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大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)
Text by Mariko OMURA 
[2012.08.10]

オペラ座ダンサー・インタビュー:フランソワ ・アリュ

François Alu フランソワ・アリュ( コリフェ)
コリフェに上がった2011〜12年シーズン後半、若いエネルギーいっぱいに快走。与えられた大任をどれも見事にこなした頼もしい18歳。

『リーズの結婚』でアラン初役を7月13日に果たした彼。『ラ・バヤデール』でブロンズ・アイドルを踊り、テクニック面ですでに高い評価を得ているが、このアラン役により人物を構築することにも長けていることを証明してみせた。男性的でダイナミックな踊りをみせる彼は話し方も勢いがよく、とても早口だ。エトワールというタイトル目がけ、オペラ座のピラミッドもこうして威勢良くかけあがってゆくのだろう。(インタビューはアラン初役の前、6月末に行われた)

 Q:今季最後の公演の『リーズの結婚』では、プログラムの最後に先輩たちに並んで写真入りのプロフィールが紹介されていますね。

A:これはうれしかったですね。こうしてバレエ団から認められて、とても満足しています。すでに「ロビンス、エック」のプログラムにも、この時は代役だったのですがリハーサル中の僕の写真が掲載されたんですよ。入団して間もない18歳で、まだコリフェなのに・・・すごくうれしいことですよ。

Q:上層部から大いに期待されていることになりますね。それをどう受け止めていますか。

A:全うしなければならない大きな責任があるということですが、おかげで、こうしてソリストの役を踊ることができるので …… 。それって、ここでは誰もがしたいことですからね。『ラ・バヤデール』のブロンズ・アイドルを踊ることができたなんて、すごく光栄なことで、ステージを満喫しましたよ。これから踊る『リーズの結婚』のアラン役は演技という、ブロンズ・アイドルとは別のタイプの仕事を要求されますが、これも面白いですよ。上層部がこうして僕の仕事の幅をひろげていってくれているんですね。

Q:コリフェというタイトルになったのは、2012年1月からですね。

A:はい。入団したのが2010年9月。去年11月の初のコンクールでコリフェに上がりました。僕とマキシム・トマの二人で。これはすごいチャンスですよ。当たり前のことですが、カドリーユ時代は代役ばかりでした。それがこうしてコリフェになってからは信頼が得られたのでしょう、多くの役が与えられるようになりました。

Q:2011年11月のコンクールの自由課題に、『ラ・バヤデール』のソロルのソロを選びましたね。

A:最初のコンクールなのだから、まずは自分が楽しむことが大切、と思ったんです。
コリフェに上がれたら最高! でも、上がれなくてもまだ若いんだから、たいしたことじゃない。自分が楽しめるソロを選ぼう、ということで。テクニックがごく自然にできるものとして、これに決めました。もちろん稽古はたくさんしましたよ。その結果上がれることができ、こうして上層部の信頼が得られ、本当に満足しています。でも何よりも、自分はこれを踊れるんだ、ということがわかったのが最高です。

pari1208c_01.jpg 『ラ・バヤデール』
Photo Agathe Poupeney / Opéra national de Paris

Q:昇進後の最初の大役は何でしたか。

A:それがブロンズ・アイドルでした。配役の発表を見て、エマニュエル・ティボーの代役だと知って、おかしかったですね。というのも、彼、僕のプティ・ペールなんです。今ももちろん彼は素晴らしいですが、とにかく学校時代の僕にとって、彼はアイドル。そんな彼の代役という責任を与えられるなんて、とうれしかった。そう、最初は代役だったわけです。それがリハーサルでブリジット・ルフェーヴル(芸術監督)とローラン・イレール(芸術監督付バレエ・マスター)の前で踊ったところ、代役ではなく2公演を僕に踊らせてくれるということになりました。うれしかったけど、すごいプレッシャーを感じました。すでにこのリハーサルのときにコールドバレエが周囲にいて、二人が僕をみていて・・・もう、心臓がバクバクだったんですからね。でも、夢中で踊った結果、完璧ではないけれど可能性がある、やらせてみる価値がある、と僕に任せてくれることになりました。

Q:テクニック的にどうでしたか。

A:難しいですよ、これ。とりわけスタイルの点で難しかったといえます。指を蓮の花のかたちに、ずっと保ち、びしっと動きを決めなければならず。それにこの金色のペイントというコスチュームをまとって、踊っている間は彫像のように顔を動かさず、存在感をみせなければならないことも。威厳を感じさせなければならないのですからね。ペイントは最初にまずゴールドを塗ります。次にシルバーっぽいペイントを塗って、艶を出すんです。パウダーを大量に使うので、汗で流れることはありません。1時間半くらいかかったでしょうか。で、化粧のあとにウォーミングアップをするので、舞台に出る直前、5分前とかにメーク担当者がきて、眼のまわりとかにリタッチをしてくれました。

pari1208c_02.jpg 『ラ・バヤデール』
Photo Agathe Poupeney /
Opéra national de Paris

Q:2公演とも楽しめましたか。

A:はい。良い思い出しかないですね。一回目のときの映像をみることができたので、4日後の2回目にはディテールを改善することに努めました。ステージ上で自分自身が感じる快適さは減りましたけど、すべてのディテールに気を配って踊りました。これって観客に対して、大切なことですよね。ぼくたちは観客のために踊るのですから、そうした点にも集中する必要だと思います。

Q:その次の『マノン』では一転して物乞いのリーダー役でしたね。

 A:これもまた楽しかったですね。舞台の上で感じた喜びの大きさは信じられないほどでした。この狡猾だけど、チャーミングな奴、という役柄。動きもブロンズ・アイドルのとは全然違いますけど、リーダー役って最高ですよ。仲間と一緒に事を運ぶものの自分が指示する立場にあって、彼らから尊敬されててという・・・。僕、こう考えたんですよ、彼ももともとは乞食の一人だったけど、徐々に上がっていって、その間の功績が周囲から評価されてるんだと。エネルギーいっぱいの陽気な役で、ジャンプもたくさんあって、テクニック的にも好きなタイプでしたね。
 

Q:そしてシーズンの最後が、『リーズの結婚』のアラン役ですね。

A:はい。 舞台リハーサルを2回終えたところです。この役のテクニックは、体を90度に傾けたりとか、どちらかというとコンテンポラリーに近いんです。人物はかなり複雑ですね。気が弱く、ナイーブで、夢見がちな若者。魅力もあるんですが、不器用で。この作品でアラン役がいかに重要かは、過去に舞台をみてますから、よくわかっています。イギリスではこの役も主役とみなされてるくらいなんですよ。アランは最後にリーズとコラスの一緒のところをみて、すごいショックを受けてしまうんです。こうして失望し、そして成長する。でも、とはいってもまだ子供なんで、人生はいつだってバラ色じゃないけどね、と思いつつも、傘と帽子を抱えて舞台を去ってゆく、と僕は考えたんです。はい、これは笑わせる役です。僕自身、笑うことも人を笑わせるのも大好きなので・・。

Q:コール・ド・バレエで『リーズの結婚』の舞台にたっているときに、他のダンサーがどうアラン役を演じるか気になりませんか。

A:いや、舞台では自分の仕事に集中するようにしています。でも、コール・ド・バレエはタケル(・コスト)と交代のときがあるので、そういうときは舞台裏からアラン役に特に目を向けて見ていますよ。

 Q:役作りはどのようにしましたか。

A:この役の第一配役はシモネ(・ヴァラストロ)ですが、彼の大きく見開いた眼が醸し出す、ちょっと異常な感じが好きですね。彼のアランにすごくインスパイアされます。アリスター(・マダン)のアランは、いつも笑顔で子供っぽい面が強調されてて、これもいいですね。アランって、僕が思うには決して頭が足りないわけではないので、あまりそちらの方向にいってはいけないと。彼はナイーブすぎるんですね。これはリヨネル・ドラノエ( バレエ・マスター)がいったのですけど、いつも父親が側にいて、教育の重みが彼の肩にぐっとのしかかってて、父親の望む息子であろうと努めている、と。でも、ときどきその枠からはみ出してしまうんだと。

pari1208c_03.jpg 『リーズの結婚』
Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris
pari1208c_04.jpg 『リーズの結婚』
Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

Q:パトリック・デュポンを見てダンサーになろうと思った、とフランスでのインタビューで読みました。

A:ええ。彼って舞台上で踊る喜びにあふれていましたね。疲れていても、目一杯踊って観客を喜ばせるダンサーだったそうです。彼の師のマックス・ボゾニにレッスンを受けてる若いときから、キャリアの最後までをたどるドキュメンタリーを見たんです。その中には『ドン・キホーテ』の抜粋も入ってました。彼の舞台上で発散するもの、テクニックが素晴らしい、と思ったんです。これを見た当時、僕はスポーツに夢中な時代だったんです。水泳、ピンポン、バスケット、サッカー、それに今も一人で続けてますが、ヒップホップのアマチュアレッスンに2か月通ったりもしてて、とにかく挑戦することが大好き。毎回、進歩してゆくということが楽しい。子供のときからカミカゼ的で、それで彼の踊りをみて、気に入ってしまったわけです。果てしなく続く回転、どこまでも高いジャンプ。もっともその後オペラ座に来て、それだけじゃだめで、繊細さも必要なんだということを知りましたけど。例えばニコラ・ル・リッシュ。彼は僕のオペラ座のヒーローですが、テクニックも素晴らしいけど同時に繊細さもあって・・・。ジョジュア(・オファルト)やステファン(・ビュリオン)にも同じことがいえますね。

Q:デュポンのドキュメンタリーをみて、バレエを習い始めたのですか。

A:いえ、母がバレエ教師なんで、すでに母について9歳半から習っていました。もう9年バレエをやってることになりますね。僕はフランス中央部のブルジュという小さな街の出身で、ここでバレエを始めたんです。弟も習ってましたが、二人ともバレエがちっとも好きになれなくって・・。男の僕がチュチュの女の子たちと一緒になってバーなんて! と、ね。女の子は好きだけど、それとこれとは別ですよ(笑)。それでデュポンのドキュメンタリーを見たときに、「ママ、僕、こういうのを将来したいのだけど、何なのこれって?」と聞いたくらいなんです。「これがクラシック・バレエよ。それにはまずバーをしなければ」って。そういわれて、「僕、バーは嫌いだ。ジャンプがしたい」って。さすがに近頃は大人になったのでウォーミングアップはしますけど、昔からすぐにジャンプや回転をしたがる傾向があるんです。

Q:youtubeでピルエットをする学校時代の映像がみられますね。ピルエットは得意なテクニックですか。

A:これ、12歳のころのかな。デフィレの前に更衣室でピルエットをしてところを友だちが撮影したものです。でも彼とはもう連絡も途絶えていて、youtubeにのってたなんて知らなかった。ピルエットは最初にやったとき、全然上手くできなかったんですよ。隣の女の子にできて、なんで男の僕ができないんだ! 何かが拙いんだ! と。何しろ僕は挑戦が好きな人間ですからね。それで、何度も何度も稽古を繰り返しました。で、ある時、カチッっとくるものがあって、それからは簡単にできるようになったんです。それから第1ディヴィジョンのときに、学校でトロントに行きました。そこでキューバの学校の生徒たちと出会って、彼らがピルエットをするのを観察したんですよ。彼らのピルエットは定評ありますからね。おなか、肘といった部分に安定を得られる鍵があるということをチェック。おかげで、僕のピルエットを改善することができました。

pari1208c_06.jpg コンクールより
Photo Sébastizn Mathé /
Opéra national de Paris

Q:ピルエットだけでなく、素晴らしいジャンプも舞台で披露していますね。

A:僕、生まれつき脚のここが(太ももを指さす)に筋肉がついてるんです。それって高く跳ぶには役立つことですけど、美的には・・・。あいにくと、フローリアン(・マニョネ)やジョジュア(・オファルト)のような長くて美しい脚じゃないんです。でも、この脚のおかげでジャンプができ、グランドバッティリーができるのですからね、満足していますよ。タイツ姿がどうこうといったことは忘れることにしていますが、筋肉を細く長くしようと、バーレッスンのときに痛いけれど尻の下部を外に回転させて上にあげるように努めています。上手くゆくかどうかわかりませんけど。でも、とにかくここではたくさん稽古をするので、それによって脚は細っそりしてきますよね。小さいときと今では体つき、脚が変わってきていますから。とはいっても、もともと骨太なんで・・・。そのおかげで怪我をしないのはありがたいことです。それに筋肉が減ると、どうしたってジャンプに影響が出てしまう。僕は空間を高く跳ぶのが好き。それが舞台上の喜びなんで・・・。本当に快適なんですよ。

Q:ニコラ・ル・リッシュに憧れているということですが、彼のようにいつか『ボレロ』を踊りたいと思っていますか。

A:彼は僕の最高の模範なんです。『ボレロ』は確かに好きです。でも、役を演じるということからすると、踊りたいのは『スパルタクス』。  この役は男らしさを存分に披露でき、踊りもパワフルです。人物面でもテクニック面でも気に入っています。はい、ジャンプもピルエットもたくさんあるんですよ。この作品はオペラ座のレパートリーではないので、許可さえあれば外部のガラでぜひとも踊りたいですね。

Q:オペラ座のレパートリーの中では、踊りたい作品は何ですか。

A:ローラン・プティの『若者と死』。これはぜひとも。踊るダンサーによってスタイルが異なって、僕はバリシニコフやニコラの踊りが特に好きです。この作品にとにかく惹かれていて、バレエ学校のレポート提出のテーマにも選んだくらいなんです。売れない画家が最後の死の腕の中に身を委ねるという短い作品ですが、プティは多くを語っていますね。強烈で独特なものがあります。もちろん今すぐに踊れるとは思いませんが、いつか、ぜひ!

Q:近い将来、例えば次ぎのシーズンでは何かありますか。


A:『放蕩息子』の代役なんです。インターネットでバリシニコフが踊るのをみましたが、これ、うれしいですね。バイタリティや粘りが要求される役。早くやってみたいです。稽古はたくさんしなければならないでしょう。ディテールの仕事も必要ですが、活発で元気がみなぎってる僕には、ロメオや『眠れる森の美女』のプリンスよりも、ずっと自分を重ね合わせやすい役です。

Q:コンテンポラリー作品を踊る機会はどうですか。

A:オペラ座ではニコラが振付けた『カリギュラ』でコール・ド・バレエでした。この作品を踊るのって最高でしたよ。外部では、僕はサミュエル・ミュレーズのグルーム“トロワジエム・ドロワット”に入ってて、こちらではよくコンテンポラリーを踊ります。クラシックと違って制限がなく、新しい動き方を探ったり、振付を変化させたりできて面白いですよ。がっちり型にはまったクラシックではできませんが、コンテンポラリーは今の時代のもので、自分が感じることをこめられる自由があります。空間を跳ぶのも好きですが、転がったり、床面と接するのも好きなんです。

Q:これまで怪我もなく無事に進んでいますか。

A:今年はまだないんで、幸運が続くのを祈ってます。怪我の話としては、カンパニーの入団試験の直前のねんざがあります。これって実は禁じられてることなんですけど、試験の前日に、母の学校のガラに参加したんです。で、捻挫してしまって。炎症止めを使って、試験を受けました。バレエ団に入団するのが最終目的だったのですから、何があっても試験は受けなければ、と。踊っていて少しばかり痛みを感じましたが、上手く行きました。

Q:バレエ学校に入ったのは何歳のときですか。

A:10歳です。最初に学校生活に適合できるかをみる期間が半年あって、それから入学しました。つまり、学校のすべてのコースを経験したことになります。留年はしていませんけどね。6年半在学したことになります。遠くの母が恋しくって、最初の1年は辛かったですね。金曜に実家に戻り、日曜にパリに戻る汽車にのるたびに涙がこぼれてしまって。でも、ダンスへの情熱があり、自分との戦いでもあるので、やめるわけにはいかないんだ、って。それに母も僕をプッシュしたんです。やめたくなったらやめればいい、とは言いませんでした。「頑張りなさい。本当にだめだとなったら帰ってくればいいけど、力の限り戦うのよ」と。月曜も少し辛かったけど、学校ではあまりにもたくさんのことをしなければならず、週日は両親を思う余裕もありませんでした。

Q:学校時代の良い思い出は何ですか。


A:学校公演の『光の罠』で、蝶々に恋し、最後は狂ってしまう徒刑囚の役でした。稽古をウィルフレッド・ロモリとしましたんですが、彼から演技面も含め、たくさんのことを教えてもらえました。良い時期の良い思い出です。悪い思い出といったら、朝8時から12時までの授業。ダンスが午後で・・・。最低知識を学ぶ必要があるのはわかってますけど、今のほうが、僕、勉強していますよ。夜帰宅すると、小説はあまり興味がないけど、人生や自分について学ぶことができる心理学の本とかを読んでいます。時間の許す範囲で、自分の教養を高めています。独学派なんでしょうね、きっと。

pari1208c_05.jpg コンクールより
Photo Sébastizn Mathé
Opéra national de Paris

Q:今はもう朝の勉強がないですね。

A:はい。でも、疲れきって体が辛いときは、オペラ座に行きたくないということもありますよ。もっともこれって心理的なもので、いざクラスレッスンが始まってしまえば、なんてこともないのです。オペラ座から徒歩5分のところに住んでるんですけど、ベッドを出て、着替えて、アパルトマンの階段をおりて、オペラ座について、また着替えて、リハーサルルームにいって,というところまでが辛い。

Q:プティ・ペールはエマニュエル・ティボーとのことですが、プティット・メールは誰ですか。


A:小さいとき恥ずかしがりやだったので、とても女性のところにお願いしにゆく勇気がなかった。それに、もしプティット・メールがあるときガールフレンドになることになったら、これは困ったことになるぞ、と(笑)。エマニュエル・ティボーは彼が踊る『チャイコフスキー・パ・ドゥ・ドゥ』のビデオを祖母がみせてくれて、彼の回転、跳躍の素晴らしさに魅了されてしまって。それでデフィレがあったときに、当時スジェだった彼にお願いしたんです。その直後、彼はプルミエールに上がりました。

Q:いつプロのダンサーになりたいと思ったのですか。

A:パトリック・デュポンのドキュメンタリーをみたときです。それに母の生徒だった女友達が学校に入ったので、ぼくも! となって。9歳半のときです。とにかく踊りたい、したいことは最後までやり遂げようと。学校時代、生徒の誰もがレッスンはたくさんしましたよ。学校で同じ学年だった生徒では今年入団したジェレミー・ルーがいます。僕と同じ年に入団したフローラン・メレックはぼくより後の入学で、エマ・デュミエールは僕より先の入学なんです。

Q:入団同期のフローラン・メラックは振付けにも手を染めていますが、あなたはいかがですか。

A:振付けには興味がありますけど、今はまだダンスに集中。与えられたものを進化していく段階です。サミュエル振付のソロをガラで踊ったのですが、これは彼が僕に材料、つまりステップを提供してくれることから始まりました。彼から与えられたものに、僕から提案をし、彼がそれをとりいれて振付を変更し、というように一緒に作り上げました。二人の共同作業。将来振付をするかどうかは、まだわかりませんけど、何かを一緒につくりあげる、ということは好きです 。

Q:これまでの公演で、一番辛かったのは何ですか。


A:オペラ座のでいえば、ブロンズアイドルです。肉体的だけでなく、心理的にも。というのは、ぼくが舞台に出るのは第二幕で、ウォーミングアップをするとき公演はすでに始まっています。それに、僕のメークが始まるのも他の人がもう終わってから。奇妙なんです。アドレナリンが一杯で、緊張もいっぱい。だけど、周囲には誰もいず、話し相手もなくたった一人というのが辛かったですね。ウォーミングアップも一人で・・。もっとも舞台に一旦でてしまえば、人物になりきって踊るだけなので頭の中はそれだけなのですけど。

Q:舞台に出る直前に決まってすることはありますか。

A:ときどき、ちょっとしたお祈りをすることがあります。祖母が最近亡くなったので、彼女に向かって“おばあちゃんのために踊るから、見守ってね。僕に力をください”って。役を踊るときやガラでソロを踊るとき、彼女のことを思います。
 
Q:この夏のバカンスはどこで過ごしますか。

A:夏は両親とヴェニスの近くのリミニで過ごします。僕の父はシシリア出身のイタリア人なんです。でも、バカンス前のアレッシオのグループのガラもイタリアで、これはマチルド(・フルステ)とパ・ドゥ・ドゥを2つ。それが終わったら、パリに戻って、また次のガラがイタリアであって。これはローラ・バックマンと『海賊』と『ロメオとジュリエット』を踊ります。それから、やっとバカンスです。

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趣味:ダンスといえないのなら(笑)、読書。そして不良っぽい印象を持たれたくないのであまり大きな声ではいえないが、ポーカー。
ダンス以外に考えられる職業:ぱっとひらめくところではスポーツ関係。例えば整体やマッサージなど。こうして話していて思ったのは、映画などのプロデューサー。
よく聞く音楽:
ダンサーには珍しいかもしれないが、アメリカのラップ。そしてエレクトロ。
宝物:
学校でずっと一緒だった友達のアレクサンドル・ダーム。現在はヘルシンキをベースに踊っている彼とは2年近く会っていないが、週に三回はスカイプで話す仲良し。
食事の注意点:
朝はたっぷり、昼はノーマル、夜は軽く。最近ソーダを飲むのをやめた。