕は稽古も必要だし、パートナーとの信頼関係も必要だし・・・と。でも、第三幕だけだったら、他のパートに比べて難しくないのでこのチャンスを受け止めることにしたの。自分から求めてゆくのではなく、こうして幸運が私の上に舞い降りてくるのって、うれしいことだわ。

Q:新しい生活 が早くもスタートしたといえますか。
A:今のところ過渡期という感じね。

Q:どのように身体のコンディションをキープしてゆくのでしょうか。
A:今はまだ『椿姫』があって稽古してるから、そうしたことは考えてないわ。私はここのところ一人でウォーミングアップしてるのよ。この習慣があり、その後30分間バーレッスンできればいいの。幸い2か月で20のガラ公演があって、その後半年は何もない、というようなことではなく、 身体を維持してゆくにはちょうどいい感じに間隔がほどよく開いてるのよ。 それに講習会で教えるときって、身体をきちんと支えるようにしてるので・・。これも役立つの。去年の夏に北海道で講習会があって、その後2週間間をおいてオペラ座に戻ったときに、自分の身体が保てていて、準備が出来ていたの。時にすごく疲れて2日間くらい筋肉や神経を弛緩させてしまった後でオペラ座に戻ると、まるで1か月くらい休んでいた感じになってしまうののに対し、講習会で教えることは自分の身体を維持することにもなることがこれでわかったの。 これから1年くらい、自分の身体がどう変化してゆくのかを見守ってゆこうと思ってるわ。

pari1403b_04.jpg photo Michel Lidvac

Q:引退後は講習が活動のメインとなるのですか。
A:私、教えることに情熱があるの。予定されてるのはイタリアで講習が2つ、それからワルシャワ、スペイン、札幌・・パリはエレファント・パナムで。エレファント・パナムでは、1年に1度、3日間のコースをノルウェーン・ダニエルと一緒に行ってるのよ。つまり、ガラがあって講習があって、ガラがあって講習が・・・という暮らしね。これまでは私のスケジュールはオペラ座が作っていたけど、今は自分でスケジュールを立てられるので、難しいことじゃないわ。海外での講習があると、その国にいってフランスとは異なる文化に接することができるので、うれしいわ。期間もそれほど長くないし・・・。

Q: どこかに教室を持って教えるという予定はありますか。
A:正直なところ、スタジオを借りて毎日同じ場所で教えてゆくことにはと興味がないの。定期的に教鞭するのならプロのダンサーを目指す人たちを相手にしたいのね。実はパリ国立高等音楽院・舞踊学校の教師に応募をしたのよ。5月に試験があるので、その結果によるのだけど・・。9月からの教師を捜してると聞いて、あ、ちょうど私は引退したのだから出来るわ! って。ここは私の出身校だから、応募したのよ。オペラ座で教えることには興味がないわ。なぜって私はダンサーを養成することに興味があるのだから。私が教えることで生徒が進歩してゆくようにしたいの。教えることを始めてまだ4年だけど、10年後くらいには才能が認められた教師となっていたい。私の先生だったマドモワゼル・ヴォサールが言っていたのだけど、生徒とのやりとりによって教える側も変化、進歩してゆくって。教えながら学んでゆくのね。こうした人間関係も気に入ってることだわ。採用されるかどうかわからないけど、されなくても構わないわ。他にも仕事はあるのだし、路頭に迷うわけじゃないのだもの。それに教師のポストは来年も、再来年も空くものだから・・。少なくとも、興味がありますということを、志願書を出すことで伝えてあるというわけね。ここにはダンスを職業にしたいという生徒が集まっていてるので、ぜひとも彼らをプッシュしたいわ。講習会というのはこれとは別で、短期間だから生徒がアマチュアでもいいの。

pari1403b_06.jpg photo Michel Lidvac

Q:ダンスウエアのデザインは続けているのですか。
A:ええ。私、このプロジェクトにすごく張り切ってしまって、てっきり毎年発表するのだと思い込んでいたのよ。でも、2年に1度のことだったの。だから今年は前回デザインしたものに、別の色を2色プラスしただけ。もうじき、次に発表するコレクショにとりかかるのよ。毎年冬にフローレンスでセールスフェアが開催されるのだけど、今回、私のデザインしたウエアを販売する店が新たに33カ所増えた、という連絡があったの。これ、上手くいってるってことでしょう。最高だわ。

Q: 舞台でみせる演劇性が評価されていますが、女優という道は考えませんか。
A:いいえ、別世界の仕事だと思うの。それに新たな分野だから、一番下の段階から始めなくてはいけないでしょう・・・。よほど凄い監督から声がかかったら考えるかもしれないけれど、女優というのは私の夢じゃないわ。私の居場所はダンスだと思ってるの。舞台では始まったら、止まらずに進行するでしょう。そうしてエモーションが得られるのだけど、映画だとテイクしなおして何度も同じシーンを撮影して・・・。別の仕事だと思うの。俳優は尊敬しているので、私、見る側でいるほうがいいわ。

Q:エトワール任命は37歳と遅いものでした。もっと早かったら、と思いますか。
A:私、これについて不満には思ってないのよ。任命されること自体が、とにかく素晴らしいことなんだもの。でも、その後でもらった役を思うと、エトワール任命はとても良い時に訪れたと思ってるわ。任命から引退までとても豊かな5年間を過ごせたの。 本当に素晴らしい役ばかりで、舞台の上で大きな喜びを得られたわ。オペラ座のレパートリーの中で踊りたいと思っていた役を、ぐるりと一巡りできたという感じね。あっという間の5年だったけど、豊かで恵まれた5年だったので、こうしてとても満足してオペラ座を去ることができるんだわ。『ロミオとジュリエット』『ジゼル』『オネーギン』『マノン』、最初に踊ったのはプルミエール・ダンスーズだったけれど『天井桟敷の人々』、それにローラン・プティの作品・・・もしこうした役を踊らず仕舞いで、後になって他のダンサーがそれを踊るのを見たら、ああ、これ踊りたかったわ・・となったかもしれないわね。そういうことって、 あり得るでしょう、ダンサーは怪我をしたりすることもあるのだから。ノエラ・ポントワが『椿姫』を見た時に、「ああ、この役を踊ることができたなら! 私の時代にはレパートリーにもなかったわ」って言ったのね。15年後、別の役があるかもしれないけど、それはそれ 。この5年は素晴らしいものだったから何の後悔もないわ。確かにその前の時期に、私任命されるのかしら、という疑問があって、ちょっとした悲しみなどもあったけど、でも、役があればそれなりに満足できていたので・・。

pari1403b_07.jpg photo Michel Lidvac

Q: 任命されるまでの間、オペラ座を辞めようと思ったことはありませんか。
A:ないわ。長いことスジェだったとき・・あ、プルミエール・ダンスーズだったかしら、「サンフランシスコ・バレエ団のディレクターが、ルシア・ラカッラのようなタイプをさがしてるんだけど」とブリジットから提案があったの。その時、わー、ソリスト! わー、サンフランシスコ! 冒険だわ! これはきっと素晴らしいことだわ! って舞い上がったけど、でも、2日くらいで地に足が戻ったという感じね。
「私、オペラ座を去ることはできない。ここでエトワールになることをずっと追い求めてるのだから、もしかすると席に空きができるかもしれなし、若い子たちがあがってきて私は忘れられるかもしれない・・でも、先のことはわからない。後で後悔はしたくない」と考えて。たとえ1年間のことでも、それにその1年はオペラ座にいても対してすることがないと告げられてもいたのだけれど、でも、残ることにしたの。そのことについては後悔してないわ。その年がオペラ座で私にとってどんな1年だったか・・・覚えてもいないわ。私、良いことしか覚えてないので。難しい時期って、ダンサーなら誰にでもあるものよ。

Q:サンフランシスコ・バレエ団というと、マチルド・フルステーが現在踊っているカンパニーですね。
A:彼女の場合は、私とは別ね。彼女は私のプティット・フィーユでよく知ってるのだけど、私は彼女の決定に賛成。良い選択をしたと思うわ。彼女はそうする理由があったのだから。彼女は行動的で、がむしゃらで、常に何かを求めてるタイプ。マチルドには可能性があるものの、私と同じでコンクールで上手くゆかない。だから彼女、少しブレーキがかかってしまった感じがあったのね。私はそうではなかったけど、彼女はここで上手く生きてゆけなくなっていたの。サンフランシスコでソリストとなって、自分が存在してるということをパリより強く感じることができているのだと思うわ。今回のツアーで 彼女が東京で踊ることになって、私とても満足よ。 この間ツアーに向けてオペラ座で稽古してる彼女とすれ違ったけど、とても幸せそうだったわ。私、彼女のように遠くに行ける人を尊敬してるのよ。オペラ座バレエ学校の第一ディヴィジョンで一緒で、入団も同時だったピエール・フランソワ・ヴィラノヴァというダンサーも、サンフランシスコにいってキャリアを築いたのよ。オペラ座にいてもエトワールになれたはずのダンサーだったけど・・。こうして遠くに出てゆける勇気のある人を尊敬するわ。それに財政的にも・・言葉としてダンスにそぐわないけど、オペラ座では退団させられることはないし、引退までいられるでしょう。ところが他のカンパニーでは、1年や2年の契約で先がわからない。オペラ座では引退後の保証もあるし、劇場は素晴らしいし。私、コルシカから来て、チャンスは逃したくなかったので、残ったのよ。サンフランシスコにという声がかかったことは、自分に価値があることがわかったからうれしかったわ。大切なのは37歳と遅くても、任命されたことよ。これによって解放され、この5年で自分を豊かにすることができたの。コール・ド・バレエが13年、プルミエール・ダンスーズが6年・・・私、苦労したわ。こうして長いことコール・ド・バレエにいて、遅く任命されて、でも、それだけにエトワールとしての年月を味わうことができたのだと思う。コールドバレエを少しやって、すぐにエトワールになって・・というのだと、まだその準備もできてだろうけど、私はたくさんの役をすでに踊っていて、37歳で・・・。私、素晴らしい贈り物としてこの任命を受け止めたわ。

Q:アデュー公演の翌日は、どのように過ごしましたか。
A:その晩は全然眠気が起きなくって、いただいたたくさんのブーケを飾るために花瓶を出したりして・・ベッドに入ったのは翌朝の5時ごろだったわ。翌日、『椿姫』のリハーサルがあったの。でも、アデュー公演の前にリハーサルコーチのクロチルドに、その前の晩次第なので朝起きたら連絡するわ・・というように話してたのよ。ところが、アデューの翌朝は5時に寝たのに8時にぱっ! と目が覚めて、さあ、リハーサルに行きましょう、っという感じに、とても幸せそのものの気分だったわ。今、ツアーに向けて稽古が進んでるのだけど、稽古場では毎日笑ってばかり。気分的にすごく解放された感じがあるの。

pari1403b_08.jpg photo Michel Lidvac