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秀 まなか Text by Manaka Shu 
[2010.11.10]

ビュリヨン、ル・リッシュ、アバニャートが踊ったプティの傑作『若者と死』

Ballet de l'Opéra National de Paris
パリ・オペラ座バレエ団
Roland Petit : Soirée Roland Petit
ローラン・プティ 『ローラン・プティの夕べ』

ローラン・プティの振付作品はダンサーを厳選してしまう。
最も重要なのが、演劇性。文字通り、ドラマティックな物語を演じられるダンサーでなければならないのだが、彼の作品は一筋縄ではいかない。驚異的な技術を持っていなければ演劇性が生まれないのだ。
彼の舞踊言語の特徴は、ダンス・クラシックを基調とし、アン・ドゥオール(外向きに)とアン・ドゥダン(内向きに)を交互に駆使することにある。これを流暢にこなすのは、困難を極める。クラシックの技術を完璧に習得していることが大前提で、さらに股関節や膝、足首の柔軟性が求められるからだ。脚全体の柔らかさがないと、プティ独特の、あのぬめるような官能性が滲み出てこないのである。

アマンディーヌ・アルビソン=ピヴァはプティ・バレリーナの1人に、新たに名を刻んだ。昨年末の『牧神の午後』のニンフ役、『ペトルーシュカ』の街の踊り子役とジプシー役、4-5月の『En Sol』の6組の群舞の1人と、スジェ1年目にして重要な役を割り当てられている新鋭は、今回も『狼』のジプシーの女の第1キャストに抜擢された。結婚を間近に控えた若者を誘惑したにもかかわらず、若い娘の死を悼む若者の姿を見るとあっさりと去っていく気まぐれなジプシーの女は、冒頭から出ずっぱり。中でもオフ・バランス、リフトされたまま行うトゥール・アン・レールといった当時の最新のテクニックが、さりげなくクラシックのテクニックの中に盛り込まれているソロ、若者とのパ・ド・ドゥは、1分足りとも気が抜けない。音楽のリズムが明快で、1つのテクニックに躓くと倍になって響くというとんでもない代物だからだ。彼女と役を分けあった先輩スジェのサブリナ・マレムは長身が災いして、時折リズムを外し、オーケストラの旋律に置いていかれる事態になっていたが、アルビソンはそんな不安を微塵も感じさせず、毎夜、完璧にやり遂げた。音楽と戯れる余裕さえ見せて、若者を魅了し、狼を虐待していたのである。
その虐待ぶりも容赦がない。新居で愛を語っていた狼と若い娘の前に突然現れた一行は、狼と若者を入れ替えて元の鞘に戻そうとする。その最中、下手側で、舞台の床に顔を付ける形でうずくまっている狼の爪と手を、ジプシー女はポアントの先を立てて踏みつける。ある日、狼役のバンジャマン・ペッシュは踏みつけられそうになった手を引っ込めたが、アルビソンはペッシュの手を自らの手で掴んで手前に戻し、再び踏みつけたのである!演技と知りつつ、あまりの残酷さに思わずこちらも目を瞑ってしまうほどリアルだった。
観る度に、驚異的な進歩を遂げているアルビソンは、主役の若い娘役の代役に入っていた。今回は実際の舞台で踊ることはなかったが、彼女ならば、主役も遜色ない出来栄えを披露できるに違いない。彼女の才能は、プティ作品にしっくり合うのだから。

狼役の第2キャスト、ペッシュは鮮やかだ。最初の登場から、膝の柔軟性を生かした、あまりに高く、軽いジュテは、かつてパトリック・デュポンが演じた『長靴をはいた猫』を彷彿とさせる。屈強な狼そのもののビュリョンの狼に対し、ペッシュの狼はしなやかな豹を思わせるからだ。万全のテクニックから、若い娘に対する思いやりや、狼であることの悲しさを漂わせ、さすが、オペラ座のプティ役者の1人だ、と頷ける貫禄なのだが、ただ1つ、目の表情が物足りない。前号でお伝えしたように、ビュリョンの眼力には鬼気迫るものがあった。まるで歌舞伎の市川海老蔵で、4階席にいようが、5階席にいようが、目の動きからその動向を読み取れる。ペッシュも同じ目の動きをしているのだが、ダンスと同様に、滑らかに流していくので、印象が薄くなってしまう。公演後半に差し掛かると、薄めだったメイクをくっきりと濃くして、より狼らしさを演出していたが、余計に目の表情の乏しさが目立ってしまった。
ペッシュの相手役の若い娘役はレティシア・ピュジョル。演技には取り立てて悪いところはなく、全体をそつなくこなしているのだが、残念ながら精彩を欠いてしまった。『ジョワイヨ』以来、約1年振りにガルニエの舞台を踏んだ彼女には、舞台勘が戻っていず、不安定になりがちな技術面を、かなりの部分でペッシュに助けられていた。20回踊ったら、20回同じように踊れる、まるで機械のように正確なテクニックの持ち主の彼女は、本調子ではないようだ。マチュー・ガニオとマティアス・エイマンの双方をパートナーとする予定の『白鳥の湖』のオデット/オディール役での奮起に期待することにしよう。
第3キャストには、リュドミラ・パリエロとジョシュア・オファルトが予定されていたが、オファルトが怪我で降板し、パリエロとビュリョンが組むことになった。エトワールへの道を邁進中でも、まだ経験の浅いパリエロでは、ビュリョンの凄まじいまでの狼に飲み込まれてしまうのではないか、と危惧したが、ビュリョンと十分に亘り合った。過剰な演技との境界線ギリギリまで引き延ばした、コゼットのようなダイナミックさはないものの、正確で力みのないテクニックで、清楚で可憐な若い娘を造形し、どんな役柄でもソツなくこなせる幅の広さを再確認させた。今後、『パキータ』や『白鳥の湖』でも主演することになっており、ひょっとすると、年内に念願のエトワールに昇格するかもしれない。

『ランデヴー』のコール・ド・バレエの大半は、開幕公演直前にノヴォシビルスクへのツアーもあったことで、全15回公演を1キャストで通した。コール・ド・バレエといっても、花売り娘、女の子たち、男の子たちといった総勢14名のみ。中には、2008年入団者が3人おり、そのうち2人が奇しくも入団直前のバレエ学校公演で『旅芸人』に出演している。『ランデヴー』の3カ月前に初演されたプティの実質的なデビュー作だ。
1人はメートル・ド・バレエのローラン・イレールの長女、ジュリエット・イレール。2人の女の子のうちの1人で、目立った役ではないが、学校時代から際立っていた父親譲りの高い甲と股関節の柔らかさといった先天的な能力の高さを見せつけた。
もう1人が、猫背の男を演じたユーゴ・ヴィグリオッティだ。彼は素晴らしいテクニシャンで、『旅芸人』の道化役を目が覚めるように演じて話題をさらったことが今でも忘れられない。小柄の彼は、女性、男性問わず、ダンサーがどんどん長身化しているオペラ座バレエにあって、入団後なかなか起用されず、群舞の隅っこで小さくなっていたが、ここにきて、当たり役に巡り合えた。ほぼ毎回演じた猫背の男は、若者と行動を共にし、時には若者をリードするような腕っ節のよさを見せるが、実は空威張り。いざとなると、一目散に逃げてしまう準主役級の役どころだ。若者と肩を並べて踊るデュオは若者と同じ振りで、若者役のル・リッシュやペッシュといったエトワールたちの横で全く同じパを踏まなければならないのだが、彼は技術もさることながら、演技の面でも対等に<エトワールの心の友達>を演じてみせた。

その友達たちの前に立ちはだかるのが、ミカエル・ドナールの<運命>だ。2月の『椿姫』のムッシュー・デュヴァル役で舞台から引退したはずではないか、とお思いの読者がおられると思うが、これがフランスだ。原則を変えない代わりに、特別あるいは例外措置を頻繁に施すのである。ドナールは、ピエロのように襟がぴらぴらした白いブラウスに、薄汚れた黒いタキシードを着て、舞台に戻って来た。冷たい石柱から顔を覗かせるだけで、さすがの存在感を漂わせる。登場から得体の知れない人物であることを明らかにする一方で、お茶目で親しみやすい面も示し、若者をぐいぐいと宿命に巻き込んでいくのだ。
ドナールの<運命>に巻き込まれる若者役のペッシュは、エレオノーラ・アバニャートに続き、イザベル・シャラヴォラとも組んだ。シャラヴォラはあの手、この手で若者を誘惑する魔性の女だ。ル・リッシュは必死に抵抗して最後に彼女に引きずられる形を取っていたが、ペッシュはある時点からすっかり諦めて、自らシャラヴォラに飛び込んでしまう。アバニャートを相手に踊った時とは180度異なる解釈で、相手役が違うと、こうも変わるものかと化学反応の醍醐味を味わった。
第4キャストには、アリス・ルナヴァンとジョシュア・オファルトが予定されていたが、オファルトの怪我が長引き、間際になってルナヴァンはヤン・サイズと組むことになった。『ペトルーシュカ』の悪魔役や『ラ・バヤデール』の大僧正役などで重要な役は演じていたが、久しぶりに正統派の主役を演じるサイズを見ると、やはりこの人は、主役を演じるべき逸材なのだと再確認した。生来の、長身と甘いマスクに加え、技術的にも申し分なく、圧巻。技術に余裕があって初めて若者に必要な小洒落た雰囲気が出るのだが、サイズは更に上回って、役と戯れるような遊びさえも見せていた。
ルナヴァンとのやりとりも素晴らしい。彼女は、シャラヴォラやアバニャートが世界一の美女役で見せた妖艶さはあまり出さず、代わりに危険な香りを前面に出す。そして、不可解な彼女にどんどん引き込まれるサイズの、喉を切り裂く。ルナヴァンはただの一度もサイズを誘わない。ただひたすら、自分の手の中に彼が崩れ落ちてくるのを待つのである。

愛憎劇が展開する、この主役カップルと対照的に、純粋に愛し合っている子供のカップルが描かれる。2カップルいるが、連日出演した正団員のソフィー・マユーと契約団員のニヴォン・リマニックのカップルは通り過ぎるだけ。メインとなるのはもう1組のバレエ学校の生徒が演じるカップルで、3年生、2年生の4カップルが交互に出演した。振付自体は易しく、教えられた通りに無機質に踊る生徒が多い中、パブロ・ルガサが2か所の少ない出番で純粋さの中にも退廃さを漂わせていたことに驚いた。バレエ学校入学当時から抜きん出ていた彼の才能は、日々磨かれている。
その子供のカップルを見守る歌手のパスカル・オーバンにも注目だ。『ランデヴー』は彼の美声で始まる。バレエ学校の音楽表現の授業で歌唱力を磨いたにしてはあまりにも上手すぎ、もしかして口パクかと疑ったが、本物だった。1999年から歌の教育を受け始め、あのアクターズ・スタジオでも薫陶を受けている。コリフェの彼をこのところ舞台で見かけなかったのは、歌の活動も両立させていたからで、ミュージカルのフェスティヴァルなどでも活躍中なのであった。

毎晩トリを飾ったのは『若者と死』である。
『狼』の力演が記憶に新しいステファン・ビュリョンは、若者役にも初挑戦することになった。既に『アルルの女』や『プルースト』を踊り、プティ作品の常連になっている彼の、満を持しての若者役は、想像を遥かに凌いでいた。
仮に、2005年の舞台を基準とすると、ビュリョンは冒頭のソロから1フレーズ早く音を取っていた。この部分は同じアンシェヌマンの繰り返しが多く、この取り方だと、<パッサカリア>の小節の切れ目に全く合わない。音とこれほどまでにずれていると、何のために音楽があるのか、と思ってしまうほどだ。そして、ジェレミー・ベランガールが扉の前に佇んだように、1フレーズ分を使って、ある場所を強調することもなく、最後まで1フレーズ早く突っ走る。首を吊っても、もがきもせずにあっさりと死んでしまうのだ。
初見はビュリョンの音の早取りとズレに違和感を覚えずにはいられなかったが、回を重ねてみると、これが死に魅せられ、死に逸る若者の気持ちそのものなのだと発見した。後先を考えない向こう見ずな若者の情熱が、早取りとズレに現れているのである。
技術的には、ピルエットの連続がシングルになってしまったり、ア・テールでのピルエットをわざと抜いていたりしたが、そんなことは全く気にならない。半端な技術で繕うことは見苦しく、全体のバランスで魅せることをビュリョンは熟知していた。実際、机の上での倒立のバランスの長さや椅子を見つめる狂気をはらんだ目は、些細なミスを即座に払拭するほど、傑出していた。
美女=死神役はエレオノーラ・アバニャートだ。2000年からずっとこの役を踊っている彼女は、怪しげに登場して若者を引き寄せたかと思うと、突き飛ばし、蹴飛ばし、詰る。その迫力は凄まじく、演技と分かっているのに、ビョリョンが怪我をしてないか、思わずオペラグラスで確認してしまったほどだ。彼女の美女はこれまでとは全く異なる。どこかに若者への遠慮があり、若者を翻弄するというより、若者役のダンサーの影でのリードがあって初めて美女が成立している面があったのだが、今回は打って変わって姉御肌の美女に脱皮していた。巧みにビュリョンを操り、死に導いたのである。

彼女が死に追いやった若者は、ビュリョン1人ではない。ニコラ・ル・リッシュも、である。ル・リッシュが若者役を得意としていることは、周知の事実だ。2000年、2005年、そして、今回も『プティの夕べ』のプログラムの表紙は、彼の若者の写真で飾られている。
冒頭、ル・リッシュは恋人の美女の訪問を待ちわびて、苛立ち、家具と挌闘する。彼も基本的には1フレーズ早く、音を取っていたが、毎回微妙に音の取り方を変えていた。引き寄せようとして、椅子に手をかけながらそのまま静止してみたり、美女が去った後、絞首台を直視する時間を長くしてみたりして、その時々の若者の心情を巧みに描く。初回こそ、ル・リッシュにしては、空中で静止するバロンの長さや、ピルエットの切れがあまり良くなかったが、2回目からはこの過酷な振付をきっちりと調整してきた。日を追うごとに一つひとつの振りがより明瞭になっていく。倒立をするなら、倒立でのバランスそのものだけではなく、その前後の、倒立の開始から終わりまでの一連の動きを大事にするのだ。顔を机につけてゆったりと倒立に入る日もあれば、さっさと倒立に入ってバランスを取り、ゆっくりと脚を下ろす日もある。最後には、難しいテクニックは元より、ただ立つだけ、歩くだけでも、若者の苛立ちや、焦燥感が立ち上って来るまでに仕上げていたのだ。
美女へのアプローチも進化している。今までは卑屈で隙だらけの若者が美女に魅入られる、という受け身に徹していたが、今回の若者は、美女との恋と、果敢に闘っていた。戦いの根底に流れているものは、パワーゲームではなく、2人の恋人関係。だから、2005年のマリ=アニエス・ジロとル・リッシュの、切るか、切られるかの一騎打ちのような切迫感を前面に出した舞台よりも、一層官能的なのだ。
ル・リッシュとアバニャートの恋の挌闘は壮絶だった。かなりの数の組み合わせを観てきて、2005年のジロとの舞台が最高だと思っていた。毎夜手に汗を握り、これ以上の『若者と死』は生涯観られないだろうとまで思ったのに、上には上があったのである。
恐らく、ル・リッシュの影に隠れてしまうだろう、と誰もが思っていたアバニャートがここまで役を掘り下げていたことも予想外だったが、やはり、ル・リッシュの力は格別だ。ベランガール、ビュリョンも好演したが、彼の若者は既に次元が違う。たった15分半の作品なのに、ル・リッシュの若者を観た後は3時間半の全幕物の悲劇を見た後と同じくらいの、疲労感が襲ってくる。どの部分をとっても前夜の舞台と同じことは決してない、進化し続ける若者に引きずられ、一瞬も気を休める暇がないからだ。
短期間に進化し続けること。それは、演技を超え、ル・リッシュが若者として舞台で生きているからこそできる業なのではないか。

プティは容姿にこだわりを持つ。愛妻のジジ・ジャンメールをミューズとし、脚線美、長身に執着するプティだが、自作には、その容姿が最大限に生かされる技術がお洒落に散りばめられている。演劇性も難儀な技術をこなさなければ立ち上ってこない。実は、彼は人一倍、技術にこだわっている振付家なのではないか。
今回の3作品は50年以上前に彼がオペラ座と一線を画していた時代に作った作品だ。今でもこなすのが難しい技術が満載で、当時これほどの技術をこなすダンサーはオペラ座以外にはそうそういない。実際、プティが登用したジャンメールやヴェルディ、バビレといったダンサーはオペラ座出身である。常に、プティの頭の中には、オペラ座があったのである。
現在、オペラ座のダンサーは、勿論、プティ作品を踊るに足る力量を備えている。そして、プティとダンサーたちは、全く同じパリ・オペラ座の精神を共有している。だから、ガルニエ宮で観るプティ作品は格別で、何時観ても、美しく、悲しく、そして光り輝いているのだ。
(2010年9月29日、10月1日、2日マチネ、ソワレ、4日、6日 パリ・オペラ座ガルニエ宮)

『ローラン・プティの夕べ』Soireé Roland Petit
『ランデヴー』Le Rendez-vous
台本:ジャック・プレヴェール、音楽:ジョゼフ・コスマ、振付:ローラン・プティ、舞台幕:パブロ・ピカソ、装置:ブラッサイ、衣裳:メイヨー、照明:ジャン=ミシェル・デジレ
初演:1945年6月15日 サラ・ベルナール劇場、シャンゼリゼ・バレエ団による
パリ・オペラ座バレエ団レパートリー入り:1992年3月11日
『狼』Le loup
台本:ジャン・アヌイ、ジョルジュ・ヌヴー、音楽:アンリ・デュティユー
振付:ローラン・プティ、装置、衣裳:ジャン・カルズー、照明:ジャン=ミシェル・デジレ
初演:1953年3月17日 パリ・アンピール劇場、パリ・バレエ団による
パリ・オペラ座バレエ団レパートリー入り:1975年3月18日
『若者と死』Le jeune homme et la mort
台本:ジャン・コクトー、音楽:ヨハン=セバスチャン・バッハ <パッサカリア ハ短調 BWV582>、オーケストラ編曲:オットリーノ・レスピーギ、振付:ローラン・プティ、装置:ジョルジュ・ワケヴィッチ、衣裳:カリンスカ、照明:ジャン=ミシェル・デジレ
初演:1946年6月25日 シャンゼリゼ劇場、シャンゼリゼ・バレエ団による
パリ・オペラ座バレエ団レパートリー入り:1990年4月5日
指揮:ヤニス・プスプリカス、オーケストラ:コロンヌ管弦楽団
メートル・ド・バレエ、舞踊監督補:パトリス・バール